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僕も緒地も、酒なんてのは前後不覚になれればそれでいいと思って飲んでいるので、とてもじゃないがまっとうな酒呑みには見せられないような飲み方をいろいろと持っていた。さすがにわざわざ空きっ腹にして無理に回すようなことはしなかったが、コンビニで買ってきたジムビームの小瓶を、パックのレモン水だの乳酸飲料だの、終いには水道水なんかで嵩ましして、うがい薬に毛が生えたみたいな味のそれをかぱかぱと体にいれていく。いっぺんポカリで割ったことがあったが、一杯でぶったおれて三日頭痛が続いて以来、生涯口にするまいと誓った。
話題はたいてい他愛もないことで、それは例えばJリーグのことや、近所のパン屋のこと、家族のこと、あるいは、204号室のことだった。
「大家の爺さんボケてたんだ、とっくの昔に出てったんじゃないのか」
「挨拶においてった洗剤はなくなってたし、生活の気配はするよ」
「ゴキブリの気配と間違えたんじゃねぇの」
「君の部屋と一緒にするなよ」
俺の部屋にはいねぇ、と主張する緒地。
「大体人がいないのにゴキブリがわくのか?」
「ボロアパートだからどっかに巣があんだろ。夜中になったら配管伝ってわんさかわいてホコリ食い散らかして帰ってくんだよ」
僕はその様を想像してしまって、しかも頭にこびりついたものだから、初めて204号室の住人を見たとき心の底から安心したのだ。
腹が立つのは、緒地がその住人について端から知っていたことだ。
いけしゃあしゃあと「可愛かったろ」と言い放った顔を軽くはってやろうかと思ってしまった。
「君のせいで夜中物音がするのが怖くてならなかったんだぞ」
「でも可愛かったろ」
「可愛かったけどさ」
お隣さんは可愛らしい女の子だった。
ひょっとすると同い年かもしれないが、多分年下だろうと思われる顔だちの、僕と同じくらいの背丈の、女子にしては少し背の高い女の子。アルバイトに出るところだった僕とまったく同時に、隣のドアを開けて、彼女が出てきたのだった。
「住んでた」
と、言ってしまった。
考えれば、別にその部屋にすんでいるのが彼女であるとは限らないのだ。――たとえば所謂通い妻をしているのかも知れない。ただ僕が日々隣室に感じていた、衣擦れの音のような幽かで頼りない気配が、いかにもその風貌に似合っていたので、僕の体は一も二もなく、彼女こそ【お隣さん】であると、勝手に納得してしまったのだった。頭が体におちつけと急制動をかけるまえに、肌と鼻が、捉えてしまった。
僕の放った一言に、彼女は驚いた体で振り返ったが、会釈もそこそこにアパートの階段を下りてどこかへ向かって去っていった。
乙町という苗字だそうだと緒地に聞かされた。
こいつ万端わかってやがった、と僕は彼を小突いた。
そんな具合に、僕は我ながらびっくりするほど、緒地と友人らしい振る舞いを出来るようになっていて。
そんな僕を見た学校の知り合いが「とっつきやすくなったな」と僕に言った。
「飲みに行こうぜ」と誘われたので、居酒屋についていった。
その日から二度と誘われていない。
***
ひどい頭痛がした。耳鳴りが頭に食い込んでくる。右脳と左脳が抉れて離れ離れになりそうだ。顔を横に向けると吐瀉物が海を為していて、臭いのひどさを鼻が読み取らないことにしばらく気がつかなかった。僕は頭をかきむしり喉をかきむしり次第にどこに手をやっているかもわからなくして獣のような声を発している自分とそれをののしる自分との二人が右脳と左脳に住んでいることを自覚するとともにやはり脳は抉れて分かれたのだと納得したのは眼球の裏にまで爪が到達したのかと勘違いするような真っ赤な視界の中で食道を駆け上がる何かの感触は胃液以外ないということに飲み食いした全部を無為にしたばかばかしさはお百姓さんに申し訳なくなによりもあの席にいた全ての人にとって僕は迷惑極まりなかったという事実を認めざるをえない思考と現実がまぶたの裏に居座っていることが腹立たしかったのでやはり目玉の裏に爪を立てたかったのだが腕がどこに行ったのか僕には見当もつかなくガリガリと頭皮に音が立つのはこの上のない違和感と嫌悪感でさっさとこれを何とかしてしまうべきだというのに僕は僕の手の場所がわからない。
その辺にないですか。
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