24 儀式の立会人をやめました(注・それが正しいからです)

「……アルフェイグ様の儀式の前段階は、今日ではなく、すでに百年前に始まっていたと考えられます」

 パルセは息を整え、続ける。

「曾祖母が婚約者として、立会人に選ばれた時からです。……さっき、殿下もおっしゃっていましたが、先祖の記憶を受け継ぐために塔で一度眠るのですよね」

 塔。彼のいた寝室も、塔の上だった。

「そして、立会人が殿下を目覚めさせる。そこに特別な結びつきが生まれます。殿下はその時に、立会人こそ伴侶と心を定めるのです」


 一瞬、聞き間違いかと思った。


「え? それって」

「そんな立会人に、殿下は初めての変身した姿を見せる。そうして儀式は終わり、二人は手を取り合ってオーデン王国を繁栄に導」

「待って」

 私は思わず、割って入った。

「つまり……つまり、眠りから覚めて最初に見た人を、アルフェイグは好きになる?」

「そう伝わっています。グリフォンは半分、鳥ですから」


 パルセの説明は少々ザックリしていたけれど、私はそれどころではなかった。

『刷り込み』があるんじゃないかと、ちらりと疑ったことがあったからだ。


(やっぱり、そうだったの? 確かに、どうしてなのか不思議に思っていたわ。アルフェイグが私を、出会ってすぐに好きになるなんて)

 顔から血の気が引くのが、はっきりとわかる。

 アルフェイグと初めてキスした夜が、辛い記憶になって私の心の中で重みを増した。

(私だから好きになったんじゃ、なかった。そう、刷り込まれたからだった……?)


「ルナータ様。お願いがあります」

 涙を目にいっぱい溜めたパルセは、私の方に少し身を乗り出した。

「どうか、立会人の役目を、私にやらせて下さいませんか?」

「えっ」

 目を見開くと、パルセは目元を赤くしてうつむく。

「可能性にすがるような真似をして、はしたないと思われるかもしれません。もう、アルフェイグ様はルナータ様のことを愛してらっしゃるのに」

「そんなこと」

「いいえ、見ていればわかります。だから、言えなくて……諦めようと思いました。でも、本当なら私が目覚めさせ、私が花嫁になるはずだったのを、何もしないままでは……一族にも曾祖母にも、顔向けができません。私にも、機会を下さい」

 つまり──

 パルセは、アルフェイグにまだ刷り込みが起こっていない、もしくは、儀式の正しい流れの中で正しい刷り込みが起こる可能性に、賭けているのだ。自分を好きになってもらえるかもしれない、と。

 こぼれる涙もそのままに、パルセは声を震わせる。

「ルナータ様は、唯一の婚約者として立会人になるわけではないんですよね?」

 その通りだった。

 私はただの、代役だ。

「どうか、どうか、お願いします……!」

 パルセが、頭を下げる。


 自分のやってしまった行いに、めまいがした。

(私は、勝手に王族の城に踏み込んで、本来その役目をするはずだった女性を差し置いて、彼を目覚めさせてしまった)


 そして、私を好きにさせてしまった。

 私なんかを。


『君はどうしてこう、自己評価が低いんだろう』

 アルフェイグの呆れた声を思い出す。

(彼から、たくさん励ましてもらったわ。でも、違ったのかもしれない。刷り込みのせいで、私のことがよく見えただけかも。本当の気持ちでは、なかったのかも)


 涙がこみ上げそうになり、ぐっ、と奥歯を噛む。

 もしアルフェイグがここにいたら、きっと否定してくれただろうと思う。でも、心は証明できない。

 苦しくて、逃げ出したい。


 それでも私がやる、などと、言えるわけがなかった。


「そう……私は、婚約者ではないわ。私に、儀式についてあれこれ決める権利なんて、ない」

「では」

 真っ赤になった目に、かすかな期待を点し、パルセが顔を上げる。

 私はうつむいたまま、静かにうなずいた。

「……本来の形で、儀式を行って。形式も大事だとアルフェイグは言っていたし、それが一番いい。立会人は、あなただわ」

「ああ……ありがとうございます……!」

 パルセはもう一度、頭を下げた。


 一人で書斎を出ると、セティスが待っていた。

 私の顔を見るなり、彼女は軽く目を見張る。

「お話が終わったらお茶をと……あの……何かございましたか?」

「あ、ええ……その……参ってしまうわ」

 セティスに話さない訳にもいかず、私は曖昧に笑った。

「私、立会人になる資格がなかったのよ。それが今、わかったの」


「は?」

 驚くセティスに、私はやや早口で続ける。

「でも、パルセが代わりにやってくれるから、儀式はこのまま続けることができる。良かったわ、本当に。明日の夜明けにコベックが来たら、パルセとコベックに城に行ってもらいます」


 セティスはキリリと、眉を潜めた。

「そんな。どうしてルナータ様ではいけないのですか!?」

「正しくないからよ。元々、代役だもの」

 私は言い、そして指示を出す。

「パルセとコベックを二人にするのは心配だから、レムジェにもついて行ってもらいましょう。伝えておいてくれる? それから私、ちょっと出かけてくるので食事はいりません。遅くなるかもしれないけれど、明日、儀式が終わったアルフェイグの出迎えはちゃんとするから」

「は、はい……」

「よろしくね」

 私はセティスに背を向けた。



「あらあら、ルナータ様」

 居間に入ってきた私を見て、ユイエル先生は目を見開いた。

「今日は、どうなさったの?」

「ユイエル先生」

 私は一度、口をつぐんで気持ちを整えると、改めて言い直した。 

「ユイエル先生、今日も私、ここにいていいですか?」

「もちろんですとも。さあ、お座りになって」

 先生は心配そうに、椅子を勧めてくれる。

「お顔が真っ青。どうなさったの?」

 座った私は、無言で首を横に振った。

 先生は深く追求せず、台所に立つ。

「お茶を差し上げましょうね。……王太子殿下は、お元気に過ごしていらっしゃる?」

「…………」

「殿下に、何か?」

「いいえ、大丈夫」

 私はまた、首を振った。


 そう、アルフェイグには、何も悪いことなど起こっていない。

 もしかしたら、明日の朝に目覚めてパルセを見たとき、パルセを好きになるかもしれない。それは、悪いことどころか、いいことのように思える。

(私よりよほど、お似合いなんだもの)


 でも、彼女を好きにならなかったら?

『ルナータ、大好きだ』

 またあの言葉を、私にくれたとしたら。 


(やっぱり刷り込みのせいだと、そう思うだけね)

 私は目を閉じる。

(それに、立会人を引き受けるという約束……火魔法も私がやると約束したのに、私は逃げてしまった。嘘をつくのは三回目。こんな私、アルフェイグどころか、私自身だって好きになれない)


 目を開くと、いつの間にかお茶のカップが目の前に置かれ、湯気とともにいい香りが立ち上っていた。

 先生は、私をそっとしておいてくれている。

(……時間を止める魔法だけじゃなくて、時間を早く進める魔法があったらいいのに。早く、儀式が終わって欲しい)

 勝手に、自嘲の笑みがこぼれる。

(やっぱり、男の人に関わるのは、もうこりごり……)

 私は、ただひたすら、時間が流れるのを待った。



 先生に、夕食をごちそうになった。パンとスープだけの軽い食事は、今の私にはかえってありがたい。

 寝室の、一つしかないベッドを勧められた。眠れそうにないからと断ると、先生はベンチにクッションを山ほど並べ、

「もし眠くなったら、横におなりになって」

 と言ってくれた。


 言葉が口をついて出る。

「……先生。何かを諦めなくてはならない時って、どう吹っ切ったらいいのかしら」

「そうですねぇ」

 ユイエル先生は少し考えて、答える。

「逃げてしまうと後悔しますから、一度は向き合って、あがきますかしら。ここを最後と、全力でね」

 自分で自分に、引導を渡すということだろうか。

(私に、そんなことできるかしら)

 思いながら、「ありがとうございます」とお礼を言う。

 先生は微笑んで、寝室に引き取っていった。



 やがて、満月が夜空に昇った。

 ぼーっと月を見つめているうちに、ウトウトし、はっ、と目覚める。それを幾度、繰り返しただろうか。


 東の空が、淡い紫色に染まり始める頃。

 私はそっと、先生の家を出た。

(ユイエル先生の家に逃げ込んでいないで、せめて近くにいるべきよね)

 家の裏に回ると、繋いであったベロニカが気づいて顔を上げ、ブルルと鼻を鳴らす。

(城から出てくるアルフェイグとパルセを見れば、先生がおっしゃったみたいに、向き合うことができるかもしれない)

 それに、アルフェイグがグリフォンに変身したら、きっと神々しく美しいだろう。

 最初で最後だとしても、ひと目、見たかった。

 先生には、食卓に置いてある勉強用の筆記用具を使って、お礼のメッセージを残してある。

 

 私は、ベロニカにまたがった。

「行きましょう」

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