14、首くくりの森

「優一郎君! 頑張ってくれっ!」

 意識朦朧の優一郎を声が励まし、体を支えてくれた。

 ふうっと肩が軽くなる。

 試練から解放された優一郎はその場に崩れ落ち、完全に意識を失った。



「優一郎君、優一郎君」

 呼びかけられ、優一郎は目を覚ました。顔を光に照らされ、眩しさに細い目を瞬かせた。

「優一郎君」

 優しく呼びかけられた。

「……滋さん?……」

 覗き込むシルエットが、懐中電灯で自分を照らして、笑った。

「優一郎君」

 もう一人、優しく名前を呼んでくれた。ミラノだった。

「ミラノさん……」

「だいじょうぶ?」

「ミラノさんこそ、だいじょうぶですか?」

「ええ」

 ミラノは喉を押さえて笑ってみせた。

「なんとかね。優一郎君、頑張ってくれたんですってね? ありがとう」

「いえ……」

 起き上がろうとして、体がバラバラになるような激痛が走った。

「だいじょうぶかい? 君は……本当にひどい目に遭ったようだねえ……」

 滋が背中を支えて起こしてくれた。優一郎は一生懸命目を凝らして滋の顔を見極めた。

 滋は、頭も鼻ひげも、真っ白になっていた。しかし優しい笑顔は、いたって元気そうだ。

「滋さん。本当に、生きているんですね?」

「ああ。ちゃんと生きているよ」

「僕は、僕は、あなたはとっくに死んでしまったと……

 ああ、そうだ、僕はなんて馬鹿だったんだ、僕らは別に毒薬を飲んだわけじゃない、眠っていただけだったんだから、昼間、あの穴をもっとよく調べればよかったんだ。ごめんなさい、滋さん。僕は、僕は、なんて馬鹿だったんだ……」

「いや、いいんだ、どうせこの穴からではとても助け出せなかっただろうから」

「いえ、いえ、僕は長いロープを持っていたんです、それを使えば、穴の中にあなたを捜しに潜れたのに……」

「そうか。そうかも知れないね。でも、それはとても危険なことだ。そこまでしてくれなくて良かったんだよ」

「でも……」

「僕はこの穴から這い上がってきたわけじゃない」

「え?」

「来たまえ。ああ、立てるかい?」

 滋に支えられながら立ち上がった。縦穴の近くに取っ手の付いた木の棒が落ちていた。先に黒い物が残っていて、どうやらスコップであるらしい。すっかり錆びてぼろぼろになっていたのだ。誰がどういうつもりで持ち込んだ物か。

 優一郎は滋とミラノに両肩を支えられながら、滋に案内されて奥へ向かった。ずいぶん進む。どこに向かっているのか知らないが優一郎は滋が本当に道を分かっているのか怪しんだ。

「見たまえ。この木を」

 立ち止まり、滋が灯りで指すのを見ると、幹に縦に青白い筋が浮き上がっていた。自然の物でもあるようだし、人工の物であるようにも見えた。

「これがいわばこの森の秘密だ。まあ、行こう」

 白い筋のある木は他にもあって、辿るとずうっと1列に続いていた。

「ああ、この向こうだ。足下、気をつけてくれ」

 地面に横に2メートルほどの亀裂があって、それを回って向こう側に立った。

「見たまえ。分かるかな?」

 内部が照らされると、木の幹にあったのと同じ青白い岩肌が見えた。

「鍾乳洞だよ。でもおかしいね? 鍾乳洞は昔海だった、珊瑚なんかが岩になった石灰岩の土地に出来る物だ。溶岩の固まったこの樹海には出来ないと思うんだけどねえ?」

 不思議な話だ。青白い色は自然の神秘というより、この樹海独特の怪奇を感じさせた。

「この割れ目へ、あの縦穴は続いていたんだ」

「えっ!?」

 優一郎は驚いた。あの場所からここまで、だいぶ歩いた。その地下を、優一郎は這ってきたのか?

「中は? 広いんですか?」

「いや、ほとんどずうっと腹這いで進んだ。鍾乳石のツルツル滑るところと岩が尖った部分とあったなあ」

 滋の衣服は特に腕の部分がボロボロに破けていた。

「満里奈……、そうだ、満里奈ちゃんは? 彼女はどこです?」

 滋は眉間にしわを寄せて顔を振った。

「いなかった。薬が切れて朝目覚めたら、彼女はもういなかった。僕の先に進んだはずだが、姿を見ていない。外に出てから森をさまよって、迷子になってしまったんだろう」

「そうですか……」

 まだ、生きているだろうか……

 狂気に駆られて恐ろしい顔でさまよう鬼女のような姿を想像して哀れに思った。

 滋が言った。

「ひょっとしてこの中に彼女がいるかと思ったんだが、いなかった」

「え? どこにです?」

 滋が懐中電灯を少し上に向けて、辺りを照らした。


 優一郎は息をのんだ。


 以前雷でも落ちたのか、大きな木がまとまって倒れ、ちょっとした広場になっていた。

 光の射す広い空間があれば、木々は喜んで横に枝を張り巡らせる。

 広場を囲う木々に、

 人だった物がロープにぶら下がっていた。

 ある物は茶色くミイラ化して、まだ人の形を残してぶら下がっていた。

 ある物は白骨化して、それでも衣服と一緒にぶら下がっていた。

 ある物は、髪の毛だけが残っていた。

 ある物は胴体だけが、

 ある物は頭と首と脊髄だけが、

 ある物は輪を押さえる両手の骨だけが、

 ある物には何も残らずロープの輪だけが、

 そして地面には無数の人骨が散らばっていた。

 そこは、ざっと見渡しただけでもおよそ20体ほどの遺体がぶら下がる、


 首くくりの森だった。



「ここで、終わりにしようか」

 滋が静かに言い、優一郎はえっ!?と顔を見つめた。しかし、

「ええ、そうね」

 ミラノも滋の言葉にうなずき、目を見つめ合わせた。

「ちょ、ちょっと待って」

 優一郎は自分を支えてくれている二人の手を押しのけて後ろに離れた。

「せっかく生きて再会できたのに、し、死ぬんですか!?」

 滋は不思議そうに困った顔をした。

「そりゃあ、そうだろう?」

 ミラノもおかしな事を言うわね?とちょっと困って微笑んだ。

 優一郎は慌てた。

「でも、でも、そんな、あんなに怖い苦しい思いをしたのに、死ぬ、なんて……」

 滋とミラノが二人仲良く並んで優一郎を見つめた。

「君だって死ぬためにその苦しい怖い思いをしてここまで辿り着いたんだろう? おめでとう、ここがゴールだよ。ここには意志を全うした僕らの先輩が、仲間たちが、こんなにいる。おかしな妄想を抱いた変な連中はいなくなってしまった。僕らだけだ。静かに穏やかに死を迎えたいと願う、僕たち三人だけが、今ここに居る。なんて素晴らしい、理想的な終焉の地じゃないか?」

 滋は芝居がかって手を広げ、嬉しそうに言った。

 そんな風に言う滋に、微笑んでいるミラノに、優一郎は悲しくなった。

「……生きて……もらえませんか?」

 二人が眉を曇らせた。優一郎は一生懸命言った。

「僕はやっと気づいた、僕は、みっともないけど、本当は死にたくなんかなかったんだ。僕は、本当は、助けてもらいたかったんだ。生きていていいんだよと、慰めてほしかったんだ…… 本当に、本当に、みっともないけど……

 でも、

 僕は、あなた達二人にも生きてほしいんだ!

 僕は二人が好きだ。好きな人に、死んでなんかほしくない、生きてほしい!

 僕は、僕は、やっとそう気づいたんだ……

 お願いです、滋さん、ミラノさん、

 生きてくれませんか?!」

 二人は、とても困った顔をし、特に滋は、

「君もか」

 と、怖い顔になった。優一郎はビクッとした。

「君も、決心したはずじゃなかったのか? 誰も彼も、どうして決めたことをやり通せない? どうして決心したまま、静かな、純粋な心のまま、死を迎えられない?」

 滋にしかめた顔で見つめられ、優一郎は、怖い、と思った。

 滋は表情をゆるめると言った。

「それに、どうするんだい? どうやって、生きる?」

「あ……」

 と、優一郎は青くなった。

 令二の持っていたGPS機能付きの携帯電話は、自分が壊してしまった。

「ぼ、僕は、僕は……、馬鹿だ…………」

 滋が優しく慰めた。

「運命だよ、自分で選んでしまった。僕らは君を責めたりしないし、君にも自分を責めてほしくない。ただ、君が決心したことを、受け入れてほしいだけだ。ね?」

 二人は優しく微笑み、優一郎の答えを待った。

 優一郎は絶望的な気持ちで考えた。

 道は、本当にないのか?

 ぼろぼろの自分が、二人の助けなしにここから生きて出られる可能性はまずゼロだ。

 死ぬ……しかないのか?……やっぱり…………


「ハアー……」

 と、滋がため息をついた。

「残念だよ。それじゃあ君は君のしたいようにしなさい。僕たちは、これでお別れだ」

「そんな……待って…………」

「さようなら」

「さようなら」

 滋とミラノは手を取り合って、仲間たちの所へ向かった。

 二人が首をくくるロープは、選り取り見取りだ。

 二人は、並んで首をくくれるロープを見つけた。掴んで引っ張ると、2つとも強度は十分なようだ。おあつらえ向きに台になる倒木もある。

 そこに乗り、仲良く首を輪にかけた。

「滋さん……ミラノさん……」

 優一郎の胸に父母への思慕に似た悲しい感情がわき上がってきた。

「滋さん、ミラノさん、嫌だ、お願いだ、死なないで……」

 二人は横を向いて微笑み合い、倒木から足を放すタイミングを計った。

「死なないで…………」

 手を上げ、よろよろ前進する優一郎の背に、


「ばあっ」


 突然何物かが飛びついてきて、優一郎はわっと心臓を破裂させそうに驚きながら倒れた。

「ほーら、ぶら下がる」

 滋とミラノが足を放し、ロープに、ぶら下がった。

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