4、樹海の中へ
樹海へはまっすぐ入らず、外側を走る道路をずっと走り、もう一方の入り口側に向かった。ここで死ぬのかと思うと間近に見る樹海は何やら幻想的な別世界のように思われた。
わざわざ反対側に来たのは車を置く場所の為だ。下手なところに乗り捨てて発見されれば、すぐに怪しまれてしまう。数日経って、あれ?この車、ずっとここに止めっぱなしだな? と思われても、その頃にはとっくに目的を果たしている、という場所に止めておきたいのだ。
ここならいいだろうという駐車場に入り、だいぶ暗くなってきたなと思っていたら、富士山が赤く輝いた。夕日だ。
綺麗だなあと眺めていると、ほんの数分で暗くなってしまった。
見られてよかったと思った。
バックドアを開けると、滋は荷物を下ろしていき、
「さあキャンプだキャンプだ。優一郎君、こいつを、真人君と頼むよ」
陽気な声で言って2人にテントの布を持たせた。
「令二さんはこれ。ミラノさんはこれ。満里奈ちゃんとあずみちゃんはこれをお願いね」
テキパキとキャンプ道具を持たせ、自分もクーラーボックスと火鉢を持って、
「行こう」
樹海の入り口向かって歩き出した。
電話ボックスと、例の有名な看板があった。
滋は立ち止まり、静かな顔でみんなを見渡して訊いた。
「いいかい? 今なら引き返せる。やめても、僕らは誰も責めたりしない。それどころか、おめでとうと送り出してあげるよ?」
滋に顔を見渡されても、誰も何も言わず、目も逸らさなかった。
滋はしっかり皆に最終意志の確認を求めた。
「ここを越えたらもう引き返すことは出来ないよ? みんな、いいんだね?」
1人1人の頷くのを確認していき、優一郎もしっかり頷き、滋は頷き、ニッコリ笑った。
「では、行こうか」
歩き出し、木々の生い茂る森の中の道を進み、電灯の明かりが、背後にどんどん遠くなり、人工の明かりは、消えた。もう真っ暗だ。
しばらく奥に行って、各自渡された懐中電灯をつけて歩いた。原生林の中の遊歩道は土のまま舗装されていない。
歩きながら滋が話した。
「自殺する人はたいていこうした遊歩道から20メートル程度入ったところ、しかも入り口からあまり奥に入らない……つまりだいたいここいら辺で、首をくくって死ぬんだそうだよ。死ぬ前に誰かに気づいて止めてほしいのか、死んでから早く誰かに見つけてほしいのか、いずれにしても人の世との関係を絶ちがたくて、これだけ広い樹海のまだほんの浅いところを死地に選ぶんだね。さあ、僕らは、どうしようか?」
「もっと奥へ行こう」
1番年輩の令二が言った。
「もっとずっと奥へ。静かなところが、わたしはいい……」
「みんなもそれでいい?」
みんな頷く。
「そうよ、誰にも邪魔されたくないわ」
と高校生コンビの満里奈が言った。あずみも同意して頷く。
「ミラノさんもいい?」
美人のミラノも頷いた。
「わたしは滋ちゃんと一緒ならどこでもいいわ」
滋は嬉しそうにミラノを見つめた。2人は不倫のカップルだろうか? と、優一郎はちょっと頬が熱くなった。
「真人君もいいの?」
「いいよ。俺は後のことなんてまったく考えてないから」
捨て鉢というのでなく、悟りきった涼やかな調子だ。滋は頷き、優一郎に訊く。
「君も、いいのかい?」
「いいですよ」
滋さんはちょっと間を置いてもう1度訊いた。
「後に何か伝えたいこととかない? 僕たちは、まあ、ある程度はお互いの気持ちを分かり合っているつもりだけれど、君は、突然誘っちゃったから、実は本当に良かったのか今になって迷っているんだ。僕たちは、君のことは、その、よく知らないから」
心配する滋に優一郎は笑ってみせた。こんなに自分のことを心配してくれる人なんて、家族以外で初めてだ。
「だいじょうぶです。後のことは、ちゃんとして来ましたから」
「そうかい。うん、分かった」
滋もほっとしたように笑った。
「僕たちの中で一番強い気持ちを持っているのは君のようだからねえ」
優一郎はちょっと誇らしいような気持ちで前を向いて歩き、実はちょっと予定と違ってしまったんだけどなと考えた。
失敗その1は手紙を出し損ねたことだ。出発前に自分の気持ちと決意を書きつづった、紅倉美姫への手紙だ。樹海に入る前にポストを見つけて投函するつもりだったが、その機を逸してしまった。まあ、いいや、と思った。今にして思えばずいぶん子供っぽい手紙だったように思う。死体と一緒に見つかるのもいいだろう。
失敗その2は到着が夜になって、どうやらそのまま逝ってしまうことになりそうなこと。本当は昼間到着して、じっくり樹海の中を歩いて、どうせ自分のことだ、最後の最後まで迷って、夜中か、朝方になってから、疲れ果て、眠くてたまらなくなってから、これが現実かも分からないような状態でロープに首をかけ、ぶら下がることになるだろうと思っていた。この闇夜ではせっかくの樹海の様子が分からない。来る途中で見てきたうっそうとしながら殺伐とした景色を内部でもじっくり見てみたかったが、その機会を失ったのは残念だ。さぞかし奇怪な森の姿をしていることだろうに。でもまあこうして素晴らしい仲間に巡り会えたのだからよしとしよう。
失敗その3は………その3は………、
自分が、なんだか楽しい気分になってしまっていることだ。
自分は今死ぬ気満々でいる。それなのに、このまるで本当にピクニックに来ているような楽しい気分はなんなのだろう?
自分は、本当に死ぬんだぞ、ということが分かっているのか? と疑問に思う。
どうやら自分の体は思っていたより丈夫に出来ているらしい。脚の骨は歩くたびズキンズキンと強烈に痛むのに、それさえなんだか慣れてしまったようだ。この軽やかさはいったいなんなのだろう? ランナーズハイというものだろうか? 優一郎の弱い心は体の消耗を期待していた。それなのに、体はすっかり元気を取り戻し、今日も明日も、これからも、当たり前のように生きる気満々でいるようだ。
優一郎は自分の心と体に何が起こってしまったのか、疑問に思っていた。
その変化が挑戦を全うした達成感によるものなのか、自分を理解してくれる仲間たちと巡り会えたことによるものなのか。
(どちらでもいいか。自分は彼らの仲間になって、彼らと一緒に同じ道を、結末を、歩むのだから)
そうだよね?と優一郎は仲間たちの顔を見渡した。ライトは下を向いて、顔は影になって分からないけれど、きっとみんなとても穏やかな表情をしているはずだ。優一郎も安心して思った、野宿の夜あんなに怖かった森の闇が、まるで怖くないじゃあないか?
自分の心も穏やかで、すっかり死を受け入れる準備が整ったのだと思った。
黙々と1時間も歩いただろうか、完全に樹海のまっただ中に居た。
ハアー……と滋が疲れたように立ち止まった。
「もう、じゅうぶんかな?」
十分だろうと思った。
「それじゃあ、いよいよ最期の時を迎える家を建てようか?」
懐中電灯で道から逸れた木立の中を照らす。頼りない光の及ぶ範囲の、その光の当たった幹や枝葉だけが白く浮き上がった。
「足下、気を付けてね」
優一郎は真人と組んでテントを脇に抱えている。真人が先で、懐中電灯を足下に照らして、慎重に、自然のままの森へ入っていく。優一郎も足下を照らし、足をもつれさせないように気をつけてついていった。
まだ安全な遊歩道を歩いている時に滋がみんなに注意した。
「調べてきたんだけど、樹海には色々危険なことがあるんだ。
方位磁石が利かなくなるっていう話があるけれど、それはガセだそうだ。地面に置くと多少の狂いは起こるけれど、手に持っていれば大丈夫なんだそうだ。
でも、道から離れて数メートルも進めば、振り返ってみてももう木しか見えないで、あれ?と思ってあちこち見回せば、同じような木が奥へ奥へと続くばかりで、すっかり方角も分からなくなってしまう。そのまま誤った方角へ進んでしまえば、完全に迷子だよ。
もう1つ危険なのが地面だ。
樹海の地面はすべて富士山が爆発して流れ出した溶岩で、土じゃないんだ。形はでこぼこしていて平らな場所がなく、土がないので木々の根は下に伸びることが出来ずひたすら地面の表面を横へ横へと伸びていく。でこぼこの地面とそれを覆うむき出しの根で、歩くのは非常に困難というわけだ。
地面が溶岩で出来ている為に非常に危険なことがもう1つある。
地面に開いた穴だ。
溶岩流が何かにせき止められたり、そのときそこに生えていた木や何かがその後腐って無くなって、突然ぼこんと数メートルの深い縦穴が開いていたりするんだ。穴によっては一度落ちたらとうてい自力では上がってこれない物もあるそうだ。そんな穴が、枯れ枝や落ち葉でふたをされたりしていれば、これはもう完全に天然の落とし穴だね。
穴の底で骨折したり、狭いところにはまり込んで身動きとれなくなったり、そんな痛くて苦しい死に方はごめんだよね?」
一行は注意しながら奥へ進んだ。協力し合って根の覆う小山を乗り越え、斜面から横に伸びる木をくぐり、陰の濃い所は例の縦穴だろうかと注意しあい、奥へ奥へ、もはやまったく帰り道の分からぬ原生林のただ中へ、来てしまっていた。
「キャッ」
とあずみが悲鳴を上げた。木の根で滑って、手をすりむいてしまったのだ。
「だいじょうぶ?」
ペアになっている満里奈が懐中電灯で照らすと、あずみのジーンズと紺のウインドブレーカーは泥とコケの黄緑で汚れていた。
滋が懐中電灯で照らしながら周りをぐるりと見回した。城壁の一部みたいな四角い岩が隆起して、木がばらけている。……ここなら大型のテントを張っても余裕がありそうだ。
「ここで、いいかな?」
皆、いいだろう、と頷いた。
優一郎たちの死に場所が決まった。
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