第14話 ミァン炭鉱奪還

 ~??? 7月26日~


「……なかなかにやるな。想定よりも、人数が多い」

「……もう、これ以上は……」

「……。そうだな。俺たちの役目も、これで十分果たしたと言えるだろう。

 ……そろそろ撤収するぞ」

「……はい」

「ふふふ。これで、「金」も我が国のものに……」

「……」




 ~ソフィア 7月26日~


「飲めますか?これを飲むと痛みも治まって、よく寝られますよ」

 そう言うと、ソフィアはスプーン一さじの緑色の液体を兵士の口元に運んだ。兵士は口を大きく開くとその薬を飲み、横になった。

「また、後程伺いますね」

 黙ってうなずく兵士を見守ったソフィアは、すでに隣のベッドへと移動しているアンナの元へと移動する。

「次はこちらの兵隊さんよ、ソフィア。私が傷口を消毒して薬を塗るから、その後の処置をお願いね」

「はい、わかりました」

 むわっとした汗や血なまぐさい空気が漂う中、額に流れる汗を袖口で拭くと、ソフィアは返事をした。

 ここは、ミァン街に駐屯している軍隊の詰所の大広間だ。

 ここでは、所狭しと置かれたベッドの上で横たわる負傷兵を相手に、衛生兵を始めとする医療従事者が看護の任に奔走している。

 ミァン炭鉱で暴動が起きた際、一度病棟として使用された大広間は負傷兵が少なくなったことに伴い通常の用途に戻されたのだが、ミァン街付近で発生した炭鉱夫らしき男たちと軍の衝突の結果、負傷兵として街へ送還される兵士が急増し、再度、病棟として使用されることになったのだ。今ではこの大広間は野戦病院と化し、苦痛からうめいている負傷兵でごった返している中を、医師を始めとする医療従事者が文字通りあっちこっちに奔走している。みな、猫の手も借りたいほどの忙しさに追われ、休憩もままならないほどだった。

 ソフィアも、アンナたち看護師と一緒に看護の任に就いていた。

 すでにグスタフの無事が確認され、正式な看護師ではないソフィアが看護の任に就くのは義務ではなかったが、一人でも多くの助けが必要とされている時に、自分だけ何もせずにいるのは今のソフィアにはできないことだった。

 微力ながら一人でも多くの人を助ける力になりたい。これ以上、悲しい思いをする人を増やしたくない。その気持ち一心で、目の前の出来事から目を背けずに、自分のできることに努力を傾けていたのだ。

 また、ソフィアははっきりとは自覚していなかったが、自分が必要とされることに生きがいを感じ始めていたのだ。

「おい!モルフィンがなくなるぞ!何やってるんだ、早く持ってこい!」

 ぱっと顔を上げたソフィアが声のした方を向くと、そこには髪を振り乱しながら必死の形相で叫んでいる、医師のアルバートがいた。その周りには、暴れる負傷兵を数人がかりで抑え込もうとしている衛生兵がいる。

 ソフィアは、すぐにアンナの方を振り返った。

 アンナは無言でうなずき返してくれた。

 すぐさまソフィアは立ち上がると、手を上げて「すぐに持ってまいります!」と叫んだ。

 ソフィアの方を向いたアルバートが、軽くうなずくのを確認したソフィアは、人をかき分け扉へと急いだ。

 大広間の外に出ると、そこには中に入りきらない負傷兵がそこかしこに転がっていた。ベッド数が圧倒的に足りず、比較的怪我が軽いと診断された兵士には、ベッドを割り当てることができないからだ。

(ごめんなさい)

 心の中で謝りながら、ソフィアは薬が保管されている倉庫へと急ぐ。


 炭鉱夫らしき男たちが突然ミァン街近郊に現れたのは、グスタフを見送った日の正午前だった。

 何の前触れもなく、突如現れた彼らは、みな一様に大柄で、太く長い腕を持ち、手につるはしなど炭鉱で使用する工具を持っていたという。

 彼らが街の方角を目指していたため、それを阻もうとする軍との間に衝突が起きた、とソフィアは聞いていた。

 しかし、彼らは普通ではなかった。

 負傷兵たちの話によると、彼らは兵士たちの剣や槍での攻撃をいとも簡単に受け止め、反対に、兵士たちを高々と持ち上げると、地面にたたきつけ、骨を踏み砕いたりつるはしなどで殴り殺したりしたんだそうだ。

 その光景は、まさに地獄絵図だったという。

 訓練を積んだ兵士が束になっても、列を組んで前進する炭鉱夫らしき男たちを止めることができなかったのだ。

 最初の方は、軍は一方的にやられ、大きな損害を被った。しかし、火をつけた弓矢での攻撃が始まると、急に男たちの行進の速度が落ちたという。それは、グスタフたちの報告にあった、大柄な炭鉱夫を火で焼き殺した話を参考にした作戦の成果であった。

 そのグスタフたちも、今や王都へと向かっている。

 状況は一進一退が続いているということで、街は完全に籠城し、軍によって堅く守られていた。その結果、ここ数日、物資の補給が滞っているのだ。

 ソフィアの親友イーディスも、実家が薬局を営んでいる関係上、軍から薬の納品を要請されているのだが、その材料の調達に影響が出るのではないかとイーディスの両親が心配そうに話しているのをこの耳で聞いた。今はまだ在庫でやりくりできるが、長引くとそれも難しい、と。


「このまま、どうなっちゃうんだろう……」

 ぼそっと呟いたソフィアは、いつの間にか倉庫の前まで来ていた。

 はっと我に返ったソフィアは、今自分ができることは、ここで兵隊さんの看護をすることだ、と自分に言い聞かせると、急いで倉庫の扉に手をかけてぐっと押した。

 中は、いつも通りしんと静まり返っており、ここだけ異空間のようだ。

 ソフィアは、倉庫内に漂う薬品や消毒液の匂いに以前のように顔をしかめることなく、モルフィンが置いてある棚へと迷わず向かい、棚の段を広く占めている箱を三箱抱きかかえた。間違いがないか確認しようとその箱の上面を見ると、そこには薬名とともに、「ダウニー薬局」と印字されているのが目に留まった。

(イーディスのお母さんたちが、調合した薬だ)

 ソフィアは、その文字をそっと指でなでた。

 夜を徹して薬の調合に追われていたイーディスの両親たちのことを思うと、ぽっと心が温かくなるような気持ちがして、少しの間、その箱をぎゅっと強く抱きしめた。

 そして、それらをしっかり腕に抱えると、すぐさまアルバートに届けようと駆け足でその場を後にした。

 息を切らしてアルバートのところへ駆けつけた時には、先ほど暴れていた負傷兵は、投与された薬の影響かぐっすり眠っていた。その上腕には大きな裂傷があり、その傷を、アルバートがものすごい速さで縫い合わせている。いまだに大きな傷を見るのに恐怖心を拭いきれないソフィアは、湧き上がる恐怖をなんとか押し殺しながら、アルバートに近づいていった。

 その様子に気づいたアルバートは、黙々と手を動かしながらもソフィアに声をかけた。

「無理して見なくていいんだよ。何事も経験だ。おい、リチャード。それを、ソフィアから受け取ってくれ」

 アルバートの傍らで補助していたリチャードはさっと顔を上げ、ソフィアがそこに立っているのに気が付くと、にこっと笑って優しく話しかけた。

「ありがとう、ソフィア。モルフィンを持ってきてくれたんだね。そこの移動棚に置いておいてくれないかな」

 ソフィアはほっとした。いまだに傷口を見るのに恐怖心を捨てきれないソフィアに対して、アルバートは嫌気がさしているのかと思っていたが、今の声にはソフィアをいたわる優しさのようなものが感じられたからだ。

 ソフィアは、言われた通り、モルフィンの箱を移動棚に置いた。まさに、その時だった。

 一人の兵士が大声で叫びながら大広間の中に飛び込んできたのだ。

「奴らが消えた!急に消え失せたんだ!」

 ソフィアをはじめ、大広間に居合わせた人たちはみな、きょとんとした顔でその兵士を見つめている。

「これで終わりだ!戦いは終わったぞ!」

 そう叫ぶと、その兵士は大広間を出ていってしまった。

「……終わった?……終わったって、言ったの?」

 兵士が出ていった扉をぽかんとした顔で見つめていたソフィアは、誰に言うでもなくぼそっと呟いた。

 同じように間の抜けた顔をしていたリチャードも、扉を見つめたまま首をかしげた。

「……そのようだね……」

「……」

 実感が湧いてこない二人に、傷跡を縫う手元から目を逸らさず、アルバートは鋭く注意した。

「で、いつになったらその薬の準備をしてくれるんだ、リチャード。ソフィアは、アンナの手伝いに行かなくてもいいのか?」

「は、はい!すみません!」

 二人は慌てて答えると、自分たちの持ち場へとあたふたと戻っていった。

 速度を緩めず、神業のような技術で傷口をきれいに縫合するアルバートの口元に、ふっと安堵の笑みが浮かんだのに、二人は気づかなかった。

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