12、死闘

 暗くなる前になんとか木の枝に張ったテントを見つけ、たどり着けた。

 空が赤くなってくると、森は山陰に入ってあっという間に真っ暗になった。

 優一郎はくたくたに疲れきり、木の根を椅子に座り込んだ。

 丸2日水を飲んでない。目を動かすのさえ億劫だ。飢餓感は限界をとっくに越えている。後2日もすれば自然と動けなくなって、餓死するだろう。いや、その前にきっと発狂してしまうだろう。

 眠ってしまう前に立ち上がり、テントを下ろし、毛布を集め体に巻くと、頭にもかぶり、テントをマント代わりに巻いて、腰を下ろした。

 闇に沈む樹海に逃げ場はない。

 唯一、眠りにつくだけだ。

 暗黒の夢の中に。



 目が覚めた。

 白い光が差している。月だ。

 ずっと昼の月で、夜は真っ暗だった。

 すると、まだ宵の口で、夕方に眠ってからまだ数時間も経っていない。

 思い出しておっくうに腕を出して時計を見ると、6時30分だった。本当に2時間も経っていない。

 ぼんやり低い角度で差す月の光を見る。この光もやがて山影に消えるだろう。

 ほら、消えた。

 ………………

 思考が働かない。木々の幹を照らしていた光が上にずれていって……、暗くなる寸前に何か光ったような……

 そんな風に考えるともなく考えて、ぼーっと視線を向けていると、闇から影が浮き上がった。

 令二だ。

 まだうっすら明るさの残る中、薄ら笑いを浮かべてこちらに歩いてくる。

 手に、カメラを持っている。

 コンパクトカメラだが厚みがある。

 優一郎の視線を見て令二が言った。

「昔の型だ。古い物だが、便利な機能があってね、赤外線の暗視モードがあるんだ。悪い奴らが盗撮に使ったんで製造が中止されてしまった。しかしこれで」

 目に当てて構える。

「闇の中の君らがよおーく見えたわけだ」

 木の根に埋まるようにしてもたれている優一郎をじっくり観察して、カメラを下ろした。もう用はないとトレッキングジャケットのポケットにしまった。

 優一郎は口を開け、ずいぶん時間を掛けて言った。

「……でも、この場所は分からない……」

 闇で目が見えても、それは昼間と変わらないだけで、場所を見つけだすことにはならない。

「だいぶやられているようだね?」

 面白そうに優一郎の顔を覗き込んで、令二はポケットから今度は携帯電話を取りだした。白いボディーの細身の物だ。

「こいつも真人の胸ポケットから見つけた物だ。まったく文明の世はたいしたもんだ、こいつには便利なGPS機能があるのさ。つまり、衛星の」

 と、天を指さし、

「電波で現在地が測定できるのさ。もっとも基地局からの電波そのものが拾えなければ『圏外』で測定も不可能のはずだが、幸いここは案外人里に近いようで、良好に電波が入る。ハハハ、ずいぶん歩いたようで、逆に反対側に突き抜けそうなところまで来てしまっていたようだな? おっと、バッテリーが切れたらおじゃんだからな、大事にとっておかなきゃな」

 と、ポケットに戻した。

「さて。どうやら君もギリギリの所にいるようだな? これがラストチャンスだ。自殺なんてものの悲惨さは十分分かっただろう? 君がすべてを忘れて親御さんの所へ戻ると言うなら、いっしょに連れ出してやる。郷里に帰る交通費も寄付してやろう。どうだね? 答えを、聞かせてくれたまえ」

「………………………」

 優一郎は口を開いたまま、うつろな目で令二を見ている。

「………………………」

 口がかすかに動くが、声にならない。

「え? なに? なんだって?」

 令二が近づき、耳に手を当て、寄せてくる。

「……………………!」

 マントにしたテントの下から先が斜めに折れて鋭く尖った枝が立ち上がり、令二の腹に突き入れられた。

「ウゲッ、」

 令二は押されて後ろによろめいた。

「!!!!」

 優一郎はガバと立ち上がり、毛布の下に隠し持っていた石を凶器に令二に襲いかかった。

 振り下ろす。

「うおっ、くそっ!」

 振り下ろした石は令二の肩を打った。令二が悪態をつく。優一郎は逃してなるかと脚にしがみつき、這い上がるようにして精一杯振り上げた石をどこでもいいから殴りつけた。

 令二を打った石にガシャッという感触があった。

「このバカ野郎!」

 令二は怒りにまかせて拳固で思い切り優一郎の側頭部を殴りつけた。優一郎の頭の内部にカッと赤い色がフラッシュした。優一郎が必死で振り下ろした石は、地面を打った。

「バカ野郎!」

 令二は起きあがり、優一郎の脇腹を怒りに任せて蹴り上げた。枝の槍で突かれた腹を探ると、ジャケットが厚くてまるで平気だった。

「バカ野郎!」

 もう一度蹴る。もう一度蹴ろうとして、やめた。優一郎は反応せず、これ以上蹴っても死なせてやるだけだと思った。

「おい、バカ」

 髪の毛をひっ掴んで顔を上げさせ、ペッと唾を吐きかけた。

「大人の親心の分からないクソガキめ! てめえもやっぱりあのバカ女子高生どもと一緒だ。くそっ、せっかくチャンスをくれてやったのに、棒に振りやがって」

 令二はもう1度唾を吐きかけた。

「……そうとも………」

「あん? なんだ?」

 優一郎は弱々しく息をつきながら小さな声で言った。

「そうだよ、俺もあの子と同じ親不孝者の大馬鹿で、社会の、脱落者で、のけ者だ……。でもなあ……、あんたも人に説教できんのかよ? 偉そうに言って、けっきょくあんたもただの意気地なしじゃないか? 本気でまともに生き直したいんなら、さっさと警察に保護を求めれば良かったんだ。偉そうに自己弁護して、あんたは人殺しで、俺に半分その罪を背負わせたいだけなんだろう? けっきょく、一人じゃ怖いだけなんだろう?……」

 間があった。令二は憎々しく優一郎を睨み付け、体を起こすと、髪の毛をひっ掴んだままズルズル引きずり出した。

 無言で進んでいく。山を越えるときも引っかかる優一郎を思い切り乱暴に髪を引っ張って無理やり引き上げた。優一郎は無反応だった。痛みにも体がもはや反応しなくなっている。

 令二はカメラを取り出すためポケットを探った。間違えて反対のポケットを探ってしまったが、

「あ、………」

 ひどく慌ててポケットをまさぐり、

 携帯電話を取りだした。

 ボディーに大きく亀裂が走り、ずれていた。

「う、う、ま、まさか……」

 令二は2つ折りを開いて電源ボタンを押したが、

「お、おい、……おいっ!!!!」

 何度も試したが、画面は表示されなかった。

「………………うわあああああーーーーーっっっっっ!!!!!」

 令二は狂ったように吠え、携帯電話を地面に叩き付けた。

 優一郎の頭を引っ張り上げ、何度も、何度も、拳固で顔を殴った。

「く………………っそうおおっ!!!」

 思い切り殴り飛ばした。優一郎はただ地面に横たわり、令二はハアハアと肩で荒く息をついた。

「てめええ……、許さねえぞおおお……。おいっ! まだ死ぬんじゃねえぞっ!!

 てめえにはなあ……、思いっきり苦しんで死んでもらうからなああ…………」

 令二は低い声でうなって、ギリギリと狂気の目で優一郎を睨んだ。

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