第24話:飛蝗

「何がそんなにおかしいのよ?」


 初めて抱いた得体のしれない感情を堪え、結姫は何とか男に声を掛ける。

 なぜこの男は嗤うのか、こんな声で笑うのかが理解できない。無論のこと、身に覚えもあるはずがない。


「いやはや、本当に素晴らしい。あなたには未知の可能性がある。あるいは……既に生還を果たしている者か。身体能力の驚異的な向上に理性や道徳観の喪失も無し、本当に理想だ」


「……何の話をしているのか、さっぱりだけど」


 しかし、結姫は押し殺した声で仮面の男の言葉を受け流す。


 本当は『生還を果たした』という言葉に思う所はあったが、それをこの男に悟られないように静かに否定するしかない。

 それよりも、この男にこれ以上のお喋りを許すべきではないと直感した。

 背負ったままでは邪魔になるせいで、近くの茂みに隠してある鷹型兵装ファルコンは今だけは使えない状態にある。


 相手が一般人だった場合は容易く屠る威力のせいで使えず、治安維持局との繋がりを示す兵装を今は使うわけにはいかなかった。


 結姫は再び跳躍すると、今度は相手の回避込みで予測した蹴りを放つ。

 大気を抉り取る嵐の如き蹴撃、それを男は―――。



 ―――右腕を上げて、完全に受け止めた。



「なっ……!?」


 ただ一本の腕が砕けることも折れることもなく、彼女の破壊力を結集した一撃がわずか一本の肉と骨の塊を突破できない。

 肉体が変質した相手に防がれるというなら理解は出来る、事実として初めて最終発症者の狙撃・殺害事件があった時の相手は硬度が並外れていた。

 しかし、この男は手袋と袖の間から見えている手首は人間のものだ。


 しかも、肉体的にも人間から外れている節は全くなかった。


「私にあまり喋らせたくないようですね.どうやら,何か知られては都合の悪いことがあるようだ」


「…………ッ!!」


 何もかもを見透かされていく、言葉を重ねる度に彼女の大切にする時間が侵食されていく気持ち悪さを覚えて我慢ならなかった。

 ついに彼女は決意すると強化兵装アサルトのある茂みへと、自然な動作を装ってにじり寄っていく。


「様子を見るに、奥の手があるようですが……ここまでですね」


 唐突に仮面の男はため息を吐くと、肩を竦めて告げる。

 その意味がよく分からない結姫は警戒を解かないままで男の次の発言を待った。


「分かりませんか?しばし、前より見られていたようですが……狂犬が堪え切れなくなったようです」


「狂犬……?」


「まあ、貴女のような存在がいることを知っただけでも収穫です。必ず、また私と貴女は出会うでしょうからね。それでは、さようなら」


 そう言い残して、男は地面を蹴ると瞬く間に姿を消していた。


 異常なまでの身体能力は間違いなく最終発症者のそれと断言できるものであったが、今の結姫にはあまり考え事をしている余裕はなかった。

 男の言葉に反応して、すぐにその場から離れるべきだったと後悔しても遅い。


「―――抵抗するな、動けば叩き斬る」


 皮肉にも彼女の正面に現れた新たな敵は、多少なりとも面識のある相手だった。


 涼の友人かつ同僚、確かカリキュラムを一緒に受けている仲だと紹介されたことが過去にあったのを覚えていた。

 言葉を交わしたのは数え切れるほど、それでも戦いたくはない相手である。

 不破健悟ふわ けんごは剣呑な様子を隠す様子も見せず、藍色の刃に金色の亀裂を走らせたような剣型兵装を少し離れた結姫に突き付ける。

 その下半身及び脚部に重点的に装着された藍色の装甲が、月明かりと街灯にわずかに照らされていた。


 戦いたくない相手、とあらば結姫の取る手段は一つに絞られる。


 刹那、彼女は跳躍すると逃げの一手を選び、兵装のケースだけを回収して背負うと健悟との戦いを避けて走った。


 どんな能力の兵装かは知らないが、まともに戦おうとすれば、相手を潰すレベルの力で戦わざるを得ない。

 身体能力で振り切れるはずと結姫が選んだ手段は至極、合理的と言えた。


「逃がすと思うな、最終発症者」


 しかし、本来ならば有り得ない声が聞こえた。


 底冷えのするように冷たい声が近くに迫り、彼女の記憶の底から蘇ってきたのは涼と兵装のメンテナンスに治安維持局を訪れた時のこと。

 そこでは確か、同じタイミングで二人以外の兵装もメンテナンスされており、その名前と効力を涼が教えてくれた。



 ―――DN:GH04-Grasshopper 、通称:飛踏兵装グラスホッパー



 跳躍含む高い機動力を長所とする強化兵装アサルトで、結姫の身体能力とでもそれなりに勝負が出来る数少ない兵装だった。

 まさか、逃げの一手を打った知人が飛踏兵装グラスホッパーの適合者とは、何とも運が悪いと頭を抱えたくなる。

 それならば、逃げても完全に振り切るまでには時間がかかるだろう。


「……軽く相手するっきゃないわよね」


 やる気はあまり出ないが、結姫は逃走を諦めると着地して“健悟を迎え撃つ”と決めざるを得なかった。


「どうした、逃げるのは諦めたか?それとも、俺を殺すことに決めたのか」


 健悟が結姫を見る視線には冷たい怒りが滲んでおり、彼女もその感情をどう言語化すればいいのかは知っていた。

 あれは紛れもない、憎悪という人が道を踏み外す要因。

 どういう理由があってか知らないが、彼は最終発症者を憎んでいるが故に殺すことにも全く抵抗がない。


 これは面倒な夜になりそうだ、と結姫は何度目かのため息を吐いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る