9、選択
「ま、待ってくれ、あずみちゃん、どうして逃げるんだ?」
「いやああーーっ!! やあーーっ!! 放してえええーーーっっ!!!!」
大声で悲鳴を上げて、あんまり暴れるものだから、優一郎は掴んだあずみの腕を放した。
あずみは地面に転がって、うわっ、うわあああん、と泣きじゃくった。
優一郎は不安になって辺りを見渡した。
「あずみちゃん。とにかくテントに戻ろう。見失ってしまったら、戻れなくなる」
あずみは泣くばかりで聞いていない。
「あずみちゃん!」
あずみはイヤイヤと首を振る。腹の減っている優一郎は腹が立った。
「いいから立て! 戻るんだ!」
優一郎はイヤイヤと首を振り続けるあずみの腕を取って無理やり立たせ、引きずるようにテントに向かった。こんな気持ち悪いバカ女どうでもいいが、状況を知るために話を聞かなければならない。てこずる女子高生に、思い切りぶん殴ってやろうかと思った。
なんとかテントに戻り、優一郎は毛布を座布団にしてあずみを座らせた。
泣きやんだあずみは、今度は体を丸めてうつむき、怯えた目で優一郎を盗み見た。
優一郎はため息をついてイライラを吐き出し、自分自身落ち着かせながら訊いた。
「あずみちゃん。君はいつからあそこにいたの?」
「…………目が覚めたら、あそこにいた…………」
優一郎は一応周りを調べてみたが、とにかくテントから離れるのが怖く、そう遠くまでは行かなかった。しかし今はカラスたちが群がって、少しくらい離れてもここの場所は分かる。
そうか、あずみは近くで寝かされていたのか……
令二が何を考えていたのかさっぱり分からない。
考えていると、あずみはさも恐ろしそうな目で優一郎を見ていて、辟易させられた。
「どうしたの? なにをそんなに怖がっているの?」
「あなたでしょ……」
「何が?」
「あなたがあの人、吊したんでしょう?」
優一郎は真人を振り仰ぎ、
「違うよ」
と首を振り、昨夜何があったのか教えてやった。あずみは初めて知る事実に小さく驚き、大半はまだ疑いの目で優一郎を見ていた。
「犯人は令二さんさ。真人さんに殴られて、頭に血が上ってるのさ」
「本当にあなたじゃないんですね?」
「ああ、違うよ」
あずみの目がふと弱くなった。疑いは一応解けたらしい。
「君の方はどうなの? なんにも覚えてないの?」
あずみはコクリとうなずいた。
「気がついたら木の根元に寝ていて、いったい何がどうなっているのか分からないで、周りを見ていたら、テントと、その……ぶら下がっている人を見つけて…………」
それでじっと様子を見ていたわけだ。
「ひどいものだね」
優一郎はあずみの様子をうかがいながら言った。あずみは真人を見ないようにしている。
「もしかしたら、令二さんはこれを見せつけるために君を近くに置いていったのかもね?」
優一郎はじっとあずみの表情を見ながら訊ねた。
「どう?あれを見て。まだ死にたいって思ってる?」
それは自分に対する問いでもあるのだが……
あずみは「死ぬわよ」と怒ったように言い、だが、
「あんなのは嫌……、あんな醜いのは……」
と言った。優一郎は『何を夢見ていやがるのか』とあざ笑ってやりたい気分になったが、
バサバサッとカラスたちが一斉に羽ばたき、
真人の体がずるっと下がったかと思うと、ドサリと、首が抜けて体が下に落ちた。
ロープの輪に残った首が、ゆっくり傾き、ボトリと、落ちた。
バサバサッと羽ばたいて、カラスたちが落下した肉体に群がった。好き放題にあちこちついばみ、衣服を破き、ガツガツと、食った。
大型のカラスたちだ。
肉を食い慣れている、と優一郎は思った。
ギャーギャー騒ぎ、大きな翼をバサリバサリと動かすカラスたちの迫力にあずみは顔面蒼白にしながら目を逸らせないでいた。こちらを向いたカラスが真っ黒な目をクリックリッと瞬かせ、またガツガツと食事に戻った。あずみは怯えきり、優一郎を楯にするように体をずらした。
「危ないね。とにかくここを離れようか。ちょっと待ってて」
優一郎はカラスたちに気を付けながら木に回り込み、幹に巻き付けられているロープをほどこうとした。がっちり玉結びになっていてほどけそうにない。ノコギリがあれば切れたが、令二に持ち去られている。辺りを捜し、角の鋭い石を選び、それでこすって、苦労してロープを切った。枝から引き下ろし、巻き取った。
ロープを腕に巻いて戻ってきた優一郎にあずみは怯えた目で後ずさった。
「まずはミラノさんがいないか、辺りを捜索する。このロープを引いて、迷子にならないようにしてね」
優一郎は樹海ということで何があるか分からず長めに30メートルのロープを買ってきていた。
「1方を幹に縛って、そこを起点にロープの届く範囲で捜索する。君もいっしょに何かないか捜してほしいけど……無理なら起点で待っていてくれればいい」
あずみはコクンとうなずいた。どっちにうなずいたのか分からないが、どうせ待っているつもりだろう。
優一郎はロープを幹に巻き、1人で捜索を開始した。
是非見たいと思っていた樹海の景色を、飽きるほど堪能できた。
やっぱり樹海はここにしかない姿をしているように思った。
ひょろ長い木が多い。根から吸い上げられる栄養が少ないくせに、日光を求めて、周りに埋もれてしまうまいと必死に競争して背伸びしている。
立ち枯れたような木も見受けられ、やがてぼろぼろになって地に落ちて、仲間たちの養分となるのだろう。
でこぼこの地面はやはり根がうねうねと這い回っておどろおどろしい文様を描いている。
低い所にも意外に緑が濃く、植物の生命力を感じさせる。
しかし、あれだけのカラスがいたのに、鳥の声1つ聞こえず、生き物の気配がまるで感じられない。
自然観察の専門家でもないんだから動物なんか見つからなくて当然だろうが、なんだかここに住んでいる生き物は独自の進化をして独特の姿をしているのではないか、なんて想像をしてしまう。
まずは昨夜、満里奈と滋が飲み込まれた縦穴を探した。
捜索できる範囲は30+30の60メートルまでだ。ロープを3段階まで伸ばしてしまうと、スタート地点に帰る起点を見失ってしまう。
滋の靴を見つけた。ソフトな合成皮の茶色いウォーキングシューズの右足だ。
60メートル地点から10メートルほど先で、たまたまこの靴が目に入らなければまず分からなかった。
ロープの端を低木の枝に掛けて、振り返り振り返りしながら近づいていった。
来て、辺りを見渡すと、こんな場所だったのかと全然印象が違った。今は日が降り注いで、他の場所と比べて明るい感じだ。
2人が落ちた、ちょうど人1人分の丸い穴をそっと覗いた。ふちに日光が当たって白く三日月型になり、しかしその内部は真っ黒だ。見通せないので分からないが、相当深そうな感じだ。
「滋さん。満里奈ちゃん」
穴に向かって呼びかけてみたが、返事はなかった。
2人はどこまで落ちていってしまったのだろう?
気をつけようと言っていた本人がこんなことになってしまうなんて……
穴から顔を上げると、辺りの静寂がひどく怖く感じられた。
ロープを見失ってしまうのが怖くて、急いで戻った。
捜索を続けると、穴はそこかしこに見つかって、ぞっとした。
がっぽり大きく口を開いている物もあって、異形の地底人でも住んでいそうだ。
満里奈はともかく、滋が生きていてくれたら、と思った。
凶暴な殺人鬼となった令二に自分1人ではとうてい太刀打ちできそうにないと思った。
なんでこんなことになってしまったのか、
異形の森にはいびつな意思が備わっているんじゃないかと想像して、ぞっとした。
1時過ぎまで捜索を続けたが、何も収穫はなく、諦めた。
スタート地点に戻ってきて根の上にドシンと尻をついた。
「あー、もう駄目だ。脚が砕けそうだ」
歩くたびズキズキ痛むが、特に山を乗り越えて、坂を下りるときに激痛が突き抜ける。
そこに持って来て腹が減って、気力が保たない。
あずみは岩の上に脚を抱えて座り、むっつり不機嫌そうに黙り込んでいる。
この子の顔を見ていると優一郎はどうも意地悪になってしまう。
「思惑が狂ったね? 腹が減って、死にそうだろう?」
黙り込んでいるあずみに優一郎は意地悪く笑った。
「そういう僕もそうだ。くそ、僕の場合は計画通りなのに、君たちに出会ったせいで気持ちの方が計画とずれてしまった。まあいいや、いずれにしても僕は自分の計画通りにするしかない。君はどうする? 選択は2つに1つだと思うけど?」
不機嫌な目だけが優一郎を見た。不機嫌さは空腹によるものが大半だろう。優一郎は意地悪に言う。
「このまま飢えて餓死するか、このロープで首をくくるか、どちらかだ。炭はもうない。そもそも火を付けるライターもない。一酸化炭素中毒でも二酸化炭素中毒でも、どっちも駄目だ。睡眠薬もないから、きっと苦しいぜ? さあ、どうする?」
あずみは優一郎の方を向かず黙り込んだ。
そうやっていじけていろと思った。どうせどっちか選ばなくてはならないんだ、救助が来るという奇跡が起きなければ。あずみは携帯電話を持っていない。テントにもない。すべて令二に持ち去られたのだ。令二が外に救助を呼ぶ可能性は……少ないように優一郎は思う。自分の推理通りならば、だ………
駐車場に置いたバンはいつ頃怪しまれるだろう? 今日の夕方くらいまでは大丈夫だと思うが、明日には捜索隊が出されるかもしれない。
あのバンは滋の用意した物だろうけれど、バーテンダーが自家用車に使う物じゃないだろう。けっこう年季の入った感じだったから、中古屋で安く買ったんだろう。
あの車から身元が分かるようなことは……、あの二人にとってそういうことはどうでもいいのか。
捜索隊は出されるのか?
捜索隊に発見されることを、自分は期待しているのだろうか?…………
優一郎はあずみにも手伝わせてテントを少し離れたところに移動させた。いつまでも真人の死骸の近くにはいられない。真人の体はカラスどもに内蔵を暴かれて、ひどい悪臭を漂わせていた。すぐに、もっとひどい臭いを発するようになるだろう。いっそカラスどもがきれいさっぱり食い尽くしてくれればと思う。
じき夕方になり、夜になる。寒い夜に。
いつまで耐えられる?と残酷にあずみを見た。
体力的には自分の方がとっくに限界を超えている。肉体的にも、特に脚はもうボロボロだ。
それでも、精神的にはこっちがだんぜん有利だろう。
樹海に限界突破の絶望と袋小路を最初から望んで来た自分と、
昨日までぬくぬくと温かいまともな生活を送ってきた女子高生のあずみと、
(どっちが先に狂う?)
火を見るより明らかじゃあないか?
(この女が死ぬのを見てから死んでやる)
と、何故か優一郎はあずみに対しては極めて残酷に思うのだった。
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