10、誘い
夜になった。
優一郎とあずみは下手くそに張ったテントの中、隙間から差してくる冷気に震えながら毛布にくるまって寝ていた。同じテントの下、若い男女が2人きり、なんていう色っぽさはまるでなかった。あずみは優一郎を恐れ、優一郎はあずみを毛嫌いしていた。
ただ、満里奈について訊いてみた。彼女のことをどの程度知っているのか?
満里奈とはこの自殺旅行以前からのメル友であったようだ。やはりネットの掲示板で知り合い、同じ境遇どうし、励まし合ってきたそうだ。
実際会って話してみるとずいぶんイメージと違ったようだが。
彼女が昨夜夢遊病のように起きあがってさまよい出たのをあずさは、
「縦穴の亡霊に呼ばれたんでしょう」
と言った。縦穴に落ちて死んだ人の亡霊に取り憑かれ、同じ死地に呼び込まれたのだろうと。
昨夜は優一郎も恐怖からついそう考えてしまったが、自殺を決心してからはその手の話を信じないことにしていた。
なかなか寝付けるものではなかったが、それでも極度の疲労でいつの間にか寝入ってしまった。
ジジ……ジジ……ジジ……
というかすかな音に目を開けると、テントのふたのファスナーが開いていた。2方向に自由な場所で開けるが、上の方が開いて、隙間が出来ていた。
真っ黒で何も見えない。
じー……っと見ていると、闇がかすかに動いた。
「しーーーーーーー。」
闇が言った。
「優一郎君、起きたかね? わたしだよ」
優一郎はゆっくり起きあがった。右手に護身用に石を握っている。
「優一郎君。物騒なことはよしてくれ。ハハハ、そうして身構えているところを見ると、君はわたしの考えていることが分かっているようだね?」
優一郎は隙間をじいっと目を凝らして見ながら、少しでも相手の反応が見えないかと、かまをかけた。
「証拠を消すつもりなんでしょう? 自分がここに居た?」
闇はハハハと小さく笑った。
「当たりだ。なかなか頭がいいね。それじゃあわたしに協力してくれないか? その女の子を、わたしに返してくれたまえ」
「どうして僕があなたに協力するんです? 人殺しのあなたに?」
「人殺しか。そう見えるだろうな。だが、あれは自己防衛だ。人殺しは、あの男の方だよ」
「真人さんが? あなたを殴ったから?」
「ああ、そうだった。わたしを殴ったのはあいつだったな。それよりも、あいつはわたしたち全員を殺そうとしていた殺人鬼だったんだ。……ああ、確かにそれは後から分かったんだが。
昨夜、わたしはひどく殴られたおかげで胃の中のものを吐いて、おかげでやがて目が覚めた。何がどうなっているのか頭が混乱していたが、表を覗くと、あの男が、ミラノという女に馬乗りになって首を絞めていた。苦しそうなうめき声が上がると、手を放して様子を見て、また首を絞めるんだ。苦しんでも女はすっかり薬が効いてしまって目覚めることが出来ないんだ。あいつは抵抗できない女をいたぶって、苦しむ姿を楽しんでいた。あいつは、薬を飲んでなんかいなかったんだ!」
優一郎は
(本当だろうか?)
と考えた。
「真人さんは確かに薬を飲み込んだと思うけど……」
「飲み込まずに、舌の裏にでも隠して、隙を見て吐き出したんだろう。とにかく、奴ははっきりと目を開けていた。
わたしはカアッとなって、奴の背中に襲いかかると、背後から首を絞めて、……殺してしまった……」
声に多少の後悔が伺われる。しかし闇は相変わらず闇のままだ。
「そうして殺してしまったのに気づいてから、わたしは慌てて何かないかと荷物を探った。そこで君のリュックからロープを見つけて、あいつの首に巻いて、吊し上げた」
「自殺に見せるためですか? それにしてはずいぶん高く吊し過ぎでしたね?」
「ああ、夢中だったからね。昼間見てやり過ぎだったと気がついたよ」
「昼間?」
「ああ。君が辺りを捜索しているのも見ていたよ。見つからないように隠れながらね。
ああ、それでだね、あいつを吊した後、慌ててあそこを逃げ出した。めぼしい物を滋君のリュックとクーラーボックスに詰め込んでね。わたしが分からなかったのは、何故、君たちがあそこにいなかったかだ。何故、君たち3人はいなかったんだね?」
「満里奈ちゃんが起き出して、夢遊病みたいに奥に歩いていってしまったんです。それで真人さんもテントから這い出してきて、僕と滋さんが満里奈ちゃんを追って行きました」
「ああ……、そうか、あの子だったのか…… わたしがなんで胃の中の物を吐いたかというと、殴られたせいもあるだろうが、腹がひどく痛かったんだよ。あの真人って男に蹴られたのかと思ったら、その子が俺の腹を踏んづけていったんだな? あの気持ち悪い女子高生コンビの片割れめ、フフ、おかげで命拾いしたよ。
それで、どうした?」
「満里奈ちゃんが縦穴に落ちて、それを助けようとして滋さんも引き込まれて、僕は、どうしようもなくて、テントに帰ってきました」
「穴に落ちた? ハハハハ、そりゃあ不幸だったな。俺はてっきりやはり目を覚ました女の子が脱走して、それを捕まえに行ったんだと思った。落ちたか……ハハハハ」
「僕が帰ってきたとき誰もいませんでした。あなたがミラノさんとあずみちゃんを連れ出したんでしょう? どうしてです?」
「攪乱だよ。君らが女の子を捕まえて戻ってきたら、真人の死体を見て、俺の仕業だと思うだろう? 俺が自殺をやめたがっていたのは知っているだろう? きっと俺も捜しに来ると思ったんだよ。だから2人を担いで、適当にばらけて置いておいたのだよ」
なるほど、一応筋が通っているように思う。けれど、最初『えっ!?』と驚いた優一郎も、説明を聞いているとどんどん矛盾点を思いついてくる。
まず真人だが、やはり薬を吐き出していたとは思えない。必死に眠気と闘っている姿は、お芝居ならプロの俳優級の演技だ。あの睡眠薬の強力さは自分が経験的に知っている。1度飲み込んだら、令二のように泥酔して吐き出しでもしない限り、いったん眠ってしまったら目覚めることはないだろう。
次に時間だ。自分が満里奈を捜しに行って、テントに戻ってくるまで、時計は見ていなかったが薬の効いてくるタイムリミットを考えると30分、かなり頑張ったからそれでも40分が限度だろう。その間に、まず真人がミラノの首を絞めていたぶり、その真人を令二が首を絞め、木に吊るし、持ち物を物色して持ち去り、ミラノとあずみを運び出し別々の場所に放置した……
……可能だろうか?
ミラノは捜索に出た二人がテントの位置を見失わないように懐中電灯を振ってくれていた。なかなか帰って来ないのに気を揉んで、そわそわしていたことだろう。なんとしても茂の帰ってくるのを待とうと、気を張って頑張っていたに違いない。真人がミラノが薬で意識もうろうとなるのを待っていたなら、少なくとも10分……20分くらいは、時間があったはずだ。
「ミラノさんは? どこかに置きっぱなしですか?」
「あの女は俺が捕まえて、今はまた睡眠薬で眠らせている」
「生きているんですね?」
「ああ。今はね」
一連の出来事は、やはり自分たちがいなくなってからすぐに行動しなければ、とうてい無理だと思う。
優一郎の見たところ真人は本当に眠っていたと思う。だからロープを見つければすぐに真人を木に吊し上げるのは問題ない。その場合に問題になるのは、まだ起きている、ミラノの扱いだ。
話を聞いていて思った、
令二が首を絞めたのは、真人ではなく、ミラノではなかったか?
優一郎は怪しむ、
令二は、酒に酔って、妄想に浮かされていたのではないか?
吐き出したとはいえあれだけビールをガブガブ飲んでいて、既に真っ赤になって、酔っぱらいの顔をしていた。自分の早まった行動を激しく後悔し、殴られ、腹を踏んづけられ、相当頭の中がおかしくなっていたのではないか?
優一郎が真人の死体を見た印象は首を吊られて苦しんだような感じがあった。
混乱した頭で目覚めた令二がテントから外を覗いて、目に付いたのは、自分が自殺グループから逃げ出すのに邪魔な、まだ起きているミラノではなかったか?
ミラノの首を絞めて、まだ生きているという令二の言葉を信じるなら、気絶させ、ハッと我に返って状況を見渡し、その場の状況で自分に都合のいいストーリーを考えついたのではないか?
しかしそれを本人に指摘するのは危険に感じる。今は話を合わせておいた方がいいだろう。慎重に考えて訊いた。
「真人さんが殺人者だって言う根拠はなんです? ミラノさんのこと以外にあるんですか?」
フフフ、と闇は不気味に笑った。
「俺はここから無事に帰る方法を持っている。奴が持っていた物だ。あいつはここで俺たちと一緒に死ぬ気なんてなかったんだ。俺たちが苦しみながら死んでいく様を見物して、あざ笑いながら一人悠々帰っていく気だったんだ」
「本当ですか? なんです、帰る方法って?」
「おっと、これ以上手の内は明かせないよ。
いいか、あの真人って男は、とんでもないサイコ野郎だ。
自分で言っていたじゃないか?あいつは殺人願望のある医者なんだ。
今回の自殺ツアー、言い出したのは、たぶんあいつだ。匿名同士のあやふやな会話だからはっきりとは言えないが、あいつは、自分は医療関係の仕事をしているから詳しいと、そう自分を売り込んでいた。睡眠薬を用意したのもあいつだろう。滋君がリーダーのようになっていたから彼に預けたんだろうがな。
そうだ、女の子が起き出したのは奴に別の薬を飲まされたからかも知れないぞ?」
「なんのために?」
「知らんよ、あんなサイコ野郎の考えることなんか。あいつは頭がいいそうだから、何か計画があったのかもな。おかげで俺を起こしちまって、間抜けにも返り討ちにあったがな。
どうだ? 奴が殺人者だと言った理由に納得してもらえたかな?」
「たしかに……」
令二の説明はかなり苦し紛れのところがあるが、疑えばそれなりに疑えるようだ。
「それで、そうだとして、あなたはこれからどうするつもりです?」
「君はなかなかお利口じゃないか? どうすると思う?」
「僕たちみんな、自殺に見せかけて殺して、自分がここに居た痕跡をすっかり消して、何食わぬ顔で家に帰るつもりでしょう?」
「そうだ。わたしはもう死ぬ気はなくなった。馬鹿馬鹿しい! こんなくだらん連中と一緒に死んでたまるか!!
……君はどうだ? わたしが見たところ、君だけがまともだ。若く、将来もある。親御さんのことを考えろ? ここで、こんな連中といっしょに死んで、いいのか?」
「僕が……外であなたのしたことをしゃべるとは思わないんですか?」
「ああ。その危険は大いにあるだろう。だからこれは若い君への親心だ。君だってこの連中の死に関してまったく無実ではあるまい? 忘れることだ、すべて、悪い夢だったと。そうして、わたしと同じようにまともな世界に帰るんだ! 君はまだ間に合う!」
優一郎は、もうそんなことは考えたくない。死への純粋な思いが裏切られて腹立たしいばかりだ。ただ、本気で自分を優しく思ってくれた滋とミラノだけは、その思いを裏切れない。ミラノだけはなんとしても、せめて、滋の引き込まれた縦穴に連れていかなければならない。
「いいです。あなたには協力しましょう。でも、僕のことは僕が自分で考えます。あなたには、無事に家族の下へ帰ってほしいと思うだけです」
「ほお、それはなんとも温かい、寛容な心だ。感動して、感謝するよ。
だそうだよ、君、女子高生。これだけベラベラおしゃべりしていて、まさかまだ目が覚めていないわけではあるまい? ハハハ、今更眠ったふりなんかしても無駄だよ。ガタガタ震えていたのは、寒さのせいばかりじゃないだろう?」
優一郎は驚いた。同じテント内にいる自分にも毛布にくるまっているあずみは真っ黒な影にしか見えない。もしやと疑っていたのだが、やはり令二は闇の中で目が見えているのだ。それも真人の用意してきた道具なのだろうか?
突然ガバと毛布が跳ね上がると、あずみは声のしていた出入り口のふたと反対のテントの裾をめくり上げて外に逃げた。
キャアッと悲鳴が上がった。優一郎は急いでふたのファスナーを開いて外に出た。後ろに回ると、
「来るな!」
と、令二がそれまでとはまるで違った怖い大声で言い、優一郎はビクッとその場に立ち尽くした。
「まあ見てろ」
令二はキャアキャアわめくあずみの腕を捕まえていたが、引き寄せて小脇に抱えるようにすると、ロープで腰と腕を一緒にグルグル巻いていった。驚いたことにかなり手慣れている。あっという間にギュッと縛り上げてしまった。これなら短時間で真人を吊し上げてしまったのも信じられそうだ。
「ハハ、上手いもんだろう? わたしだって最初からおじさんじゃないんだ、これでも学生時代ヨット部にいたんだぜ?」
と、ひょいとあずみを肩に担ぎ上げた。キャアキャア言って足をバタつかせるあずみの尻を、
「ああうるさい娘だ。黙れ!」
と、ペシペシ叩いた。
令二はどちらかと言えば小柄な体格だが、のっしのっしという感じで歩き出し、根っこの山を片手をついて乗り越えた。優一郎が追おうとすると、
「おっと、君とはまた明日だ。朝になったら、またカラスの群でも捜したまえ」
と言って、あずみは恐怖でギャーギャーわめき、
「助けてえーっ!!」
と優一郎に助けを求めた。山の向こうで令二がよいしょとあずみを下に下ろし、腕を振り下ろすと、あずみの声は消えた。令二はまたよいしょとあずみを担ぎ上げた。ああ、そうだ、と振り返って言う。
「このロープもそうだよ。毛布の中に隠されていた。誰の物かは知らないが、真人か、それとも他にも逃げることを考えていた奴がいたのか、死にきれなかったときに首をくくる用心に持ってきたのか? いずれにしても重宝してるよ」
闇に消えていこうとする令二の背中に優一郎は呼びかけた。
「その子を助ける気はないんですか? 僕と同じじゃないですか?」
「君とは違うよ。
こいつは、心の芯が腐ってる。もう駄目だ。生かして帰せば、必ずベラベラしゃべる。死にたいんだろう? 死なせてやるさ。親切だろう?」
「ミラノさんは? 彼女は、せめて滋さんの側で、自分で死なせてあげてくれませんか!?」
「ふむ。それで君の心が決まるなら、考えてやろう。また明日だ。一晩よく考えたまえ」
声が消えて、優一郎は声の消えた辺りに行ってみた。暗くて、木が生えているだけで、もうどこに行ったのか分からない。耳をすましてみたが、足音も聞こえない。ひょっとしたらまたどこかの木の陰からこちらの様子をうかがっているのかもしれない。あっちは暗闇でも見える道具を持っているのだ。暗視ゴーグルだろうか?
この状況では後を追うのは無理だ。
また朝を待つしかない。
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