第14話:与えられた鍵

 少女は祈りを捧げるでもなく、廃教会内に立っていた。


 煤で汚れた教会の中で、色褪せずに海の如く青いステンドグラスを見上げて何かを見るように佇むだけだ。

 彼女は開くはずのない入口を振り返ると微かに落胆した様子を見せた。


「誰かと待ち合わせでもしてたのか?」


 治安維持局の人間だと知っているにも関わらず、空色に近いワンピ-スを身に着けた日下部千花は動揺を微塵も浮かべずに落ち着き払っていた。

 しかし、休日に教会にいたからと言って犯人とは限らない。

 むしろ誰かと待ち合わせしていたのなら、そちらが犯人かもしれないのだ。


「いえ、待ち合わせはしていません。それにしても、どうしてこちらに?」


「ここに殺人犯が一時的に潜伏していたって情報を得たんだよ」


「あら、それは怖いですね。それとも・・・・・・」


 十七歳という年齢にしては大人びた雰囲気と美貌を纏っているが、意味ありげな発言を受けて妖艶に笑う彼女は続けた。

 わけもなく、ぞくりと全身の鳥肌が立つ感覚が走り抜けた。


「私、疑われてしまっているのでしょうか?」


 普通の高校生では到底有り得ない反応を彼女は見せる。

 殺人犯として疑われた上で治安維持局の人間と対峙して、平静を保ちつつ笑える正常な人間がいるとも思えなかった。

 しかし、穏やかな笑みを浮かべる彼女からは殺気めいたものを感じない。

 それどころか、この状況を楽しんでいるようにも見えた。


「ああ、少しはな。普通は入らない教会にいたんだ」


「ここは私のお気に入りの場所なんです。ここに来れば自分に素直でいられる、見つめ直せる気がして」


 肘が欠けた聖女の像を眺めて目を細める千花。

 少なくとも彼女には感情が残っているし、話し方にも知性が垣間見える。

 それ故に千花が何を考えているのか予測できず、涼も慎重に相手の思考を探らざるを得ない状態だった。


「話を聞かせて貰うぞ。学校の事件と公園の事件についてをな」


 公園の事件はまだ報道されていないが、あと二時間もすれば報道されるだろう。

 それよりも周知の事件だと誤認させて犯人しか知らない情報を引き出すべきだ。


「・・・・・・ああ、なるほど」


 千花は一瞬だけ怪訝そうな顔をしたが、すぐに納得したように頷く。

 その反応が何を意味していたのかは今の段階では解りかねたが、表情の意味を追及しても彼女は何も答えなかった。


「二十四センチ・・・・・・ですか。確かに私の靴のサイズと同じです」


 情報を突き付けても頷いて認めるばかりで、嘘も抵抗も見せない彼女が一つだけ躊躇ためらいを示した調査協力があった。

 それは、彼女が以前に連れていた友人と連絡を取ること。

 珍しく千花は情報を出すことを渋り、考え込んだ末に調査に協力した。


 その時、不意に携帯が着信を告げる。


「話の途中で悪いが、少し待っていてくれ」


 電話してきたのは穂波、事件について新たな情報があったので共有する為だ。

 そして、それを聞いた涼は思わず声を上げた。

 一つ目の事件と二つ目の事件、それらについての重要な報告だった。


「そういうことかよ・・・・・・」


 通話が切れてからも考え込みながら涼はポケットに戻す。

 今の正式な情報が嘘であるはずがない、それだとすれば。


 ―――質問を根本から変えなければならない。


「日下部、一つ聞きたい。あんたの友人、笹川知弦ささがわ ちづるの靴のサイズを知ってるだろ?」


 単刀直入に聞いた途端、初めて千花の目が伏せられる。

 あくまでも涼と結姫の担当は犯人が最終発症者かどうかの調査と、犯人がそれに該当する場合の対処だ。

 現場の細かい分析などは技術的にも警察に近い調査部隊に任せて情報だけ回して貰っている状況である。

 穂波からもたらされた新しい事実、それは。


 公園の花壇から新たに見つかった足跡は、二十四センチではなかった。


 しかも、痕跡を総合して判断すると踏み込む力が第一の事件とは比べ物にならない程に弱かったそうだ。

 踏み込み方にも癖があり、高い確率で別人だと判定された。


 その瞬間に涼の中で直感するものがあった。


 先程の彼女の態度、そして学校を案内した時にも一緒にいた親友に調査が及ぶことへの躊躇ちゅうちょの理由。

 つまり、千花は犯人しか知り得ないことを知っていたのだ。



 二つの事件は決して連続殺人ではないことを。



「あまり気にしたことはありません。二十四センチだったでしょうか」


「まあ、いい。まずは笹川の方から崩していくさ。調査協力には感謝する」


 そして、結姫を連れて教会を後にしようとした時だった。

 言い知れぬ寒気を感じ、結姫と同時に振り向くと・・・・・・千花は嗤っている。

 わずかに哀しさを滲ませながらも、愉快で仕方がないと言うように。


 相反する感情を少しずつ乗せた顔は、普通の人間とは到底思えない。


「ふふ、仕方ないですね。少し手段を変えましょう」


「手段・・・・・・だと?」


「調査を中止するわけにはいきませんか?知弦は関係のないことです」


 あくまでも穏やかに千花は最後の交渉を持ち掛けてきたのだ。

 冷静な警告を受け止めて、涼にも事の真相の大部分が見え始めていた。

 第一の事件を起こした動機までは知る由もないが、間違いなく彼女が起こした残酷極まりない事件だ。


 既に相手の正体は知れた、ここからが二人の領分。


「そういうわけにはいかないって言ったらどうするんだ?」


「・・・・・・残念ですが、少し痛いかもしれません」


 今まで通りに唇を緩め、彼女は人間を手放した事実を証明した。


 一歩で懐へと潜り込む奇襲に反応が遅れるのも無理はない。


 石畳の床を崩す程の威力の踏み込みを糧に得られる速度は絶大だ。

 教会の痛んだ木の床は本気で踏み込めば何の障害にもならず、表面上は肉体の変質を起こさないままで千花は涼に肉薄していた。

 急所を避けようと思えば出来たが、涼は軽く身を引いただけだ。


「なッ!?貴女は・・・・・・?」


 隣にいる相棒が隙を見過ごすはずがないと信じていたから。

 黄金に髪を変質させ、煌々と輝く瞳で相手を見据えながら、結姫は己の力を遺憾なく解放していた。

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