第7話

 冬木は妻が寝静まった深夜の自宅の書斎で、高校の卒業アルバムのページを丹念に捲っていた。彼のクラスは三年一組だが、学年最後の五組の個人写真のページで風屋健を発見した。

 秋野からピアノ演奏の話を聞いていた為に、ポール・マッカートニーに少し似ているような印象を受けた。それもジョン・レノンが眼鏡をかける以前、若い頃のマッシュルームカットの髪型をしたビートルズのイメージだ。性格は兎も角、このモノクロの肖像写真だけだと少し気が弱そうな童顔の好青年という雰囲気しかない。


 アルバムに飽きて、今度はパソコンでインターネット検索を試みるも、風屋健という名前にヒットしたのは海の写真画像とSNS関連の詳細不明な情報のみである。尤も冬木はSNS経験ゼロなので、次のステップは他の三人に頼ることにした。ただし冬木の嗅覚は、風屋健から並々ならぬ大物の匂いを感じ取っていた。投資の世界で超富裕層に入るなど並大抵な努力や苦労では無理だ。夏岡が無視されるのは、風屋に企みを読まれているからであろう。

 冬木は先日の秋野の情報と、今調べている風屋健の少ない情報量から一息ついて距離を置いてみた。夏岡の個人的な調査だと、風屋健は超富裕層らしいが、そこには幾分かの誇張が感じられやしまいか。しかもこれは夏岡から秋野が聞いた話を聞かされたわけで、その過程で伝言ゲームのように多少の誤差が生じている可能性さえある。日本の超富裕層の資産が約五十億円以上だとすれば、そこまではいかず、十億円弱というのが順当なところではなかろうか。それに高校生活が三年間あれば、大金持ちの家の出身というのは元が割れてしまうものだ。冬木は久々に本棚の奥から引っ張り出した卒業アルバムを改めて意識して眺めると、資産家の家庭に育った生徒を一人二人三人と確認できた。しかし、そのどれもが男女含めて風屋健とは全く異質な面構えであった。唯一はっきりと感じられるのは、風屋健には大物の風格があるということだ。冬木は夏岡にメールを送ることにした。


「わざわざ、会社に乗り込んでくるとはな。俺は外で会おうってメールに書いたのに」

 木曜日の午後。冬木の会社の社長室に夏岡は突然現れた。若々しくラフな恰好は壁一つ隔てた開発室にいる、普段着で仕事をこなす社員の多くと違和感がなく、むしろ夏物のスーツに身を包んで息苦しそうな冬木よりも、よっぽど会社の場に馴染んでいた。

「いいじゃないか。俺は冬木の会社が好きなんだよ。なんかいつも楽しそうだ。残業過多で疲れてるはずなのに、スタッフが皆生き生きしてる。そうだろ?」

「ゲーム開発の仕事なんて、精神的に楽しくなければ体がもたないんだよ。そこらへん、俺は彼ら全員に確り気を使ってるさ」

 そう答えた冬木には、こちらに好感を伝えてきた夏岡の目が泳いでいるように見えた。

 

 遠慮がちにドアをノックする音がした。ドアを開けて二人の前に現れたのは、コーヒーとケーキを運んできた風船のようにふくよかな女性社員であった。彼女は節目がちに夏岡の方を窺っている。夏岡は一礼してテーブルに置かれたコーヒーを飲みはじめた。

「遠藤、どうもありがとう。忙しいのに悪いな」

 冬木の優し気な言葉に無言で頷き、遠藤という女子社員は社長室を出た。

「今の子、ちょっと太り過ぎじゃないか?」

 夏岡の言葉を冬木は予想していたが、ここで笑うわけにはいかない。彼女は大切な会社の人材である。

「あの子は若手のグラフィッカーの中では、断トツのスキルがあるんだぜ。会社以外でも創造的な活動をしている。コミックマーケットに自作品を発表して確り売れてるらしいよ。若いのに大したもんさ。本人は少女漫画風なグラフィックが好きで得意なんだが、そういった二次元の表現だけじゃなく、三次元のいかにもコンピュータ・グラフィックスでございってSF的な未来都市なんかもサクサク作ってく」

 夏岡は冬木の話に殆ど興味を示さなかった。元来、バレーボールで体を動かしているような人間にとって、テレビゲームなど下らない娯楽なのかもしれない。そんな上から目線がつまらなそうな表情にちゃんと出ている。それに彼は今、土産話を相手に話したくてうずうずしているのだ。冬木は先手を打って話題を変えてみた。

「それで、どうなんだよ。先日、秋野から俺が聞かされた以外に、風屋健について、何か新しい情報はあるのか?」

 冬木にそう質問された夏岡は、窓から見える東京スカイツリーを背に目を輝かせた。しかし冬木はそこに何か違和感を覚えた。夏岡の明るい表情の裏には焦燥が隠れている。巻き込まれてはならない危険信号が、冬木の心の何処かで点滅していた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る