第23話:仮面の笑み
作戦通りになれば面倒なことになるが、作戦通りであって欲しいと矛盾と共に心を落ち着けて知らせを待つ。
いつもは前線を背負ってくれる結姫がいなくとも、一人で戦っていた時期もあるので取るべき手段は十分にあった。
そして、ポケットの中で携帯が震えるのを聞いて確信する。
『涼、変なお面被った奴が来たけど……手を出していいわけ?』
「相手は普通の人間かもしれないから、最初は脅かすだけにしとけよ」
案の定、ハーミットの狙いがこちらではない事実がほぼ確定した。
涼が考え付いたのは包囲網を敷いた範囲が囮だった場合で、犯人が別の場所に現れるケースを想定してパートナーを別行動にした。
では、結姫に急いで向かって貰った行先は何処なのか。
そう、彼女がいるのは―――治安維持局本部の裏手だ。
確信とまで言える根拠もなかったので、念の為に涼はこちらに残って活動に支障がないように備えたのだ。
ハーミットの今までの犯罪から明確に判断できることは、MLSに関する行政の対応に不満を抱いている点である。
何故かそれを聞いた時、白鷺の現体制に反発するような演説が頭を過ったのだ。
今の体制を崩す為にハーミットが何かを盗むとすれば、治安維持局に向かうのが手っ取り早いだろう。
何を盗むのか知らないが、治安維持局から盗まれて困るものは山ほどある。
包囲網の為に人員をこちらに割いている今なら万一がある。
故にあるかもしれない万一を潰す為に、涼は施設の造りは熟知している結姫に裏手に潜むように頼んだわけだ。
どうやら見事に当たったようで、合流することを考えてもいいかもしれない。
そう、考えていた時だった。
別に貸与されている小型デバイスに、別の部隊からメッセージが入る。
“ハーミット出現、追跡開始”と書かれた内容が画面に浮かび、結姫に指示を出していた涼が言葉を失うのも仕方のないことだった。
本当に同時二か所に現れたとすれば最初からハーミットは二人だったのか。
片方が囮になっている間に、もう片方が本命を落とす作戦だとすれば結姫の役割は途方もなく大きい。
「結姫、そっちが恐らく本命だ。気を付けろよ」
『うん、わかってる。涼も無茶しないでよね』
二人はそれぞれの無事を祈って通話を切断すると、それぞれの戦場へと向かうことにしたのだった。
涼は指定された座標へと向かって疾駆し、その間に結姫はと言えば。
通話を切った三十秒後には敵と交戦に入っていた。
深くフードを被った結姫は同じく黒の服に身を包み、無表情な面で顔を覆った人間に向かっておもむろに立ち塞がったのだ。
それに面食らった様子を見せたのもわずか、影は彼女の前で足を止めた。
身体能力を見る限りでは、この人物はMLSによる身体能力向上の域に達していることは見て取れる。
「そっちが誰か知らないけど、打撲程度は覚悟して貰うから」
そして、結姫はゆっくりと呼吸を入れ替えると自ら変質を受け入れた。
体の熱が彼女を人間では届かない域に押し上げるも、心の中は水を打ったように静かなままに理性を持った紅の瞳が相手を見据える。
微塵も揺るがぬ精神状態こそが、彼女が
そして、弾けるように黄金の髪を零した生還者は、一歩で数メートルを侵略して敵の懐を脅かしていた。
この速力と敏捷性で懐に潜れば、近接戦で勝てる相手は東京第二都市の何処にも存在しないはずだった。
理性を持った天性の嗅覚で、読みを通せるのが彼女の強さの秘密でもある。
「えっ……?」
まだ理性ある相手なら気絶させようと急所を狙って右腕を伸ばす、が。
彼女は目の前で起こった光景を信じられなかった。
突き出した腕は男が羽織る服の一部を千切り飛ばしていたものの、肉体を完全に捉えることは出来なかった。
突き出した腕に添えられた敵の腕は、一撃を捌いた時に取った動作の一部。
そう、明確かつ鋭い『読み』を以て躱されたのだ。
そのまま後ろへと飛び下がる相手へと結姫は追い縋る。
だが、あろうことか相手は腕を前へ突き出し、制止を求める動作を取ったのだ。
「一つ聞いてもいいかな?」
仮面でくぐもった声は変声器系の機器で加工しているのかもしれない。
敵の思わぬ理性の発露を見て、元より戦いを望まない彼女も逃亡を警戒しながら話を聞く体勢を整えた。
単に時間稼ぎと断じるには逃げる気配はないし、近付いてくる結姫にも何の動作も見せないのは妙だった。
「何……?くだらないことだったら無視するけど」
「君は普通のMLS最終発症者とは違う。発症しているなら、ここで制止を受け入れはしないだろうからね。君は何者だ?」
落ち着いた口調には結姫と同じ理性を感じるが、その問いに彼女が答えるのは絶対に有り得ないことだ。
結姫の正体はこれ以上は誰にも知られるべきではない、東京第二都市において最大の禁忌と言ってもいい真実である。
だから、いつも通りに望まぬ嘘を吐く。
「MLSの最終発症者手前にいるだけ。そう長くは持たないわよ」
「成程、聞き方を変えようか。君は自分より大切な他人がいるかい?」
「………いるわけないでしょ」
その返答が悪手だと、反射的に彼女は感じたが遅かった。
迷っても正直に答えても結姫の正体に近付かれる、そう危惧した故に生まれた沈黙から仮面の男は何かを感じ取ったしまった確信があった。
まずい、と結姫の勘が関わるべきではない相手と関わった失敗に気付く。
今までに出会った何者とも違う、危険性を彼女の全神経が告げてくるようだ。
―――仮面の奥で、男は嗤っていた。
低い声で、堪え切れないように。
愉しくて仕方がないとでも言うように、背筋が凍えるような声で。
こういった種類の恐怖に近い感情を覚えるのは久しぶりかもしれなかった。
何かが違う、この男だけは単純なMLSではない。
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