第5話 夜空で演習
甲高い金属を叩く音を交えながら、離陸時のオーグメンター(推力増強装置)音が響いていた。
もともと単座の機体に、簡易的なシートを備え付けられたコクピットは狭い。
推進力を最適化するための可変式エクゾーストノズルが盛大な高爆音を上げ始めると、マベリア妃は叫ぶようにして苦情を言い始めた。
「ロマンチックな夜間飛行のはずなのに、なに?この目立ちたがりの暴走しそうな機体は!うるさくてたまらない!」
そういうマベリアに無線のスイッチのありかを振り返りながら教え「オーグを使うのは離陸時だけです。水平飛行になったら静かになります。」と機械的に伝えた。
「ほんとかねぇ?」と、慣れない無線をぎこちなく使いながら、座り心地の悪い簡易シートに身を埋めた。
「ほんとです。この小うるさい推進装置は燃料を大量に使ってしまうんで離陸時と、有事の時の数秒しか使わないんですよ。」
「音速、いけるの?」
「いけます。けど…。燃料の消費が激しすぎて、四分もふかしてしまうとタンクがゼロになるんですよ。最近では、低空で戦闘空域に進入します。超低空を比較的ゆっくりと飛ぶ飛行法で…。」
「地味だねぇ…。」
「景色は地味ではないですよ。ドキドキするような景色を見せてあげます。」
そう言うと、トーケンは機種を垂直に立てて、上昇した。
体全体を押しつぶすような加速度圧で耐圧スーツを着ていても呼吸ができなくなる。
モニター越しに、背後のマベリアの表情を見ると、歯を食いしばりながらも目を見開いている。口の端から、唾液が糸を引いている。
このマベリア妃は大したもんだ。と改めて思った。
この圧でも全部その世界を見てやろうと言う思いが伝わってくる。
押し潰されている肺も、暗闇も、けたたましいエンジン音も、全てが彼女の意識を肉体から分離させようとしているのに。
「あと5秒、気を失わないでください。」
「ばかにするな…」
マベリアは、噛み締めた歯の間から、言葉を絞り出した。
トーケンは、エンジンをふっと唐突に切り、機体は雲を貫いて頭を出した。
機体は放物線の頂点に至り、無音の、無重力の体が浮き上がるような時間は、ほんの一秒程。
月が遥か向こうまで雲海を照らしていた。
濃紺の星を散りばめた闇。
雲を下から、爛れたように怪しく街のあかりが照らしていた。
その間に、二人は、幾線かの流れ星が落ちていくのを見た。
マベリア妃は、これまでの上昇負荷から解放され、空気を貪るような荒い息をしながら、その景色を眺めていた。気圧服のヘルメットの中で、上昇の苦しさで流れていた涙と唾液を拭えずに左手をフェイスバイザーにあてて右手は胸の前で心臓を庇うようなポーズをとっていた。
トーケンは、マイクロフォンが拾うその呼吸音を、息をひそめて聞いていた。
彼女が生きている生々しい体が発する音だ。
「おちます…」
トーケンが、静寂を破るのが惜しい気持ちをにじませながら呟くと、機体はふわりと落ち葉のようにバランスを崩しながら落下し始めた。
「ラム・エア・タービン(RAT)を機体の腹から出してスターターにします。前よりはうるさくないですよ。ターボファンエンジンなので。頭からいきますが、心配しないでください。」
マベリアは言った。
「空の上では、あんなに星が流れているんだって知らなかった。煉獄みたいに綺麗だった…。」
「はい、天国のような地獄が、私の戦場です。お気に召しましたか?」
「うん、気に入った。」
そう言うと、すこし小首をかしげながら、近づいてくる地表を見つめて言った。
「私もトーケンと一緒にあの世界で生きてみたい。」
「一瞬ですよ。」トーケンは微笑む。
「その一瞬のために生きるのもいいんじゃない?」無表情でマベリアは涙と口の端のよだれを拭うこともできずに息が上がって体に力が入らないようなほてった顔で言った。
マベリアが言った『煉獄』とは、天国と地獄との間にある所。死者の霊が天国にはいる前に、ここで火によって浄化される場所だった。
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