6、眠り

「僕は……」

 優一郎は困った。他のみんなと比べて、自分の死ぬ理由がひどくちっぽけで恥ずかしく感じられてきた。

「駄目な人間なんです。あの……それだけです……。僕には積極的に生きている意味が、最初からないんです。これまで生きてきて、そう思います……」

 皆の視線はまだ優一郎に向いていたが、優一郎にはもうこれ以上話すことはない。

「そうか。じゃあそういうことで」

 滋が後を引き取ってくれ、締めた。

「そういうことだね。僕たちは別にお互いを分かり合って慰め合うためにここに居るんじゃない、同じ目的を持って、そのためだけにここに居るんだ。ただ、まったく何も知らないより、お互いに自分の抱える事情を表に出して、知ってもらった方がいいかと思ったんだ。仲間としてね。

 それじゃあ、後は本当に各人が決断するだけだ。それぞれに、好きなタイミングでこの世にお別れを告げてください。

 それじゃ最後にもう1度だけ、乾杯」

 今度はみんな軽く缶を掲げるだけで済ませた。

 黙々と食事を続けて、それが残りわずかになっても、無くなっても、なかなか最初の1人が出てこなかった。

 あずみがじっと手のひらの錠剤を見つめ、思い切ったように口に放り込み、ジュースで流し込んだ。缶を下ろし、飲み下した余韻をじっと噛みしめた。

「じゃあたしも」

 スパゲティーを食べていた満里奈はハンカチにくるんでいた錠剤を出し、ポイと口に放り込み、ゴクゴクッとジュースを飲んだ。

「ハアー、さっぱりした。じゃ、行こっか?」

「うん……」

 満里奈とあずみは連れだって立ち上がり、

「じゃ、みんな、バイバーイ」

 手を振ってテントの中に入っていった。テントの中に火はないが、全員ホッカイロを5、6個ずつもらっているので体はほかほかしている。中には毛布も揃えてある。

「それじゃあ僕も」

 真人がクスリをあおり、最後のビールを飲み干した。

「これでおしまいか。あっけないものだね。せっかくだからこの世の名残にちょっとブラブラしてくるよ」

 立ち上がった真人に滋は慌てて言った。

「クスリが効き始めたら急速に眠くなるよ? 戻ってこられないよ?」

「分かっているよ」

 真人は手に持った懐中電灯を振った。

「これ付けっぱなしにして、こっちからもここの灯りが見える範囲にいるよ。もし灯りが動かなくなってずっとそのままだったら、その時は面倒を頼むよ」

 真人は困り顔の滋に無責任に笑って、行ってしまった。大木の根が作る小山を越え、四角い岩壁の向こうに行くと、姿はもう見えなくなり、懐中電灯の明かりもチラチラ見えたり見えなかったりした。滋は心配して迷惑そうに言った。

「ああ、これじゃあ責任持てないなあ。ここまで来て、計画を危険にさらすことはしないでほしいなあ」

 じいっと手のひらを見ていた令二が、思い切ったように口に当て、あおった。ビールをゴクゴク飲んで、もう1缶に手を付け、それもガブガブ飲んだ。

「おしっこ、しておいた方がいいですよ」

 滋に言われて令二はああと言い、じいっと怖い顔で練炭の火を見つめていた。

「これで……死ねるんだな?」

「はい。僕が責任を持って、最後の処置をします。安心してお眠りください」

「苦しくないんだろうか?」

「やはり肉体は苦しむようです。でも、意識はまず戻りませんから、1度眠ったら、それっきりです」

「うん……そうか……、死ぬんだな……、そうか…………」

「後悔していますか?」

「いや、そんなことはない。……いや、やっぱり、少し後悔してるかな……

 やっぱり妻と娘たちを思い出すよ。わたしがいなくなって、やっぱり心配してるんじゃないだろうか? 妻は昔は綺麗だったし、娘たちも、子供の頃はすごくかわいかったんだ。言っちゃあなんだが、あの2人の気持ち悪い女子高生に比べれば娘たちの方が今でもずっとかわいい。やっぱり、悲しむんじゃないだろうか? わたしはとんでもなく悪いことをしようとしているんじゃないだろうか?」

 令二はハイペースに2本のビールを空け、3本目の缶に手を付けている。顔が真っ赤に、瞼が腫れて目が扁平になり、真っ赤に充血している。

「ねえ君、優一郎君、」

 明らかに後悔し、狼狽している令二は悲壮な顔で優一郎に語りかけた。

「君も、親御さんが心配しているだろう? 世間は君に辛くとも、親御さんは君に温かくしてくれるんだろう? ねえ、そんなご両親を、悲しませてはいけないんじゃないか? ああ、美子、美香、香織、ああ、父さん、なんてことを考えていたんだ。ね、ねえ君、やはりよそう! な、今から助けを呼ぼう。な? えーと、携帯電話、場所によっては通じるんだよなあ? 助けを呼ぼう。な? 恥ずかしいことじゃない、これは、生きる勇気を選択することなんだ! なあ、君、優一郎君、で、電話、電話をしよう! な?」

 令二は震える手でジャケットの胸をまさぐった。その手を滋が手を伸ばして掴んだ。

「令二さん。やめてください。よしましょう。ね?」

「は、放せ! は、放してくれ! き、君らは勝手にどこか別で死んでくれ。お、俺には、俺たちには、家族がいるんだ! そうだ、家族を悲しませたり苦しめたりすることをしてはいかん! ええい、放せ! 放すんだ、若造!」

「優一郎君!」

「そうだ、優一郎君!」

 滋と令二は互いに優一郎に自分に味方しろと迫った。どちらも鬼気迫る目をしている。優一郎が決めかねていると、

「あ、……」

 令二の頭上で光が舞い、

 ゴツン、

 と鈍い音がして、令二はよろめいた。何事かと必死な目が上を見ると、

 ゴツン、ゴツン、

 続けざまに鈍い音がして、令二はこめかみに血を流して、ドサリと倒れた。

「まったく、こういう奴がいると興ざめしちまうぜ」

 真人だった。拾った石で背後から令二を殴ったのだ。驚き顔の優一郎に、

「近くにいるって言っただろう?」

 とニヤリと笑ってクルンと懐中電灯を回した。滋が令二の様子を見つつ、非難の目を真人に向けた。

「こんな乱暴しなくても」

「みんな決心してここまで来たんだろう? 今更、邪魔されてたまるか」

「それはそうだが……」

 令二は死んだわけではない。気を失っただけだ。おそらくじき薬が効いて、このまま2度と目を覚まさないだろう。

「優一郎君」

 真人は下から灯りの当たった気味の悪い笑いを浮かべて言った。

「これでよかったよね?」

「え……、ええ……、仕方なかったと、思います……」

「そう。仕方ないんだよ。ウフフ」

 真人は非難の目の滋に肩をすくめ、

「じゃ、俺も寝床につくとするよ、このオッサンみたいにあんたに迷惑かけちゃ悪いからな」

 と、令二の腕を掴み、乱暴にテントに引きずっていった。

「おやすみ」

 令二を押し込め、自分もテントに入って、ふたを閉めた。

 滋はハアー……と疲れたため息をついて、ミラノのとなりに戻った。2人に申し訳ない目を向けて言った。

「ごめんね。僕はもっと静かで、厳かな最期を思っていたんだけど、どうも思った連中と違ったようだね……」

 滋自身もひどくガッカリしたようだ。優一郎は言った。

「令二さんが一番まともなんですよ。僕は正直言うとあの人には死んでほしくない。……自分の親のことを思っちゃうんですよ…… やっぱり、家族は悲しんで、苦しみます……」

「君も、やめたいの?」

 滋が心配そうに言う。

「もし……、君がそう思うのなら……、令二さんを連れてここを離れてもいい。ただし、僕たちの意思は尊重してほしい。絶対に、夜明けまで、外に連絡することはしないでほしい」

 滋の強い視線に、優一郎は弱々しく笑って首を振った。

「僕は行きません。それはもうここまでに何度も考えたことですから。両親には、僕のことは諦めてもらいます。それより……、

 僕はあなた達、滋さんとミラノさんに出会えて良かったと思ってます。あなた達は、とても、素敵だ。あなた達は本当に僕に優しくしてくれた。今も、とても優しい。

 僕はこの樹海で1人きりで、世の中のすべてから阻害されて、死んでいくつもりでいました。とても寂しく、惨めに。今も惨めな気持ちに変わりはないけれど、とても優しい気持ちになれています。お二人のおかげです。僕は、滋さんミラノさんと一緒に死ねて、幸せです」

 優一郎は、これで死ぬ踏ん切りがついた。

 ミラノは優しく笑って滋の手を握りしめた。

「滋ちゃんと、こんな男の子を持ちたかったわねえ」

「僕らも、君は歓迎するよ」

「ありがとうございます」

 優一郎は静かに穏やかに死を受け入れる心持ちになっていた。気持ちの中で死を肯定していた。

 ミラノが訊いた。

「優一郎君は、まだ薬は飲まないの? まだ起きていたい? あたしもう疲れて眠くなっちゃって。よかったら、あなたと一緒に薬を飲みたいなあ」

 優一郎はうなずいた。

「ええ。いいですよ。喜んで、ご一緒します」

 優一郎は薬を手のひらに取り、ミラノと目でうなずき合って、口に入れた。やはり飲み慣れなく半分以上残っていたビールを我慢して飲み下した。

 薬を飲んでしまったミラノに、滋はたまらず口づけした。

「それじゃあ約束だ。10分後、僕も薬を飲むよ……」

 そう言った滋だったが、少し考え、自分も手のひらに薬を載せると、思い切ったように飲んでしまった。

「やっぱりもう、いいよね?」

「ええ。これから永遠に、二人一緒よ」

「ええ…………」

 もう1度口づけし、しっかり抱きしめ合った。

 優一郎はうらやましかった。

 熱っぽく視線を交わらせていた二人は、優一郎を思い出すと照れたようにはにかんだ。

 優一郎はふと気になっていたことを訊いた。

「みなさんは、どういう風に知り合ったんです? 僕も、ネットではずいぶんそれらしいサイトを見て回ったんですよ? 全然見つかりませんでした」

「なあに、コツがあるんだよ。今どきそのものズバリ『自殺仲間募集!』なんてあるわけないからね。いろいろとキーワードを検索してね、やっぱり同じようにキーワードを検索して来たと思われる相手同士、ごく普通の掲示板で、会話して、それと分かる記号で計画を提案して、メールアドレスを交換して。僕たちが持ってるお互いの個人情報はこのメールアドレスだけだよ。今呼び合っている名前も本名かどうか知らない」

「あ、ちなみにあたしの本名は……」

「いいですよ」

 優一郎は笑って断った。

「僕にとってお二人は滋さんとミラノさんです。そうだったんですか。僕も、本当は仲間が欲しかったんです。最後に見つかって、良かった」

 優一郎はニッコリ笑って立ち上がった。二人の最後の時間を邪魔してはいけない。

「お休みなさい。次に、もし目覚めることがあったら、今度は素晴らしい世界で、お二人ともう1度会いたいです」

「お休み。君と会えて良かったよ」

「お休みなさい。あたしも、嬉しかったわ」

「お休みなさい」

 優一郎は両親にお休みの挨拶を言うように言って、テントに向かい、ふたをめくった……

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