27 お仕置きの時間です(注・もう許しません)

 そこから先は、もう声も出せなかった。

 町の屋根屋根、光る川、濃淡の変化を見せる緑。上空からの眺めはあまりに美しく、一枚の織物を眺めているようだ。愛おしい、オーデンの地。手を伸ばして、そっと撫でたくなる。

 そんな景色を見つめる自分は、ふわっふわのグリフォンの背に乗っているのだ。夢見心地とはこのことである。


 とても長い時間のような、短い時間のような──とにかく魔法のような時間が過ぎ、アルフェイグは『止まり木の城』の上空までやってきた。

 城の周りの地面は破裂したかのように割れて盛り上がり、木々は根本から倒れ、あるいは途中からボッキリ折れている。いくつかの塔も崩れていたけれど、止まり木のある塔だけは無事だ。


「おーい」

 聞き覚えのある声がする。

「誰か! 助けを連れてこい! くそっ、レムジェは何をしているんだ!」


『コベックだ』

 アルフェイグは言い、止まり木の上に舞い降りた。

 彼の肩越しに覗いてみると、ひときわ大きながれきの上で、コベックが騒いでいる。その隣のがれきに、ひっそりと、パルセが座っていた。


「二人とも、無事だったのね。よかった」

 つぶやくと、アルフェイグの声がする。

『二人の無事、喜ぶんだ?』

「それはそうよ、だって見届け人が死にでもしたら、あなたが王族だと誰が証明するの? それに、パルセも無事だったのよ、嬉しいでしょう?」

『まあ、その辺は話を聞いてからにしよう』

 アルフェイグが言い、それから大きな声で呼びかける。

『コベック。パルセ』


「あっ」

 二人がようやく、こちらに気づく。

 コベックは口をぽかんと開けたけれど、パルセは逆に口を引き結んで、こちらを睨むように見上げた。


 アルフェイグは軽く首をひねって、背中にいる私を見る。

『あのね、ルナータ。この二人は、儀式を利用して王家の宝物を盗もうとしたんだ』

「……は? 何ですって?」

 私は思わず、聞き返す。

 彼は続けた。

『ここの礼拝所が開くのは、儀式の時だけ。開けられるのは僕だけだ。パルセは立会人を君と交代して──その辺は後で僕も事情を聞かせてもらうけど──、礼拝所から出てきた僕と二人で屋上に行き、その間にコベックが忍び込む手はずだった、というわけ』


「ま、待って、ええ? だってパルセ」

 身を乗り出して、パルセを見る。

 がれきから這いだしたのか、パルセは髪も乱れ頬も汚れていたけれど、それでも美しい。


 そんな彼女は、ちらりと私を見て、そして。

 ふいっ、と、無表情で視線を逸らせた。


(な、なんか、昨日までと態度、違う!?)

 私は口をパクパクさせることしかできない。

 アルフェイグは、淡々と説明する。

『礼拝所から出たらパルセが立っていたから、僕は困った。立会人はルナータでなくてはならない』

「私でなくては?」

 わからないことばかりだ。どうして、と聞こうとしたけれど、アルフェイグはさらりと次へ話を進める。

『今すぐルナータを呼んでほしい、僕はここから動かないと言ったのに、パルセはなぜか僕を説得して屋上へ連れて行こうとする。揉めていたら、とうとう待機していたコベックまで踏み込んで来て……。儀式の場を乱す者を、先祖は許さない。黄金像の怒りが爆発して、後はごらんの通り』

「ええっ!?」

 私は思わず、問いつめる。

「パルセ! 宝物を盗もうとするなんて……ひいお祖母様の願いはどうするの!?」


 すると。

 パルセは肩にかかった髪をうるさそうに避け、言った。

「あんなの、嘘に決まってるじゃないですか」


「……は?」

 絶句した私に、彼女は面倒くさそうに説明する。

「曾祖母は王太子殿下の婚約者でしたが、実際は嫌々だったそうですよ。それはそうですよね、苦労が目に見えているんですもの」

「な……!」

 彼女を非難しそうになった私を、アルフェイグが止める。

『いいんだ。あの頃、大国キストルに目をつけられるのは誰だって嫌だった。オーデンの誰もが、生き残るのに必死だったんだ』

「…………」

 私は唇を噛む。

 パルセは冷ややかに続ける。

「魔導師も、納得したそうですよ」

『カロフが?』

 はっとして、アルフェイグが聞く。

『カロフは、ダージャ家にはたどり着いていたんだな?』

「ええ。曾祖母の日記に書いてありました。どうしても結婚は嫌だ、立会人にもなれないときっぱり断ったら、立ち去ったと」


「そんな」

 衝撃を受け、私は息を呑んだ。

(つまり、百年前、ダージャ家はアルフェイグを見捨てた!? 何てこと……カロフはどんなに途方にくれただろう。アルフェイグはひとり、城で待ち続けているのに)


 ……アルフェイグは目覚めた時、突然、私にキスをした。

 もしかしたら薄々、思っていたのかもしれない。こんな政治情勢の中では、婚約者は来てくれないだろう、と。

 それが、目の前に現れたら……すごく嬉しかったに違いない。キスには、そんな気持ちもこもっていたのかも。


「その後、すぐにダージャ家はオーデン王国を脱出しました。秘密の城に宝物があるらしいと後から聞いて、百年後に探し出すべし、という風に話は伝わってます」

 パルセは立ち上がり、服の汚れを払いながらつけつけと言う。

「今、ちょっと実家の財政が厳しいんです。コベック様がオーデンの王侯貴族の子孫を捜していると聞いて、例の宝物が手に入るならと話に乗ってみたのに、城がこんなになっちゃって。ああもう、骨折り損だったわ」


 もはや、あの、清純で思いやりのあるパルセはどこにもいない。

 彼女は、女優だった。


 ふ、と、パルセは微笑む。

「アルフェイグ様、どうなさいますか? 婚約者だった曾祖母の罪まで遡って、私を罰されますか?」

『いや。僕は君を罰しない』

 アルフェイグは、言った。

 けれど、その声は冷たく固い。ハッとした様子のパルセは、反射的に身を引いた。

 アルフェイグは続ける。

『僕が君を罰しないのは、この地を治めるのがルナータだからだ。すべては、今の領主であるルナータに委ねる。僕の口添えは期待せず、神妙に待つがいい』

 パルセは再び唇をかみしめると、うつむいた。


 それはそれとして。

「……コベック?」

 私とアルフェイグは、同時に、同じ方を見た。


 びくっ、と振り向いたのは、大きなガレキに捕まって滑り降りかけていたコベックである。私たちがパルセと話している間に、こっそり逃げようとしていたらしい。

 彼は私たちと目が合うと、早口に言った。

「ぼ、僕は別に、宝物など興味はなかったぞ。ただちょっと、関係者を連れてくれば、亡国の王太子などと名乗る怪しい輩をおとなしくさせておけるかと思っただけだ。オーデンはもう、グルダシアのものなんだからな!」


「コベック」

 私は、ゆっくりと言った。

「今の私は、あなたと婚約していたころの私ではないって、わかってる? オーデン領のことには、私が責任を持ちます。あなたが口を出す筋合いはないの」

 アルフェイグが、軽く喉を鳴らす。

 勇気づけられているように感じて、私は続けた。

「私はもう、ひとりぼっちじゃない。王宮にも味方を作ることができたのよ。最近ちょっと、王妃陛下と仲良くさせていただいているの」

 王妃陛下に正直な気持ちを話すことができたのは、アルフェイグのおかげだ。それ以来、陛下は私を気にかけてくださるようになった。

「だから、国王陛下に泣きついても無駄よ。それに、今のこの会話、レムジェが証人になってくれます」

 上から見ると、城のすぐ外の木立の陰で、レムジェが目を丸くしているのが見えるのだ。

 混乱の中でも逃げなかった真面目な彼は、本当に、監視役として優秀だった。

「あなたの勝手放題も、これまでね。身の振り方を考えておきなさい」


「ひ……」

 私の言葉を聞いたコベックは、急いでガレキを降りて逃げようとした。

 けれど、振り向いた瞬間、真後ろにマルティナがいるのに気づいて固まる。

 グルル、とマルティナに唸られて、彼はとうとう、膝を抱えて座り込んでしまったのだった。



 ──彼らのその後のことを、ここに記しておこうと思う。


 二人の身柄はいったん、警備隊に引き渡された。

 コベックもパルセも、黄金のグリフォンを暴れさせて町を危険に陥れようと思ったわけではない。彼らは、そんな風になるとは知らなかった。

 けれど、窃盗未遂の共犯である。


 パルセに今回の件の誘いをかけたのは、コベックだ。彼の所業をこれ以上許すわけにはいかない。

 私は宣言通り、王妃陛下とレムジェの力を借りて、彼を公式に告発した。

 公爵に告発され、王妃に口添えされては、コベックの父であるチーネット侯爵も息子をかばいきれない。それに、私のこと以外でも、コベックは結構色々やらかしていたらしく……。

 これに関しては私も、「でしょうね」以上の感想は、ない。

 とうとう愛想を尽かされたコベックは、チーネット侯爵家から勘当され、貴族社会を追放されたのだ。


 そんな彼がアルフェイグの儀式の見届け人だったわけで、もはや彼の証言は国王陛下にとって、信用に値しない。

 私とアルフェイグは再び王都に行き、国王と王妃の両陛下の前でアルフェイグの変身を見せなくてはならなかった。まあ、これが一番、確実な証明になったとは思うけれど。

 


 一方、パルセもパルセで窃盗未遂に終わったとはいえ、コベックに誘われなくてもいつかは窃盗目的で『止まり木の城』を探しに来ただろう。しかも今回、結果的にオーデンの町を危険にさらした。人死にだって出ていたかもしれないのだ。

「私がこの話をすれば、あなたの罪は一気に重くなる」

 警備隊詰め所でパルセに面会した私は、言った。

「もちろん、そんなことはしたくない。でも、あなたがしたことを考えると、窃盗が初犯だからといって無罪放免というわけにもいかないわ」


「どうぞ、オーデン公のお好きなように、私を罰するといいですわ」

 パルセはツンとした態度で言う。

 彼女は、私の性格を見抜いた上で今回の計画を立てていた節がある。どうせ私には残虐なことはできないと、高をくくっているのだろう。


 私は提案する。

「あなた、オーデンの町に住みなさい」


「……は?」

 さすがに、彼女は私を見て目を丸くした。

「何ですって?」

「重い罪を課されたくなければ、この町で、商売をしなさい。あなたの家、オーデンのことには詳しいでしょ? 真面目にやれば、きっと儲かるわよ」

「……何が狙いなの?」

「別に、あなたが商売を成功させれば町の利益になると思っただけよ。もちろん、きっちり監査はさせてもらうけれど」


 演技力があり、人間観察力があり、そして魔法も少し使える。パルセは多才なのだ。それだけに、危うい。

 目を離すと何をしでかすかわからないし、そばに置いておいた方が安心だ。その才能を、先祖の故郷オーデンの発展に使わせたい。

 もし、個人的に頼みたいことができたら、強権を発動してお願いしてしまおうかと思っているけれど。


 私はふと、思いつきで付け加えた。

「もし余裕があったら、コベックを雇って鍛えてあげて。労働して生きていかなくてはならないのに、きっと路頭に迷っていると思うから」

 パルセは、形のきれいな眉を片方上げて、渋い顔をしたのだった。


 が。

 何とパルセは、私の言ったとおりにした。オーデンの町で雑貨店を始め、コベックを雇ったのだ。

 店内はノスタルジーを感じさせるディスプレイ、そして青と黄のオーデンカラーを取り入れた新商品は、たちまち評判になった。売れ筋は、グリフォンの文様入りスカーフ。最近ではこの店に、ユイエル先生が手編みのテーブルセンターを卸しているようである。


 時々、この店に立ち寄ると、店の裏でコベックが重い荷物を運んだり、パルセに叱られたりしているのを見ることができる。

「ちょっとコベック。帳簿の計算が間違ってるわ」

「はいっ!」

「はい、じゃない。元貴族のくせに、読み書き計算もまともにできないの?」

「すみません!」

 よくよく観察すると、コベック、眉毛が片方焦げている。

(パルセ、火魔法を使って彼を調教してる……?)


 コベックは、意外とまんざらでもなさそうで。

 ひょっとしてそういう性癖でもあったのかしら、私が魔法で彼をぶっ飛ばしたから彼は私に執着したのかしら、さらに魔法をぶちかましまくっていたら今頃は彼との関係も違ったものになっていたのでは? などと考えて、げっそりした私である。


 ……後は頼んだ。



 さあ。

 私とアルフェイグの話に戻ろう──

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