第9話:最初の殺人



 ——―三人が研修を受ける間も、時は刻々と進む。



 男は明確な悪ではなく、正義でもなかった。


 彼はただ試し、見極め、人の行く末を見守るだけだ。


「私は彼を心から愛しています」


 人気を感じない、とある教会で祈るように学生服を着た少女が告げる。

 切り揃えた前髪に長く艶やかな栗色が混じった黒髪は手入れされているのが見て取れ、人形のように整った容姿は聖女のようにさえ見えた。

 それに相対するは牧師でも何でもなく、青みがかかった髪の男だった。


 彼は静かな笑みを称えたままで少女の独白を聞いていた。


 ある講習会で出会っただけの間柄、その男に彼女は何もかもを話していた。

 否定されない確信があったから、自分の全てを受け入れる狂気を感じたから。

 講習会を終えてからは多くを語らない男が訊ねたのは一つ。


「君はどうしたい、どこへ行きたい?」


 最後まで、男は少女の中で育ち続けるエゴイズムを否定しなかった。

 少女の中で膨らみ続ける狂気に似たものを知りながら、彼女のあるがままの感情に言葉を添えて旅立たせた。

 彼女が教会を決意を秘めた瞳で去った後、男は一人呟く。


異常者マキャベリストは時に我々の根源にある醜悪さを映す鏡だ。人は故に彼らを嫌悪し恐れる。君の果て・・・・・・選択は必ず糧となるだろう」


 愉悦や好奇心を抱えながらも、そんな歪な自分と彼女を待ち受ける未来を想って男の頬にはわずかに涙が伝う。

 後悔などない、自分が正義とも思っていない・・・・・・しかし、悪とも思わない。

 今は人の根源にあるものを観測すべき時、種族の進化には相応の時が必要だ。


 心にある醜悪さ、欲望は皮肉にも時に飛躍をもたらす。


 彼が口を開くまでもなく、異常者は己の欲望に忠実に生きるしかできない。

 彼は異常者を観測しながら、あるがままに選択を受け入れて背中を押してやるだけでいいのだ。


“己に忠実に、うつくしくあれ”と。


 人の本能、かくも自分の為に動く醜悪さにこそ、人の至る果てがあるのだから。

 その少し後、男子生徒が通常では有り得ない方法で殺害されたのを聞いた男は微かに憂いと笑みを浮かべて呟く。


「・・・・・・やはり、それが君の選択か」



 —―—涼が殺人事件の話を聞いたのは、翌日の昼食を終えた後だった。



 知っていたことだが九条は使えるものは容赦なく使う主義で、MLSが密接に絡んでる事件であれば駆り出されることも少なくなかった。

 変質した発症者を圧倒してきた結姫と色々な意味で使い勝手がいい涼を遊ばせておく気はないようだ。


「結姫、九条さんからの依頼だ。最終発症者絡みかわからないが行くぞ」


「了解、わからないってどういうこと?」


「殺人事件らしいんだが、妙な点が多いらしい。報告書の内容が来てるから道中で説明する」


 コートを羽織ってマンションを出ると、頭に叩き込んだ今回の顛末を簡単に結姫にも説明してやる。

 殺害されたのは、男女共学の東京第二街区高等学校に通う二年生。

 男子生徒の死体が発見されたのは死後の翌朝で信じられない状況だった。

 一部の校舎屋根の頂点からは旗を張ったり、補修時にワイヤーを渡したりする為に使用する、太い鉄柱のようなものが真上に突き出ていた。

 長さ二メートルには届かない、直径五十ミリ程度の補強された鉄柱。


 そこで、男子生徒は胸を鉄柱が貫通して亡くなっていた。


 他の人間のアリバイなどは涼が考えることでもないが、屋上に残っていたのは驚くべきことに二十四センチメートルの靴跡だけだった。

 それ故に肉体が変質しつつある者が犯人の可能性を考えて、涼達は調査の役割でここまで送られたのだ。


「それ、普通じゃないわね。屋根まで引っ張り上げるだけでもかなり力が要るし」


「ああ、どうして屋根で殺す必要があったのかだ。考えられるのは、自分が犯した殺害に昂揚していた・・・・・・とかな」


「・・・・・・じゃあ、やっぱり」


 この世界には『人の命を奪うことは罪である』と決められた絶対の法がある。

 増してや、個人的な事情で人を殺すなど倫理的にも情状酌量の余地はどこにもない凶悪犯罪と言わざるを得ない。

 だから、二人とて変質した相手さえも毎回救う手段がないかと躊躇いながら戦い続けているのだ。


 殺人を犯しながらも逮捕されないということは、肉体の完全な変質までは至ってない可能性が高い。


「でも、それなら学校の生徒全員にマインドチェックすれば犯人もすぐにわからないの?」


「検査は当然行ったが、目立った結果が出た生徒はいなかったらしい。チェックで何も出ないのならお手上げだ」


 学校関係者は全員メンタルチェックは行ったが、結果は軽度の者はあれど殺人を冒す程の症状が見られた者がいなかった。

 心理学者までもが携わった正式な検査なので、まず間違いはないはずだ。


「とりあえず、現場を見てみるぞ。俺達が見て何がわかるとも思えないがな」


 治安維持局からも複数の警官に近い制服を着た事件処理班が出動して来ており、現場の調査を行っているようだった。

 そして、屋根を見上げると二十メートル以上は上にある屋根には、ここからでも見える血液の跡がある。


「あの高さまで運ぶっていうのがそもそも現実的じゃないわね」


「ああ、普通の人間なら・・・・・・な」


 普通の人間なら不可能でも、進化を以てすれば可能になってしまう。

 しかし、変質を起こしかけている人間がいるとして、検査に何も引っ掛かっていないのは不自然だ。

 学校外の人間による犯罪ならば簡単に犯人が見つかるはずもないが、殺し方からしても恐らく内部犯の可能性は高かった。

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