第16話 一路 王都へ
~セルマン 7月31日~
「ほら、見えてきたぞ!あれが、王都ソラスだ!」
御者の声で、馬車の窓から身を乗り出したセルマンとグスタフは、遠くの方に見える王都ソラスを見やった。
ちょうど鬱蒼とした森から出たばかりで、馬車の前には緑豊かな草原が広がっている。そのずっと先には大きな湖が横たわり、その湖のほとりの華奢で洗練された造りの王宮が天高くそびえたつ様は、絵画のような美しさを誇っていた。
細く突き出た王宮の、午後の太陽の光を受けて燦然と白く輝く様子に、セルマンは思わずため息をついた。
「あの王宮は、ガーネット女王を始めとする王族の方々が居住されている所だ。あの王宮だけ真っ白な大理石を使って作られているから、本当に目映いくらい美しいんだ。……と言っても、俺も一回しか来たことないんだけどな」
風を浴びて気持ちよさそうに目を細めているグスタフが言う。
ミァン街を出発してから、すでに八日が経っていた。今は、十五時を過ぎたところ。
夏の明るい午後の日差しが降り注ぐ、天気の良い日だった。
セルマンは、出発当初は馬車の揺れに酔い、なんども嘔吐を繰りかえしぐったりしていたが、今は馬車の旅にも慣れて、外の景色を楽しむ余裕も生まれていた。
幼い頃に強制的にこの国に連れてこられ、煤が舞う汚れた空気の中を、外に出ることも許されずただひたすら身を粉にして働くことを求められてきたセルマンにとって、馬車から見るソラス王国の景色は、驚きの連続だった。
風になびく度に、むわっとした草木の匂いを放つ緑鮮やかな草原。その草原のあちこちで、ひょっこり顔を覗かせ、こちらをつぶらな瞳で見つめるマーモットやリスたち。湿った枯葉や土の濃厚な匂いが立ち込める鬱蒼とした森には、きょっきょっと鳴くアカゲラや、小動物を口に咥えてたっと駆け出すキツネ。そして悠然とした立ち姿でこちらを見つめるヘラジカといった様々な生き物や自然が、この国には溢れていた。
それは、生き物はおろか、植物さえまともに育たない黒ずんだ炭鉱で這いつくばりながら生きてきたセルマンにとって、知りえなかったソラス王国のもう一つの顔だった。
そして、この雄大な自然を間近で見ていると、手付かずの自然がそのままに残っていた故郷が思い出され、なんとも言えない郷愁の念に駆られるのだった。
「あと、もう少しだ。そろそろ着替えた方がいいぞ」
付添人に言われたセルマンとグスタフは、窓から頭を引っ込めると、用意してある衣服に着替え始めた。これから、軍の上層部に自分たちが見聞きしたことを話すことになっていたため、身なりを整えておくようにと衣服が用意されたのだ。
「場合によっては、女王陛下の御前に出ることもあるかもしれないぞ」
ミァン街を出る際に冗談交じりに言われた言葉が今更のように思い出され、グスタフは人知れず緊張して、ボタンをかけるのに手間取っていた。その横で、セルマンはこざっぱりとした一般市民の格好に着替えながらも、険しい表情で座っていた。
ミァン炭鉱を脱出して街へと急いでいた時には、真実を伝え、軍と炭鉱夫が協力して土人形と対峙できるよう力を尽くそう、とばかり考え、他のことに思いを馳せる余裕もなかったが、ここに来るまでの八日間、馬車に揺られること以外特にやることもなかったセルマンは、今まで考えてこなかったような将来のことを考えるようになっていた。
(炭鉱で強制的に働かされている仲間たちを、開放する。それが難しい場合でも、待遇改善の約束は取り付けないと、何のためにここまで来たのか分からないぞ。協力してくれた仲間のためにも、そこは譲れないんだ……)
ボタンの次は、衣服につける装備品にてこずっているグスタフ。その様子を横目に、セルマンは一人考えていた。
この国は人身売買を禁止している、と、この旅路の途中でグスタフから聞いた。それでも、この国が奴隷として炭鉱夫を所有しているのは、あくまで「人身売買」を禁止しているのであって、「奴隷所有」を禁止しているわけではないからということらしい。
それを聞いたセルマンは、こじつけも甚だしいと憤った。それでは、人身売買を禁止する意味がないではないかと。
しかし、グスタフが言うには、人身売買を禁止したそもそものきっかけは、二十年ほど前にこの国を襲った大凶作の際、息子あるいは娘を奴隷として売り払い、そのお金でほかの家族を養った、という悲しい史実が基となっているとのことで、奴隷制度に反対するために制定されたものではない、というのだ。しかも、国民には炭鉱夫に関する真実を隠し、あくまでソラス王国内で重い罪を犯した咎人たちに、罰として重労働を科している、というウソの宣伝を行って欺いている。だから、炭鉱夫に対して悪い印象を持っている国民が大半で、現状を憂いている人は少ない。また、もし真実を知ることとなっても、炭鉱の労働が重労働だということは国民がみな知っているので、いくら本当は重罪人ではありませんでしたと言っても、国民の支持を集めて炭鉱夫を開放する、ということは難しいんじゃないかと、グスタフは言った。
その話を憮然とした表情で聞いていたセルマンだったが、グスタフの申し訳なさそうな顔を見ると、それ以上何も言えなかった。それでも仲間のために、少しでも待遇がよくなるよう働きかけをしなければいけないと考えているのだ。
(今回ミァン炭鉱を襲った出来事は、イギ国の魔法使いによるものではあるが、劣悪な環境下に置かれた炭鉱夫の支持を取り付けることに成功したのが、ここまで状況を悪化させた大きな要因の一つである。同じことを繰り返さないためにも、炭鉱夫の労働環境の改善を要求する。具体的には……)
頭の中で、その具体的な要求について吟味していたところ、急に馬車が止まった。
立ちながら装備品の装着に奮闘していたグスタフは、急な停車に、前の座席へ頭から突っ込んだ。
「……いてて。なんだっていうんだよ、急に立ち止まったりして!」
ぶつけた頭をさすりながらぶつぶつ文句を言うグスタフを置き去りにして、窓から身を乗り出し前の様子を窺ったセルマンは、馬車を引いていた馬たちが、ぶるっと鼻を震わせ後ずさりしようとしている光景を目にした。
「ほーほー、ほーほー。おい、どうしたんだ。進むんだよ、ほら」
御者が鞭を入れ、懸命に前に進ませようとしているのだが、なにかに怯えているのか、馬はますます後ろに下がろうとしている。
「どうしたんだ?」
セルマンの後ろからグスタフが顔を出そうとした瞬間、辺りは強烈な眩い光に包まれた。
「うわっ!なんだこれ!」
あまりの眩さに何も見えない中、グスタフの悲鳴と何頭もの馬がいななく声が、セルマンの耳に遠く聞こえた……。
~フォリーシュからグウィドー要塞~
「くそっ!奴ら、どこまでもどこまでもついてきやがる!フォリーシュを捨てたら少しは時間が稼げるかと思ったのに、追撃の手を緩めない!」
「ぐぁっ!やられた……!」
「っく!……モンスまで……!」
馬に騎乗しながらグウィドー要塞まで後退するソラス王国軍を、イギ国の魔法部隊が徹底的に後追いしている。
フォリーシュを攻略後、その場で一時態勢を立て直すのかと思いきや、そのままの勢いで敗走するソラス王国軍の後ろを突くイギ国の軍に、ソラス王国の兵士たちは戸惑いや焦りの様子を見せていた。
「グウィドー要塞まで、なんとか一人でも多く帰還するんだ!そこが破られたら、王都まで一直線!故郷で待つ家族のためにも、無事に生きてたどり着くんだ!」
檄を飛ばす部隊長の声もむなしく、イギ国の攻撃に、次々と仲間が一人また一人と倒れていく。
「なんとか……、打開策はないものか……!」
そう思った瞬間、突然辺りが眩い光に包まれた。
「なんだ、これは……」
強烈な光は、目を閉じていてもまばゆく感じられるほどであった。
そして、何も感じなくなっていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます