第4話:事件の狼煙

 池に叩き込んだ程度では最終疾患者は止まるはずもないが、位置関係が入れ替わったおかげで逃げられる心配は減った。

 結姫は身体能力で敵を圧倒しているが、相手の耐久性を見れば覚悟を決めても倒すのに時間がかかるだろう。


 穂波に連絡を依頼したのは、治安維持局の中でも別の派閥だ。


 二人と契約を交わした、一枚岩ではない組織の中でも異色の人間が率いる勢力。

 つまり、一般的に疾患者を確認した場合に駆け付ける団体とは別かもしれないということだ。

 そんな勢力に結姫の姿を見られれば、面倒になるのは明らかだった。


「結姫、時間がない。他に方法はない・・・・・・活動を停止させるぞ」


 唇を噛むと涼は彼女へと告げるしかなかった。

 こんな姿になろうと人は人だ、本来は命を一方的に奪うなんて許されないのに二人は理不尽にもそれを狩り取ろうとしている。


 平気で潰すことなど出来るものか、最初は何度も吐いた。


 人を獣のように潰して回るのはあまりにも罪深い。

 それでも、今は少なくともこうするしか方法は見当たらない。


「・・・・・・うん、わかった」


 それは結姫も同じで、だからこそ意識のみを狩り取る方法を最初は模索していた。

 今はもうそれでは救えないと再確認してしまったから、覚悟と戦意を燃やした彼女の瞳は更に紅に燃え盛る。


「ゥ・・・・・・アアァアアアアアッ!!!!」


 言葉にならない咆哮と共に元は人間だった男が駆けた。

 外にあるテラスの手すりを砕き、椅子とテーブルなど残骸と化す程の威力。

 その暴威を飛ぶように結姫は躱し続け、木の破片や泥すらも当たることはなく相手の隙を虎視眈々と伺い続ける。


 出来た隙は人間の反射神経では隙とは呼べないもの。


 わずかに眉根を寄せた結姫は建物の壁に亀裂を入れながら、一転して男へと飛ぶと勢いを利用して右足を振り抜いた。

 脚による一振りでさえ、風を引き裂く死神の鎌に等しい。

 彼女は首をへし折ろうとしながらも躊躇ったのだろう、右肩を殴り落とすとその巨体は地面へと高所から落下したかのように地面を抉って倒れ伏す。


 彼女の一撃をまともに受ければ活動するには到底至るまい。


 その油断が、再び身を起こして走る男の動きに対する結姫の対応を遅れさせた。

 骨も砕けているはずなのに、これだけの肉体の変質を起こしているとは。


「・・・・・・あ、やばッ!!」


 理性すら吹き飛んだ男が選んだのは本能的なものか、生還者リバイブである少女からの逃亡だった。

 逃げられれば多くの人が死に、東京第二都市は混乱で覆われるだろう。


 ―――目の前を満たす血の色を思い出す。


 それだけは、絶対に許すわけにはいかないのだ。


 目の前が歪んで手足に力が漲っていくが、生還者では涼の力が彼女には遠く及ばないのは自明の理だ。

 それでも、この場だけは何があろうと通さない。


「て、めえッ・・・・・・!!!!」


 咄嗟に体が動いて怪物の進路へと走った。

 立ちはだかった所で止められはしない、涼と彼女は耐久性に大きな差がある。

 だが、どうにもならなくても・・・・・・どうにかすべき時はあるのだ。


 巨体を一瞬でも止める方法、それは一つ。


 真横から離陸して脇腹へと突き刺さった跳び蹴りは完全に進化を遂げていない男を小さく揺るがす程度の威力はあったようだ。

 涼とて並みの人間と比べれば身体能力が高い理由があるのだ。


 よろめいた男へ、駆け寄った結姫が首を後ろに腕を回して締める体勢に入った。


 そのまま首の骨を強引にへし折るしかない、この男はもう戻れない。

 決意を秘めた目で少女が腕に力を込めた時。


「えっ・・・・・・?」



 ―――パン、と柘榴が割れるように赤いものが弾けた。



 何が起こったのか二人にも解らず、妙に時間がゆっくりと過ぎ去る。

 わずかの後に理解したのは、男が横から頭を撃ち抜かれたということだけ。

 なぜ、そんな事態になったのかも解らないが、危険だと判断して結姫の手を咄嗟に引いて物陰に避難させた。

 蹴り所が悪かったのか痛みを訴える足を踏み締めて誤魔化し、離れた場所から撃ち抜かれた男の体躯を見る。


 あれだけの強靭さと耐久性を誇っていた男が、わずか一発の弾丸と思われるもので完全に活動を停止していた。


「な、何が起きたの・・・・・・?」


「いいから行くぞ。こうなった以上は俺達は見られない方がいい」


 弾丸がそもそも存在するのか解らず、頭を貫通しているのは出血具合からも明らかなので探しても短時間では見つかるまい。

 この微妙な状況では退く方が無難だと冷静に涼は判断を下す。


 男は何者かによって頭を撃ち抜かれた、その事実だけは明らかだ。


 まだ生きている可能性を考えて周囲から様子だけは見守ることにして、結姫は呼吸を整えると髪を黒色へと戻す。

 彼女の戦意が減退したことによって肉体の変質が解除された。

 少なくとも涼達以外にも感染者を狩る勢力がいることは間違いなさそうだった。

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