第14話

 車の外はいつの間にか夜になっていた。地上の都市から放射される照明のせいで夜空はさほど暗くはなく、星々を飲み込んだ煙のように広漠とした雲に支配されている。

「……もう東京に入ってるのか。家路につくのは気が重い」

「まあ、そういうなよ。気が強くたって良い奥さんじゃないか。俺と違って不倫なんかしない社長のおまえを誇りに思ってる」

「どうかな。俺が社長であることは、確かにあいつにとって都合が良いんだろう。婚活の当初から、結婚の決め手となる条件も配偶者が経営者だったし。しかし女ってのは、どうして華々しい英雄に惹かれるのかね。あいつは昔から織田信長のファンなんだよ。俺に言わせれば戦国大名なんて、現代の広域暴力団と変わらない。これではヤクザの親分に憧れてるようなもんじゃないか。残念ながら、俺はそんなタイプとは違う。同じ尾張名古屋の出身でも、信長だろうが秀吉だろうが、戦国大名なんて好きにはなれん。だいたい、あいつらは親族を平気で殺してるしな」

「親子兄弟、骨肉相食むってやつか。だけど俺は武田信玄には憧れたことはある。信玄は父親を追放し、息子を殺してるけど、戦国時代に武田は人材王国だった。身内には冷たかったんだろうが、部下を育てたり、適材適所に部下を配したりする能力が信玄は高かったんだ。バレーボールでも強いチームをつくる参考にはなる」

「武田信玄もそうなのか。織田信長と伊達政宗が弟を騙し討ちにしたのは知ってる。しかし息子を殺したり親父を追い出したりする奴が本当に有能な家臣団を組織できたのかよ。どうも腑に落ちないね。そういえば信玄には強力なライバルがいたな。川中島の対決だっけ」

「上杉謙信だろ」

「そうそう、上杉謙信。女房は戦国大名でもこいつだけは苦手らしい。理由は知らないが」

「ああ、それならだいたい想像はつくよ。謙信は同性愛者だったってのが定説だ。あと珍しいとこでは女性説もある。信憑性は薄いが可能性はゼロじゃない。月に一回著しく体調を崩してたそうだ」

「もし生理だとしたら、女性説もあり得るな。別にその説を妄信するわけじゃないが、日本の企業のトップにはもっと女性が増えた方が良い。これは何も経営者に限らず管理職もそうだ。リーダーが女性の組織の方が健全な発展性が生まれたり、組織に属する個人にとっても幸福な場合ってのは結構多い。今のEUだって、結局ドイツが盟主みたいになってるのはメルケル首相の人徳と才能だ。男ってのは意外と社会の小さな変化を見抜く目が弱いんだ」

 冬木の今の言葉は夏岡の興味を大いに引いた。

「おまえの口から、そんな説が出てきたのは、長い付き合いでも初めてだ。俺はママさんバレーで主婦たちを微に入り細に入り観察してるけど、社会の小さな変化と関係してるようには見えないな」

「いいや、そんなことはない。第二次世界大戦で日本に敗北が近づいてきた頃、それを早期に察知していたのは家計を預かる主婦たちだった。口には出せなくてもな。だってそうだろ。戦時下でも洗濯や料理はやるわけだし、そこで日常生活に必要な物資が日々欠けていくわけだ。幾ら強権的な政府から思想統制を受けていても、どうしたって気付く人は気付く。まあ、そういう危機的な状況で、問題解決のアイデアを提示できるような能力を有した人材が俺は欲しいね。特に女性の開発者がうちの会社には欲しい」


「……そんなもんなのかな。しかし深読みさせてもらうと、おまえの会社経営って、実は相当にやばくなってるわけ?」

 夏岡の疑問符に、冬木は無言で首を横に振った。車は入り組んだ道路を抜けて、区画整理が行き届いた郊外の住宅街に入っている。高層建築が姿を消して夜空の面積が増えた為に視界が緩やかに広がった。

「それは邪推ってもんだぜ。まだまだ大丈夫さ。しかしな、ゲーム業界なんて一寸先は闇だ。特にうちみたいな下請けはさ。しかもゲーム開発のプロジェクトは問題発見が非常に難しいんだよ。つまり終了してみれば難産が多い。だからやばそうなプロジェクトの問題点を早期発見できる人材が欲しくなる。聡明な女性社員のプランナーがね。それも助っ人で途中からプロジェクトに投入するような出向とか派遣の人材じゃなくて、新卒で採用したいわけだ」

 助手席に座る冬木の目に街灯の反射とは違う何か別の小さな光が射しているのを夏岡は認めた。それは彼の内側から滲み出ている儚げな光ではあったが、闇の果てに突破口を見出したような趣きがある。家路に着くのは気が重いというぼやきは冬木の照れ隠しだ。夫婦仲が悪いというのも方便ではないか。実際、恐妻家のように回りにはアピールしているものの、企業の経営陣や管理職に女性を増やした方が良いと唱えている。意見の相違を嘆くようでいて、心の底ではちゃんと妻を信頼しているのかもしれない。夏岡にはそのように思えた。冬木の自宅は直線距離にすると、もう五十メートルほど先に迫っていた。




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