18 婚約者の代役を頼まれました(注・本当に結婚するわけではありません!)

「へ?」

 思わず間抜けな声が出てしまった。

「婚約者の、役……?」


「うん」

 彼はなぜか頬をうっすらと染め、やや早口に続ける。

「そもそも伴侶か婚約者が立ち会うのは、儀式を行う本人をこれからも長く見守ってもらえるように、年の近い身近な人が必要だからだ。そして今、僕の身近でそういう人は、ルナータしかいない」

「そ、それはそうだけど」

「しかもさっきの話し合いで、ルナータは今後も僕を監視すると決まったよね。これからも同じ時間を過ごすことになる。儀式の意味を解釈してみるに、やはり君が一番ふさわしい立場にあると思う」


 彼はサッと立ち上がると、椅子に座っている私のすぐ脇にひざまずいた。

 ぎょっとする私の手を恭しく取り、私を見上げる。

「オーデン公爵ルナータ・ノストナ殿。アルフェイグ・バルデン・オーデンの成人の儀式に、どうか立ち会ってはいただけないでしょうか」


「わわわわかりました、わかりましたからどうかお立ちになって!」

 思わず椅子から腰を浮かせる私は、もう、こう返事をするしかない。

「立ち会う、立ち会いますっ。謹んで、その役目をお受けしますから!」


 ぱっ、と、アルフェイグの表情と声が明るくなる。

「やった、ありがとう!」

 立ち上がったアルフェイグにいきなり手を引かれ、私は彼の胸に顔をぶつけるようにして飛び込んだ。

「ぶっ!?」

(だっ、抱きしめられてる……!?)

「初めて会った時、こんな人が婚約者なら嬉しいと思った、と言ったよね」

 胸から、彼の嬉しそうな声が響いてくる。

「領地のことも、花のことも、立ち会いのことも。こんな人が、これからもずっと僕の側にいるなんて、嬉しくてどうにかなりそうだ。ルナータ、僕は君が、とても好きだ。本当に」


 彼の腕が、言葉が、私をすっぽりと包み込んだ。

 胸が、ドキドキする。ふわふわと浮くような心地がして、時の魔法などなくても、時間が止まったように感じる。


 このままずっと、こうしていたい。

 初めての気持ちだった。


「ルナータ」

 耳に、アルフェイグの息がかかる。

「儀式が終わって、僕が本当にオーデンの王太子だと、この国でも認められたら……」


 ──不意に、廊下に人の気配がした。

「ひ、人が」

 あわてて腕を突っ張ると、アルフェイグは腕を緩めた。そこへ、声がかかる。

「失礼いたします。学者が、お目通りを願っております」

 王宮の使用人だ。

「ああ、ありがとう」

 返事をしたアルフェイグは、私の腰を軽く抱いたまま、私の顔を見下ろして微笑む。

「天文学者だ。宰相殿は仕事が速いね」

「そ、そうね。あの、アルフェイグ殿の客室にご案内して!」

 頬の熱をごまかすように、私は彼の腕から逃れて指示を飛ばしたのだった。 



 そんな、ふわふわドキドキする時間を過ごした後──

 夜になり、自分の客室で一人になってみると、また私はいつもの考え方にはまりこんでしまう。


(セティスも言っていたけれど、百年の眠りから覚めたアルフェイグにとって、たまたま目の前に現れた私は特別。そう、たまたまなのよ。これからいくらでも若い女性と出会うだろうに、まだ出会ってそう経っていない私をあんな風に抱きしめたりして……!)

 ベッドの上、眠れずに寝返りをうつ。

(目覚めた彼を保護した私が、今後も彼の世話をするから、私と仲良くしようとしているの? どういうつもりなんだろう? アルフェイグが何を考えているのか、正直、わからないわ。そりゃあ、二つの姿を持つ王族の、王太子殿下なんだから、文化が違う。私に理解できると思う方がおこがましいのかもしれないけれど)


 その時、ふと、頭をよぎった考えがあった。 

(二つの、姿……。そう、グリフォンって一応、半分は鳥よね)


 愛するソラワシのために、鳥の生態についてもそこそこ勉強している。だから、私は知っていた。

 種類にもよるけれど、生まれて初めて目にした動くものを親だと思いこむ、『刷り込み』という習性を持つ鳥がいることを。

 水鳥の雛が、人間をお母さんだと思ってヨチヨチついていくアレは、もう全力で大歓迎というか、むしろ自分から狙って刷り込みに行ってもいいくらいだ。

 でも、もしも若い男性、しかも亡国の王が、長い眠りから覚めて私を見た時に、同じことが起こっていたら?


(……なんて、まさかね! ああ、慣れない状況で頭がおかしくなってるわ私! 男はこりごりだと何度言ったら! 早く領地に帰ってアンドリューやマルティナに会いたーい!)

 

 悶えながら、愛する動物たちに思いを馳せる私だった。



 そうして、私たちは数日の間、王宮に滞在した。

 成人の儀式を実際にいつやるのか、私たちは王家お抱えの天文学者や歴史学者と何度か話し合った。

 そして最終的に、二ヶ月後、真夏の満月の夜に『止まり木の城』で儀式を行うことになった。

 私はもちろん立ち会うけれど、見届け人として王宮からも誰か人が来るのだという。もちろん、当然のこととして私たちは受け入れると返事をした。


 そしてアルフェイグは、亡国の王がやってきたということで、王宮では時の人となった。

「男性貴族たちに、食事やカードゲームに誘われたよ。これからもグルダシアで暮らしていくなら人脈は大事だからね、ちょっと行ってくる」

 彼は少しも気負った様子なく出かけていったが、正直、その間、私は気もそぞろだった。

(絶対、あの人たち、私とコベックの間にあったことをアルフェイグに面白おかしく語るに違いないわ)

 暇なので、小さな庭園のあずまやでセティスにお茶を淹れてもらっていた私は、深々とため息をつく。

 そのため息に引きずられるように、思っていることがずるずると口から滑り出た。

〈魔法でぶっ飛ばした上に、『私とは釣り合わない』って上から目線でコベックを侮辱した、なんて聞いたら、きっと幻滅するわ。あぁ、穴を掘って埋まってしまいたい……〉

「ルナータ様。穴が」

 セティスの冷静な声に我に返ると、あずまやのすぐ外の地面がじわじわとえぐれていくところで、あわてて精霊を抑える私である。


 けれど、戻ってきたアルフェイグはあっけらかんとしたものだった。

「コベックの話、聞いたよ。あんまり痛快だったから噴き出してしまって、『最高だ。この国の女性は強いんですね。僕も負けないくらい、自分磨きに励むことにします』と言ったら、皆さん何だか鼻白んでたけど」

 そして、目を細めて皮肉な笑みを浮かべる。

「まさか、この国の貴族男性は、何の努力もせずに女性とうまくいくと思ってるわけじゃないよね?」

「ど……どうかしら……」

 返事に困ってしまったけれど、私はちょっと、気持ちが軽くなるのを感じていた。


 そして私の方は、王妃陛下とのお茶に呼ばれた。貴族のご夫人・ご令嬢たちが、女公爵である私を敬遠して催し物に誘わないので、気を使って下さったのだろう。

 けれど、初老の王妃陛下が興味深そうに、

「アルフェイグ殿をお見かけしたわ、若くてとても見目のよい男性ね。どんな方? ルナータとはどんな話を?」

 と私を質問責めにし、男性を虜にするには! 私の若い頃は! みたいにアドバイスを連発するので、内心げっそりしてしまった。

(家の存続のために結婚すべき、というのはわかるけど、結婚すれば万事解決! みたいなおっしゃりようは困ってしまうわ)

 いつもなら、ごまかし笑いで流してしまうところだ。

 でもその時は、なぜか一言、言いたくなってしまった。たぶん、アルフェイグのせいだ。そうに違いない。

「王妃陛下はご結婚されることで、国王陛下とグルダシアを支えておいでです。私も、女の身でオーデン公爵領をお預かりしたからには、領地をしっかりと守るのが務め」


 ──そう。私と王妃陛下は、立場が違う。

 国の頂点である国王陛下を支える役割を、王妃陛下が果たしているように、私はオーデン公領の頂点としての役割を果たさなくてはならない。


 私は微笑み、続ける。

「私とともに公爵領を支えてくれる、そんな方となら、人生を共にしたいです。おかしな男性と結婚して務めを果たせなくなったら困りますもの」


 そんな私を王妃陛下はまじまじと見つめ──

 ──そして、ふ、と口元を緩めた。

「それもそうね。選ぶのは、オーデン公であるあなたね」 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る