25 彼が変身しました(注・当初の予定とは違う流れで、ですが)
オーデン公爵領の北部に、木々の鬱蒼と茂った山がそびえている。
『止まり木の城』は、山の南東側の中腹にあった。
そこから南西に向かって降りていき、まだぎりぎり森の中、というあたりに私の屋敷。そして、オーデンの町は山の南側、森の外の平野部にある。
町の入り口までやってきた私は、ベロニカにまたがったままいったん止まり、まっすぐ北を見上げた。
城の、一番高い塔のてっぺんが森の中から突き出し、昇り始めた朝陽を受けて白く光っている。魔法で隠されていた間は見えなかったものが、今は見えるようになっているのだ。
(コベック、屋敷に到着したら私がいなくて、いぶかしんだかもしれないわね。でもパルセと、それからレムジェと一緒に、『止まり木の城』へ向かったでしょう)
私は、屋敷に戻らずに直接、城に向かった。
道は上りになり、あたりの木々がだんだん深まっていく。
(そろそろパルセが到着して、ランプに灯りを点す頃かしら。アルフェイグ、礼拝所を出て私がいなかったら、さすがに怒るか呆れるかするでしょうね……)
でも、儀式なのだから続行するだろう。パルセとなら立派に行えるのだ。
木々の合間に、城が見え隠れし始めた。私は、誰かの姿が見えないかと、様子を窺いながら近づく。
不意に、ベロニカが軽く前足を浮かせ、いなないた。耳を伏せている。
怯えているのだ。
「どうしたの、ベロニカ」
私は彼女の首を叩いて落ち着かせる。
(何だろう。……あとは歩いていこう)
ベロニカから降りた時、私はそれに気づいた。
ゴオオ……という低い音とともに、地面がわずかに揺れている。
(地震? 儀式の最中なのに)
一度、振動は収まった。と思ったら、しばらくしてまた、小さな揺れ。
とにかく私は、ベロニカの手綱を引いて道を外れ、木立に身を隠しながら城に近づいた。
「あっ、ルナータ様!」
いきなり声がかかって、思わず「ひっ」と飛び上がる。
木の陰から顔を出したのは、アルフェイグの従者で監視役の、レムジェだった。
「レムジェ! びっくりした。ええと、儀式はどこまで進んだの? 順調かしら?」
順調ですよ、という答えを期待したのに、彼は不安げに顔を曇らせる。
「あの、実は、少し心配で」
「……何かあった?」
「まず、パルセ様が城に入って行かれたんですが……少しして、何か鋭い鳴き声が聞こえたんです。鳥のような」
「アルフェイグが変身したのではないの? って、あら……コベックはどこ?」
あたりを見回す私に、レムジェは「それが」とためらいがちに言った。
「鳴き声の後、城に入っていってしまわれたんです。お止めしたんですが」
「ええ……?」
私は唇を噛む。
(やっぱり、私もいるべきだった。アルフェイグは、コベックに城には立ち入ってほしくないと言っていたのに。何をやってるんだろう)
「……様子を見てくるわ。あなたはここにいて」
ベロニカの手綱を、レムジェに預ける。
「しかし、おひとりでは」
彼が心配そうに言った時──
ビキッ、という、何かが割れるような音がした。
振り向くと、城の周囲から土煙が上がっている。
「な、何……あっ」
ズン、という振動に地面が揺れ、私とレムジェは近くの木に捕まった。
まるで稲妻のように、城の前の地面が裂ける。
そしてその裂け目は、ビキッ、メキメキッ、と連続し、加速しながら、こちらに迫ってきた。
足下が崩れる、と思ったとたん、裂け目は大きく曲がり、別の方向へと走る。
木々の根のないところ。森の中に通っている、馬車道へ。
亀裂は一気に、道を駆け下りていく。
「町の方へ……!?」
私はとっさに、ベロニカに飛び乗った。手綱を引きながら腹を蹴る。
ベロニカは身をよじって無理矢理方向を変え、そして走る亀裂を追って駆け出した。
(一体、これは何? もし町まで行ったら……止めないと!)
亀裂のすぐ脇を、ベロニカは走る。
その時、亀裂の向かい側に、私と同じように走る四つ足の姿が現れた。茶色の毛皮に黒い斑点の身体は、モリネコ。マルティナだ。
そして、その背には。
「ルナータ!」
「アルフェイグ!?」
昨日別れたときそのままの、人間の姿の、アルフェイグだ。
「アルフェイグ、これは何!?」
「説明は後! ……来た」
彼が首をひねって、空を見上げる。私も釣られて、彼の視線を追った。
「な……」
森の木々の合間、朝陽を受けて、まぶしく光る巨体。
空を、黄金の生き物が飛んでいる。大きな翼、人間が何人も乗れそうな胴体。
「グリフォン!」
うっかり「わぁ!」とときめいてしまいそうになったけれど、私はすぐに、異常に気づいた。
「あのグリフォン、身体が変だわ! き、金属!?」
妙に身体がつやつやしていると思ったら、一言で言えば、黄金でできた像なのだ。くちばしも、翼も爪も大きく動いているのに、羽や毛はなびかない。ただ体表を、溶けた金属のような光が流れている。
黄金のグリフォンには、長い尾があった。よく見ると、その尾は枝分かれして鞭のようにしなり、その先は──
(あの尾が、地面を割っている!?)
地面に視線を戻すと、あちらこちらを金の光が走っているのだ。地中を裂き、木々をなぎ倒している。飛沫が飛び散るように、周囲にまばゆく金の光が舞う。
「あれは、礼拝堂にあった先祖の黄金像だ! 怒って暴れだし、裏の崖を突き破って地表に出た!」
アルフェイグが怒鳴る。私は怒鳴り返した。
「何でっ……いいえ、とにかく町を守らなきゃ! どうしたら!?」
「グリフォンは僕が何とかする! ルナータ、町の入り口で亀裂を止められる!?」
アルフェイグの質問は、魔法を使って、という意味だろう。
(できるかできないかじゃない、やるのよ!)
私は即答する。
「止めるわ!」
さすが、という形にアルフェイグの口が動く。
「よし、まずは町まで行くぞ!」
何か考えがある様子のアルフェイグは、ぴったりとマルティナの上に身体を伏せて走った。
私も、ベロニカを全力で走らせる。
すぐに、森の切れ目から町の入り口が見えてきた。
私はベロニカを走らせたまま声を張り、世界に響けとばかりに、精霊語の呪文を唱える。
〈コレン・ヴァーテ!〉
大きな影が射したかと思うと、ズシン、という音とともに、道の先に大きな岩が落下した。地面を潰すようにして、亀裂をくい止める。
驚いたのか、空中でグリフォンが大きく羽ばたきながら止まった。
私は入り口前の広場に駆け込みながら、さらに呪文を唱える。
〈ロク・ラズ・ビジアン・ティズニ!〉
道の両側の地面から、木の根が宙に何本も伸び上がった。根は地中でも空中でも互いに絡み合って、亀裂を縫い留め、さらに巨大な生け垣になる。
私もベロニカも息を切らせながら、生け垣の前に立ちはだかった。
グリフォンは、その場に浮くようにして止まったままだ。金の尾もいったん、短くなって引いている。
けれどその尾は、まるで狙いを定めるように、先をこちらに向けていた。これで終わりではないのだ。生け垣など、すぐに破られてしまうだろう。
マルティナがすぐそばに走り寄ってきて、アルフェイグがその背から飛び降りる。
「ルナータ、次は僕の番だ」
「お、お願い」
これからどうなるのかわからず、内心びくびくしている私は、かすれ声で答える。
すると、彼は真剣な目をして、言った。
「立会人を頼んだよね、ちゃんと見ていて」
(え?)
目を見開く私の前で、彼はまっすぐ立ち、目を閉じ、長く息を吐いた。
その足が、変化していく。
裸足だった足が形を変え、爪が地面をつかんだ。
ざわ、となびく白い体毛が、足を覆う。
肩のあたりが盛り上がるのと同時に、身体がぶわっと大きくなる。
軽く広げられた両腕は、茶色い羽をまとい出す。
アルフェイグがいったん頭を下げ、次に起き上がった瞬間──
彼は、一頭のグリフォンに姿を変えていた。
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