第5話

「珍しいな。俺が秋野に呼び出されるなんて。だけどラッキーだったよ。まだ十一時になってないから、サービスタイムだ」

 冬木と秋野の二人は先々週の金曜日と同じカフェにいた。

「そうそう、名古屋人には有難いサービスタイム。午前の喫茶店で、卵とトーストが無料でコーヒーについてくる。ここは名古屋から全国展開したカフェだもんね」

「その通り。もう四人とも名古屋弁を使うことは殆ど無くなったが。とはいえ、名古屋弁なんて、大阪弁に比べれば大してインパクトなんかない方言だ」

「そうね。でも東京に長年住んでれば誰だって標準語に染まるんじゃない」

「まあ、そうだろうな。それで今日は何?」

 

 冬木の予想通り、秋野は四人揃った同窓会では話せなかった内緒話をしに来ていた。どうやら夏岡が金に困っているらしい。冬木はそれを先々週に第六感で察知していたが、夏岡は冬木の金に頼った過去がある。プライドの高い夏岡からすると、その手はもう使いたくはない。今回は全く別の解決策を考えており、それがどうも秋野の話だと、あの笑い袋と関係しているようなのだ。

「夏岡君さあ。SNSで友達申請した人がいるんだけど、ずっと友達認証してもらえないそうなの。その人って風屋健。私たちとは違うクラスの男子。冬木君、知ってる?」

 冬木には梅原小百合と同様に風屋健は全く記憶に無かった。風屋という苗字は珍しいのだが。しかし梅原と違い、秋野曰く風屋は同じ高校を卒業していたのだから、卒業アルバムを見て確認すれば、消えていた記憶が蘇るかもしれない。


「でもさあ。風屋君って、これまで一度も同窓会に参加したこと無いのよね。ちょっと不可解。しかも私たち四人とは中学校も違うから、彼と同じ中学校の友達に聞いたことあるんだけど、中学の同窓会もずっと欠席で音沙汰無し。それで未婚の独身だって」

「それはちっとも不可解じゃないさ。俺の会社にはその手の人間はいる。職人気質で抜群に仕事が速い奴とか、そんなタイプだったりもするね。確かに口下手で世間ズレしてたりもするんだが、無駄口を叩かないし腹を割って話すと意外と裏表の無い好人物なんだ。多分、学校っていう閉鎖社会においてはマイノリティーだったんだよ。そりゃあ学校で良い思い出が無ければ同窓会なんて面倒だし出席しないさ。女より男の方がそういうのは多いだろうな。女はとかく女子会とかで集まりたがるけど、男は男子会なんて率先してやらないだろ。まあ夏岡あたりは違うかもしれないが。あいつは淋しがり屋だから」

 

 話の導入部はその程度であったが、やがて未知だった風屋健の全貌が徐々に表れてくるにつけ、冬木にとってもあながち無視できない存在になってきた。その風屋健はどうも個人投資家で、ここ数年で破格の成功を収めた人物であるらしい。巨万の富を蓄える迄になり、業務上のリサーチも兼ねた夏岡の推理だと既に超富裕層の圏内にいるのではないかということだ。それが事実なら当然、企業経営者たる冬木にとって、これは無視できない。

「なるほど、それで夏岡は風屋とやらから、大金をせしめる気か。夏岡らしい学生並みの安直なアイディアだ。ところで風屋健と笑い袋はどういう関係なの?」

「笑い袋の制作者だって。その風屋君が」 

 

 秋野の話の発信源は夏岡だが、冬木には秋野に特有の視点も感じられた。彼女は風屋を風屋君と呼んでいる。そこにはある種親しみがあり、彼女の記憶に彼は確りと残っていた。高校時代にスポーツ万能で勉強も優秀な夏岡と恋仲だった秋野だが、彼女の印象だと風屋は夏岡とは正反対の劣等生で、虐めにも遭い自ら気配を消すような目立たない男子だったらしい。それでも秋野が風屋を忘れていなかったのは、音楽の授業の発表会で彼がピアノを演奏していたからであった。

「芸術の教科の音楽では、風屋君のクラスと合同授業だったのよね。冬木君と夏岡君は確か書道を選択してたと思う。一年生の三学期の最後の授業で発表会があったんだ。私と果歩は仲の良い女子数人で合唱したんだけど、風屋君はピアノの独奏。確か男子で彼だけだったよ、一人で発表したのは。ショパンの悲しい曲。演奏が上手い下手の次元じゃなくて、あれは心に迫る旋律だった。でもその風屋君が、あんなふざけた笑い袋の制作者だったなんて、ショック」

 秋野は詰まらなそうに口を尖らせている。端正な顔立ちに隠し味のような愛嬌が零れる高校時代と変わらない仕草だ。当時のクラスのマドンナの面影が過った。

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