16、謎解き

 水タオルで顔を拭かれて満里奈は目を覚ました。いきなり目の前にぬっと現れたひげモジャの顔にわあと驚いて後ずさり、木の幹にゴツンと頭を打った。

「イっタ〜〜……」

 ほーら、と紅倉が満里奈を指さして芙蓉に言った。

「訴えられるわよ?」

 満里奈は自分の頭に石を投げつけた芙蓉を憎々しげに睨んだ。腹も脂汗が滲むほど痛む。芙蓉はまったく怯むことなく刃物のように鋭い視線を返して言った。

「その際は是非優秀な弁護士をお願いします」

 紅倉はあははと笑い、満里奈に忠告した。

「美貴ちゃんを訴えるのはやめた方が身の為よ? わたし、優秀な弁護士のお友だちがいるから」

 童女のようにニコニコ笑う紅倉を、満里奈はまたものすごい目で睨み付けたが、こちらは柳に風だった。


 一行は鍾乳洞の出口の手前まで戻ってきた。あの場所はあまりに強烈すぎて長々テレビに映すわけにはいかないからだ。

 紅倉の解説ショーの始まりだ。


「さて、と」

 紅倉はビデオカメラ向かって目を丸くしてみせた。

「これはビックリ。日本で1番有名な心霊スポット青木ヶ原樹海を探検に来たら、とんでもない事件に遭遇してしまいましたあ」

 先生、白々しいですなあ〜、と等々力からクレームが付いた。

 満里奈は、別に拘束されているわけではない。皆の注目が紅倉に集まっている間にこっそり逃げだそうとした。

「ああ、満里奈さん」

 のんびり呼びかける声に満里奈はビクッと立ち止まった。

「お止しになった方がよろしいですよ? 迷子になりますから」

 満里奈の背中がふふと笑い、闇に向かって駆けだした。紅倉の鋭い声が追った。


「あなたは今どこに居ます!?」


 後ろ姿が立ち止まり、しばらく揺れて、振り返った。目が紅倉に対する憎悪を表しているが、怯えの方が遥かに大きい。紅倉は意地悪にニンマリして言った。

「実はわたし、魔女なんです。あなたに呪いをかけました。おっちょこちょいなわたしと同じ、迷いの呪いです」

「なにを……」

 満里奈は必死にあざ笑おうとしたが、しかし、笑えなかった。

「ほ〜ら、周りがざわざわ言っている。あなたはもう、この森から脱出することは出来ない」

 満里奈が憎々しげに顔を歪めてわめいた。

「おまええ、何をしたのよっ!?」

「あなたと同じことよ」

 紅倉は、ふふん、と大きな目を細めて笑った。

「あなた、霊的な能力者ね?」

 霊的な能力者?

 優一郎も、滋もミラノも、テレビスタッフたちも、不思議な物を見るように満里奈に注目した。満里奈は檻の中の虎のように皆を見回し威嚇するような怖い目をした。

 紅倉が笑った。

「ほーら、呪い」

 満里奈が睨んだ。

「何をしやがった?……」

「あら怖い。じゃ、謎解き。

 あなたは能力者。

 インターネットで仲間を募り、樹海自殺ツアーを立案したのはあなた。

 ここにやってきたあなたは、皆の心を操り、あの場所でテントを張るように皆を誘導した。

 あなたは睡眠薬を飲むふりをして、ハンカチにあらかじめ用意していた整腸剤とすりかえて飲んだ。

 あずみさんと一緒にテントに入り、あずみさんは眠り、その後へ真人さんが入ってきた。ああ、その前に外で騒ぎがあったんですね。

 令二さんがやっぱり自殺するのは嫌だとごねだして、携帯電話で外に連絡しようとした。それを止めるため真人さんが石で殴って令二さんを気絶させた。そして真人さんは令二さんを連れてテントに入ってきて、自分も眠ってしまったんですね。

 眠ったふりをしていたあなたは、これは面白いことになったとほくそ笑んでいた。そうして、みんなが睡眠薬を飲んだのを見越して、夢遊病、または死霊に憑依されたのを装って、外に出た。その前に、

 あなたは自分の携帯電話と真人さんの携帯電話をすり替え、持ってきていた赤外線機能付きのデジタルカメラも真人さんのポケットに忍ばせた。ロープを持ってきて毛布の下に隠したのもあなた。そうしてあなたは令二さんの腹を思い切り踏みつけて睡眠薬を吐き出させ、外へ出た。

 あなたはこの場所を良く知っていた。縦穴へ滋さんと優一郎さんをおびき寄せ、滋さんを引き込んだ。彼はリーダー格で、1番熱心に死のうとしていたから、令二さんの邪魔になると見たのね。

 その後は、あなたが植え付けたイメージに従って令二さんが勝手に暴走してくれた。彼の期待以上の活躍を、あなたは物陰に隠れ、闇に隠れ、見物して楽しんだ。ふうん、ほんと、ずいぶん楽しかったようね? そんなに面白かったあ? ふうん……、ま、いいわ。

 最後まで誰が生き残るか? 全員死んじゃうのがベストだったけれど、優一郎さんは飛び入りのゲストだったから、ま、しょうがないわね。その優一郎さんもどうせ死ぬしかないんだから、それもいいわよね?

 ……わたしが来ちゃったけれど。おあいにく様でした。

 ま、こんなものだけれど、どうかしら?」

 紅倉の話を聞いていた優一郎はどうも本当のような気がしなかった。自分たちがまんまと満里奈に操られていたなどと。しかし当の満里奈は、

「その通りよ。まったく、ムカつく女ね」

 と、威張るように自分の犯行を認めた。優一郎にはなんだか満里奈の方が紅倉に操られているような気がした。得意の紅倉が続けた。

「あなたが能力に目覚めた原因は、その手首」

 満里奈はつい手首を押さえる動きをして、悔しそうに唇を噛んだ。

「あなたが過去に自殺を企てたのは本当。その傷は本当に死に隣り合った深いものだった。あなたは何度も死に瀕し、その度、この世に舞い戻ってきた。そんなことを繰り返しているうちに、あなたはあの世の、霊体の、力に目覚めてしまった。

 あなたは周りから死をし向けられる役割から、周りに死をし向ける役割に鞍替えした。その方がずっと面白いと気づいたから。

 そしてネットで自殺ツアーの誘いを見つけて、参加し、自分は死なずに参加者たちが苦しみ悶えて死んでいく様を見て楽しんだ。あなたは彼らの醜い死に様を見て、ひどく、優越感を味わった。彼らは社会の、人生の敗北者だ。その彼らを見下して、あなたは、自分が勝利者になった愉悦を味わった」

 得意げだった紅倉の目が、非常に冷たいものに変わっていた。対して満里奈の方は、紅倉に蔑まれれば蔑まれるほど、悪のカリスマとして憎々しげな笑いを広げていった。

 紅倉は負けじとひどく悪い笑いを浮かべて言った。

「ああ、そうそう、是非あなたに訊きたいんだけど。あなた、いったい、おいくつ?」

 満里奈が表情を消して黙り込んだ。対して紅倉は笑った。

「ずいぶん頑張って若作りしてるけど、36歳でセーラー服はないんじゃない?」

 あはははははは、と笑った。

 訊いておいてけっきょく自分で言っちゃってる。優一郎は紅倉をなんて意地の悪い人だと思ったが、

「え? 36?」

 と驚いた。36というとミラノよりも上かもしれない。

 そういえば老けた女子高生だとは思っていたけれどと満里奈の顔を改めて見ると、満里奈は屈辱に顔を赤くして優一郎を睨んだ。……もう、怖くない。

 紅倉があざ笑う。

「あなたはその年頃から全然人生を進められないでいる。その頃の屈辱と恨みを、未だにピュアに持ち続けている。若作りとしては大したものよ、褒めてあげるわ。

 あなたは自分の人生の恨みを抱えたまま、他人の死を演出して、その恨みを晴らしてきた。

 ただの参加者で傍観者だったあなたは、次第に主催者の側に移っていった。

 あなたは、いったい、これまでに何人の人間の死を、笑って見てきたのです?」

 紅倉の目が赤く濡れた。……満里奈の背後に、その見てきた死を見ているのだろう、たぶん……

「あなたの霊波は真っ黒です。あなた自身悪い霊波を何十何百と浴びてきて、自分の心がどれだけ狂ってしまったか、自分でも気づいていないのでしょう?

 分かっていますか?」

 紅倉が前に進んだ。横に並んでいた芙蓉が守るように斜め前に出てズンズン進む紅倉と満里奈の距離を測って緊張している。

 手の届く位置まで近づこうとする紅倉を芙蓉はとうとう手を横に伸ばして制止した。紅倉も素直に従って止まった。しかしその距離は近い。

「解っていますか? あなた、人を殺したんですよ? 直接手を下さなくても、その人たちの人生を、いくつも、奪ってきたのですよ?」

「それがなによ?」

 満里奈は開き直った。

「みんな死にたくて寄ってきた連中じゃない? 分かったわよ、あなたがあたしなんかのかなう相手じゃないスーパー霊能力者だってね。ハン、満足? そうやって人の上に立って、人に説教して? いい気持ち? あ〜あ、うらやましいわね〜、みんなの人気者の超美人の紅倉美姫様あ〜。あ〜あ。あんたなんか、

 大っ嫌い、よっ!」

 紅倉はじいーーっと満里奈を見つめ、

「フン」

 と喉の奥で言った。

「じゃ勝手になさい。どうせ、あなたみたいな負け犬、惨めに『生きて』いくしかないんだから」

 満里奈の顔に驚きが走った。その顔を見て紅倉は心底意地悪に言った。

「そう、あなたは、『生きて』いくのよ、これからの人生を、ちゃんとね。だってあなた」

 紅倉はまいったというように肩をすくめた。

「自分では人を殺してないものねえ。殺人をお膳立てした、と追求してみても、それを証明できる証拠もないでしょうし。あーあ、残念、法律であなたを裁くことは出来ないでしょうねえ。でも」

 冷たく糾弾する目で満里奈を見た。

「あなたに耐えられるかしら?外の人間の世界が」

 驚きの顔のまま満里奈はじい…………と、周囲に視線を動かした。

「あなたにかけた呪いの正体。あなたをすっかりきれいに浄化してあげました。おめでとう。あなたは、すっかり、クリーンです」

 顎をわななかせて満里奈のギョロ目が紅倉をまっすぐ見た。

「……………キイイイーーーーーー……」

 剥き出した歯の間から、鳥のような声を上げた。

 思わず振り上げた右手を、素早く手を伸ばして芙蓉が掴んだ。

「先生が言ったでしょう? あなたはもう、ただの人間なのよ。そして、わたしがあなたの対峙する、世間よ。わたしはおまえなんかにこれっぽっちも同情しない。わたしは先生のように優しくないから」

「この女が……優しいだとお…………」

 満里奈は紅倉を掴もうと左手を伸ばしてバタバタした。芙蓉はギラリと横目で満里奈を睨むと、得意の合気道の技で右腕をねじ上げ、満里奈は堪らず肩を浮かせて悲鳴を上げた。芙蓉は鬱陶しそうに放り出した。

 後ろに転がった満里奈は、じっと地面を見つめ、ダッと、奥に向かって走り出した。紅倉が非情に呼びかけた。

「死んで楽になれると思うなら、どうぞ、首をくくりなさい。

 あなたはこの森がどういう所か知っている。

 死んだ人間が、どう思っているか、あなたは、誰よりも知っている、

 そうでしょう!?」

 満里奈は立ち止まり、じっと立ち尽くしていたが、やがてこちらを振り返った。歯をギリギリ食いしばり、目を真っ赤にして、涙を浮かべていた。

「あんたの……どこが優しいんだよお…………」

「そうね」

 紅倉は悪魔の笑いを浮かべた。

「地獄へお帰りなさい」

 満里奈はうつむき、とぼとぼとライトの光の中へ戻ってきた。

 芙蓉は満里奈から目を離さず、常に紅倉との間に身を置いた。

 紅倉は安心してカメラに向かってベラベラしゃべった。

「樹海って死んだ人だらけだから、さすがのわたしもとてもじゃないけど彼らの話なんていちいち聞いてられないわけよ。でも今回は特に強い念波を感じて、またあの女が舞い戻ってきたから退治してくれってお願いされちゃってね、それでここに連れてきてもらったわけなのよ」

 なるほど、先生、そうだったんですかあ、と等々力が感心して相づちを打った。

 得意満面の紅倉を見て優一郎は思った、満里奈の言い分じゃないけど、

 とてもこの人を優しいなんて思えないな、と。

「毎年捜索隊が入っているでしょうに、まだあんな場所が残っていたとはね。彼らも本当はあの場所を外の人間に知られたくはなかったんでしょうけれど、やむにやまれず、ってことだったんでしょうね。でもこうなってしまっては、お坊さんの団体でも呼んで、しっかり供養してもらうのね」

 なんだか紅倉は死者に対しての方が優しく見えて、少しうらやましくて、複雑な気分になった。

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