第9話

「……まるで気配の無い忍者みたいだったな」

 冬木はハンバーグステーキを頬張りながら、不機嫌そうな夏岡に呟いた。八幡のカフェを出てから、二人は都内に戻り鉄板焼きのレストランで夕食中であった。

 夏岡は苦虫を潰したような表情で水を飲んでいる。食が進まないのだ。それを見かねて冬木は億万長者の同級生の話から話題を変えた。

「俺がどうして、大手のゲーム会社を辞めたか、わかるか?それはな、骨の髄まで腐ってる人間共が社内にいたからさ。そんなモンスターと同じ組織に属する自分が許せなかった」


「モンスター?」

 この話は、夏岡にとっては初耳であった。冬木が就職した頃、ゲーム業界は日本が世界に誇るデジタル文化になりつつあった。だから地味な理系学生の冬木がそんな急成長著しい花形産業に入れたことに驚かされたものだ。もっとも当時はバブル景気が弾ける前で、夏岡も地方銀行に新卒で入社できたことを素直に喜べた。しかも大企業へ成長途上のゲーム会社の冬木の初任給は夏岡よりも低かったし、福利厚生もお粗末な内容であった。このあたりは旧態依然とした金融業界の方が新興のゲーム業界よりも多分に恵まれていたことになる。


「……全く世にもおぞましい連中だった。俺みたいな開発畑の人間は、モノづくりさえできれば、会社に不満や文句は殆ど言わないもんだ。だから自分では納得がいくゲームを開発してリリースしても、商品として売れなければ、評価がゼロでも仕方がない。ところが、歪んだ人生観をもった人間が世の中にはいるんだな。ルール無用の競争というか、他人を貶めたり、足の引っ張り合いが生きがいになってる奴らさ。おまえは、学生時代からずっとバレーボールを続けてるし、スポーツにはルールがあるから、スポーツマンシップに則って試合をやるだろ?」

 冬木の言葉に夏岡は一瞬、身構えた。それは、仕方がないという言葉にどうも共感できなかったからかもしれない。夏岡は冬木よりも諦めの悪い人間である。自分なら、手応えや十分な達成感が得れた仕事をして社内評価が低かった場合、経済的な成果が無くても躊躇なく上司に抗議したはずだ。

「勿論。反則をやったらルール違反だ。試合に負けてしまう」

 そう言った夏岡は少し後ろめたさを感じた。ルール違反を否定した自分だが、私生活では不倫というルール違反を犯している。


「俺たちが社会人になってから数年後に日本経済のバブルが弾けた。ゲーム業界はバブル崩壊の影響は直ぐには現れなかったが、影響が出てきた頃には業界特有の構造も機能不全に陥ってきてさ。そうなったらもうダブルパンチ。つまり不景気で消費者の財布の紐が固くなって商品が売れにくくなったのと、技術革新で大容量に耐えれる高性能な新型ゲーム機が登場しだしたら、それに合致した巨大な設備投資と人海戦術でプロジェクト経費がどんどん膨張していく。となると当然、利益率は悪くなる。会社は業績悪化だ。その結果、給料は上がらない、残業代は出ないって具合になっちまった……」

 冬木はビールを飲みだしており、幾分愚痴めいた言い分になりつつある。

「……ところが、そんな時代にも、年収が増えて評価も上昇する人間がいる。それが悪魔的なモンスター。ルール無用の競争や、他人を貶めたり、足の引っ張り合いが大好きで、プロジェクトが迷走しだすと、犯人捜しを始める。あっちこっちで犯人をでっちあげてリストラの対象にするわけだ」

「しかしそういうのって、どんな業界でもバブル崩壊後に起きた現象だろ。勧善懲悪のリストラ劇って余り耳にしないぜ。俺はそんなリストラ劇がはじまる以前に出世コースから外れたし」

 夏岡がそう口を挟むと、冬木は小指をたてて微笑んだ。


「私はこれで会社を辞めましたってパターンさ。上司のお気に入りだった新入社員の女と恋仲になったら、横恋慕されて左遷」

 あっさりとそう言いながら苦笑いしている夏岡へ、冬木は酒に酔った赤ら顔を浮かべてなおも話を続けた。

「……決定的だったのは、俺の師匠でもあった尊敬していた先輩が左遷されたことかな。全く馬鹿げてるよ。愚の骨頂だ。プログラマー一筋の必殺仕事人を追放するなんて。しかしあの先輩と同期で、現場から引退して久しい管理職の中には、歪んだ嫉妬心もあったんだろう。そういえば、おかしな線引きを力説してたな。三十歳でゲーム・プログラマー引退説とかね。まあ、管理職にならず現場の仕事に拘り続けて、後輩から慕われる徳も有した人間が邪魔だったってのが一番の理由なんだろうが」

「なるほど、それで、その先輩って今はどうしてるの?」

「謎。ほぼ消息不明だが、中国かインドで有能な技術者として活躍してるって風の噂は耳にした」

 夏岡は冬木が尊敬するその人に、風屋健の姿が完全な別人ではあっても微妙に重なるのを感じた。彼もまた、謎の人物であった。




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