第2話 炭鉱夫の反乱

 ~セルマン 7月10日~


「ゴトン」という低く重々しい音が、はるか下に広がる地底からかすかに聞こえる。

 少ししてから、地面が震えるような「ゴー」という音が、最初は小さく、そして段々大きくなって、地上に近づいてくる。炭鉱夫をたくさん詰め込んだ人車が、地上にあがってきたのだ。

 今は、夜の十八時。ちょうど、次のシフトと交代する時間だ。

 やがて地上にある坑口に到着すると、石炭で黒く汚れた炭鉱夫たちが、つるはしやスコップを手に、疲れた体をひきずりながら出てきた。坑内は高温で大量の汗をかくため、服はまるで水に浸したかのようにぐっしょり濡れて腹や背中にはりついている。彼らの額に浮かぶ石炭で黒くなった汗の跡が、労働の過酷さを物語っていた。

 一言も言葉を交わさず整然と列を組みうつむき加減で事務所へ向かうその姿は、まるで黒い亡霊のようだった。


 ここは、ソラス王国にあるミァン炭鉱だ。

 国内最大の炭鉱で、ソラス王国の主要な輸出品である鉄を精製するのに使用する石炭を採掘している。

 その過酷な採掘に従事している炭鉱夫は、一部の人を除いて、人身売買あるいは人拐いにあった人々であった。彼らは安価な労働者として、劣悪な環境の中、重労働に従事しているのだ。


 事務所に入っていった炭鉱夫たちは、兵士が監視する中、つるはし等の道具を一人一人、所定の場所へ返却していった。その様子を灰色の瞳を細めてにらみつけていた兵士は、返却された道具に不足がないかを、都度台帳と照らし確認する。つるはし等の道具は武器にもなりかねないので、厳重に管理されているのだ。

 不足や破損があった場合、その炭鉱夫には罰金と罰則が科される。罰則の内容は、むち打ちや独房への幽閉など、過酷な労働で疲弊しきっている体には耐え難いものだった。そのため、炭鉱夫たちはなくさないよう神経をすり減らしているのだった。

 台帳との照合をしている兵士があごで「行け」と合図したのを目にしたセルマンは、伝票を受け取りに隣の部屋へ移動した。その隣の部屋では、採掘した石炭の重さが記載されている伝票を、兵士と炭鉱夫双方で確認することになっている。そして、伝票に記載されている石炭の重さで、給金が決定されるのだ。


「アティンはっと……。二箱、二割引」

 隣の部屋に入ると、兵士が一人一人の伝票を読み上げ、炭鉱夫と内容の確認を行っていた。割引というのは、採掘した石炭が入っている箱にどうしても混じってしまう石(ずり)の割合のことで、その分は重さから差し引かれることになっているのだ。  

 もちろん正確に量るわけではなく、推測で行われている。そしてほとんどの場合、実際より差し引かれるほうが多いのだ。

 セルマンは目をぎゅっと閉じ、壁によりかかりながら自分の番がくるのを待っていた。

 このソラス王国内の街中ではあまり見かけない、黒髪と褐色の肌を持つ二十歳前後の彼の額には、その年齢に似つかわないしわが刻まれていた。


 彼は、南方にある、無数の島で形成されるセガラ連邦の出身だ。漁でほそぼそと生計をたてている貧しい家庭に産まれ、八才の時にこの炭鉱に連れてこられたのだ。それから十年以上、この炭鉱で石炭の煤にまみれて働いている。

 連れてこられた当初、セルマンは痩せていて背も低かったため、坑内の通気孔の開閉を担当することになった。採掘や運搬と違って重労働ではないが、この仕事は真っ暗闇の中、一人で開閉の合図を待たなければならない。仕事中、だれとも会話を交わすことなく真っ暗闇の中一人座っていると、ついつい以前の生活が思い出され、ひざの間に顔をうずめて声を押し殺しながら泣くこともしばしばだった。

 それでも、来た当初は、ほぼ毎日泣きながら過ごしていたセルマンだったが、同じように炭鉱で働く子供たちと一緒に生活していく中で、徐々にではあるがここでの生活にも慣れていった。今では、いっぱしの炭鉱夫として、石炭の採掘に従事している。


「次は……。セルマンか」

 名前が呼ばれるのを耳にしたセルマンは、ふっと目を開くと、伝票係の兵士がいる机へ近づいた。

「えぇっと、お前は、二箱半。二割引」

 いつものことだが、胸の奥底にむらむらと黒い炎がくすぶり始めるのを感じた。

 二割引は引きすぎだ。

 確かにいい加減に仕事をする人は少なくないが、彼はずりが入らないよう細心の注意を払っている。

 よくまわりから、

「そんなにきちんと仕事をしてどうするんだ。自分のためにはならないのに」

 と言われるが、小さい頃、親に仕事はきちんとこなすものだと叩き込まれてきたからだろう。どうしても手をぬくことができなかったのだ。

 採掘の仕事を担当することになったのは三年ほど前だったが、長いこと会っていない親の教えが体に染み込んでいることに気づいた時には、セルマンはつい苦笑してしまった。と同時に、親のことを思い出しても涙が出てこなくなったことにはっとして、なにか大切なものを失ってしまったような、虚無感に襲われたのだった。

 割引に対して怒りは感じるが、それを兵士に訴えたとしてもろくなことにはならない。小さい頃からこの炭鉱で働いてきた彼は、ここで反抗的な態度をとってもなにもいいことはないと骨身に染みて分かっていた。

 兵士が無造作に指差す伝票の記入欄を、怒りを胸の奥底に秘めながらも、セルマンは無表情でサインした。

「よし。次は……、チャンドラ。おい、貴様、ちゃんと仕事しろ。ずりが多すぎるんだよ。二箱。三割引」

「……っく!」

「……。なんだ、文句でもあるのか?」

「……おい、落ち着け。早くサインしろ」

 奥歯をぎゅっと噛み、こぶしをにぎりしめながら暗い瞳で兵士をにらみつけているチャンドラだったが、セルマンが手を肩に置きながらそっとささやくのを耳にすると、肩を震わせながらもひとつ深呼吸をして、伝票にサインした。

「次は……」

 兵士が次の伝票を読み上げる中、セルマンとチャンドラは首から名札をはずし、壁に戻した。この名札は、現在だれが炭鉱にいるのか分かるようにするためのものであり、坑内にいる間は携帯することになっているのだ。

 そして、二人で事務所を後にした。


「頭にくるのはわかるけど、あの場で短気をおこすなよ。ろくなことにはならないぞ。」

「わかってるよ。わかってるんだけど、あいつの言い方が癇に障るんだよ」

 チャンドラと二人、連れだって歩いた。

 チャンドラは、セルマンと年が近かった。彼の両親もセガラ連邦出身なので、同じく彼も黒髪、黒い瞳、褐色の肌をしているが、この炭鉱で産まれたので、南方の海は全く知らない。

 彼は物心つく頃から炭鉱を遊び場としていて、五歳くらいには親の後について仕事の手伝いをしていた。セルマンがここに連れてこられた時には、すでに採掘した石炭の運搬を担っていた。

 几帳面なセルマンと、おおざっぱなチャンドラ。

 性格は反対の二人だったが、なぜだか気が合い、よく一緒につるむようになったのだ。

「とにかく早く風呂に行こうぜ。汗かいて気持ち悪いわ」

「そうだな」

 そう言って、二人は事務所の向かいにある共同風呂へ向かった。

「カーッ、ペッ!」

 その横を、喉の奥に張り付いた痰を吐き出しながら炭鉱夫が通り過ぎていった。地面にべっとり貼り付いている痰は、煤で真っ黒になっていた。


 北側に大きく広がるミァン炭鉱には、炭鉱夫が出入りする坑口、石炭を搬出する坑口がそれぞれ横一列に並んでおり、その南側に、さきほどセルマンたちが入室した事務所がある。

 事務所の西側には搬出口から吐き出された石炭を選炭する施設が広がっており、東側には共同風呂、その先には飲食店がひしめき合い、そこを通り過ぎると、炭鉱夫とその家族が寝起きする住宅が所狭しと並んでいた。

 これら炭鉱の区域の外には、深さ十五メートル、幅五十メートルの壕が張り巡らされている。これは、炭鉱夫たちがここから逃げ出すのを防ぐために作られたものだ。

 この閉ざされた炭鉱と外の世界を結ぶのは、この壕にかかる一本の橋だけだった。それでも炭鉱夫たちは外出が許されていないため、専ら石炭や物質の運搬、兵士の通行にのみ使用されているのだ。

 そして、橋を渡った先には、壕を取り囲むように兵士たちの駐屯地が広がっている。壕の回りには常に兵士たちが巡回しているので、この炭鉱から脱出するのはほぼ不可能なのだ。


 炭鉱の仕事は石炭の煤でかなり汚れるため、共同風呂は必須だ。

 その共同風呂に到着した時には、すでに仕事を終えた炭鉱夫たちでかなり混雑していた。脱衣場で、二人はなんとか空いてる場所を見つけると、服をさっと脱ぎ、浴場へ向かった。

 浴場では隣同士、体がくっつきそうになるくらいの間隔で洗い場が設置されているが、お互い慣れたもので、みな黙々と体を洗っている。

 二人はちょうど空いた洗い場を見つけると、すっと体を滑り込ませ、お湯を頭からかけた。体に付着した石炭の煤がお湯と一緒に流れ、床一面に複雑な模様を描いていく。

 そんなことには気にも留めず、二人はせっけんで全身を丁寧に洗った。

 きれいに洗い終わった後は、一日の疲れをとるため湯に浸かる。体を洗う前に浴槽に浸かることは禁止されているが、それを守らない輩がいるため、浴槽のお湯は少し黒ずんでいる。

 しかし、そんなことは気にならなかった。

 セルマンは肩まで浸かって手足を伸ばし、目を閉じた。炭鉱の仕事は苛酷だが、この風呂に入浴しているひとときは、日頃の疲れを和らげてくれる特別な時間になっている。


「なぁ、セルマン。知ってるか?」

 体に染み渡るぬくもりにただただぼーとしていたその時、チャンドラが話しかけてきた。

「なにを?」

 そう答えると、チャンドラはぐっと体を近づけて、耳元で囁いた。

「ストをするっていう話だよ」

 セルマンは、反射的に周囲を見回した。誰かに聞かれ、兵士に告げ口されようものなら、なんらかの処罰は免れない。

 何人かの視線が、こちらに向けられたような気がした。しかし、セルマンの視線に気が付くと、みな、すぐに目を逸らした。

 そのことには気づく様子もなく、チャンドラは話を続けた。

「最近、新しい坑道ができただろ。あそこのひどさは知ってるよな?そこで働く連中がストをするっていう噂が流れてるぜ」

 新しい坑道の悪評は、セルマンも耳にしていた。

「そうなのか。夕飯の時にでも詳しく聞かせてくれ。ここはよくない」

 そう小声でささやくと、セルマンはざっと立ち上がり、湯からあがった。


「だからよ、あの坑道、地下水が頻繁に流れ込んでくるっていうのは知ってるだろ?その都度作業を止めないとなんねぇから、あんまりたくさん掘れねぇらしいんだよな。そうすんと、お給金に響くわけよ。んで、一部の連中がストをおこすって息巻いてるらしいぜ」

 積年の汚れでぎとぎとしている長テーブルがところ狭しと詰め込まれている居酒屋。天井からぶら下がるアセチレンランプに照らされる中、隣の人とひじがぶつかるような狭い席で、二人は夕飯をかきこんでいた。

 居酒屋はこの炭鉱に何軒もあるが、あまり周囲に聞かれたくない話をする時は、二人はこの「馬蹄亭」をよく利用する。ここは安酒をたくさん揃えており、大酒飲みが多い炭鉱夫がたくさん集まる人気の居酒屋だった。

 今日も店内は満員で、体格がよい炭鉱夫たちががなりたてるバカでかい声とジョッキがぶつかりあう音で、かなり騒々しい。人が多いと話の内容が周囲に聞かれてしまうと思われがちだが、ここはあまりにうるさすぎるため、その心配も無用なのだ。しかも酔っ払いが多いのも好都合だった。


 セルマンは、ほんのわずかばかりのベーコンとじゃがいもの炒めものを口いっぱいほおばりながら尋ねた。

「ストをおこすってどうやってやるんだ?それに、一部の連中てだれのことだ?」

「さぁ、それは俺もよくは知らねぇよ。でも、デディからそう聞いたぜ」

 最後にストが起きたのは、今から八年前だ。

 セルマンはまだ子供だったが、息巻いていた大人たちがあっという間に兵士たちに鎮圧されたのを今でも覚えている。そして、その事件をきっかけに、坑内で使うつるはしやスコップを都度返却しなくてはならなくなったのだ。


「で、お前はどうするよ?」

 ジョッキに入った黒ビールをぐいっと飲みながら、チャンドラは尋ねた。

「どうするって?」

「だから、ストに参加するかどうかだよ。もし誘われたら、参加する気はあるのか?」

「うーん……」

 以前から、できることなら兵士のやつらに一矢報いたい、と思ってきた。

 真っ黒な石炭にまみれ、身を粉にして働く日々。苛酷な労働や劣悪な環境の中、命を落としていく人もたくさん見てきた。

 そんな死と隣り合わせにいる自分たちを、兵士の中には汚いごみとしかみなさないやつらもいる。そういったやつらに、自分たちだって同じように血が流れる人間なんだ、と思い知らせてやりたい。今回のストはそれを実行に移すよいチャンスかもしれなかった。

 しかし、今聞いたチャンドラの話では、全くといっていいほど詳細がわからなかった。

 ストを起こすなら、万端な準備をして実行に移すべきだ。そうでないと、八年前の二の舞になる。

「正直、情報が少なすぎる。もちろん、このままずっとこんな状況でいいなんて思ってはない。だけど……」

「はぁ?そんなのなんだって言うんだよ。今まで、あいつらに一発お見舞いしたいって言ってたのは、ウソだったってのか?」

 空になったジョッキをテーブルの上にどんと置きながら、チャンドラは口元の泡を拭うとぶっきらぼうに言った。

「俺は参加する。……前に、ふと思ったんだよ。ほら、この前産まれた俺のガキ。そいつの寝顔を見てるとな、こいつにはこんな地の底を這いずり回る生き方をさせたくないって。家畜みたいにやつらの言いなりになる暮らしをさせたくないって。

 ……俺は、頭が悪い。だから、どうすればいいのかよくわかんねぇが、もしストをおこすっていうんなら喜んで参加するぜ。

 お前は、この生活に満足してんのか?」

 思っていたより真剣に考えていたチャンドラの、その話す横顔を目にしたセルマンは、心臓を針で刺されたようにどきっとした。チャンドラはただ暴れたいだけかと思っていたからだ。

 もちろん、今の暮らしには満足していないし、一発お見舞いしたいというのも本心だ。

 炭鉱の仕事は危険に満ちている。いつ、落盤やガス爆発に巻き込まれるかわからない。

 先日も落盤があって、三人亡くなったばかりだ。その遺体の回収にも、二次被害がでたら困るという理由で、兵士たちは渋ったほどだ。

 それに、セルマンのようにこの炭鉱に売られてきた人たちは炭鉱で働いて貯めたお金で身請けすることができるという制度になってはいるが、実際には給金は低く、しかも衣食住を全て炭鉱内の店で賄うしかないため、街で買うより高く、品物も粗悪なものしかない。

 そんなわけで、給金を貯めようとしても一向に貯まらず、この制度を利用して自由の身になれた人は、セルマンの知っている限り、誰一人としていない。

「確かに、このままだと一生奴隷として生きていくことになるんだな」

 大きなじゃがいもの塊を一つ、フォークでつつきながら、セルマンはぼそっとつぶやいた。

「ん?周りがうるさくてよく聞こえねぇ。もっと大きい声で言ってくれ」

 そう叫んだチャンドラの後ろから、ひょっこり顔をだす一人の初老の男性がいた。

「おやじ!」

 セルマンの大きな声で、チャンドラは後ろを振り返った。

「おぉ、プラトのおっちゃん。元気か?」

「おぉ、元気だ。お前らこそしけた顔して。元気か?」

「おぅ、俺たちは、いつでも元気だ。

 あ!そうだ。おっちゃんの意見も、聞かせてくれよ」

 と言って、チャンドラは迷惑そうな隣の人の視線をものともせず、なんとかもう一人座れるくらいの幅を作り、プラトを二人の間に座らせた。

 プラトは遠く東にあるシャモル自治州出身で、この炭鉱には二十五年以上働いている。ここに来たいきさつはよくわからず、セルマンも小さい時に一度尋ねたことがあったが、うまくはぐらかされてしまった。なにか犯罪を起こしてこの地に流れ着いたと言う人もいるが、セルマンがここに連れてこられた時にいろいろと身の回りの世話をやいてくれた、心の温かい人だった。昔は採掘の仕事を担っていたが、苛酷な労働が祟ったのか、体を壊した後は、ずっと運搬の仕事をしている。小柄ではあるが、骨太のがっしりした体格の持ち主だ。

 セルマンは、小さい時の自分に目をかけてくれた、この白髪混じりでうっすらと青い瞳のプラトに、父親に寄せるような愛情を抱いている。

「……というわけなんだが、プラトのおっちゃんは、どう思う?」

 チャンドラの話を聞き終わったプラトは、腕を組み、うつむき加減で考えこんだ。

 その様子を、じっと二人で見守っていたが、プラトは腕をほどくと顔を上げ、口を開いた。

「その噂、兵士側が流した可能性があるんじゃないか」

「兵士側?」

「あぁ。むこうも、新しい坑道が炭鉱夫たちの中で評判が悪いのを知ってるだろう。だから、そういった噂を流して、そのストに賛同するような不満分子を洗い出すんだ。で、そいつらに制裁を加え見せしめにすることで、俺たちを抑えつけようとしているのかも。」

「うーん……。なんか、よくわからねぇな」

 チャンドラは、頭をかきむしって唸った。

「まあ、これはあくまで俺の推測よ。可能性の一つでしかない、てぇことだ。お前が言うように、本当にしっかりと計画してる奴がいる可能性だってあるんだ。

 だがなぁ……」

 無精髭が生えているあたりをじょりじょりさすりながら、言おうか言わまいか迷っているような様子だったが、二人の真剣な面持ちに気づくと、ため息を一つ吐いた。

「お前たちも知ってるだろうが、以前のストライキの結果は、散々たるものだった。首謀者も、結局行方不明。恐らく始末されちまったんだろうな」

「でもよ、このまま……」

 チャンドラが反論しようとするのを片手で制止したプラトは、話を続けた。

「まあ、お前の気持ちもわかる。俺たちの人生がかかっているからな。ただ、ストってもんは、時に命が失われることもあるんだってことが言いたいんだよ。やつら、炭鉱の働き手がいなくなるのは痛手のはずだが、不満分子は危険と見なして、躊躇なく消しにかかると思うぞ。

 ……それに、チャンドラ。お前、こどもが産まれたばかりだろ?乳飲み子を抱えた奥さんは、こんな場所でどうやって生きていくんだろうな」

「……」


 あの後、まだ飲み足りないと言うプラトを残し、大酒飲みで賑わう居酒屋を後にした。

 時刻は十時過ぎ。

 夜の闇に浮かぶ灯りに照らされながら、肩を組み、大声で歌いながら歩いている炭鉱夫たちが、通りのあちらこちらで見られる。仕事をしている時とはうって変わって、酒を飲む時はずいぶん陽気に騒ぐ。

 日々の仕事や生活の辛さを、酒に呑まれることで忘れようとする仲間たち。

 その刹那的に生きる姿を見ると、セルマンはいつも虚しい気持ちに襲われるのだ。


 炭鉱夫たちの居住地は、居酒屋が軒を連ねる歓楽街の通りの先にある。セルマンとチャンドラは、寮に向かって、通りをとぼとぼ歩いていた。

 七月といえども、夜に吹く風は、火照った頭を冷やしてくれるのにちょうどよい。二人は、それぞれがさきほどの居酒屋でのやりとりについて考えながら歩いていたため、ほとんど会話を交わすことはなかった。

 通りを抜けて、居住地に着いた。この辺りは歓楽地から少し離れており、ずいぶん静かだ。

「じゃあな」

「おう」

 最近、家庭をもったチャンドラは、家族寮に住んでいる。二人はそこで別れのあいさつを交わすと、セルマンは一人、独身寮へ歩きだした。


 独身寮は、四階建てのレンガ作りの建物で、一部屋に六人が共に寝起きしている。

 セルマンは、薄暗い中をねずみや虫が時に横切る階段を上っていった。炭鉱は、二十四時間稼働しているので、常に部屋で休んでいる人がいる。なので、ここは案外静かなのだ。

 最上階の四階に到着した。ときおり他の部屋から聞こえるいびきを聞きながら、廊下を進み、自分の部屋へ入る。

 部屋には三段ベッドが両壁に二台、そして共有のクローゼットと簡素な机椅子がベッドの間にあるだけで、ずいぶん殺風景だ。

 同居人の内、二人は夜勤のため不在で、一人はまだ飲んでいるのだろう。

 ぐっすり寝ている二人を起こさないよう静かにはしごを上って「はぁ」とため息をつくと、自分のベッドに仰向けに倒れこんだ。


 チャンドラやプラトとの会話が、頭の中を巡る。

 親友のチャンドラは、いつも物事を単純に考える。会話の機微や、言葉の裏に秘められた意味を掬い取ろうとはしない、というよりは、できないのだ。そのため、勘違いをしたまま、先走って行動に移してしまうことが、これまでにも多々あった。

 それはそれで危うく思う時もあるのだが、その単純明快さが、正直羨ましくも思っていた。自分にはないものだからだ。

 そして、今度はプラトのことを思った。

 セルマンもチャンドラも、ストの噂を兵士側がしかけた可能性については全く思いつきもしなかった。もちろん誤った推測かもしれない。しかし、そういう可能性には気づくべきだと、いまさらながらに強く感じていた。

「学校に通っていれば、いろいろなことに気づけるようになったんだろうか……」

 セルマンは学校に通ったことがない。セガラ連邦にいた時は家業を手伝っていたし、この炭鉱には労働力として連れてこられたので、今まで勉強する機会が全くなかったのだ。

 それが、今ではとても引け目に感じており、勉強をする機会に恵まれなかった自分の人生を恨むとともに、そういった環境を作り出しているこの国・人に、いいようのない怒りを感じるのだ。

 結局、いつも最後は自分の生い立ちに対して恨みつらみが募って終わる。今回もまた、どす黒い怒りの炎が胸の奥底で鎌首をもたげ始めた。

「うーん……」

 下から聞こえてきた声に、はっと我に返った。

 暗闇の中、耳をすませていたが、どうやらただの寝言だったようだ。

 明日も、朝から仕事だ。

 ストに関して自分なりに情報を集めなくてはと思いつつ、疲れからくる睡魔に身を委ねた。


 ふと、目が覚めた。

(もう朝なのか……?)

 まどろみながら、ぼーと天井を見つめた。部屋の中は、ちらちらと揺れるような明かりによって、うっすらと明るい。朝が近いのかとも思ったが、体のだるさが、まだ眠りについてからそうたっていないと教えてくれた。

 少しずつ意識がしっかりしてくるにつれ、外が騒がしいのに気付いた。

(なんだろう?)

 と思い、回りの人を起こさないようすっと起き上がると、静かにはしごを降りて、開けっ放しにしている窓から外を見た。

 セルマンたちの部屋の窓は東向きで、昼間は他の独身寮や家族寮、炭鉱を囲むように作られた堀や、その回りにある駐屯地を見渡せる。

 しかし、この時は、真っ赤に燃え上がる炎が駐屯地を焼き付くそうとする光景が目に飛び込んできたのだ。

 ぱちぱちと、なにかがはぜる音が聞こえる。

 燃えかすが、熱風とともに対岸にある独身寮まで飛んできて、ぽかんと口を開いているセルマンのほほをなでていった。

 思いもよらない光景に唖然としていたその時、

「暴動だ!暴動が起きたぞ!」

 と叫びながら、廊下をばたばた走る音が聞こえてきた。

 その声を聞いたセルマンは、はっと我に返り窓からぱっと離れると、廊下へ飛び出した。やや遅れて、今の叫び声を聞いた同居人たちや、他の部屋の炭鉱夫たちも飛び出してきた。

「だれが、暴動を起こしたんだ?」

「知らねぇ!でも、駐屯地は火にまかれて、やつら、動揺してるぞ!夜勤のやつらがみんな武器を手に闘ってる!」

 うわぁという地鳴りのような歓声が起こった。

 そして、その勢いそのままに、みんな着の

 身着のままで、階段目掛けて駆け出した。

 セルマンも、胸に突き上げてくるような高揚感に突き動かされ、気付いた時には他の仲間と一緒に駆け出していた。

「チャンドラの言っていたのは、このことだったのか!」

 足がもつれそうになるのをもどかしく思いながらも、二段、三段と、階段をすっ飛ばしながら駆け下りる。

 そして一階まで駆け降りると、寮の外へ飛び出した。

 そこでセルマンが見たのは、歓声をあげながら居住地から炭鉱の方へ駆けていく、たくさんの炭鉱夫の姿だった。

 両手を突き上げ踊るように駆けていくその姿は、まるで、檻に閉じ込められ不自由な生活を強いられてきた動物が自由の世界に解き放たれたかのように見える一方で、あまりの狂喜に興奮のるつぼと化した化け物が踊り狂っているようにも見え、揺らめく炎に照らされる中、異様な光景を繰り広げていた。

 そんな中、セルマンは、ただただ腹の底から突き上げる興奮の赴くままに、他の炭鉱夫たちに遅れまじと走り出していた。

 焦りにも似た興奮からか、心臓がばくばくして足に力が入らない。対岸に視線を向けると、まさに今、兵士の宿舎の一つが炎の前に力尽き、崩れ落ちるところだった。

 くずれおちた際に生じた火の粉が空に舞い上がる。あたりは燃え上がる炎で、昼間のように明るい。

 飲み屋が立ち並ぶ通りに差し掛かった。店で飲んでいた炭鉱夫たちはすでに炭鉱へ向かったようで、店先には女性店員たちが駆けていく炭鉱夫たちに声援を送っている。

 そこを駆け抜けていくと、通りの端に何人かが集まって騒いでいた。覗いてみると、兵士が一人うずくまって倒れており、その兵士を何人かの炭鉱夫が囲んで蹴りあげている。兵士はぴくりとも動かない。よく見ると、それは今日、炭鉱から引き揚げた時にシャベルなどの用具を台帳と確認していた、灰色の目をした兵士だった。

 セルマンの後ろから覗きこんだ別の炭鉱夫は、倒れている兵士を認めると

「ぺっ!」

 と唾を吐きかけ、走り去っていった。

 セルマンも、その場を後にして走り出した。

 すると、飲み屋が途切れたあたりに、たくさんの人が群がっているのが見えた。

「一人一つ、手に取れ!」

 みんなより一段高い所に上り、手にシャベルを持って叫んでいる人がいる。どうやら武器になるようなものを配っているようで、シャベルやつるはしを手にした炭鉱夫たちが、我先にと、炭鉱へ駆けていく姿が見える。

 その姿を目の当たりにしたセルマンは、興奮のあまり、体が震えた。

 八年前に奪われたものが、今、自分たちの手に帰ってきたことを覚ったのだ。

「やれる!やれるぞ!」

 そう叫ぶと、武器を手に入れようと押し寄

 せる人の波にがむしゃらに飛び込んだ。なんとかシャベルを手にいれると、それを持って人混みをかき分け、炭鉱へ駆け出していった。


 炭鉱へ近づくにつれて、金属同士がぶつかりあう音や、怒号や悲鳴、そしてときおり聞こえる歓声が大きくなってきた。あちこちで、炭鉱夫と兵士が小競り合いをしていた。

 しかし、優れた装備を有している兵士も、数に勝る炭鉱夫に圧倒されて、みるみる間にその数を減らしていった。

 炭鉱夫たちは、兵士が倒れても、彼らへの攻撃の手を緩めない。日頃の積もり積もった恨みを晴らすかのように、徹底的に叩きのめしている。

 執拗に殴られ続けた兵士の中には、すでに、血の海の中で絶命している者も少なくない。生きている者も、程度に差はあれなんらかの傷を負っており、勝敗は明らかだ。

 セルマンも、この勝利を確実なものにするべく、シャベルを手に、兵士を探そうとあたりを見回した。極度の興奮からくるのか、その手が小刻みに震えていた。

 その時、背後から、あたり一体に響き渡るような声が聞こえてきた。

「これで充分だ。生きている兵士がいたら、捕虜にしろ」

 後ろを振り返ると、色白で華奢な青年、というよりは、むしろ少年といってもいいくらいだが、山積みされた箱の上に立っているのが見えた。その両脇には、優に二メートルはあろうかという大柄な炭鉱夫が何人も控えている。

 その姿を見た瞬間、セルマンは背筋がぞくっとし、お腹の中心あたりがきゅっと縮こまるような感覚を覚えた。なにか見たり触れたりしてはいけないもの、不吉なものを目の前にしているような、そんな感覚だった。

 ふと腕を見ると、肌が粟立っており、気分も先ほどの高揚感は消え失せ、沈みこんでいくような、そんな気持ちになっていた。

「そういえば、だれがこの暴動を計画したのだろう……」

 燃え上がる炎に照らされた青年の顔は、青白い。

 その緑色の瞳をぼんやり眺めながら、セルマンは一人、つぶやいた。


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