第1話:二人、東京第二都市にて



 東京湾の南に浮かぶ巨大な人工島、それが東京第二都市の正体だ。


 それは一種の楽園であり、同時に牢獄でもある。


 病を発症する危険性がある人間を、合法的に一つの場所に閉じ込めておく為に建設された都市だ。

 箱庭の住民達は念入りな精神状態の調整・マインドケアの代わりに、安全安心で半分だけ自由な生活を保障される。


 全ては、とある病の発症から始まった。


 歴史上の人物の名を取って、マキャベリスト・シンドローム。

 その特徴は『精神的なものが人間そのものを変化させる疾患』ということ。

 つまり、東京第二都市は精神的な負荷が大きくかかれば発症の危険性がある人間の巣窟なのだ。



 総数が十万人以上を誇る都市の一角、マンションの一室にて。



「ねぇ、涼。今から映画でも観に行かない?」


 長く艶やかな黒髪に深い紅の瞳をした少女が口を開く。


 あどけなさを微かに残しつつも整った顔立ちで、年齢的にはやや小柄な高校生程度の見た目をしている。

 彼女はそれなりに膨らんだ胸が目立つものの、白のシャツにジャージという色気のない服装でテレビ画面を眺めていた。


「ネットで見ればいいだろ、月額で五百円程度なら払ってやる」


 仏頂面で応じるは黒髪で同年齢程度の少年・皐月涼きさらぎ りょうだ。

 にべもない対応に少女は不満そうな膨れっ面で涼を一瞥するも、効果なしと判断してテレビ画面に顔を戻した。


「二人でリアルな臨場感を楽しむのがいいのよ。テレビはマインドケア番組ばっかりだし。私と二人で映画なんて光栄もいいとこじゃない」


結姫ゆきと一緒に暮らしてる時点で有難みもクソもあるか。マインドケア強化週間だからな、仕方ないだろ」


「ケアケアってさぁ、意味はわかるけど・・・・・・って、さりげなく失礼なこと言わなかった!?」


 二十年前に発症が確認されたマキャベリスト・シンドローム、通称:MLSは講習会や義務付けられた検査等の日常的なマインドケアが数少ない予防法だ。

 いかにして精神を安定させるか、自身のストレスと向き合うかを説く番組は定期的に放送され、二か月に一回は本数が大幅に増える。


「私と何年も暮らしてて手を出さないって、涼って本当に男?」


「いいか、目の前に熟れたカボチャが転がっているとしよう」


「・・・・・・私、カボチャと同程度?」


「そのカボチャが口を開いて言うんだ。さあ、早く食えってな。美味そうだと思ったとしても俺なら萎えて絶対に食わない」


「ふーんだ、別にいいわよ。明日、私の魅力に気付いたって遅いんだから」


 ぶつくさ言いながらもテレビ番組を変える結姫を眺めると、ふつふつと妙な悪戯心が湧いてきてしまう。

 ソファーに向けて近付くと特に意識するでもなく不意に言ってみる。


「じゃ、今から手出してもいいのか?」


「・・・・・・えっ、ス、ストーップ!!そ、そういうのは段階を踏んでから――」


「何だよ、お前から言い出したんだろ」


 実際に手を出せば気まずいなんてレベルではなくなるし、倫理的にも問題があると涼には嫌と言うほど解っている。

 彼女との共同生活は必須なだけに、余計なことは万に一つもあってはならない。

 そう、これはお灸を据えてやることで今後の自省を促す手法だ。


「・・・・・・わ、わかったわよぉ。す、好きにしたらいいじゃない」


 こてんとソファーで横になるジャージに安物シャツの残念女子。

 池から自力で跳び上がって、まな板の上に転がる鯉を見ている気分だった。

 何をするとも全く以て言っていないのに、勝手に覚悟を決めた顔を真っ赤にして目をぎゅっと閉じる。


 それを放置すると、涼はノートパソコンを立ち上げた。


「うおおおい!?どこの世界に女の子を放置して、PC立ち上げる奴がいんのよ!!」


「まさか、お前がそこまでチョロいとは思わなかったからな。俺が悪かったよ」


「お、男の力で迫られたら逃げられないと思っただけよ!!」


「・・・・・・それはボケか?」


 結姫が本当に力を発揮しようと願えば、涼の力など種族が違うレベルで上回る。

 彼女のことは普通の人間だと思っているが、世間的に見れば普通の人間を遥かに超越していることは明らかだった。

 皇城結姫すめらぎ ゆきは、この世界で唯一の生還者リバイブと呼ばれる種族なのだから。


「も、もういいでしょ、そんなこと。ゲームやるなら私もやらせてよ」


「別に構わんが、この前の事件について少し調べものしてからな」


「あの皆で銃撃つヤツは面白かったわよね。FRPだったかしら」


FRP強化プラスチックがどうかしたか?」


 見た目は普通の女子高生程度の癖に、時々頭のネジが抜けるのが結姫の欠点だ。

 それでも、やや不愛想で取っ付きづらいと評判の涼が思わず突っ込んでしまうのは、彼女が底抜けに明るいせいだろう。

 その陽気さに救われたこともあるが、本人に伝えるのは照れ臭かった。


「それにしても、疾患者の数が大分増えてきたな」


「最近、こっちにも大分仕事が回ってくるわね」


 MRSの疾患者が最終的に辿り着くのは人間としての存在の喪失。

 初期段階では目的の為に嘘を吐くことに対する抵抗がなくなるが、ここまでは検査をしなければ性格と見分けがつかない。

 次の段階では、異常な攻撃性を示し始める。

 そこから精神状態の大幅な悪化ときっかけがあれば、犯罪者でなくとも肉体に変化を及ぼして化け物に堕ちる。


 ここまで来るともう救う手立てはないとされている。


 涼達のような治安維持に努める人間が、敵として処理するしか方法はなくなる。

 現状でもただ一人を除いて最終段階に至った状態からの生還者リバイブは存在していないのだ。

 だから、東京第二都市では事前のマインドケアと一月に一回のチェックを義務付けられている。


「・・・・・・どうして、発症者って減らないの?」


「人間の精神なんて、ちょっとしたことで壊れる脆い代物だ」


 涼も一度は徹底的に壊れかけたものの、今は治安維持局と呼ばれる警察に近い団体から雇われて傭兵めいたことをしてる。

 あの日、この手で摘み取った希望の感触が忘れられなかったから。


 いつしか皇城結姫すめらぎ ゆきとは出会い、そして。


 ―――世界がどうなろうと彼女を生かすと誓った。


 マキャベリストとは解釈の違いはあれど、目的の為に他人を騙したり犠牲にすることを厭わない者の総称である。

 本当の意味での精神異常者マキャベリストは涼なのかもしれなかった。

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