第6話
よく晴れた日曜日の午後、夏岡と春澤は京都にいた。ラブホテルで定期的な情事を終え、南禅寺から哲学の道を散策し銀閣寺の方へ向かっている。
「相変わらず夏岡君の性欲って強いよね。私の教え子の生徒たちより強かったりして」
「剥げの男は年老いても精力絶倫ってこと」
不倫カップルは、長年連れ添った夫婦のように人目を憚らず堂々と歩いていたが、何気なく手にしたスマートフォンの画面に表示されている新事実に春澤は目を瞠った。
「ちょっと、これ見て。真由美が風屋君とSNSで繋がってるよ」
夏岡は魂消た様子でその小さな画面を視界に入れると、春澤から素早くスマートフォンを取り上げた。風屋健のアイコンは風景写真で、夕焼けの海の画像だ。海面には光る漣が息吹き、静かな風の気配が漂っている。
「安心して。真由美は私たち二人とは考えてることは違うと思う。私も風屋君に友達申請する」
「いや、安心はできない。秋野は資産家の上司と結婚した女だ。ある日、突然、億万長者のかつての同級生が現れたとしたら……」
二人は顔を見合わせ、静かに溜め息をついた。
「すいません。今、お時間ありますか?もし迷惑じゃなかったら、私たちの写真撮ってください」
夏岡と春澤に女子中学生数人が声をかけてきた。彼女たちにはどこか牧歌的な雰囲気が漂っており、恐らくこの近畿圏ではなく、もっとずっと遠い田舎から京都へ観光にやってきたような感じだ。二人は応じられるままに、スマートフォンを取り換えながら、箸がこけても笑い出しそうに陽気な彼女たちを撮影していった。
「どうも、ありがとうございました!」
「なんか、救われたわね。あの子たちに」
春澤は可愛い笑顔を振りまきながら遠ざかっていく女子中学生たちへ微笑み返していた。彼女たちが春澤と夏岡を夫婦だと勘違いしていた為に、春澤はすっかり上機嫌になっている。
「あの子たちを見てると、中学校で教えてる先生が羨ましくなる。だってまだ可愛い盛りの子供じゃない。今の高校生ってどこか冷めてるのよね」
「どうかな。高校生でも子供っぽいのはいるだろ?」
夏岡の投げやりな問いかけに、春澤は薄暗い部屋の中で足元に小さな何かが触れたようにして過去の断片に思い当たった。
「そうね、言われてみれば、そんなエピソードがあった。女子五人が家庭科の授業で作ったケーキを、校内で一番モテる男子一人にプレゼントしてたわね。ああいう光景ってなんだか見てて和む。ほんと小中学生と大して変わらない。そのお目当ての男子には、他の女子高に通ってる恋人がちゃんといるのに、逆にその事実が女子たちの絆にもなってるみたいなの」
「つまり、女同士の友情が壊れることはない」
夏岡の断定的なその物言いに、春澤は少し気分を害した。目の前にいる男は、かつては秋野の恋人でもあった。そして今は妻子ある身だ。春澤に不倫関係を清算する気はこれっぽっちも無かったが、この不倫相手はあまりにも安心しきっている。それは不倫の露見を防止する用心深い行動とは真逆に、不倫相手の変心が有り得ないという自信過剰からくるものだ。
「ねえ、私たちの計画って本当に上手くいくのかしら?」
春澤のその問いかけに、夏岡は心の臓を突かれたような動揺を見せた。哲学の道に沿った川は穏やかに慎ましく流れている。春澤はその弱々しい水流の小さな音を聴いていたが、夏岡にそれは聴こえないようであった。
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