第5話

 次の日の昼頃、私はカイルの部屋でいつものように椅子に腰掛けていた。くどい様だが実体のない私にとって立っていようが座っていようが負荷に差異はない。しかし人は疲れている時、不安な時に腰を下ろすものなのだ。私は人ではないがそれでも座り込みたくなるほどに疲労と不安で満たされていた。これまで十八年間、安穏あんのんとした生活を送っていた私にとって疲労も不安も慣れたものとは言えない。やれやれと一つため息をく。

 私は数時間前の女神様との会話を思い出す。リネットが無事カイルを村に連れ帰った後のことだ。先の戦いから音沙汰のなかった女神様から思念が届いてきた。

『ど~もど~もぉ!お疲れ様ですぅ!』

 えらく能天気な思念だ。つい先程までカイルが命懸けで戦っていたというのに。

『女神様。どうも、お疲れ様でした。』

 内心物申したかったがとりあえず私も丁寧に挨拶を返す。すると女神様はそんな私の心持ちなど一切察することなく、いたって上機嫌に話し始めた。

『いやぁ、バッチリ決まりましたねぇ!時間停止に幻姿投射げんしとうしゃも問題なくできましたし、まさに勇者の覚醒に相応しい演出でした!』

 演出とは、また随分と危機意識に欠ける発言だ。万が一カイルの身に何かあれば女神様の安全だけでなく世界の命運さえおびやかされるというのに。

『私とっても久しぶりに人前に出たんですけど、変じゃなかったです?私としては頑張ったつもりでして~。聖霊さん的にはどうでした?100点満点だったら何点くらいです?』

 女神様のワクワクとした跳ねるような思念が、私の内心穏やかでない神経を逆撫でる。完全に浮かれている。

『そうですね・・・。60点です。』

『わぁい!聖霊さんに褒められちゃいましたぁ!』

 いや褒めてねぇよ。私の中で苛立ちが膨れ上がる。これが思念での会話で無かったら私は到底笑顔を保てなかっただろう。

『女神様。先程はカイルの覚醒の準備と言って去ってしまいましたが、具体的に何をされていたのです?随分と、時間がかかっていたようですが。』

 自然とトゲのある言い方になる。しかし女神様は相も変わらず上機嫌なままだ。

『あれは身だしなみを整えていたんですぅ。ほら、幻姿とはいえ久しぶりに人前に姿を見せることになりますのでね。立場的にシャンとしないとと思いましてぇ。』

 女神様が照れたふうにエヘヘと笑う。私としてはとても笑えたものではない。

『でしたら何か?女神様が呑気に寝グセを直していたせいで、カイルは死にかけリネットまで危険な状況になるほどに時間がかかったと。そういうことですか?』

 いよいよ牙が剥き出しになりつつある私の言葉に、呑気な女神様も流石に私との温度差に気付いたようだ。女神様の思念がしどろもどろになる。

『え、あ、いや、そのですね・・・。カイル君の覚醒に時間がかかったのはそういうことじゃなくって・・・。力に目覚めるためには前世との記憶の統合のために、カイル君には死にかけていただく必要がありましてね?私の準備が遅かったとかでは決して・・・。』

『ならば何故、あらかじめそれを私に教えてくれなかったのですか?』

 私が鋭く切り返す。私の淡々とした冷たい語調に女神様はうぅと小さく唸った。

『それはその・・・言わない方が聖霊さんがハラハラドキドキできるかなぁ~・・・だなんて思っちゃったり・・・。』

 なめてんのか。いや待て、激昂げっこうするなど私らしくもない。私は喉まででかかった罵倒ばとうの言葉をなんとか飲み込み、できる限り冷静に会話をしようと努力する。

『あのですね・・・!人の生き死にでスリルを演出するなんて、ましてや世界の命運を握った勇者の命をそんな風に扱うなんて、極めて!悪趣味で!下衆げすであると!評さざるを得ません!端的に言って、最低です!』

 無理だ。冷静に会話なんてとても出来ない。私は女神様に叩き付けるがごとく言葉を発する。すると女神様は涙声で謝り始めた。

『ご、ごめんなさい~!悪気はなかったんです~!』

『泣いて謝ったって許される話ではありません!私がもしも村の人々よりもカイルの命を優先し、カイルを村から逃がしていたならどうなりました!?村は全滅、カイルは勇者として覚醒しないままになっていたかも分からないのですよ!』

 女神様はヒ~ンと情けない泣き声を上げる。しかしその程度で私は矛を収めるつもりはない。この際、言いたいことは言っておくべきだ。

『そもそも女神様は神としての自覚が足りなさ過ぎるのです!貴方はこの世界の創造主であると同時に管理者でもあるのですよ?それなのに世界の危機的状況にあってもなおヘラヘラと・・・!そんなことだから魔王などというよそ者にいいようにされてしまうのです!この世界の悲惨な現状は女神様自身の無責任な態度が招いたと言っても過言では―――!』

 私が感情に任せてやたらと言葉を撒き散らしていると、女神様の泣き声が嗚咽おえつに変わったことに気が付いた。おや、と思い言葉を切ると女神様がポツリポツリと言葉を呟いた。

『・・・本当に、聖霊さんの言うとおりですね。私は、言わばこの世界の、母親なのに・・・。馬鹿でマヌケで、無責任で。ホント、神様失格です・・・。』

 これはまずい。女神様が本気で泣いている。いささか言い過ぎたか。どうフォローしたものかと言葉を詰まらせると、せきが切れたように女神様の思念が押し寄せてきた。

『ごめんなさい~!!もうしませんからぁ!嫌いにならないでくださいぃ~!!』

 ア~ン、ア~ンと女神様の泣き声が私の頭中をこだまする。これは、困った。号泣している。

 前々から子供じみたかただとは思ってはいたが、これでは子供そのものではないか。そう考えたら途端に私のほうが大人気おとなげなかったように思えて来た。女神様にとって唯一の話し相手である私が頭ごなしに女神様の否定をしては、女神様だって泣きたくもなるかもしれない。女神様の茶目っ気や独特の緩さのおかげで私も深刻になり過ぎずにいられたこともあったろうに、その点を諸悪しょあくの根源であるかのように言ってしまったのは正直言いすぎだった。女神様の思惑通りにハラハラさせられたことが、内心悔しかったのかもしれない。なんにせよ感情的になりすぎた。

『分かりました、分かりましたよ。私も少し言いすぎました。申し訳ありません。女神様は女神様なりに考えて行動してくれたのですよね?結果的にはうまくいったわけですし。ですからほら、もう泣かないでください。』

 なぜこんなにも励まさなくてはいけないのかと思わなくもなかったが、とにかくこれ以上頭の中でアンアン泣かれるのは勘弁だ。私にも非があったのは事実であるし、私が大人になるべきである。

『・・・じゃあ、嫌いにならないで、くれます?』

『ええ、ええ。誰が生みの親を嫌いになりますか。・・・ひどい鼻声ですが、そばにハンカチはありますか?』

 私の問い掛けに、女神様は鼻をすすりながら答える。

『カーテン、しか、ないですぅ~・・・。』

 じゃあもうそれでいいよ。私は不覚にも少し笑ってしまった。

 数分間女神様の嗚咽と鼻をかむ時間が続いた。しばらく待つとヒゥンというような気の抜けたため息を最後に女神様の泣き声が止んだ。

『落ち着きましたか?もしよければ今後の段取りを確認したいのですが・・・。』

『そう、ですねぇ。今回のような手抜かりの無いように、ちゃんと話し合っておきましょう。本当、申し訳なかったです・・・。』

 女神様の鼻声はすっかり治っていたが、魔王城のカーテンを誰が洗ってくれるのだろうかと少し心配になる。女神様はひとつ咳払いをして、気落ちしていた空気を切り替えた。

『うん、では気を取り直しましてぇ・・・。今後のことですよね。これから聖霊さんにはいろいろ頑張っていただく必要がありますしぃ、今度こそしっかり説明しませんと。』

 いよいよカイルが勇者として覚醒したのだ。これからはこれまでのような安穏とした生活に甘んじているわけには行かない。魔王との戦いを始めねばならないのだ。

『聖霊さん。勇者の導き手としての初仕事、よろしくお願いしますね!』


 そうして今、私はカイルの目覚めを待っている。いつもと同じようにカイルの部屋の片隅にある椅子に腰掛けて。

 しかしながら怒りという感情はひどく疲れるものだ。泣いていた女神様はすぐにケロッと立ち直ったというのに、倦怠けんたい感はいまだに私の肩に重くのしかかっている。また事ここに来て勇者の導き手という重責に不安を感じている私もいる。なんにせよひどく気分が重い。私は今日何度目か分からないため息を吐いた。

 すると部屋の扉を開けリネットが中に入ってきた。その手には水の入ったボウルとタオルが抱えられている。リネットは昨日の夜から何度となくカイルの様子を見に来ており、そのたびカイルの額に置かれたタオルを交換しているのだ。その気遣いには感服するが少しは寝ないとリネットまで倒れてしまうのではないかと少し心配になる。

 リネットは古いタオルを回収しカイルの額に手を当て熱がないことを確認する。新しいタオルをよく絞りカイルの額にそっと乗せると、彼女は口元に手を当てて何か考え始めた。そして周囲に一瞬視線を走らせたあと、何か後ろめたいことでもするかのようにこっそりとカイルにかかっている毛布をめくり上げ中を覗き込んだ。

「・・・ある。」

 何がだよと一瞬思ったがリネットはカイルの左腕の有無を確認したのだ。彼女は大蜘蛛に負け死の淵にあったカイルを目撃している。今の傷一つない状態のカイルに異常を感じないわけがない。昨夜も何度も確認していたがやはり信じられないのだろう。

「夢・・・じゃなかったと思うんだけどなぁ。」

 リネットは独りごちて首を傾げる。すると今度はお腹の傷を確認しようと思ったのか毛布の中に手を突っ込み、カイルの服を捲ろうとする。

 と、その時、カイルの上体がガバっと持ち上がった。ちょうどカイルが目を覚ましたのだ。

「うわわわぁあッ!」

 驚いたリネットがすぐに飛び退き、まるで降参でもするかのように両手を上に挙げた。慌てふためくリネットをカイルはぽかんと見つめている。

「いや、違うの!今のはあのその・・・!うん、おはよう!」

「は?あぁ・・・?」

 動揺するリネットと呆然とするカイルの会話はまるで成立しない。リネットはひたすらに手足をばたつかせていたかと思うと、突然パチンと両手を合わせた。

「そうだ!お腹空いてるでしょ?もうお昼近いし、ちょっと準備してくるね!」

 リネットは一気にまくし立てるとカイルの返事も待たずに部屋を飛び出していった。何がそんなに慌てる必要があるのだろうか。やましい事を見咎みとがめられたかのような反応である。しかし出て行ってくれたのは私としては都合がいい。私はスッとカイルへと近づいた。カイルは左手で頭を抱え何もない空中の一点を凝視しながら考え込んでいる。しかし彼が混乱するのも無理はない。

「死んで、ない。俺は・・・誰だ?」

 今の彼は前世の記憶とカイルの記憶、二つの記憶が混濁こんだくしている状態にある。大蜘蛛との戦いのさなか女神様の幻姿がカイルの中に入れた宝玉のようなものが、勇者の力と前世の記憶を呼び覚ます鍵だったらしい。カイルの視点で言えば自分は狩人のカイルであると同時に異世界の“彼”でもあり、目覚める前は大蜘蛛と戦っていたと同時に自らの命を絶っていたようにも感じられるのだろう。混乱するのも必定ひつじょうといえる。

 さて、カイルは今自分がいったい誰なのか分からずにいる。迷える勇者を導くのは導き手として生まれた私の使命だ。勇者の力に覚醒したカイルには私の姿が見え、私の声が聞こえるはずだ。十八年間私はカイルのことを見てきたがカイルが私のことを見るのは初めてである。対面という言葉を文字通りに捉えれば私達は初対面となるのだ。なんとも奇妙な感覚だが、その中に混じる僅かな高揚こうよう感を確かに感じる。この私が人と、カイルと面と向かって話をするのだ。私はひとつ息を吐いて気を落ち着けてから、口を開いた。

『カイル。』

「え・・・?」

 私の呼びかけを聞いたカイルが私へと顔を向ける。その両の瞳が確かに私を捉えている。

「君は・・・?」

『貴方を正しき道へ導く者です。カイル。』

 私は身をかがめその瞳をしっかと見据え答えた。

『貴方は・・・カイルですよ。』

 私ははっきりと言い切る。

「俺は・・・カイル。そう、そうだよな・・・。」

 心もとないカイルの言葉と対照的に、私は毅然きぜんとして語り始める。

『説明致します。カイル、あなたの生まれる前より続いてきたこの世界の危機と、それにまつわるあなたの宿命を。』

 それが勇者の導き手である私の役目なのだから。


「異世界、転生、勇者、魔王に女神・・・。そんなことが、本当に・・・?でも確かに今の自分には二人分の記憶がある・・・。」

 私がおおよその説明を終えると、ベッドに腰掛けて説明を聞いていたカイルはブツブツと独り言を呟き始めた。まぁ説明されたからといってすぐに納得がいく話ではないだろう。

『すぐに理解できなくても構いません。今の貴方の状況を考えれば混乱するのが当然というもの。』

 カイルはしばらく額に手を当てて考え込んでいたが、やがて深く長いため息を吐き私に顔を向けた。

「えぇっと・・・。質問しても、いいですか?」

 彼の言葉に私は面食らってしまった。内容はいたって普通なのだが、問題はその話し方だ。カイルが、敬語を使った。カイルは家族のような村内のコミュニティから出ることはほとんど無く、ゆえに敬語や礼儀に疎いところがある。そんな彼が極めて自然に敬語を使ったのだ。私は強い違和感と不安感を覚えた。

『質問はもちろん構いません。ただ、敬語は不要です。貴方らしくない。』

「え?でも・・・。」

 歯切れの悪い反応。やはりカイルらしくないその返答で私は理解した。前世の“彼”が顔を出しているのだ。カイルが前世の記憶を思い出すことで人格に影響が出る可能性は女神様も話していた。この多少の礼儀と臆病にも見える遠慮深さは前世の記憶がもたらした要素ということなのだろう。がしかし彼はカイルだ。カイルの体でありカイルの心を宿しカイルの記憶を持っている。ただそこにちょっと別人の記憶が入ったというだけであり、カイルがカイルであることに変わりはない。過去の記憶が人格に影響するなど、そんなことは私が許さない。あんな敗北者の人格など救世の勇者たるカイルにはふさわしくないのだ。

『カイル、私は貴方の従者の様なものなのです。貴方に仕えるべく生み出された存在なのですから遠慮は無用ですよ、カイル。』

 私はあえてカイルの名前を何度も呼んだ。カイル自身に、彼がカイルであるという事実をすり込むかのように。カイルは後頭部を掻き、少しはにかんだ。

「神様の使いにタメ口なんて罰当たりな気もするけど、確かに少しむず痒い気もするし・・・。お言葉に甘えさせてもらおうかな。」

 その動作と口調はまだ遠慮がちだったが、少しカイルらしさも感じられた。安心した私は少し表情を緩めるとカイルからの質問を待った。

「まず、つまんない質問をするけど、これは夢じゃないんだよな?」

 本当につまらない質問である。私は少し眉をしかめた。

『そんなことはご自分の胸に聞いてください。あえて私が返答するなら“寝ぼけてる場合じゃない”です。』

「そ、そうだよな。悪い・・・。」

 カイルは申し訳なさそうに自分の頭を掻く。それから、何から尋ねたものかと一瞬思案してから口を開いた。

「その、女神様について俺の認識が正しいのか・・・。世界を作った、全ての命の母たるしゅのことで合っているのか?」

『女神様はこの世界の造物主であり唯一神です。なのであなた方の言う主と同一の存在ではありますね。』

 でも多分あなたの想像とはかけ離れた方です・・・とは言わないでおいた。

「それじゃあ魔王というのは何なんだ?正直あまり聞き馴染みのない言葉だ。・・・カイルとしての記憶では。」

『魔王とは世界の滅亡を目論む悪です。他世界より現れ、女神様を捕らえ力の一部を奪い取り、その力でもって世界を滅ぼそうとしているのです。』

 私の返答にカイルは首を傾げる。

「うぅん・・・。まぁ、魔王というからにはそういうものか。女神様から奪った力っていうのはどんなものなんだ?」

『陰であり非であり負たる力です。司るは破壊、衰退、消滅。この世界のありとあらゆる存在全てを否定する恐るべき力です。その力にさらされればあらゆる命は息絶え、その力に形を与えれば破壊と殺戮さつりくをもたらす魔物となります。あなたが先ほど戦っていた大蜘蛛もまた、負の力が形を成した魔物です。』

 説明を聞いたカイルが眉間にシワを寄せる。

「女神様が持っていた力にしてはえらく物騒じゃあないか?ありとあらゆる存在全てを否定する力だなんて。」

『力は所詮力に過ぎず、善悪の観念はありません。つまりは使い手次第ということです。生物に死をもたらしかねない力であっても、正しく使えば世界を正しい形に導くことができるのです。いわば庭木を美しく保つためのハサミのようなものと言えましょう。』

 なるほどなとカイルは頷いた。

『無論、魔王はその力を正しく使おうなどとは考えていません。先の魔物を見れば分かるとおり、魔王はただひたすらに虐殺のために負の力を用いています。おそらくは魔王に滅ぼされた町や村の数も十や二十は下らないでしょう。到底看過かんかできる話ではありません。』

 私の話を腕を組んで聞いていたカイルは再びうぅんと唸った。

「悪人の魔王がとんでもない力を手にして好き放題しているから倒さなければならない。それは分かった。だがなんで俺が?俺はただのしがない狩人・・・いや、前世の時点で選ばれていたという話だったか。だとしたら・・・正直なんの取り柄もない男が選ばれたってことだ。一体何故?」

 それに関しては私もまだ女神様に詳しい話を訊いていなかった。女神様いわく前世の彼にも強い点があり、その強さが世界を救うのだという話だったか。そんな曖昧あいまいな話を今しても仕方がない。とりあえず私が知っている範囲で説明することにした。

『勇者として覚醒するためには勇者の力を扱える必要があります。勇者の力とはすなわち神の力の片鱗。神の力の行使は、神の創造物たるこの世界の魂には不可能なのです。異世界の魂を持った転生者だけが勇者の力を行使し魔王を倒すことができるのです。』

 もっともこれは異世界から勇者を選んだ理由であり、異世界の中から彼を選んだ理由とは言えない。カイルも納得している様子はない。その様子を見て私も言葉を続ける。

『そのため異世界より勇者となる人物を探したわけですが、その中で女神様が選ばれたのが前世のあなたです。女神様が深謀遠慮しんぼうえんりょを巡らせた結果があなたという選択なのです。理由は、それだけで十分かと。』

 本音を言えば全く十分じゃない。それでも私は自信たっぷりに毅然として言い切る。戸惑うカイルに導き手である私を信用させるために、今はハッタリが必要なのだ。女神様の不手際や無意味な秘密主義を悟られてはいけない。

「・・・正直あまり自信がない。俺は本当に何もない、空っぽな人間だったんだ。そんな奴に突然世界を救えだなんて・・・。」

 えらくぐずついたことを言う。それに今自分の前世を指して“俺”と言った。つまりこれも前世の記憶の影響ということだろう。許さんぞ、過去の亡霊め。カイルはカイルでいいのだ。なよなよした甘ったれが顔を出すんじゃあない。

『いいですか?前世がどうあれ今のあなたはカイルとして生まれ狩人として成長し、そして今勇者として覚醒したのです。私はこの十八年間あなたのことを見守ってきましたが、心身共に勇者を名乗るにふさわしい人物であると考えています。だから、信用してほしいのです。あなたを選んだ女神様を、あなたを見てきた私を、そして何より現在いまのあなた自身を、信じてあげて下さい。』

 カイルの顔を真っ直ぐに見つめて訴える。思わず熱を帯びた私の声音こわねに、カイルは首筋を掻いて目をそらす。

「そう、だろうか・・・?」

 どうも手応えが無い。どうやら熱意で訴えてもいまいち効かないようだ。少しアプローチを変えてみる必要があるかもしれない。

『では、今のあなたがどれほどの力を持っているかお教えしましょう。すなわち勇者の力について、ですね。』

 思えば魔王や世界の危機についての説明ばかりで勇者の強さを説明していなかった。これでは自信が湧かないのも仕方ないかもしれない。えへんとひとつ咳払いをして勇者の力の説明を始める。

『先程も言ったとおり勇者の力とは神の力の片鱗。そしてそれは魔王が奪ったそれと対極の力。陽であり是であり正たる力です。司るは創造、維持、再生。』

 私は人差し指を立て解説を始める。

『まず一つ目が創造の力。これはまぁ、簡単に言えばどんなものでも生み出すことができる力です。』

「え?どんなものでも?」

 カイルが私の説明に目を丸くした。手応えを感じた私は内心ニヤリと笑う。

『例えば、そうですね。右手に剣を持っているとイメージしてみてください。いつも狩りで使っているあの剣です。』

 実際の剣は魔物との戦いで折れてしまったが。カイルは言われるがまま右手を空へかざした。するとすぐにその手に剣が現れた。なんの前触れもなく、あたかも始めからそこに存在していたかのように。

「おぉッ!本当に出てきた!」

『あまりに大きすぎる物、重すぎる物は生み出せませんが、まぁこの部屋に入るくらいのものでしたらどんな物でも生み出すことができます。』

 神の力の片鱗に触れカイルは目を丸くする。突然出現した剣をまじまじと観察している。

「本当に・・・本物だ。どっからどう見ても俺の剣だ。」

『それは貴方がその剣を正しく仔細にイメージできていた証拠です。創造の力を扱う際、生み出す物の明確なイメージが重要となります。生み出したい物を外観だけでなく構造や材質まで正しくイメージする必要があるのです。それができなければ生み出した物はただの出来損ないとなってしまいます。』

「へぇ・・・。どれどれ?」

 カイルは剣を脇へ置き、右手に意識を集中する。何を生み出すのかとカイルの右手を覗き込むと、そこに手のひらサイズのヘンテコな黒い板が現れた。するとカイルはその板を指でつついたり撫でたりし始めた。

『・・・何ですか?それ。』

「えぇっと・・・向こうの世界の機械。スマートフォンって言うんだけど・・・。ダメだ、全く反応しない。中の構造をイメージできなかったから、これは出来損ないってわけか。」

 前世の頃の所持品なのだろう。片手に収まるサイズ、それでいて中の構造は正確にイメージできない程度に複雑。・・・飛び出し式の、投げナイフと見た。この板を地面と水平に回転させながら投げることで、内側に仕込まれた幾本ものナイフが飛び出し獲物に突き刺さるのだ。どことなく投げたくなるような形だし間違いない。

『投げないのですか?』

「は?投げる?」

 うぅむ。投げてみなければ使えるかどうか分からないと思うのだが。まぁ本人にその気がないのなら別にいいだろう。

 いけない。好奇心に負けて話が脱線しそうになってしまった。前世の記憶をあまりほじくり返すのというのもカイルに悪影響がでないとも限らない。えへんと一つ咳払いし話を元に戻す。

『まぁとにかくこのように物を生み出すには明確なイメージが必要となるわけですが、逆に言えば明確にイメージが出来てしまえば例えこの世に存在しないようなものでも生み出すことが可能です。この世界そのものを生み出した力と本質的に同じものですから当然といえば当然ですがね。』

「水や空気も?」

『もちろんです。』

「生き物なんかも?」

 さらっと怖い事を言う。だが当然の疑問といえばそうかもしれない。

『理論上は可能ですが生物は体の構造も複雑ですし、体のイメージだけでなく魂の構造も理解し詳細にイメージしなければ生きた状態では生み出せません。はっきり言えば人間には不可能、ですね。』

 カイルは一つ頷く。もともと本気で生き物を生み出す気なんてないのだろう。

『もし仮に生物を生み出せたとしても、私はおすすめしません。残酷ですから。』

「残酷?」

 私は頷いてカイルの隣を指さした。数秒前そこに置いたはずのカイルの剣が跡形もなく消えている。

「あれ?ここに置いたはずの剣は?」

『この力で生み出したものは貴方の手を離れ数秒すると自然に消滅します。世界のバランスが崩れないように、女神様が調整を加えたのです。』

 なるほどなぁとカイルは頷く。

「生み出したものがずっと残り続けるより使い勝手はいいかもしれないな。手を離れて数秒間は実体を保つなら投擲とうてき武器としては十分だし。」

 カイルは再び自分の剣を出現させたり、数秒後消滅する様子を観察したりしている。私は少し間を置いて、カイルの気がすんだ頃に説明の続きを始めた。

『それでは二つ目の力についても説明させていただきます。二つ目の力は維持の力。これは貴方の状態を安定させる力で、今も維持の力は発揮されています。』

「状態を安定させる?病気にならないとか、そういうことか?」

『それも含まれますが、それだけではありません。勇者の力を持っている限り、貴方の体調は常に万全となるのです。疲労せず空腹にもならず、病や毒も効果はなく、呼吸も必要なくなり水中でも活動可能となるのです。』

 私の説明を聞きカイルはまたも目を丸くする。

「えぇ・・・。それもう人間じゃないだろ。」

『人間の定義については難しい話ですが、魂が人間のままなら気にすることはないと思いますよ。まぁ、今は有事ですから人間らしさより勇者としての使命が重要なのではないかと。』

「あぁ、うん。今のは半分冗談だけど・・・。いや、マジか。」

 カイルは何やらブツブツ言ったあと、急に黙りこくった。何かと思ったら息を止めているようだ。

『維持の力を試すのは結構ですが、いつまでやっても苦しくはなりませんよ。適当なところで切り上げてくださいね。』

 一、二分たってようやくカイルは口を開いた。

「ぜんっぜん苦しくならねぇ・・・。なんだこれ?」

 一つ目の力と違い維持の力に関しては感動より困惑が大きいようだ。とても便利な力だと思うのだが。

『あ、一つ言い忘れていました。維持の力が効いている限り、貴方は年を取ることもありません。だからと言ってのんびりしていて良い訳ではありませんが・・・。』

「・・・。」

 カイルは絶句している。どうしたというのか。

「・・・なぁ、魔王を倒せば勇者の力は失くなるんだよな?」

『えぇ。人には過ぎた力ですから。』

 カイルはふぅと息を吐いた。何か、安心した風である。

『では、三つ目の力である再生の力について説明致します。これはまぁ、維持の力と少し似通っているのですが、貴方の身体を常に再生し続ける力です。』

「怪我がすぐに治るってことか?」

 カイルは少し発想のスケールが小さい。神の力がその程度なはずないだろうに。

『怪我が治る、というのも間違いではないですが、正確ではありません。貴方の体に何かしらの損傷があった場合、損傷のない体に再生されるのです。』

 私の説明にカイルは首を傾げる。

「同じことじゃないのか?」

『怪我の治癒との大きな違いは怪我の後の状態に関わらず再生される点です。つまり元の体が爆散しようが融解しようが炭化しようがひとかけらも残さずに完全に消失しようが、次の瞬間には貴方は傷一つない状態で再生されるのです。』

 大蜘蛛との戦闘でカイルが瀕死の重体から一瞬で完治したのもこの力のおかげである。腕がちぎれようが腹に大穴が開こうが、たちどころに無傷の状態へと戻るのだ。

 カイルは説明を聞き、開いた口が塞がらないといった様子だ。

『この力の核心は概念レベルにおいて貴方の体が無傷の状態で有り続ける、という点です。本質的に傷つかない故に物質的にどれほど損傷しようとも世界が両者の齟齬そごを埋めるべく物質としての体を再生させるのです。』

「・・・悪い、ちょっと理解が追いつかない。」

 カイルは右手で頭を抱える。確かに少し難しい話かも知れない。

「えぇっと、完全に消滅しても再生するって言ったか?それは俺は一度消えてるわけで、再生したあとの男は俺だと言えるのか?」

『貴方の体が物質的に完全に消失しようとも本質的には一切の傷を負うことはないのです。つまり無傷の貴方こそが真であり、体が消失した事実が偽であると言えるのです。よって貴方は最初から消滅などしていないので、貴方が案じるような自我同一性じがどういつせいの問題は生じえません。』

「・・・分かるような、分からないような・・・。」

 無理に全て理解してもらう必要もない。おおよその効果だけ分かってもらえれば良いのだ。

『簡単に言えば大小問わず一切の怪我をしない力だと思ってください。そして維持の力と再生の力の二つが生み出すものはつまり貴方の“不死”です。』

 そう、それこそが重要なのだ。創造の力も応用が利いて実に便利な能力ではあるのだが、勇者の力その最大の恩恵おんけいはすなわち不死なのだ。死ななければ、負けない。負けないなら、あとは勝つだけだ。世界を救うための、まさに万全の能力といえよう。

「不死とはまた・・・とんでもないな。そんな力が俺に・・・あるんだよな。試した限り、本当に。」

『不死こそが勇者に与えられる究極の盾。この力がある限り勇者に敗北はありません。しかし盾だけでは勝利を勝ち取ることもまた困難です。勝利を掴み取るための、闇を貫く光。それが最後の力、正のつるぎです。』

 カイルは黙ったまま私の説明を聞いている。

『創造、維持、再生を司る正の力。その正の力そのものに創造の力でもって剣の形を与え、武器として顕現けんげんさせたものが正の剣です。創造、維持、再生を司る力の集合体なので破壊する力には乏しいです。ただし負の力の集合体である魔物に対しては、その存在そのものを打ち消すことができるのです。魔王の内にある負の力を打ち消すことも正の剣を用いれば可能なはずです。』

 この力に関しては大蜘蛛との戦いでカイルは一度使用している。大蜘蛛を一刀両断したあの光の剣こそが正の剣なのだ。魔物との戦いにおいてこれほど有効な武器は存在しない。

 一通りの説明を終え、私は一つ息を吐く。カイルは腕を組んで黙ったまま考え込んでいる。

『勇者の力についての概要は以上です。聴いてのとおり常軌を逸した力であり、これだけの力が貴方にあれば魔王討伐は十分に可能であると私は考えています。』

 おおよその説明は終わった。後はカイル次第だ。私はただ誠実に言葉を紡ぐのみである。

『十分な力があるとは言え、魔王討伐に一切のリスクがないとは言い切れません。どれだけの時間がかかるかも分かりません。貴方には今の生活がある。それを一時的であろうとも放棄させることになります。それは容易いことではないでしょう。私にはそれを強制することはできません。』

 考え込んでいたカイルが腕を解き、私に眼を向ける。

『勇者の人間離れした力に嫌悪感を抱くかもしれません。貴方がそうでなくとも周りの人が貴方を不気味がるかもしれません。場合によっては二度と今の生活に戻れない可能性もあります。』

 私はカイルの眼を見て言葉を続ける。

『そもそも貴方の前世にしてみれば、突然自分とはなんの関係もない世界へ連れてこられて、急に魔王を倒せなどと言われていることになる。理不尽極まりないと思われても仕方ありません。』

 私は一瞬俊巡しゅんじゅんし、言葉を続けた。

『ですので勇者の力を放棄したいというのなら私はそれに応じます。前世の記憶も消してこれまでと同じ暮らしを続けていくことも可能です。その場合私は他の勇者候補を探すなり別の手段を取りますので、貴方は責任を感じる必要はありません。現状貴方はただ巻き込まれた一般人なのですから。』

 カイルはうつむいて私から視線を外す。

『その上で聞かせてください。貴方は勇者として魔王と戦い、囚われの女神様を救い出し、そして私たちのこの世界を救ってくださいますか?』

 数秒の沈黙。その後俯いたまま黙っていたカイルが口を開いた。

「正直、いろんな話をいっぺんに聞かされてまだ少し混乱してる。突拍子もない話ばかりで頭の整理が追いつかないんだ。」

 でも、とカイルは言葉を続ける。

「一つはっきり分かることもある。これは前世の、別世界の記憶が宿ったから余計にそう思うのかもしれないけど。俺は十八年間過ごしてきたこの世界が、好きなんだ。ロムやリネットと一緒にバカやったり、うまい飯食ったり、たまに喧嘩したりしてさ。まぁ特別幸福な十八年じゃないかもしれないけど、それでもはっきりとここが好きだと言える。その世界が危険だって言うんじゃ、動かないわけにはいかないだろ?」

 カイルは顔を上げ、私を真っ直ぐに見つめ返す。どこか不敵な、子供っぽい笑顔で。

「一緒に救わせてくれ。俺たちの世界を!」

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