11、ショー
朝になった。
優一郎はカラスの声が聞こえないかと耳をすませた。カア、と鳴き声がしたが、真人の遺体をついばみに来た奴だった。真人は、片脚がなくなっていた。何か獣が住処に持ち帰ったのだろう。胸も骨が覗き、内側から爆発したみたいに浮いていた。内蔵を食われたようだ。優一郎は無性に焼き肉が食べたくなった。空腹で胃がキリキリ痛んだ。
テントを畳み、木の枝に帆を張るようにくくりつけた。茶色くていまいち目立たないが、令二が戻ってこれたのだからきっとこの場所が分かる方法があるのだろう。
肩にロープと毛布をしょって、昨夜令二が消えた方向に歩き出した。優一郎の想像ではあずみはそう離れていない、見つけやすい所にいるだろう。令二は優一郎にあずみを見せたがっているのだから。
捜し始めたが、時間がひどく長く感じる。手がかりがなくイライラしていると、木の枝にあずみの紺色のウインドブレーカーが結ばれていた。令二が目印に結んでおいたのだろう。幹にロープを結び、ここを起点に周囲を捜した。すると今度は白いセーターを見つけた。これまで脱がせているということは、あずみはあの寒い夜をせいぜいフリース程度の薄着で過ごしたということだろうか? 令二の残忍さが伺われて優一郎はゾッとした。自分もあずみは嫌いだが、そこまで残忍にはなれない……、いや、自分だってあずみが飢えに根を上げて自分で首をくくるのも見てやろうと期待していたのだから同類か……
幹にロープを巻き、元の木に戻ってロープをほどき、新しい幹を起点にまた捜索を開始した。この時点でテントの位置はまったく分からなくなった。
捜していると、
木々の重なりの向こうに白い物が宙に浮いているのが目に入った。
進むと、あずみだった。ロープの余裕がなくなって放し、走った。
あずみは、高い枝にロープで首をくくられ、宙に立っていた。
驚いたことにあずみは生きていた。猿ぐつわを噛まされて悲鳴を禁じられているが。
あずみはロープの掛けられた枝につかまり、両足それぞれ木の枝を台にして立っていた。スニーカーの裏に竹馬のようにしてつる草で縛り付けられているのだ。
台にしている枝は1メートル弱。一応体重を支えるだけの太さはあるから、長い物を切り揃えたのだろう。持ってきたもののいまいち用途を見いだせなかった小型のこぎりがこんな所で役に立ったわけだ。
強度はあるものの、足はブルブル震え、あずみは気も狂わんばかりの形相でバランスを取って死の曲芸を演じていた。
まさか一晩これで耐えていたわけではあるまい。優一郎がやってきたのを見て令二がロープを引き上げたのだろう。今もどこかに隠れて優一郎の様子を伺っているはずだ。
あずみは真っ赤に顔を膨らませていた。既に何度かバランスを崩し、グッ、とやってしまっているのだろう。両手で枝を掴んではいるが、腕がまっすぐになってギリギリだ。とても体を持ち上げるような腕力があるようには見えず、足場を失ったらそのまま自分の体重でぶら下がることになるだろう。首で。まったく、また上手いことちょうどいい木を見つけたものだ。
あずみは優一郎を見つけて何事かわめいたが、猿ぐつわのせいで声にならない。
優一郎は『待ってろ、今下ろしてやる』というつもりであずみの下へ駆け寄り……、
足が地面を踏み抜き、体が落下した。
「わっ」と心臓が飛び上がるほど驚き、とっさに肘を開いて地面を押さえ、胸のところで止まった。
ワハハハハハハ、と声を上げて横手の木の陰から令二が現れた。近くに来て、まんまと罠にはまった優一郎とワナワナ死の曲芸に耐えるあずみを眺めて愉快そうに笑った。
右目が真っ赤になっていた。充血程度ではなく、眼球を痛めているらしい。その目のせいもあってか、令二の顔は一昨夜とガラリと変わって悪魔的になっていた。しゃがみ込んで優一郎を覗き込んだ。
「天然の落とし穴だ。女子高生と滋君が縦穴に落ちたと聞いてね、思いついたんだ。いい場所を見つけたもんだろう?」
わははははは。
優一郎はまったく気づかなかったので、枝や葉でふたをしていたのだろう。ちょうどすっぽりはまってしまって、足が壁を触るのだが、引っかかりがなく、むなしく掻くばかりで這い上がれない。令二が心配して言った。
「おいおい、だいじょうぶか? あの2人みたいに落ちないでくれよ? もう少し頑張れ。すぐに、助けてやるから」
そうしてニヤニヤあずみを振り仰いだ。優一郎も見上げる。
真っ赤に顔を膨らませたあずみは、狂気に彩られた恐ろしい目で優一郎を見て、令二を見て、
頬をぴくぴく痙攣させてぞっとするような顔をすると、
足をよろめかせ、もつれさせ、片足を踏み外すと、必死に枝にしがみつこうとしたが、もう片方を軸に体をクルリと一回転させ、片手が外れ、グエッと首を絞められ、片足も軸を外れ、もう片手も外れ、ドスン、と、体が落下した。
ミシッ、と枝がしなり、
グラン、グラン、と体が揺れながら上下し、
足の枝が片方地面に突き刺さって体が回転し、ミシミシ、ギシ、と、ロープと一緒に回転し、ミシミシ、とねじり上げられると、やがて惰性で戻っていった。ゆっくり、あずみが正面を向いて、向こうへ回って、また戻ってくる。
ミシリミシリ、ギシ。
最初から濡れていたジーンズの股間が、また新たに濡れだした。
「あ〜〜あ」
令二がいかにも残念そうな声で言った。
「醜いなあー。ねえ、君、優一郎君、そうは思わないか?」
優一郎はさすがにあずみが哀れで、怒りの目で令二を睨んだ。令二は薄ら笑いで優一郎を見返した。
「だからさ、死にに来たんだろう、ここに? 今更なんだって言うんだね? だから、君は考え直すことだ。死ねば、こんな風になってしまうんだぜ?」
令二は歩いてきて、あずみの足を掴んでぐっと後ろに引いた。体が斜めになって顔が地面の優一郎へ向いた。
膨れ上がった顔が、中央にギュッとしわになって寄っていた。噛まされていたタオルの猿ぐつわから、濃い、色の付いた汁が溢れ出していた。
自分の危機的状態も忘れて一瞬気が遠くなった。
(醜い……)
と、優一郎も思った。
「分かっただろう?」
令二が手を離すと、あずみの体は前後にブランコをこぎ出した。
「自殺なんてバカらしい。君は、やめたまえ」
優一郎は令二に心底から怒りを覚えた。
「彼女を殺しておいて、僕に生きろはないでしょう?」
令二は腰を折ってグッと優一郎に顔を寄せてきた。
「ご両親のことを考えたまえ。君は、生きなきゃ駄目なんだ」
体を起こすと、準備よく用意していたつるの束を優一郎の手の届くギリギリの所に投げてよこした。
「ではまた今夜だ。真人の首吊り現場で会うとしよう。よおーく、考えておくんだよ?」
令二は優一郎の背後に回って走り出した。優一郎は振り返ったが、ずり落ちそうになって慌ててつるを掴んで必死で上体を引っ張り上げ、ようやく足を穴の壁に掛けることが出来て脱出した。
振り返ると令二の姿はなく、優一郎は青くなった。戻ってみると案の定ロープはなくなっていた。
とにかくこの方向を必死になって覚え、木に戻って、新たなロープを手に入れるため幹からほどいた。ロープがシュルッと跳ね上がり、あずみがドサリと落下した。
生々しい感触に顔をしかめながら首からロープの輪を外した。
もうむちゃくちゃだ。ロープなしに死体が転がっていたら、死体発見前に誰かがいじったことはバレバレじゃないか? それとも数年発見されないことを見越して、その頃には死体は骨化してバラバラに散っていると見ているのか? 真人の今の有り様を思えばそれも十分考えられる。
振り返ると、もう方向に自信がなくなっている。
間違いなくこっちだ、と思うのだが、視線をぶらせるとすぐに自信がぐらつく。
こっちのロープは優一郎のロープより遥かに短く、4メートルくらいしかない。これでは首をくくるのにしか使えないだろう。
優一郎は意を決して歩き出した。
夜までに元のテントの位置に戻れなければ、アウトだ。
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