第4話:王妃の苛立ち
トーケンと呼ばれた彼には、紫鉱議会に属するロイという友人がいた。
そのマスターは、マベリア妃から言えば、まさに前回の戦で武勲を挙げた『成り上がり』だった。
マベリア妃は成り上がりを嫌う人だったが、トーケンはその成り上がりの紫鉱貴族が飼っている機甲操兵のロイが好きだった。
彼は笑顔と身振り手振りが大きな男だった。
人と会うと、力比べのように相手の手を握り潰すような握手を求める、大きな笑顔の声がでかい男で裏表のない屈託のない笑顔を向けてくれる好青年に見えた。
今日もトーケンはロイに握りしめられたようにされた握手で痛む掌を労わるように撫でながら、「マスターにもそんな握手をするのか?」と訊いた。
ロイはハッと身を引くようにして、「バカ、マスターに俺から触れられるものか。」と真顔で答えた。
「だな」と答えてトーケンは向こうから歩いてくるマベリアを確認した。
背後には、マルムという軍人然とした男が付き添っている。
確か、王室付きの衛兵だったかもしれない。
マベリアは、トーケンを見つけると早足で近づいてきた。マルムへ「もうよい、下がれ」と言うが、マルムは、「少しおやすみになった方が…」と食い下がった。
「初めての議会への参加です、おやすみになられながら、今日のことを振り返られるのも王妃様としての役割かと。」と話しかける言葉を遮るように「もうよい!振り返るまでもない議会であった!その結論ははっきりしている!何を今更!」と語気を強めて言い放つ。
「妃様!もう少しこの国のことに興味をお持ちくださいませ!そのことがひいては貴方様のためにも…」
その言葉にマベリアは、マルムの襟首を掴み上げた。実際マルムは、長身の筋肉の塊のような男だったため、襟首を小さな華奢な手で小突いただけにとどまったが、それでも効果があった。
「あー!!私に忠言めかした言葉を吐くのか!貴様、何様のつもりだ!」
そう怒鳴る姿は、まるで、大人を子供が非力な力でかしずかせようとしているように見える。マルムは傷ついた顔で不服そうに、忠誠を尽くした自分が受けた仕打ちにたじろいだ。赤子と大人くらいの見た目の違いがある二人だ。
それを見て、トーケンは、職位、冠位というのは、物理的な力が微力でも相手を黙らせる力になるんだなと、漠然と思った。そして、大人は、思ったよりも繊細なのだ。好意を持つ子供からの蔑みであればあるほど傷つくのだ。
それは、好ましい子供を思い通りに動かしたいという大人のエゴが満たされない時の落胆と、苛立ちと、逆らえない権力。引き裂かれそうな思いを抱いている姿に違いない。
ロイは、そのやりとりを見ながら、トーケンに「気難しそうなマスターだな。」と小さな声で控えめな感想を伝えた。
「そうでもないけどね」と、トーケンはそのやりとりを見つめながら無表情に答えた。
トーケンにとってマベリア王妃は、冒険好きな、変な歌をご機嫌に歌う十六歳の少女だったし、実は他の貴族に対してどのような態度で接しているのかをあまり知らなかった。
マルムと言い争う中、ロイのマスターがマベリアを追うようにして、小走りで駆け寄ってきた。貴族が落ち着きもなく駆け寄ってくる姿をトーケンは初めて見た。
それが、成り上がりの成り上がりたる所以なのかな?という思いを抱いたが、ロイにはそれを伝えることはない。
マベリアが嫌う、新興貴族の紫鉱議会の中の一人だ。いわゆる、成り上がり…。
ロイのマスターは細身で長身の繊細そうな男性だっだ。噂に聞く、野心家とは全くの別人に見えて不思議な気がした。もっと、ギラギラした欲の塊のようなマスターかと思っていたなというのが第一印象だった。
なぜなら、貴族の成り上がりというのは、職位や官位が欲しくていつも目を血眼にしているような印象をマベリアの話から聞いていたから。隙あらば誰かを蹴落とそうとする姿を想像していたから。
マベリア妃は、マルムを追い払いたいがためだけに、ロイのマスターを気に留めて振り返った。通常であれば、言葉も交わさないだろう相手が一礼をし、お時間を…というのを頷いて受け入れた。
「大事な話だ、下がっていろ!」と、そんな言葉をマルムへ向けて投げつけるように言い放つ。
マルムは驚いたように「そのものは紫鉱議会の…」と異を唱えたが、「知っておる!下がれ!」と金切り声で撥ね付けて、マベリアは興奮のあまり、肩で息をしている。
マルムは、屈辱的な仕打ちを受けたというような顔をして、渋々下がっていった。紫鉱議会のものよりも、自分が邪険にされたことがひどくプライドを傷つけられたという感じだ。
マベリアは、ふっと力が抜けたように体から力を抜き、壁にもたれかかりながら「で?」とぞんざいな態度で話しかけた。
小声で二人は五分程の時間話していた。マベリアは腕組みをして、細いヒールの音を落ち着きなく鳴らしていた。口の端は引き結ばれ、身長差がある相手を下から威圧するように凝視しながら。明らかに喧嘩を売っている態度だったが、相手は落ち着いて、声を荒立てることなく、おそらく、理路整然と話をしている。
ロイのマスターの名前は何といったか思い出せなかったけれど、苛立ちぞんざいな態度を示すマベリア妃が子供に見えるくらいには、大人の対応をしてくれていた気がして印象に残っていた。
姫は踵を返し「トーケン!ついてきなさい!」と声を張って呼びかけた。彼が振り返ると背中を向けたままでいつもと同じような大きな歩幅で歩き去ろうとしていた。
彼は、なぜかわからないけれど、マベリア妃が背を向けて立ち去る時に、ロイのマスターと目があって自然と頭を下げていた。ロイのマスターは、片手を上げて、トーケンに応え、ロイ行こう。と低い落ち着いた声で促した。終始彼の声のトーンは誰に対しても変わらなかった。
ロイは、「トーケンまたな!」と軽く言葉をかけて、マスターと共に帰っていった。
トーケンは首を垂れながら、このロイのマスターとはいずれまた会うなぁと、そんな気がしていた。
マベリアは、回廊を歩きながら待ちきれなかったように話し始めた。
さっき見聞きした会議のことを洗いざらい喋って、自分の考えを改めて言葉にしようとしていた。
「信じられない話、フィコは戦争を起こそうとして小国に脅しをかけているんだよ…私が信じていた貴族たちが、こんなにも露骨に人のものを欲しがる下衆なやつらだとは思わなかった!」マベリアは、握りしめた小さな拳を震わせながら話していた。
「母上なら、私の気持ちをわかってくれると思っていたのに…また、言われたよ…。生まなければよかったと…。」
「そうですか…」トーケンは、興味がない声色で答えた。
「母上は、王様が絶対なのよ。あのつまらない王様がね…」
「そうなんですね」トーケンは、マベリアの鬱々とした気持ちを推し量ろうともせずに、相槌をうつだけだった。マベリアは激しく怒り続けたかと思うと、母のことになると、みすぼらしく意気消沈した。消え入りそうな声になっていく。
どんなに冷たくされても、マベリアは母親のリィナが好きなんだなと、トーケンは思った。
ふわぁー…と、わざとらしくため息をつくように吐き出した声が震えている。「トーケン、お前の重機甲兵器を見に行こうかー。今日は、飛べるのかな。」
「飛んでる重機甲兵器が見たいんですか?もう、この時間なので、飛行許可が取れるかどうか…。夜になると、下から見てもわかりませんよ。識別燈くらいしか…。」
「そうか…。もし、飛行許可が降りたら私も一緒に載せて飛べる?」
「妃もですか?無理ではないと思いますが、乗り心地は悪いですよ…」
「大丈夫。みんなには内緒で乗せて。そのために、フライトスーツを新調したの!」
そう言うマベリアは、明るく笑った。
トーケンは、滑走路で見たオレンジ色のキラキラとした対Gスーツ姿のマベリアを思い出して(あれだけ殴る蹴るできたスーツなら飛べるな)と笑いを噛み殺しながら思っていた。
トーケンは「久々に、冒険ですか…?」と聞くと、「そうだね。久しぶりにあの時みたいに無茶はしないけど、冒険だよ。」とマベリアが俯き加減で、何かを企むように不適に笑いながら答えた。
トーケンは夜間単独の訓練飛行の許可は出るのかな、出たらいいなぁと、願うように思った。
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