4 眠れる男性を起こしました(注・正直、姫じゃなくてがっかりしてます)

「こんな場所に、城があったなんて。オーデン王国時代のものかしら……」

 私はベロニカに乗って、城の周りを一周してみた。


 かつて畑だったらしき場所は、雑草がぼうぼうに生えている。厩舎や納屋、ごく小さな礼拝堂も雑草に埋もれ、あるいはツタが絡みついている。

 そしてとにかく、母屋といっていいのか城本体が、イバラでガッチガチに縛り上げられているのが異様だった。窓や扉がチラチラと見えているものの、人間が入れる隙間はない。

 最上階の窓はかろうじてイバラが届いていなかったけれど、たとえそこが開いていても、外壁はとても上れる状態ではなかった。


「ちょっと、変な絡まり方をしてるわね、このイバラ。……魔法の気配がする」

 自分の領地なのに、今までこの城に気づかなかったのも、もしかしたら魔法がかかわっているのかもしれない。

 試しに手を伸ばして、イバラに触ってみた。カチン、と爪の当たる音。

(見た目は植物なのに、固い。金属みたい。ちぎるどころか、これじゃあ隙間さえ広げられないわ)


「……やってみようか」

 私は右手を掲げ、呪文を唱えた。

〈トーザム・キ・ストメーロ〉 

 右手を中心にそよ風が渦を巻き、ふわぁっと広がって、城の周りを取り巻く。

 風の精霊語による呪文である。


 グルダシアは、女性が帯剣することを禁じている。けれどその代わりに、女性たちは身を守るための精霊魔法を身につけるのが普通だった。……形式上は。

 精霊魔法を操るために必要な精霊語は、かなり難解である。ほとんどの女性たちはいくつかの丸暗記できる文章を、呪文として覚えているだけだ。せいぜい、擦り傷の治りが早くなる程度の回復呪文と、暑さ寒さを緩和する程度の防御呪文、夜に眠りを促す呪文くらいのものだろうか。

 男性はそもそも、そんな『おまじない』など女のやることだと思っていて、学ばない。


 けれど、私の母、祖母、そして曾祖母は、ちょっと違った。というか、曾祖母の家庭教師だった女性が、変わり者だったらしい。

「身を守るために精霊魔法を覚えるなら、攻撃が最大の防御に決まっております」

 という、いわば魔法過激派だったのだ。

 いや、私もどうかと思うけれど。


 とにかく、その、よく言えば進歩的と言えなくもない女家庭教師ガヴァネスは、曾祖母に徹底的に精霊魔法を叩き込んだ。

 その知識が、私まで連綿と受け継がれているのだ。


 父の母、つまり母にとっての義母が、「女は男の後ろに下がって控えめに生きるべし」という人だったので、母が強力な魔法を使えることは隠されて知られていない。

 母は父と婚約するとき、ようやく父に打ち明けたそうだ。そして父は、母が豪快な火魔法をぶちかますのを見て、母にぞっこんになったそうである。

 ……父の好みはよくわからない。


 とにかく、母が娘の私に魔法を教えることを、父は快く受け入れた。

 母は火の精霊語と光の精霊語が得意だったけれど、私は土の精霊語が得意でそればっかり覚えたので、他の分野は苦手だ。

「私、回復魔法も、もっとちゃんと勉強しておけばよかったわ」

 母は、病床で父にそう言って苦笑した。

 廊下でそれを立ち聞きしてしまった私は、雷に打たれたように感じた。

 土魔法ばかりで遊んでいないで、水にまつわる回復魔法をちゃんと勉強していれば、母を救えたかもしれない。いや、まだ間に合うかもしれない。

 けれど、師である母さえ回復魔法は得意ではなく、私一人で研究したところで、重い病気から母を救うのには間に合うはずがなかった──



 ──今、私が唱えた精霊語の呪文に従って、風は城の周囲をくるくる回りながら隙間を探している。城の中の空気を動かし、清めようとしているのだ。この程度なら、私も風魔法が操れる。

 やがて、すうっ、と風が城の中に吹き込むのを感じた。

「あっちね」

 馬を走らせると、城の裏手に木戸があるのを見つけた。木戸にもイバラは絡みついているのだけれど、木戸に作られた鉄格子の小窓から、風は入り込んだようだ。

 ベロニカから降りると、私は木戸に近づいた。アンドリューは肩に乗ったまま逃げない。マルティナもついてくる。

(心強いわ)

 私は木戸にかかったイバラに触れた。やはり、ここだけはイバラが動く。

 そして、触ってみるとわかるけれど、やはりイバラに土の精霊魔法がかかっているのが感じられた。かなり昔にかけられた魔法で、それなりの年月を持ちこたえられる程度には強力だったようだけれど、とうとうほころびてきている、という状態だ。

 私は思い切って、ぐっ、とイバラを両脇によけ、隙間を広げた。


 木戸から入ってすぐの台に、ランプがいくつもゴチャッと置かれている。

 私はランプの一つを手に取った。風を短く、鋭く横切らせて摩擦を起こし、火を点す。

 そこは使用人たちの区域のようで、廊下を歩いていくと厨房や洗濯場があった。すっかり寂れていて、いかにも廃墟、という感じである。

「……もぬけのカラね。ここはいつからこうなのかしら」

 ひょっとして死体が転がっていたり、などと考えていたけれど、その様子はない。幽霊も出ない。ネズミ一匹、出ない。


 廊下の突き当たり、半開きの扉を抜けると、城の正面ホールに出た。窓がイバラでふさがれているので、暗い。

「あ」

 私はふと、天井を降り仰いだ。

 優美なカーブを描く階段、その上の方の壁に窓が切られている。上の方の窓はイバラにふさがれておらず、外に一番古い塔が見えた。

 何となく、その灰色の塔が、気になった。


 ホールの奥の廊下が、その塔に繋がっていた。ランプを掲げながら塔の階段を上り、やがて最上階にたどり着く。

 そこは、豪奢で美しい部屋だった。窓が大きく、家具の金の装飾や鏡が光を反射するせいか、ランプがいらないほど明るい。

 そして、城の他の場所に比べて、ここは不思議と寂れた空気がなかった。今現在、誰かが暮らしているかのような雰囲気がある。


 壁際に、天蓋付きのベッドがあった。垂れ下がった紗の中、盛り上がった影が見える。


(誰か、いる)

 私は入り口脇のチェストの上にランプを置くと、右手を前に出して、すぐに呪文を唱えられるようにしながらベッドに近づいた。左手で慎重に、紗を開く。


 ──ベッドには、若い男性が横たわっていた。


(何だ、男か)

 正直ガッカリして、私はため息をついた。

(おとぎ話みたいに、綺麗なお姫様がいるのかと思ったのに。男と関わるのはもうこりごりなんだけど)

 静かに、男性の左手側の枕元に近づいてみる。マルティナが彼に顔を近づけて匂いを嗅ごうとするのを、そっと彼女の頭を撫でながら押さえ、観察した。

 目は閉じられ、長いまつげが影を落としている。白いシャツに乗馬用のズボンとブーツを身につけていた。

(『眠り』の魔法がかかってる……)

 私には、彼をシャボン玉のように包む魔法がうっすらと見えた。つまり、彼は生きている。胸も、ごく緩やかに上下していた。

 二十歳前後くらいだろうか。癖のある茶色の髪は、ところどころ金色の筋が入っていて変わっている。鼻筋は通り、薄い唇はうっすらと開かれて、まるで神話に出てくる神様の彫像のように美しい。


 それだけに、ものっすごく、怪しい。


(どうしてこんなところで一人、ぐーすか寝てるのよ。まさか罪人? だって城は出入りできなかったものね、閉じこめられてたわけよね。怪しい。ひたすら怪しい)

 おとぎ話の眠り姫に、王子はよくキスできたな、と思う。大罪人だったり、私みたいな怪しい魔法使い(自分で言うのも何だけれど)だったりしたらどうするのか。それとも、姫が自分にキスするように魔法をかけていたとか?


 とにかくこの男性、見なかったことにしたいけれど、そういうわけにもいかない。

(屋敷に戻って、誰か呼んできた方がいいかしら……)

 そう思いながらも、この男性についての手がかりが他にないかと、私はヘッドボードのあたりを見渡した。

 ヘッドボードは物を置けるようになっており、そこに数冊の本がある。

 私は上半身を乗り出し、本に手を伸ばした。


 その時、うっかり、垂れ下がった紗を右足が踏んだ。

 よろめき、片手を枕の端につく。

 

 ぱちん。

『眠り』の魔法のシャボンが、はじけた。


(しまった)

 ハッとして見下ろすと──


 ──ふっ、と、男性の目が開いた。

 金色の瞳が、私を見る。

 ゆっくりと、瞬く。


「…………」

 黙ったままの彼は、私から視線を離さない。

「…………」

 私にも、特に言うことはない。

(って、それじゃダメよね。ええっと……。何か、この場にふさわしい言葉は)

 私はとっさに、思いついた言葉を言った。


「……お、おはよう」


 ──沈黙が流れた。

(だって、眠っていた人が起きたときにかける、王道の言葉でしょうよ!)

 だいぶ間抜けだけれど、これ以外の言葉が見つからなかったんだから仕方がない。

「…………」

 彼は、瞼を半分落としたまま、視線を動かした。小さく「クァ」と声を上げたアンドリューと、喉を鳴らすマルティナを見つめ、また私に視線を戻す。


 そして、微笑んだのだ。


(……?)

 眠っているだけでも美しかった顔が、目覚めて、動いて微笑む。なかなかの破壊力である。

 目を離すことができずに見つめていると、彼は左の肘をついてゆるゆると身体を起こし──


 右手を伸ばして、私の頭を引き寄せた。

 彼の顔が近づく。


 唇に、しっとりとした感触が当たる。

 キスされたのだ。

 彼は、丁寧に私の唇を堪能し、そしてそっと顔を離すと、また微笑んだ。


 私は、微笑みを返した。


 そして、右手を高く掲げ──

 腹の底から声を出した。

〈サブ・イラム、フォルブ・ヤーロッ!〉


 土の精霊語の呪文によって、木製のベッドが生き物のように跳ね上がり、男性はベッドの向こう側へ転げ落ち、枕の中身の羽が舞い散ったのだった。

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