3 癒しはもふもふです(注・我が領地は動物たちの楽園なんです)
(こんな姿、誰にも見せられないわね)
私は頬を熱くし、息を荒らげながら、甘くささやいた。
「また見に来たわよ、ニノにトーマスにエバ……!」
私が潜んでいる藪の向こう、森の中の少し開けた場所では、モリネコの仔が三匹じゃれ合っている。
くりくりした緑の目、ふわふわした茶色の体毛に黒の斑点、ぽってりした足、短くぴこぴこした尾。
(はぁ、だっこしたーい! いえいえ、野生動物は人間に慣れてはいけないのよね、わかってはいるんだけど。可愛いすぎて)
ふと視線を上げると、近くの木の上ではソラワシの夫婦が頭をすり寄せ合っていた。
(クララとブランコも、相変わらず仲良しね! あぁ、たまらない、癒される……我がオーデン公爵領はホント、癒しの地だわぁ)
爵位こそ迷惑な贈り物ではあったけれど、正直、このオーデン公爵領を我が家に下さったことは、陛下に心から感謝している。
ここは昔、オーデン王国という古い小さな国だった場所だ。他国に滅ぼされたり支配されたり保護されたりを繰り返した後、現在はグルダシアの領地として落ち着いている。ごたごたしていたために開発の手があまり入らず、元々豊かだった森林をそのままに時が過ぎ、動物たちの楽園になっているのだ。
領主が変わって、領民たちはそんな楽園が壊されるのではないかと心配したらしい。けれど、私があっさりと開発よりも現状維持、むしろ生態を積極的に保護する方向に舵を取ったため、私のこともすんなりと受け入れてくれているようだ。
公爵邸から少し離れて山に入ったあたりは、私のお気に入りの乗馬コースだ。社交界にほとんど顔を出さなくなって以来、私は来れる限り、このあたりに通っている。
(ノストナ家が途絶えた後、オーデン公爵になる方が、この楽園を守って下さるといいのだけれど。……さぁ、癒してくれる皆に貢ぎ物を捧げなくては!)
私はそーっと後ずさりして、その場を離れた。
山道に出ると、やや開けた場所に繋いだ馬のベロニカが頭を上げ、ブルルと鼻を鳴らす。
「お待たせ、ベロニカ。行きましょう」
私は木から手綱をほどくと、彼女に跨がった。目指すは、ここから少し登ったところにある清らかな渓流だ。
しっとりした気持ちのいい空気を吸いながら、ゆっくりと馬を進める。
不意に、バサバサッ、と羽音がして、左肩に重みがかかった。
灰色の体毛、白い尾羽、空色のくちばし。ソラワシだ。
「アンドリュー、ごきげんよう!」
声をかけると、アンドリューは首を後ろに回して毛繕いなどし始めた。
ふと右側を見下ろすと、いつの間にか大きな体躯が並んで歩いている。モリネコの成獣だ。馬より一回り小さい。
「マルティナ、今日も元気そうね!」
マルティナは、緑と黄色の入り交じった目で私をちらりと見てグルルと喉を鳴らし、また前を向いた。
公爵領に来て間もない頃、怪我をしているのを見つけて世話をしたのがソラワシのアンドリュー、うっかり餌付けをしてしまったのがモリネコのマルティナだ。当時は私も無知で、野生動物との付き合い方がわかっていなかった。
(今はもう、こちらからベタベタしたりはしないけど、こうやって森に来るとスーッと姿を現してくれるのよね。適度な距離感がたまらないわ! 人間の男もこうだったらいいのに)
勝手なことを考えているうちに、私たち一行は渓流の縁にたどり着いた。いくつかの岩の段差を水が流れ落ち、やや開けた場所にたまり、そこからまた細い滝になっている。
ベロニカから降りて木に繋ぐと、桶と釣り竿も下ろした。釣りも、私の癒しのひとつなのだ。
ちなみに数年前、釣った魚を桶に入れて次の魚を待っていたら、いつの間にか背後に現れたマルティナに魚を食べられていた……というのが、『うっかり餌付け』のいきさつである。
以来、私が見ない振りをしているうちに、マルティナは私の釣った魚をくわえて持って行く。最近では彼女の子どもたちにも与えているようだ。そう、マルティナは私と違って既婚者なのである。私と違って(二度言ってみた)。
岩の上に布を敷いて座り、餌をつけた釣り糸を川に垂らすと、私はポケーッと景色を眺めた。
陽を透かす緑の木々、きらきら光る川の流れ、肩にはアンドリュー、後ろには背もたれのようにマルティナ。
(至福……)
社交界に出なくなり、彼らと過ごすようになってから、ストレスによる肌荒れは直り抜け毛は止まり食欲も出てきて、ツヤッツヤの私である。気取らない服装、髪もキリキリ結い上げずゆったりとまとめているので、とても楽だ。
(あぁ、これからもずーっと、こんな風に過ごせたらいいのに)
つん、と釣り竿が引っ張られた。
昼が近くなり、私は再びベロニカを駆って、ゆっくりと山を下っていた。マルティナは魚をくわえてどこかに姿を消していたけれど、アンドリューはまだ私の肩の上だ。
少し眠くなってしまい、ふわぁ、とあくびをする。目に滲んだ涙を指先で拭い、再び前を向いた。
「……ん?」
景色がぼやけている。
涙のせいかと、もう一度目をこすったけれど、それでも視界はぼやけたままだ。
「霧だわ……嫌だ、ここはどこ?」
いつの間にか、知らない道に迷い込んでいた。
霧に包まれた木々は捻れた不思議な形をしていて、見覚えがない。先が見通せないので、どちらが山頂でどちらが屋敷のある麓なのか、わからない。
私はいったん、ベロニカから下りた。彼女が顔をすりつけてくるので、首を叩いて落ち着かせる。
「大丈夫よ。少し、霧が晴れるまで待ってみようか。……ん?」
霧の奥から、ナーーーーオゥ……という鳴き声が聞こえる。
「マルティナ? もしかして、道を教えてくれてるとか」
アンドリューも落ち着いている。危険はなさそうだ。
私はベロニカの手綱を引き、鳴き声のした方に歩き始めた。
捻れた木々は、進むにつれてだんだんと細いものになり、捻れ具合は強くなる。そしてついに、道の両脇はトゲの生えたイバラに埋め尽くされた。
「うちの領地に、こんな場所があったなんて。……マルティナ? どこ?」
声を上げてみると、不意に前方の霧の中からマルティナが姿を現した。私のお腹に頭をこすりつけてくる様子が愛らしく、ホッとすると同時にデレデレしてしまう。
「あぁもう可愛い、よーしよしよしよしよし」
頭を撫でると、彼女は向きを変えて元来た方へ数歩戻り、こちらをちらりと振り向いた。
「はいはい、ついて行けばいいのね?」
私は当然、可愛いマルティナの言うなりである。
しばらく彼女について歩いていくと、不意に風が吹き、霧が吹き散らされた。
視界が広がる。
「……あっ」
私は目を見開いて、それを見上げた。
「城……!?」
目の前に、古い城があったのだ。
とても小さな城で、いくつもの塔の集合体のような形をしている。おそらく、一番古そうに見える四階建ての物見の塔に、後から増築していったのだろう。そして──
──城には、イバラがびっしりと絡みついていた。
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