第15話:異常者の定義

 結姫は真っすぐに伸ばされた千花の腕を真横から掴んで完全に止めていた。

 黄金の髪を教会の入り口から通る風に靡かせ、普段の陽気な彼女とは別人のように静かな瞳で敵に視線を叩き込む。


「・・・・・・綺麗」


 千花は紅の瞳を見つめ返すと、呆然と呟いて抵抗を止めた。

 黄金に染まった髪、意志を秘めた紅の瞳は確かに見惚れる程に美しいものだったが、動きが停止した今が好機だ。


「どうして男子生徒を殺したのか、聞いてもいいか?」


 今なら答えを得られるかもしれない、“命を奪う”と簡単に決断できずに涼は言葉を選びながら訊ねた。

 嘘を吐かない保証がなくとも、彼女には会話が十分に出来る理性が残っている。

 命は救えるかもしれないのだ、今ならば。


「そこの彼女が何者か、と情報交換しませんか?」


「こいつは最終感染者だが、自分の意志を保ってる。恐らくあんたに近い」


「・・・・・・生還者リバイブ?」


 驚きを表情に表して、千花は理論上の存在とされた名を呟く。

 最終発症から生還できる者はいないとほぼ全ての人間は主張するが、研究者の間では生還は天文学的な確率で可能ではないかと囁かれた。

 白鷺の演説でも語られた生還者は、東京第二都市において研究の成果として完成させる目標の一つだ。


「約束通り、全てお話します。その前に一つお聞きしてもいいですか?」


「こっちの情報はこれ以上は渡せないぞ」


「貴方は例えば、そうですね。自分が死ぬか、彼女が死ぬか選べと言われたら・・・・・・すぐに選べますか?」


「もう、それは通った道でな。こいつの為なら命を捨てるって決めてる」


 微塵も迷いなく涼は即答し、一瞥した結姫は唇を噛んで涼の言葉を否定する衝動を必死で堪えているようだった。

 涼とて自分の命は惜しいが、秤にかけるのが結姫であれば話は別だ。


「・・・・・・ふふっ、あはははっ!!!!」


 涼の瞳に浮かぶ決意を見て取り、千花は愉しげに嗤う。


 まるで自分以上の異常者を見つけたとでも言うように、有り得ないと思っていた存在を見つけたように。

 あくまで本能の話をすれば、人間は自分が大切なのが当然と言えよう。

 血の繋がってもいない他人の為に躊躇なく命を賭けられる、それも同じ視点から見れば自己防衛本能が壊れた異常者だ。


 果たして、本当の異常者マキャベリストはどちらなのか。


「それが貴方の異常性エゴですか。私があの男を殺したのは私の純粋な気持ちの邪魔をしたからです」


 涼の返答で満足した様子の彼女は全てを語り始める。

 語り始めを聞いただけで涼は千花の本質に関して感じるものがあった。

 日下部千花は恐らく、結姫とは絶対的に違う点があるのだ。


「私には好意を寄せる人がいました。ですが、あの男は私の極端に悪い噂ばかりをその方に伝えていたようでして。無論、根も葉もない噂です」


 優し気な表情を浮かべたのも一瞬、再び少女は感情の無い笑みを浮かべる。

 事件の関係者を思い出しても被害者と直接の関係が無くて当然、書類だけで恋愛事情を察するのは無理があったのだ。


「しばらく経ち、私は彼に誤解されていたことを知りました。ですから噂は嘘だと訴えた。彼も信じてくれて、私達は時折ですが二人で出かけたりもしたんです」


 それは一人の少女の恋から始まった歪みだった。

 もう結末は予想出来てしまった、人間の精神とは脆いもので千花の精神は完全な形ではもう戻らない。

 自分の目的の為に他者を犠牲にする行為、それは彼女の心が弱かったとしてもまさにMLSの症状そのものだった。


「もう、お分かりでしょう?再び噂が流れ、彼は私から距離を置き始めた。それも当然、彼の親友だった人間が噂の発生源だったのですから。親友を信じてしまうのも無理のないことです」


 人の命を奪うか、奪わないかを涼が決める権利はどこにもない。

 だが、戦うか戦わないかは選択しなければ待つのは死である。

 まだ、千花は思い人の気持ちを察しながらも自分の気持ちを優先するレベルには症状が進んでいないかもしれない。


 続きを淡々と彼女は語り続けた。


 噂を流した被害者は、あろうことか密かに彼女へと接近してきた。

 最初から千花が親友に好意を抱いていることを知り、手段を選ばずに引き離そうと画策した結果らしい。

 被害者の検査結果は出ていないが、非効率的かつ非合理的なやり方を見るにMLSの中期段階を発症していてもおかしくはない。


 通常はここまでMLSが連続して発生することは少ない。


 人々が連続して精神異常を起こすのなら、人と人のコミュニケーションはそもそも成立しない結論になってしまうからだ。

 一旦、疑問は置いておくとして、彼女の事情は人を殺すには到底至らない。


「・・・・・・確かに人間的にはクズだったのかもしれないが、それで被害者を殺そうと思ったのか?」


「あの男が言い寄ってきた時に体が熱くなって、頭が熱を持って、何も考えられなくなって。ぼんやりと思ったんです。この男は許されないことをした……と」


「お前がしたことは許されると思ったのか?」


「許されません、私も・・・・・・あの男も。これでも、貴方が邪魔だと思う気持ちを我慢してお話しているんですよ」


 学校で案内してくれた千花は一歩間違えば二人を殺そうとしていた。

 そんな自分を知っていたから、涼の質問に対して“許されるべきではないと思いました”と振り返れば奇妙な返答をしたのだ。

 千花は最終発症の手前で奇跡的に留まっている状態だが、先程の身体能力から見ても変質は始まりつつある。


 もう、あそこまで異常な身体能力を獲得する段階に至れば助からない。


 日下部千花は生還したわけではない、必死で踏み留まっているだけだ。

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