第15話 最終手段
~ガーネット 7月31日~
ハムとチーズが挟んであるサンドイッチを手に取ると、ゆっくりと口に運んだ。ほんの少しかじり、口を動かすと、ごくんと飲み込む。
そのサンドイッチは、王宮の料理人が作ったものなので、味は折り紙つきだ。しかし、今のガーネットには、砂を噛んでいるようにしか感じられない。
手にしていたサンドイッチを力なく皿に戻すと、執務室内にいる給仕係たちやお付きの女官たちの顔がさっと曇った。
「ごめんなさいね。どうも進まなくって」
執務室内の空気を敏感に感じ取ったガーネットはそう言うと、ふぅと一つため息をついて、窓の外を見やった。執務室の窓の外は、午後の明るい日差しの光に溢れていて、ガーネットは思わず目を細めた。
ガーネットが倒れてから、五日が経っていた。
倒れた日の夜半には意識を取り戻したのだが、その間ずっとうなされていた、と後で女官たちから聞いた。
心配した参謀長はガーネットに休むよう進言したが、国の存亡に関わる事態に休んでなどいられないと耳を貸さなかった。しかし、六十歳を過ぎた体に、連日長時間に及ぶ会議に出席するのはかなり堪えるのも事実だった。
なので、食事を取る時間にあわせて自分の執務室に戻り、休憩を取るようにしたのだった。
今は、昼の二時前。少し遅い昼食だった。
食卓には、食が進まないガーネットのために、様々な料理が並べられている。
今しがた口をつけたサンドイッチの他に、冷製トマトスープや瑞々しい色とりどりの野菜サラダ、グリルチキンや、濃厚な甘味を放つ南国のフルーツ、冷たいアイスクリームまで。全てガーネットのために用意されたものだが、どれを見ても、口をつけられた形跡は見当たらない。
ガーネットは、もう一度ため息をつくと、天井を見上げた。
昨日、ミァン街に駐屯している軍から連絡があった。ミァン炭鉱の炭鉱夫らしき男たちが、我が軍と交戦中、忽然と姿を消したというものであった。
まさに文字通り、すっと姿が見えなくなったということで、その場にいた兵たちはみな、狐につままれたように思えたということだった。
普段であれば、何を戯けたことをと思うのだが、イギ国が産み出した化け物が正体だと知れば、さもありなんと思えるのだった。
その後、すぐさまミァン炭鉱に直行した軍は、たいした抵抗にあうこともなく、ミァン炭鉱を奪還した旨、報告をよこした。悪いことばかり起きていた中でもたらされたこの吉報に、軍全体の士気は大きく向上した。
ガーネットも、懸案として常に頭の片隅から離れなかったこの問題を解決できたことにおおいに安堵させられたが、すぐさま、フォリーシュでの一進一退の戦況が思い出され、そのことを思うとかねてからの頭痛が増すのであった。
ミァン街に駐屯していた兵団については、すぐさま、一部の兵団のみ残して、残りを近くの港や王都へと向かわせる指令を発令した。
しかし、他国に比べ重装備の兵を多く誇るソラス王国の軍は、接近戦を得意とする一方で、移動に時間がかかるのが大きな弱点であった。取り急ぎ、騎兵のみ陸路で王都へ向かうよう指令を出したが、それも、到着までは一週間以上かかると見込まれる。それ以外の歩兵や弓兵は、ミァン炭鉱近くの港より船で移動させることになっているが、王都に一番近い港トンがイギ国に抑えられているため、さらに時間がかかる。
(フォリーシュには、なんとか持ちこたえてもらわないと)
そう心の中で呟いたガーネットの耳に、バタバタとこちらに急いで向かってくる足音が聞こえる。それは、いつも凶報をもたらす時に聞こえてくるものだった。
瞬間、ガーネットは執務室内の温度が数度低くなったように感じた。そのあまりの突然の変化に、太陽が雲に隠れたのかと思い、思わず窓の外に目をやったくらいだった。しかし、太陽は相変わらずそこにあり、夏の日射しを降りそそいでいる。寒くなったように感じたのは、ガーネットも含めたその執務室内にいた者の不安から生じたものだったのだ。
その、先ほどと何ら変わらない明るい外の光に目を細めつつ、ガーネットは以前よりも強く脈打つ頭痛に顔をしかめ、こめかみを押さえるのだった。
「ガーネット女王陛下に申し上げます!フォリーシュより連絡があり、フォリーシュを守っていた部隊はフォリーシュを捨て、グウィドー要塞へと後退を余儀なくされたとのことです!また、参謀長より、至急会議室へとご足労いただきたいとのことです!」
悲鳴のような声があちこちからあがる。
目を大きく見開いて口元を押さえている者や、隣の女官と抱き合っている者、中にはあまりの衝撃に気を失ってしまう者さえいた。
その中で、ガーネットは気丈にもじっと前を見つめて座っていた。その顔は血の気がなく、雪のように真っ白であったが、瞳はらんらんと輝き、力強ささえ感じられた。
微動だにせず、そのままの姿勢で座っていたガーネットだが、おもむろに立ち上がると、ゆっくりと口を開いた。その声には、力がみなぎっていた。
「……参謀長に伝えなさい。今後の作戦は、参謀長以下、将校たちに任せます。
……私は、私にしかできないことをやります。そう伝えなさい」
「し、しかし……」
「もう一度言わせるつもり?」
「い、いえ!……かしこまりました、しかと伝え申し上げます!」
そう言うと、足音はばたばたと遠ざかっていった。
足音が聞こえなくなると、ガーネットは周囲を見回した。そこには、戸惑いや恐怖がまぜこぜになった顔で立ち尽くす給仕係や女官たちの姿があった。
そんな彼らの顔を、青ざめてはいるが力強さがみなぎるまなじりでしっかりと見回したガーネットは、ここ最近耳にすることも少なくなった、張りのある威厳がこもった声で告げた。
「これから祭壇に参ります。準備なさい」
おろおろする女官を脅したりすかしたりしながら、ガーネットは、飾り気のない真っ白な絹のドレスへと着替えた。そのシンプルな装いを身にまとうと、不思議に頭の中が研ぎ澄まされ、感覚も鋭敏になっていくのを感じた。
不安そうにガーネットを見つめる女官たちには目もくれず、気品を感じさせる物腰ですっと窓へと近寄ったガーネットは、自ら窓を開け放った。その瞬間、さぁっと心地よい風に包まれた。
風になびく髪もそのままに眼下に目を凝らすと、遠くまで広がる青々とした草地が続き、ところどころこんもりとした森が点在するのがよく見える。空はきれいな青空で、いくつかの白い綿雲が、ぽっかりと気持ちよさそうに浮かんでいた。
日差しはまぶしく、気持ちのいい、夏の日の午後だった。
ガーネットは、今日が天気の良い一日だったことを心から喜んだ。最期に目にする外の景色が、これほどまでに美しいのに幸せを感じたからだ。
ガーネットは、その景色を目に焼き付けんばかりにじっと見つめていた。そして、すっと窓から離れると、後ろを振り返り、自分を不安な様子で見つめる女官たちの顔を、一人一人見回した。時に入れ替わったりもするが、ずっと自分のために尽くしてくれた女官たちばかりだった。
自然と穏やかな笑みが浮かぶのをそのままに、ガーネットは温かみのある声で話しかけた。
「そんな顔をするのはやめましょう。大丈夫、きっとなんとかなります。
……私は、祭壇に用があります。皆は、少し休憩を取るように」
そう言うと、執務室を出ていこうとした。
そんなガーネットに、女性としては背の高い女官長が、青ざめた顔をしながらも、女官長としての立場をしっかり全うしようと、気丈にも声をかけた。
「陛下……。何をされるおつもりでいらっしゃいますか?」
その声は、震えていた。
ガーネットは足を止め、ゆっくりと女官長の方を向いた。その瞳は澄んでおり、まるで本物のエメラルドのようにきらきらと美しく輝いている。
「私は、私のやるべきことをやるだけです」
決して大きな声ではなかったが、落ち着いた口調で静かに語るさまに、女官長を始め、その場にいる者は、誰一人として次の句を発することができなかった。
ガーネットは、その様子に満足そうに頷くと、静かに執務室を出ていった。
後には、不安や困惑の表情を浮かべた女官たちが、残るばかりであった。
「へ、陛下。どちらへ?」
「祭壇に参ります。お付きは不要よ」
「し、しかし……」
「持ち場についていなさい。これは命令です」
「……」
戸惑う近衛兵をよそに、ガーネットは祭壇へと急いだ。
祭壇は、城の背後に広がる湖の地下深くにある。そこへ行く唯一の道は、城の地下にある階段のみだった。
ガーネットは、勝手知ったる城の中を、祭壇へと続く階段目指して、最短距離で進んでいった。
少し前までは、元気もなく気落ちした弱弱しい姿であったガーネットが、今や、ミァン炭鉱の暴動が起きる前のような、活力にあふれ、威厳をみなぎらせる姿へと変貌を遂げていた。
それは、あることを決意したためであった。
フォリーシュ陥落の報告を受け、もう後がないことを覚ったガーネットは、一世一代の重大な決心をしたのだ。それは、ガーネットの父も含めた、この国を統治してきた幾人もの王・女王が決断してきたことでもあったのだ。
「これで終わらせる……」
そうガーネットは呟くと、駆け足で階段を降り、地下へと急いだ。
ほとんど誰にも会うことなく、祭壇へと続く階段の前に到着した。
毎年年明けに、国を統治する王あるいは女王が、前年採掘された貴金属または宝石のうち一番価値が高いものを祭壇に奉納する習わしがあるが、それ以外の時にここを訪れることはない。
半年ぶりに訪れると、辺りには近衛兵もなく、壁に取り付けられている照明にも明かりは灯されていなかったため、周囲は暗闇に包まれていた。
そんな中でも、祭壇へと続く階段の前にある大きな扉だけは、うっすらと青みがかった乳白色の光を放っていた。その光景は、美しくもあるが恐ろしくも見えた。
その扉は、とても変わっていた。
材質は、陶磁器と同じようにも見えるのだが同じではなく、何の素材でできているのか、未だにわかっていない。また、通常、扉にはそれを開くための取っ手が付いているが、この扉にはそれらしきものが見当たらない。ただの大きな二枚の板が、隙間なく接しているだけだった。
そう、この扉は、人がその手で開くものではないのだ。通すべきか通さざるべきか、扉あるいはこの扉を支配する者が判断し開く、そういったものだったのだ。なので、不必要な人あるいは時期にここを訪れても、中に入ることはできない。そして、ここに入ることができるのは、この国を統治する者ただ一人だけだった。
幼少の頃、乳母たちをうまく巻いて、ガーネットは一人ここを訪れたことがあった。しかし、その当時はまだその地位についていなかったためか、ガーネットの前で扉が開かれることはなかった。そのことを後日知った先王である父に、こっぴどく叱られたのも今となってはいい思い出だったが……。
しかし、今がその時なのは、ガーネットにはわかっていた。それは、フォリーシュへの侵攻を聞いた日から、頭の中に語り掛けてきたあの不快で金属音のような響きを含む声が、教えてくれたからだ。
……いや、本当は、もっと前からこの時が訪れることを知っていたような気がする。女王に即位してからというもの、自分も父と同じ運命を辿るのではと、心のどこかで覚悟していたような気がしてならないのだ。
最期にジェイドとしっかり言葉を交わせなかったことが心残りでもあったが、今の国家の状況を考えれば取るに足りないことと自分に言い聞かせたガーネットは、目を閉じてすうっと深く深呼吸をすると、きっと目を見開いて前を向き、扉に向き合うように堂々と立った。
すると、「ゴゴゴ……」と重たそうな音を立てながら、祭壇へと続く扉がゆっくりと開き始めたのだ。
「ドォーン!」
辺りに響き渡るような轟音を立てて、その扉は大きく開け放たれた。
今や、ガーネットの前には、地下にある祭壇へと続く、扉と同じような材質でできている乳白色の階段が地下深くへと延びている。
その先は真っ暗闇に包まれており、中の様子を窺い知ることはできない。
ガーネットは、胸がバクバクしてくるのを感じながらも、一歩、また一歩、足を踏み出し、扉の奥へと入っていった。
ガーネットが完全に入ると、扉がまた重たそうな音を立てながら閉まり始め、またも轟音を立てると、完全に閉まった。
漆黒の闇が、ガーネットを包んでいる。
しかし、ガーネットはその場から動かなかった。この後何が起こるのか、よく知っていたからだ。
すると、ガーネットの足元に広がる階段が、ぼわっとしたかすかな青みがかった光を放ち始めたのだ。光は階段全体から放たれ、下を覗き込むと、地下深くへとずっと続いているのが見える。
その光が、ガーネットの顔を下から照らしている。青白い光にうっすらと照らされたガーネットの表情は、艶めかしい様にも能面のようにも見えた。
ガーネットは、階段から放たれる弱弱しい光を頼りに、一段一段下っていった。
途中、踊り場がいくつか設けられているが、階段はひたすら地下へとまっすぐ続いている。年明けの奉納の際は、帰りの上りのことを考えて、人知れず気持ちが萎えてくるのであったが、今回は片道だけなので、その心配は無用だ。しかし、逆にそのことが、胸にきゅっと突き刺さるような痛みをもたらすのだった。
下っている間、先王である父の最期を思い出していた。
父は、二十年前にわが国を襲った大凶作の際、祭壇に赴き亡くなったのだ。
「あとは、お前に託した。……お前にも、いずれ分かる時が来るだろう」
そう言い残して祭壇に赴いた父。
その後、いつまで経っても戻ってこないことに嫌な予感を覚えたガーネットは、祭壇へと続く階段の前の扉まで急いだ。すると、おもむろに扉が開いたのだ。
国を統治する者にしか開かないと言われている扉が自分に対して開くのを見たガーネットは、父の安否にますます不安を募らせ、慌てて扉の中に飛び込むと、階段を駆け足で下っていったのだ。そして、階段の先に広がる祭壇の前で、うつぶせに倒れている父を見つけたのだ。
息を切らして駆け寄ったガーネットは、父を抱きかかえると、あお向けにした。その瞬間……。
「うぅ……」
ガーネットは、知らず知らずのうちにうめき声を発していた。それほど、壮絶な光景だったのだ。あの後しばらくの間、その時の光景が夢の中に出てきて、なかなか寝付けない日々が続くほどだった。
ガーネットは、自分もこれからそんな姿になるんだと思うと、国のためとはいえ、言いしれない恐怖が押し寄せてくるのを感じていた。
「コツン、コツン……」
ガーネットの靴音が反響する。
地下奥深くにある祭壇へと、大分近づいたようだ。その証拠に、少しずつではあるが、周囲の温度が下がり、なにか胸にこみあげてくるような不快感もせりあがってくるように感じる。
ここに初めて来たときは、先王である父を助けようと無我夢中だったので気が付かなかったが、その後、毎年行っている奉納の際は、毎回、地下に進むにつれ寒さが増し、吐き気を伴う妙な不快感に襲われるのだった。
そうこうするうちに、ぼんやりとしたほのかな光を放っていた階段が終わった。
そこからは、祭壇が安置されている巨大な地下空間までまっすぐな道が伸びている。この道も、階段と同じ材質から作られているようで、ほのかな青白い光を発していた。
ガーネットは、いよいよだと自分に言い聞かせながら、つばを飲み込み呼吸を整えると、毅然と前を向いて、祭壇へと続く地下道を進んでいった。
少し行くと、祭壇が安置されている広大な地下空間に出た。
火を使った照明もない空間なのだが、天井をはじめ、壁や床にまで星のようにちかちかと輝く小さな点のような明りが無数に輝いており、うっすらと周囲を見渡すことができる。そこは、城で一番広い空間である応接間より大きいようで、その証拠に、天井付近で輝く明りは、ガーネットのはるか頭上で瞬いていた。
祭壇は、ガーネットが進む道の先にぽつんと安置されていた。
これもまた、道と同じような材質でできているのかうっすらと青みがかった白い光を放っており、その形は洞窟で見られる石筍のように下から盛り上がった氷柱のようで、自然が作りだしたように見えた。その上部は大きなお椀型になっており、そこに物を供えられるようになっているのだ。
ガーネットはしずしずと前に進み、祭壇の前に立った。
さきほどより寒さは増し、がたがたと震えが止まらなくなってきた。吐き気がこみあげてくるのを必死にこらえながら、ガーネットはそのままその場で待っていた。
すると、頭の中に直接呼びかけるような声が聞こえてきた。
それは、キンキンと甲高く、不快でぞっとするもので、ガーネットは瞬時に全身が粟立つのを感じた。その声を直接聞いたのは、実に二十年ぶりだった。
「やっと来たな、小娘。お前のためらいのために、どれだけ多くの人命が失われてしまったのだろうか……」
「……」
「まあ、いい。こうして、ここまで来たのだからな……。
で、望みはなんだ」
二週間ほど前に王宮を訪れた、ミァン炭鉱の特使との面会の光景がぱっと脳裏に浮かぶ。あの時も、胸やけに似た不快感やめまいを感じたが、今もまた、それと同じ気分にさせられるのをガーネットは感じた。
(やはり、あいつらはこの世の者ではなかったんだな)
一人心の中でそう思ったガーネットは、ここまでこの国の奥深くまでイギ国の者の侵入を許したことに、改めて愕然とした気持ちになった。ミァン炭鉱しかり、王都ソラスしかり。
そして、それとは別に、こちらの望みを知りつつも、あえてそれを口にさせようとするこの者の心根の嫌らしさに、本当に腹立たしい気持ちを感じたのだった。
それでもその怒りをなんとかぐっと堪えると、頭の中に呼び掛けてくる者「金を守護する者」に話しかけた。
「ご存じでしょうが、わが国は今や隣国、イギ国から攻め入られ、亡国の危機に瀕しています。我が軍は善戦していますが、イギ国との国境沿いにあるフォリーシュが奴らの手に落ち、港街トンもしかり。今やイギ国の正規軍は、破竹の勢いでこの王都に迫ってきています。このままだと、この国は「土を守護する者」の擁護を受けるイギ国の属国となってしまうでしょう。そして、それはあなたも望まないはず……。
ですので、あなたの力を貸してもらいたいのです。……その代償を、私は甘んじて受けましょう」
しばし、沈黙が続く。
ガーネットは、胸の鼓動が激しさを増していくのを感じた。どくどくと脈打つ音が、聞こえてくるような気さえする。
すると、キーンという、音というよりもはや振動といった方が適切に思われるようなものが、頭の中で鳴り響き始めた。と、同時に、締め付けられるような痛みが、こめかみを走る。
あまりの痛みから、ガーネットは思わず頭を抱え込むと、痛みに顔をゆがませながら、地面に膝をついた。
「……私が、なにを望まないと?……望んでいないのは、お前自身だろう」
頭が割れるほどの激痛がますます強まり、ガーネットは崩れるようにその場にうずくまった。
必死の形相で歯を食いしばるガーネットの口の両端から、白い泡が吹き出す。
「口を慎め!」
殴られたような衝撃を感じたガーネットは、地面に倒れこんだ。
一瞬、気が遠くなった。
しかし失神するまでには至らず、なんとか意識を保っている。すると、先ほどの激しい痛みが、嘘のように引いていることに気が付いた。
「……次からは、言葉に気を付けるんだな。
……と言っても、次はないのか、くくく……」
悔しさや怒りを感じる余裕は、今のガーネットにはなかった。
白い絹のドレスを土で汚しながらも、ガーネットは何とかふらつきながら立ち上がった。
どんな時でも美しく手入れされてきたビロードのような金髪は、今やぼさぼさだ。
それでも、前を向いて毅然と立つ姿は、いつもの威厳溢れるガーネット女王の姿、そのままだった。
目には強い力がみなぎり、どんなことでも受け入れる覚悟が、そこにはあった。
「……私は、この国の民を守りたい。……しかし、その力が自分にはない。……今の私がこの国の民にできる唯一のこと、それはあなたの力にすがることなのです」
小さい声ではあったが、それははっきりと「金を守護する者」に届いた。
「……ふむ。……確かに私の力を持ってすれば、奴らを排除することは可能だろう。……この地は「金」の影響を最も強く受ける地だからな。
……しかし、それが私にとって何の得になる?先ほど、代償は甘んじて受けると言っていたが、それは何を指しているのか?」
ガーネットは、無表情で答えた。
「……あなたにとっての得とは、私が払う代償のことです。……父も、同じことを提案したのでしょう……」
周囲を覆っていた、骨の髄まで凍るような冷たい空気がさっと変わったのに、ガーネットは気付いた。
それは、獲物を得たときの高揚感のような、なにか嬉々とした喜びに打ち震えている、そういったものに取って代わったように感じられたのだ。
しかし、それは必ずしもガーネットにとって心浮き立つものではなかったのだ。
「……ふふふ。……お前の父親もそうだったな。……しかし、提案したのはあくまで私であり、お前の父親ではなかったがな。
……まあ、そんなことはどうでもいい。
……おい、顔を上げて、お前の瞳をよく見せるのだ」
せりあがってくる恐怖をぐっと堪えながら、ガーネットはまっすぐ正面を向いた。
その顔には、エメラルドを思わせるような深い緑色の瞳がきらきらと輝いている。
「……美しい!……なんと美しいんだ!……お前の父親の金色の瞳も素晴らしかったが、これもまた、なんとも美しい……!」
そう。
この「金を守護する者」は、宝石のように美しく輝く瞳を欲するのだ。
先王である父も、今のガーネットと同じように、瞳を差し出したのだった。
「このエメラルドの瞳を交換条件に、あなたの力を貸していただきたい」
きっぱりとした強い口調で、ガーネットは言った。
「……うむ、いいだろう。
……しかし、それはあまりに不釣り合いの交換条件ではないか……?」
ガーネットは、表情こそ変えなかったが、内心不安が募った。
(不釣り合い?まだ、何か要求するつもりなの?)
全身から冷や汗がどばっと吹き出し、背中に一筋、つーと流れ落ちる。
地下空間は、しばし沈黙に包まれた。
だが、またあの不快な音が聞こえ始めた。
「……いや、いいだろう。……エメラルドの瞳だな。……確かに頂くぞ」
一瞬、ぞわっと全身が粟立つの感じたが、それもすぐに治まった。
「……それでは、早速いくぞ。……覚悟はいいか?」
ガーネットはぎゅっと目をつぶると、国の安寧と後継者である息子ジェイドのことに思いを馳せた。しかし、それはほんの短い時間に過ぎなかった。
ゆっくりと瞳を開いたガーネットは、またエメラルドのような緑色の瞳でまっすぐ前を見据えると、静かに口を開いた。
「……覚悟はできております」
「……では、行くぞ……!」
そう聞こえたかと思うと、辺りはまばゆい光に包まれた。
その光の中、ガーネットはすーと意識を失っていった……。
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