第5話 王宮へもたらされた報せと炭鉱夫代表との面会

 ~ガーネット 7月15日~


 頭上から降り注ぐ日射しに照らされて、中は、うだるような暑さになっていた。

 その暑さをものともせず、色とりどりのインコはギャーギャー鳴きながら飛び回り、目の覚めるような色をしたフラミンゴが、優雅に水辺で餌となる藻をついばんでいる。

 その少し離れたところでは、尻尾の先がほわほわした美しい白い毛で被われている二匹のサルが、一瞬、体をびくんと震わせこちらを見たが、少しすると関心を失ったのか、おとなしく木の枝に留まって毛繕いをし始めた。

 ここは、ソラス王国の首都、ソラスにある女王の温室。

 ここでは、熱帯地方から取り寄せた様々な木々や植物、そして、この国では珍しい、派手で鮮明な色をした鳥をはじめとする動物たちが飼育されていた。


 ソラス王国の王都ソラスは、この国の政治・経済の中心地だ。

 国の南東に位置し、周囲を緑あふれる豊かな自然に囲まれ、北側には、透明度を誇る大きなフーアル湖が、まるで鏡のような静けさをたたえ広がっている。

 市街ははちみつ色の石灰岩で建てられた家並みが続き、通りには美しい石畳がどこまでも敷き詰められている。その石畳の上を、さまざまな商品を乗せた馬車がかっぽかっぽと音をたてて行き交い、住民や商人の往来も多く、この王都ソラスは、国の中心地として相応しい活気に満ち溢れていた。

 そんな美しい街の中でひと際目をひくのが、市街地と湖の間に白く高くそびえる建物、王宮だ。

 それは、磨き上げられた大理石で作られており、周囲にあまり高い建物がない中、陽の光を浴びると、まるで王都を照らすかのようにきらきらと白く輝きながらそびえたつその姿は、世界でも有数の美しさを誇ると謳われていた。

 そこは、女王を始めとする王族が暮らす場でもあり、また政も行われる、まさにソラス王国の中心であった。


「ほら、お食べなさい」

 日の光に煌めく大きなガーネットの指輪をはめた、ほっそりとした白い手に乗せられた餌を直接ついばむ色鮮やかなインコ。

 その様子を見て、餌をあげている女性は満足そうな表情を浮かべ、インコの頭を指先でなでた。

「はぁ。本当に美しいわ。生きている宝石ね、そう思わない?」

「はい、陛下」

 陛下と呼ばれた女性は、しばらくの間、餌を食べているインコを愛おしそうに眺めていたが、手に残っていた餌を付き人に渡すと、陽光に輝く絹のドレスの裾を翻し、先へとゆっくり歩きだした。背筋がぴんと伸びた立ち姿は、優雅で美しかった。


 この背の高い金髪の女性こそ、ソラス王国の女王、ガーネットだ。

 六十歳をいくつか過ぎており、口元に見えるほうれいせんが年齢を物語っているが、それでも年齢のわりには肌のシワは少なく、ハリもあって若々しい。

 なにより、宝石のエメラルドを思わせるような美しくキラキラと輝く緑色の瞳がはっと人の目を惹き付けてやまなかった。

「ここにいる間は、外の騒ぎを忘れさせてくれるのよね」

 歩きながら、他の人に聞こえないくらいの声量でガーネットはぽつりとつぶやいた。


 三週間前に、友好国の瑞穂帝国とその東にあるシャモル自治州との境界線で、両国が小競り合いを始めたという情報が入ってきた。どうやら、シャモル自治州から攻撃をしかけたらしい。

 ソラス王国の南東に広がる、広大な領土を抱える瑞穂帝国。

 その瑞穂帝国のさらに先にある、シャモル自治州。

 イギ国の支配下に入ったとは言え、機動力のある馬を大量に保有するシャモル自治州の攻撃は、かなり厄介だろう。

 以前は、いくつもの部族が馬で自由に疾走していた草原の国、シャモル地域。

 しかし、二十五年前にイギ国の支配下に組み込まれると、自治州とはいえ実質イギ国の属国という位置づけになってしまい、それまでのように有力部族たちの意見で物事が決められることはなくなり、全てにおいてイギ国の意向が強く反映されるようになったのだ。

 そういった事情を考慮すると、シャモル自治州がイギ国の意向なしに瑞穂帝国へ攻撃をしかけるとは考えにくい。シャモル自治州が勝手に行動している、というよりは、イギ国が裏で手をひいている、と考えるのが自然だ。

 なにか天候不順で、あるいは作物に疫病が流行って凶作になっているのだろうか。だから、豊かな土壌を有し、穀物の一大産地である瑞穂帝国へ攻撃をしかけたのだろうか。

 しかし、どれも確実なところはわからない。

 イギ国は、東部にそびえるアンロー山脈を国境としてソラス王国と接している。しかし、標高が高く、険しい山々に囲まれたイギ国の情報は、諜報員を放ってもほとんど入ってくることはなかった。

 それは、厳しい自然環境がなせる業というよりは、高度に発展した魔法によって守られているからなんだろう。

 隣国ながら、秘密に包まれたイギ国。


「いったい、なにを考えているのやら」

 そう呟いた女王の元に、遠くのほうから息を切らしながら駆けつけてくる者がいた。

 女王とそのお付きの者が見守る中、その家臣は女王の足元に駆けつけ、乱れた呼吸で肩を上下しながら、跪いて奏上した。

「恐れながら、陛下に申し上げます!

 ミァン街から電報が届き、本日より四日前、ミァン炭鉱で暴動が発生し、現在、ミァン炭鉱は、炭鉱夫たちに制圧されている、とのことであります!

 また、ミァン炭鉱に駐屯していた兵団は、同時期に発生した大規模な火災によって、壊滅的な被害を受けているとのことです!

 参謀長を始め、軍の上層部に召集の号令が出されました。陛下にも、すぐご足労願えればとのことであります!」

 思いもしない報告に接したため、さきほどまで考えていた瑞穂帝国とシャモル自治州との小競り合いの件は、頭の中から吹き飛んでしまった。

 一瞬、頭の中が真っ白になったが、すぐさま正気を取り戻すと、

「今すぐ、案内なさい」

 と跪いている臣下に告げ、その臣下を先頭に、足早に温室を後にして王宮へと向かった。

(一体どうして?何が起こったの?)

 堂々と歩く姿とは裏腹に、頭の中は次から次へと押し寄せる疑問で、混乱するばかりであった。




 ~ガーネット 7月18日~


 ミァン炭鉱から代表団が到着し女王との面会を要求している、という報告を受けたのは、ちょうど、軍の将校たちと会議をしている最中だった。

 すぐさま、居合わせた将校たちから、その者たちは本当にミァン炭鉱の炭鉱夫たちを代表している者なんだろうか、交渉に値する者なんだろうか、という意見がだされた。

 しかし、その代表団が持参したミァン炭鉱に駐屯している軍隊の軍旗がテーブルに広げられると、将校全員が口をつぐみ、会議室全体が水を打ったように静まり返った。端の方が焦げて、無惨な姿になった軍旗を目の当たりにすると、これまで机上のみであれこれ議論を戦わせていたことが、本当に起こっていることなんだ、と痛感させられ、ただただ衝撃を受けるばかりだった。


 三日前に、ミァン炭鉱が炭鉱夫たちの手に落ちた、という連絡をもらってからというもの、ガーネットたちは寝る間も惜しんで対応策について議論を重ねてきた。しかし、捕虜がいることも想定される中なかなか有効な解決策を打ち出せず、行き詰まっているところだった。

 実は、炭鉱が制圧され、そこに駐屯する兵団が壊滅的な被害を受けたのは、今回が初めてだったのである。

 ミァン炭鉱は、ソラス王国内でも一番石炭の産出量が多い炭鉱だ。

 ソラス王国の主要な産業の一つが鉄製品の輸出であるが、その鉄の原料となる鉄鉱石を加工するには、大量の石炭を必要とする。なので、国もミァン炭鉱の重要性を鑑み、これまで多くの兵士を割いてきたのだ。

 他の炭鉱と違わず、ミァン炭鉱でもこれまで幾度となり暴動が発生してきた。しかし、毎回駐屯している軍隊によって速やかに沈静させていた。

 それが、今回は炭鉱夫たちにあっという間に占拠され、軍隊は大損害を被ったというのだ。

 ガーネット女王は、いまだに信じられない気持ちでいっぱいだった。大した武器を持たないはずの炭鉱夫たちが、立派な装備を支給され訓練を受けた兵士たちをあっという間にやりこめ炭鉱を制圧するなど、あり得るのだろうか。

 そして、炭鉱を取り囲むように広がる軍の駐屯地を焼きつくしたという大規模な火災。

 それが、今回の暴動とどのように関わっているのだろうか。

 届けられた一報によると、その炎は龍のような形をしていて、空から舞い降り、駐屯地を舐め尽くしたという。

 そんなことが、炭鉱夫はもとより、兵士でさえできるはずがない。

 かと言って、今回の暴動の発生と無関係と決めつけるにはあまりにもタイミングがよく、手際もよかった。


「陛下?どうされますか?」

 声をかけられ、ガーネットははっと我に返った。

 代表団到着の報告を奏上した家臣が、跪きながらこちらを見上げているのに気がついた。机をぐるっと囲んで座っている将校たちも、みな、一様に鋭い眼光でこちらを睨んでいる。

 ガーネットは、一つ小さなため息を洩らし、静かに言った。

「……わかったわ。その者たちに、女王が会うと伝えなさい」

「陛下!」

 会議室は一斉にざわついた。女王陛下自らが、国民はもとより、奴隷に近い身分の炭鉱夫の要求に応じるなど考えられないことだったからだ。

「陛下のお立場で、あのような下賤な者たちの要求を受け入れ面会に臨むなど、言語道断ですぞ!」

 将校の一人が激昂して、腕を振り上げ口角泡を飛ばしながら叫んだ。

「では、どうしろと言うのですか?」

 怒りで頬を上気させている将校をあのきらきらと輝く緑色の瞳でじっと見つめながら、冷たさの中にむしろ威厳さえ感じさせる声で静かに言った。

 発言した将校は、そのガーネットの威圧感に圧倒されたのか、さらに顔を真っ赤にさせた。額に噴き出す汗もそのままに、言葉にならないことを二、三つぶやいたその将校は、きまり悪そうに席についてしまった。

 その様子を見ていたガーネットの斜め前に座っていた三十代くらいの男性が

「陛下、私が参ります」

 と口を開いた。

 ガーネットを始め、そこに居並ぶ者たちの視線がその男性に集まった。

 すぐさま、会議室を小さなざわめきが広がっていく。

「確かに、ジェイド様なら、その役目を果たされるのに適任であられるかもしれない」

 賛成の声が多いことを確信したガーネットは、ジェイドという、ガーネットと同じくエメラルドのような輝きを放つ緑色の瞳をした男性を、じっと見つめた。

 実は、ジェイドというこの男性は、ガーネットの長男であり、ソラス王国の後継者でもあったのだ。

 ソラス王国では、性別に関係なく、第一子が王位継承権を受け継ぐ。

 現在、ガーネットが王位についているが、王位継承権第一位は、ガーネットの第一子である長男、ジェイドである。

 ジェイドは三十代後半で、背や髪は母である女王譲りの長身金髪であり、瞳も女王と同じ、エメラルドを思わせるような輝く緑色をしている。

 ジェイドは文武両道で性格も明るく、国民からの人気も高い。また、ジェイドには、十歳になる、宝石サファイアのような青く透き通る瞳をした、その名もサファイアという王女がいる。

 会議室を覆っていたざわめきが次第に引いていき、静寂に取って代わった。

「陛下、まず私が行けば、陛下、代表団双方の面子が保たれるかと存じます」

 確かにその通りであり、恐らく今できる最善の策だとガーネットは思った。どうやらここに居並ぶ将校たちにも、異論はないようだ。

 ガーネットは軽く息を吸い込みふっと吐くと、ジェイドの瞳をしっかりと見つめた。

「ジェイド、頼みますよ」

「かしこまりました、陛下。謹んでお受けいたします」

 ジェイドはすっと立ち上がると、大股でガーネットの側までさっと近づき、ガーネットの足元に広がる最高級の羊毛でできた絨毯の上に胸に手を置きながら跪き、敬意を表した。

 そんなジェイドの肩に、手を置き立ち上がるよう促すと、ガーネットはおもむろに代表団到着の一報を伝えにきた家臣に向き直り、伝えた。

「代表団には、明日、面会すると伝えなさい」

「はぁ……。しかし、それが……」

 歯切れが悪い言葉を残しつつ、その家臣は、最後には下を向いてしまった。

 その様子を見下ろしていたガーネットは、これから聞き出す話の展開に予想はできつつも、「言いなさい」と促した。

 家臣はほんの一瞬戸惑うような表情を浮かべたが、意を決したのか、顔を上げると、口を開いた。

「……恐れながら申し上げます。

 彼らは、今すぐにでも面会したい、もし叶わないのであれば、それがそちらの回答だという風に認識する、と申しております」

 大方予想はしていたが、実際その言葉を耳にすると、胸の奥に言い様のない怒りが沸き上がるのを抑えられなかった。

(炭鉱夫の分際で、この国の女王である私と直接交渉しようとするなんて……!

 随分、足もとを見られたものね!)

 しかし、今はそんなことを言っていられる状況ではないということも認識していた。向こうもそれが分かっているからこそ、上手にでてきているのだ。

「そう、わかったわ。では、彼らに、これから面会すると伝えなさい」

「……かしこまりました」

 そう言うと、家臣は深く身体を屈め、敬意を表した。

 そしてすくっと立ち上がると、ジェイドとともに部屋から出ていった。

「……そうは言ったものの、彼らは納得しないでしょうね」

 ジェイドたちが出ていった扉を見つめながら、ガーネットは一人、呟いた。


 それから数時間後、ジェイドと代表団の謁見は上手くいかなかった、と耳打ちされたガーネットは、ふうと一つ大きなため息をついた後、天を見上げ、ぼそっと呟いた。

「とうとう、私の出番ね」

 一緒に打ち合わせをしていた将校たちの視線が、痛いほどにガーネットに向けられた。

 鋭い眼光でこちらを睨む将校たちをぐるりと見回したガーネットは、

「上手くいかなかったようよ。私はこれから交渉の場につかないとならないから、あなたたちで進めておいてね」

 と、ため息まじりに話し、立ち上がった。

 すると、痩せぎすではあるが、その目つきには、死線をくぐり抜けた者特有の何事にも動じない強さが見られる初老の将校が、立ち上がった。

「陛下、ミァン炭鉱の件、本当に残念に思いますが、我が軍にはまだまだたくさんの兵力があります。やつらの要求に屈することがなきよう、くれぐれもお願い申し上げますぞ」

「あら、随分勇ましいのね、ロベルト。……もちろん、安易に要求に屈したりはしないけど、なるべくなら戦闘は避けたいわね」

 ロベルトと呼ばれた者を始め、何人かはあきらかに顔をしかめ、見下すような目付きでガーネットを見た。

(まったく。戦うことにしか興味がないんだから。損害を最小限に抑えつつ炭鉱を取り戻す方法こそ、最優先だと言っているのに)

 表情にはださないものの、心の中では不満を吐きだしていた。

「まあ、炭鉱での暴動発生の連絡を受けてから今までの夜通しの会議に費やした時間は、無駄にはならなかったようね」

 軽口を叩いたガーネットの言動に対して、かすかに頬を緩ませる人や機嫌を損ねた人、無表情の人など、様々な反応を示す将校たちをぐるっと見回すと、ガーネットはさっと部屋を後にした。

 残された将校たちは、今後の軍事作戦についての話し合いを再開した。


「……ということで、どうにも気持ち悪いやつらです」

 謁見の間に続く大理石でできた廊下を、かつんという靴音を高く響かせながら、ガーネットはジェイドの報告に耳を傾けつつ、歩を進めていた。

 その天井は、著名な画家によってソラス王国の美しい自然が一面に描かれており、廊下一面に並ぶ大きなアーチ型の窓の向こうにはすでに日が沈み、夜のとばりが下りようとしているのが臨めた。廊下は、照明に灯された炎によって暖かみのあるオレンジ色に包まれ、ときおり窓から風がふわっと入り込むたびに、炎の勢いが変化し、幻想的な雰囲気を醸し出している。

 その明かりに、大きなエメラルドを始めとする大小たくさんの宝石がちりばめられた金のネックレスを輝かせながら、ガーネットはジェイドの報告を聞いていた。

 むこうの提示する条件の内容は一切わからなかったが、そんなことよりも、ガーネットはジェイドが感じた相手の印象に、むしろ興味を抱いていた。

「その人を見ただけで、吐き気やめまいを感じるなんてあるのかしら。しかも、この陽気の中、謁見の間が冬場のように寒いなんて」

「私も最初に大臣から聞いたときは半信半疑でした。でも、彼らを目にした途端、急に気分が悪くなり、卒倒しそうになったのです。

 彼らは、なんというか……。まるで……。

 そう、この世の者じゃないような」

「この世の者じゃない?」

 ガーネットは思わず立ち止まり、じっとジェイドを睨まんばかりに見つめた。

「いえ、申し訳ありません……」

 代表団との応対に女王を引っ張り出すことになってしまっただけでなく、つまらないことを言って失望までさせてしまったことを恐れ多く思ったジェイドは、慌ててガーネットの足元に跪いた。

 しばし、沈黙が続いた。

 お叱りごとを受けるだろうと身構えていたジェイドは、いつまで経ってもなんの言葉も投げかけられないことを訝しく思うと、そっと顔を上げ、ガーネットの様子を伺い見た。すると、ガーネットはあらぬ方を見て、なにか考え事をしている。

 心ここにあらずの女王を不審に思い、小さな声で呼びかけた。

「……陛下?」

 すぐさまガーネットははっとした表情を浮かべ、ジェイドの方に向き直った。

「……あら、ごめんなさい。ちょっと考え事をしていたわ。

 ……それにしても、ジェイド。次期国王がそんな世迷い言を言っているようでは、私は心配です」

 最近は耳にすることもなくなった、強めの口調での注意だった。

 帝王学を受けていた幼少の頃ならいざ知らず、大人になってから久しく女王自ら注意を受けることのなかったジェイドは、あまりの不甲斐なさにこれ以上ないくらい身を低くし、女王であるガーネットの前にひれ伏した。

 ぼんやりとしたところを見られたことに軽く動揺したガーネットは、その動揺を悟られまいと、思っていた以上にきつい口調で注意してしまったことに若干慌て、その場を取り繕おうと、身を低くして頭をあげないジェイドに向かって屈みこみ、優しい声で囁いた。

「さぁ、行きましょう。ここしばらく、私たちの注意を引き付けて離さない者たちに、やっと会えるわ」

 そう言うと、ガーネットはすくっと立ち上がり、お気に入りのバラの香水の香りをなびかせながら、背筋を伸ばして廊下を歩き始めた。

 その後を、むっくり立ち上がったジェイドが付き従うように続いた。

 しかし、うつむき加減に後に続くジェイドは気づかなかった。

 前を行くガーネットの表情から持ち前の明るさが消えてなくなり、暗く陰鬱な影が差し込んでいたのを。


「ソラス王国、ガーネット・ケリー・ソラス女王陛下の、ご降臨であります!」

 臣下の高らかな声が響く中、ジェイドを始め、他の家臣たちを引き連れて、ガーネットは謁見の間に入ろうとした。

 そして、一歩足を踏み入れたその瞬間、真冬にフーアル湖のほとりを散策する時に感じるような、身を切られるような寒さがこの間を覆っているのを、肌で感じた。しかし、真冬の散策であればその寒ささえ心地よく感じるものだが、この謁見の間を支配している寒さは、なにか人の恐れを呼び起こすような不吉な空気を孕んでいるようで、寒いというよりは寒気を引き起こすようなものだ、と、ガーネットは同時に感じ取りもしたのだった。

 それでも、そんな異様な空気に惑わされることなく、ガーネットは、しおらしく跪いている代表団を横目に、ゆったりと、しかしまっすぐ玉座まで歩みを進めた。

 そして一度立ち止まり、謁見の間をゆっくり見渡すと、ダイヤモンドを始めとするたくさんの宝石や金糸で彩られた、これ以上ないほどの豪華さを誇る玉座に、静かに腰をかけた。

 ちらとミァン炭鉱の代表団が視界に入った時は、事前に聞いて覚悟をしていたのが効を奏したのだろう。不快さが胸いっぱいに広がり、気持ち悪さを覚えたが、卒倒しそうになるほどではなく、なんとか表情そのままに、相手をまっすぐ見つめられるくらいの余裕を保つことができた。

 玉座に座るガーネットの側に立つジェイドが、跪いている代表団に向かって朗々とした声を張り上げた。

「面をあげよ!ガーネット女王陛下のご面前である!」

 そのジェイドの声が終わる間もなく、ミァン炭鉱の代表団は面をあげ、ガーネットをなめ回すようにじろじろと見つめた。

 顔を伏せていた時にはそれほど強く感じなかった不快さも、視線が合うと、急に胸焼けに似た吐き気を感じ、めまいも覚えた。しかし、唾をぐっと飲み込み密かに深呼吸をし、女王としての権威、品格を保とうと、無表情で相手を見下ろした。

 その様子を見ていた代表団の中で一番大柄な男は、感心するように眉をあげた後、にたっと下品な薄笑いを浮かべた。そして下に向き直ると、誰にも聞き取れないくらい小さな声で、くっくと笑った。

 その笑いも落ち着くと、むくっと顔をあげ、玉座から見下ろしているガーネットから目をそらすことなく、瞬きもせずに口を開いた。

「ガーネット女王陛下。ご多忙の中、ご臨席を賜り、まことに恐縮です。私どもは、ミァン炭鉱の炭鉱夫代表として、こちらに参上いたしました。私は、ジョン・マクドナー。ミァン炭鉱に、十五年ほど働いてきました。向かって右にいるのが、ジャック・クランシー。左がトーマス・レイノルズです。

 さて、すでに陛下のお耳に届いておられるでしょうが、今から七日前、ミァン炭鉱は、我々炭鉱夫の正当なる抗議の結果、我らの手中に入りました。王宮で天上人のような生活を送られている陛下には想像できないでしょうが、これは正当な行為であって、ただの謀反ではないのです」

 耳障りな声のみならず、自分たちの行為を正当化しようとする無礼さに、ただただ不快感しかこみ上げてこないガーネットは、ジェイドに耳打ちしようと顔を近づけた。

 その瞬間、今まで話していたジョンという名の大男が急に立ち上がったかと思うと、威嚇するかのような大声でがなりたてたのだ。

「陛下!まだ、話は終わっていませんぞ!人の話は最後まで聞くようにと、教えられなかったのですか?」

「貴様!陛下に対してなんて口の聞き方!炭鉱夫の分際で!不敬罪で投獄するぞ!」

 ガーネットの後方に控えていた、こちらもがたいのよい近衛兵長が、こぶしを握りしめながら真っ赤な顔で反論すると、かの大男ジョンはその近衛兵長に向き直り、じっと見つめ始めた。

 ガーネットは、あの大男がなにを言い出すのか、つい固唾を飲んで見守っていたが、彼は口を開くことはなく、ただただじっと見つめるばかりだった。

 すると、近衛兵長が小刻みに震えだした。顔色も、みるみるうちに赤色から血の気が引いたような青白さに変わっていく。

 と思うと、急に白目を剥き、周囲の人が手を差しのべる間もなく、膝から崩れ落ちて倒れてしまった。

 その様子を目の当たりにしたガーネットは、なにが起きたのかわからず、呆然としてしまった。

(いったいなにが……?)

 はっと我に返り、ぽかんと開いていた口を慌てて閉じ、すぐさま謁見の間の中央に視線を向けた。

 すると、あの大男が、じっとこちらを見つめているのに気がついた。

 ガーネットは、自分の無防備なところを見られたのではと急に不安になり、意に反して、慌てて視線をそらしてしまった。

(しまった……!)

 と気づいた時には、すでに遅かった。

 ガーネットは悟ったのだ。

 今、この間を支配しているのは、ガーネットではなくあの大柄なジョンという炭鉱夫だ、ということを。

 失神した近衛兵長は、周囲にいた二、三人に抱えられ、外に連れ出されていった。そして、今や謁見の間は、水を打ったように静まりかえっている。

「どうしたんでしょうねぇ、急に倒れたりなんかして。あの人は近衛兵、……ここに同席していることを考えると、兵長ですか?体調でも悪いんですかねぇ」

 嘲笑うかのような薄笑いを浮かべながらジョンは話したが、その無礼さを注意する人は、もはやここにはいなかった。

 謁見の間は、氷室の中のように冷えきっていた。

「では、ガーネット女王陛下。話の続きをいたしましょう。

 今や、我らの手中にあるミァン炭鉱。女王陛下に我らの陳情を聞いて頂きたく、代表団を結成し、王都まで参りました。これから申し上げます条件を承諾して頂けるのであれば、我らは喜んでミァン炭鉱を解放いたします」

 ここで一息おいて、炭鉱夫ジョンは、ガーネットをじっと見つめた。

 返事がないのは話を続けてもよいということだと受け取ったジョンは、乱杭歯を覗かせにやっと笑うと、先を続けた。

「では、条件を申し上げます。細かい内容もありますが、大きな点をあげれば、全部で四つになります。

 では、まず一つめ。現在、炭鉱で働いている労働者、重罪人を除いてですが、全員、国と労働契約を結び、労働者として雇用する。

 二つめ。現在、炭鉱夫は一日二交代制だが、それを三交代制に変更し、週一日の休暇を付与するものとする。

 三つめ。労働契約に盛り込まれる給金の金額について、一時間あたり千五百カラットを下回ることがないようにする。

 四つめ。ミァン炭鉱が開山してから百年ほど。少なくとも過去十年分について、一時間あたり千五百カラットで算出し直し、既支払分を差し引いた金額を、利息をつけて支給する。利息は、年利一割で計算するものとする。

 取り敢えず、大きなところでいうと、以上になります」

 謁見の間は、これ以上ないほど静まり返っていた。

(……思っていた以上にひどい条件だ。これでは、のめない)

 と、ガーネットは感じた。

 賃金増額や労働環境の改善は、ある程度まで譲歩する必要があるとは思っていたが、労働契約を結んで奴隷状態から解放したり、ましてや、過去十年分の賃金を一時間あたり千五百カラットで、しかも、利息をつけて支給しなければならないなど、不可能に近い。

 ガーネットは、今まで家臣たちと重ねてきた会議の内容を考慮し、二つめの条件はのむ。三つめは善処する。しかし、一つめと四つめはのめない旨、ジェイドに耳打ちした。

 うなずいたジェイドが、ガーネットの回答を謁見の間に響き渡るよう朗々とした声で伝えると、それを腕を組みながら突っ立って聞いていた炭鉱夫ジョンは、突然大声で笑い始めた。

「ぎゃははは!」

 それは、まるで悪魔かなにかの咆哮のようで、思わず耳を覆いたくなるものだった。

 ガーネットは、全身の肌が粟立つのを感じた。

 すぐ近くに控えていた家臣の一人が失神したのか、倒れようとしている光景が、ゆっくりと、しかしはっきりと視界の隅に映った。

 ひとしきり笑い終えたのか、炭鉱夫ジョンは笑うのをやめると、ガーネットをねっとりと見つめ、あの不快な声で話し始めた。

「はぁ、面白い!

 ガーネット女王様。こちらは交渉しようとしてるんじゃないんだよ。この条件をのむかのまないかを聞いているんだ。一つでものめないのがあるんだったら、すぐにでも引き返して、仲間たちにそう伝えるだけさ」

「全ての条件を無条件にのめというのか?そんなのは、あまりに一方的すぎるだろう」

「一方的だろうがそうじゃないだろうが、関係ない。今や、ミァン炭鉱は我らの支配下にある。そういったことが言える立場か、よく考えるんだな」

 あまりに礼を欠く態度に我慢の限界が来たのだろう。ジェイドが怒鳴った。

「……っく!こいつ!下手にでれば、図に乗って!」

「待ちなさい!ジェイド!」

「しかし、陛下!」

 なおも反論しようとするジェイドを横目で睨み、ガーネットはジョンと名乗った炭鉱夫を真っ向から見つめた。

「さきほどの条件。とてもではないが、全てのめる内容ではない。それは、提示したそちらもわかっているはず。そして、この話し合いが不調に終わった場合、こちらがミァン炭鉱に兵を差し向けるのもわかっているはずだ。

 念のために聞くが、それでもこの条件を、無条件でのめというのか?」

 にやけた顔で腰に手を当てながら仁王立ちしているジョンは、鼻でふんて笑うと、ガーネットの視線を真正面から受け止め、言い放った。

「そうだ。そうだとさっきから何度も言っているだろうが。

 で、どうするんだ?」

 考える必要もなかった。

「期待に添える回答は、できない」

 無表情で答えるガーネットの青白い顔を見つめるジョンの瞳が、どんどん大きく開いてきた。と同時に、口の両端もつり上がり、化け物じみた顔になっていく。

 その身の毛のよだつ顔を前に、あらためて全身に震えが走り、冷や汗がどばっと噴き出してくるのを感じた。

「そうですか、無理ですか。至極、残念です。

 では、その回答を引っ提げて、私たちはミァン炭鉱に戻ることといたしましょう。

 それにしても、陛下。王宮は、なんと美しいところなのでしょう。地底に這いつくばっている私たち奴隷には、眩しすぎます。……ふふふ」


 謁見の後、昔から煩わされている片頭痛がひどくなってくるのを感じたガーネットは、周囲に断って自室に戻ると、暗い部屋で一人、ベッドで横になっていた。

 わずかに開いている窓からは、ときおり心地よい風が流れ込み、部屋に新鮮な空気を送り込んでくれる。

 そんな気持ちのよい夜も、ズキンズキンと痛む頭痛と戦うガーネットにとっては、どうでもよいものだった。そして、ベッドで横になりながらも眠りにつくことなく、さきほどの謁見でのやりとりを振り返っていた。あまりにいろいろなことがあったので、頭が冴え、眠気さえ感じない。

 時刻はすでに、二時を回っていた。


(奴隷からの解放か……)

 ミァン炭鉱に限らず、ソラス王国が保有する炭鉱で働く炭鉱夫たちは、一部を除き、ほとんどが人身売買や人拐いにあった人たちだ。彼らは、主に南方にある海洋国家、セガラ連邦の海賊に捕まり、ソラス王国近海まで連れてこられ、安価な労働力、奴隷として、その船上で売買された者たちだった。

 実は、ソラス王国では、人身売買を法律で禁止している。その禁を犯した場合、重罪人として炭鉱での石炭採掘などの重労働を科されることになっているのだ。

 しかし、彼ら炭鉱夫の場合、その法律が適用されることはない。

 なぜなら、ソラス王国の法律の範囲が及ばない海上で彼らの売買が行われているからだ。また、その法律で禁止しているのはあくまで人身売買であって、奴隷を保有することまでは禁止していない。そのため、海上で購入した奴隷を国内に連れ帰り使役させるのは問題ない、ということになっているのだ。

 そのようにして、法律の網目をくぐり抜け、これまでたくさんの奴隷を購入し、過酷な労働が待っている現場に送り込んできた。そして、ただ同然の労働力を最大限に利用し、石炭の採掘、鉄鉱石の採掘・加工、その他の鉱物資源の採掘で、ソラス王国を潤わせてきたのだ。

 全て、奴隷同然の労働者がいたから成り立ってきたことであり、山や牧草地、湖といった美しい自然を讃えるこの国の、もう一つの側面であった。

(つけを支払う時がきた、ということかしら……)

 天井を見つめながら、ガーネットはふぅと一つため息をついた。

 これらソラス王国の基幹産業である、鉱物資源の採掘の採算性に大きな影響を与える炭鉱夫の解放は、実は、これまでに何度も議論されてきた。炭鉱で幾度となく発生する暴動への根本的な解決として、検証されてきたのだ。

 しかし、労働環境を改善するような軽微な策がいくつか実行に移されることがあっても、一歩踏み込んで炭鉱夫を解放する、ということまでには至ってこなかった。産業の採算性、労働力の安定供給といった観点から、見送られてきたのだ。また、暴動が起こっても、最終的には武力で解決することができたのも、見送られた理由の一つだ。

 しかし、今回は違う。

 国内で最大の産出量を誇るミァン炭鉱が、兵士を多数駐屯させていたにも関わらず、炭鉱夫に制圧されたのだ。しかも、炭鉱を囲うように作られた駐屯地は炎にまかれ、人的物的両面で壊滅的な被害を受けたという。

 そこが、ガーネットが腑に落ちない点だった。

(いったい、だれがどうやって、あの駐屯地を焼き付くしたのだろう)

 目撃者の証言によると、空から炎が舞い降りてきて、駐屯地をなめ尽くしたという。

 そんな魔法みたいなことは、ソラス王国の軍隊でもできない。ましてや、炭鉱夫には言わずもがなである。

(炭鉱夫の中に、魔法使いがいるのかしら)

 大半の人は魔法を使えないが、極まれに、魔法が使える能力を持って生まれてくる人がいる。特に、隣のイギ国は魔法の研究が盛んで、彼らが有する魔法部隊は、世界でも最強の軍隊の一つだと言われていた。

 ソラス王国でも、少数ながら魔法部隊を抱えており、陰になり日向になり活躍している。しかし、元々金属の加工に長けているお国柄か、歩兵部隊等を重視するあまり、魔法部隊の育成にはあまり積極的ではない。それには、魔法を扱える人材がさほど集まらない、といった事情も背景にあるのだったが。

(いや、でも……)

 ふと気づいて、ガーネットは考え直した。

 もし、駐屯地を焼きつくしたのが魔法使いの仕業であれば、相当な実力の持ち主のはずだ。そこまでの実力の持ち主であれば、世界各国引く手あまたに違いない。それが、奴隷同然の炭鉱夫に身をやつしているとは思えなかったのだ。

 そう思っていると、ふと、さきほどの代表団の姿が頭に浮かんだ。

 二メートルはあろうかという大男と、その横に佇む二人の大柄な男。

 その瞬間、またあの謁見の時に感じたような不快な気持ちが胸に込み上げてきて、思わず目をぎゅっとつむり、布団を顔まで引き上げた。

「確かに、彼らは炭鉱夫ではなくて、別の世界の者かもしれない……」

 静まり返った暗い部屋で、ジェイドが口にした言葉を思い浮かべながら、誰に言うのでもなく、ガーネットは一人呟いた。

 彼女は気づいていた。

 あの不快感、実は過去に一度だけ経験したことがある、と。

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