世界の一片(かけら) ~金を守護するもの~

@hiroke

第1話 見えぬ足音

 ~ソフィア 7月10日~


 教室の窓を、ふと見上げる。

 七月らしい青空に、白い雲がぽっかりと浮かんでいた。

 今ごろ、家ではフランシスたちが、羊や山羊を移牧させているんだろうと、ソフィアはぼんやり思った。

 ソフィアの実家は、冬は山のふもとで放牧しチーズを作ったりしているが、夏になると新鮮な草を求め、山の上にある放牧地へ移牧する。夏の放牧地は日差しこそきついが、高く連なる山々から吹き降ろす風によりいつも快適で、上を見上げれば、ぬけるような青空を背景に万年雪を抱く山々の中を悠然と飛ぶイヌワシを見ることができ、また足元に目を向ければ、青々とした草の中にリンドウやエーデルワイス等の花があちこちに咲き乱れる、ソフィアの大好きな場所だった。

 一足早く夏休みに入った妹弟のグレースやピーターは、そんな夏の放牧地で、鈴をガランガラン響かせながら草を食む羊たちの後をはしゃぎながら追いつつ、シロツメクサの冠でも作っているのだろうか。

「あぁ、早く私も行きたいなぁ」

「……夏休みに入れば、好きなだけどこにでも行けますよ。

 で、テアス地方の主要な産物はなんですか?上位三つを上げなさい。また、それらを輸出する港のうち、一番大きい港の名前は?」

「……えっと……」

 予習もせず授業も上の空だったため、答えが全くわからなかった。

 窓から差し込む夏の午後の日差しが、教室内に黄色い霞がかったような明るさをもたらしている。ソフィアを見つめる生徒たちの間に、笑いをかみ殺す声がさざ波のように広がっていった。

 先生の刺すような視線を浴びて、肩まで届く茶色い髪にとび色の瞳を持つソフィアの顔はみるみるうちに赤くなり、体は縮こまっていく。

 しかし、ちょうどその時、救いの手を差し伸べるかのように、授業の終わりを告げる鐘が鳴った。

「……上から、木材、小麦、鉄製品です。また、一番大きい港はトンです。

 あなた、明日からテストなのに大丈夫なの?いつも上の空のようだけど」

「すみません……」

「本日勉強したところまでテストに出ます。しっかり復習しておくように。では、本日はここまでとします」

 席を立つ音や話し声で教室の空気ががらっと変わり、自分への注目が消えたことを感じとったソフィアは、体のこわばりを解くとともに、ほっと安堵のため息をついた。

 そこに、斜め前に座っていた、ソフィアと同じくらいの背丈で赤毛のおさげを垂らし、頬にそばかすを浮かべた女子生徒が近づいてきた。そのこげ茶の瞳には、からかうようないたずらっぽい笑みが浮かんでいた。

「また、ぼーとして。で、どこに行きたいの?」

「夏の放牧地。今頃、みんな放牧しているんだろうなって思ったら、つい口にしちゃった。」

「そっかぁ。私も早く行ってみたいなぁ。……て、夏休みに行けるんだよね。

 でも、その前にテストだ……。そういえば、ソフィア、ちゃんと勉強してる?」

 ソフィアの一番の親友、イーディス。彼女は街育ちだ。

 ソフィアが住むソラス王国では、七~十二歳まで村などにある地元の小学校に通い、十三~十五歳で街にある中学校に通うことになっている。成績優秀者や貴族、裕福な家の子たちは、その上の学校に進学することもあるが、大多数は、中学校の卒業を機に働き出す。

 ソフィアは、去年まで村の小学校に通っていたが、今年から街の中学校に進学、寮生活を送っていた。相部屋のイーディスとはすぐに意気投合し、冬休みには、ソフィアがイーディスの家に遊びに行った。そして、もうすぐ迎える夏休みには、今度はイーディスがソフィアの家に遊びに行くことになっていたのだ。街で薬局を営む家に生まれたイーディスにとって山での放牧生活は憧れだったようで、ソフィアの家に遊びに行くことを、ずっと前から楽しみにしているのだ。

「……うん、そうだよね、してないよね。ソフィアが勉強している姿なんて見たことがないもの。

 ……さて、そろそろ牛舎に行かないと。テスト前なのに、うちの学校容赦ないよね」

「うん、そうだね」

 今週は、学校で飼育している牛の世話当番だ。テストや将来の進路を考えるより、牛の世話をしているほうがよっぽど楽しい。


 暗闇にほんの小さな明かりが一瞬ともり、その後、紫煙がゆらりと立ち昇る。

 ソフィアの長兄フランシスは、小屋の入り口の階段に腰かけ、タバコの煙を肺の隅々まで行き渡らせるかのように深く吸い、ゆっくりと吐き出した。

 七月といえども、標高が高いこのあたりは、夜になると冷える。そのしんとした闇夜の中を、さっと吹き抜ける風によって奏でられる草花のさわさわという音と、ときおり聞こえる家畜の鈴の音色の中、一人で一服するのが彼のささやかな楽しみだった。

 上を見上げると、漆黒の空に、金、銀、宝石をちりばめたような星が一面に広がり瞬いている。

「いい夜だ」

 傍らに寝そべっていた牧羊犬がむくりと頭を持ち上げた気配を感じたが、また、すぐに眠りに着いたようだ。

 今年は天候に恵まれたおかげで麦の出来もよく、また病気などで死ぬ家畜も少なく、春先に生まれたこどもたちも順調に育っている。昨年より実入りが増えるので、フランシスは牛を増やそうかと考えていた。最近、チーズの輸出が増えているようで、年々、取引価格が上昇しているのだ。

 フランシスは、両親にこの話を持ち掛けた。しかし、あまりよい反応はなかった。新しいことに消極的な両親。その根底に、二十年ほど前に起こった天候不良による飢饉での手痛い経験があるからではないかと、フランシスは考えていた。

 さっと風が吹き、襟元に冷たい空気がすっと入り込んだ。

 先ほどまで、星の明かりで周囲をわずかに見渡すことが出来たが、今は、目の前に伸ばした手を見分けることさえできないほど、暗くなっている。空を見上げると、薄雲が空にかかり始め、星を覆い隠そうとしていた。

 両親の説得についてはまた後ほど考えようと、残りわずかとなったタバコを吸い、吸殻をかかとで踏み消した。明日も早いためもう寝ようと立ち上がり、うーんと伸びをする。そして階段を数段上がり戸に手をかけた、その時だった。

 傍にいた牧羊犬が急に起き上がり、「うー」という低い唸り声を上げたかと思うと、東側に広がる山の頂上に向かって吠え出したのだ。別の場所で休んでいた他の牧羊犬も、同じ方向へ一斉に吠え出している。

 それとほぼ同時に、羊や山羊も「べーべー」鳴き出し、あたり一帯、騒然とした空気に包まれた。

(狼か……!)と、最初、フランシスは思った。

 家畜の天敵として、最も警戒しなければならない存在だ。

 しかし、すぐにその考えを否定した。

(……いや。狼なら、狩りを始める前に、群れで遠吠えをするはずだ。でも、そんな声は、聞こえなかった……)

 鳥肌が立った。

 とにかく、なにが起きたのかを確認しようと、灯りを取りに行こうとした、その瞬間……。

 衝撃波を背後から感じ、思わず前につんのめった。その勢いで、戸に頭をしたたかに打ちつけた。

「いってぇ……」

 とつぶやきながら、打ち付けた個所をさする。

(今のは突風か……?)

 と一瞬思ったが、すぐに違和感を覚えた。

 背後から、びりびりと圧力を感じるのだ。体全体がその圧力で抑え込まれるような、そんな感覚だった。

 物音で目が覚めたのか、小屋の中からがさこそと音がしたかと思うと、灯りを持った従兄弟たちが、飛び出してきた。

「なんだ!……て、うっ!」

 従兄弟のブライアンとパトリックが小屋の中から飛び出してきたが、なにかにひるんだように腕で顔をかばうと、急に立ち止まった。

 フランシスはなんとか立ち上がると、ブライアンの指先でぶらぶらと揺れている灯りをさっと奪いとり、小屋の前へその明かりを投げかけた。

 そこには一見、いつもと変わらない光景が広がっているように見えた。しかし、大気は震え、目に見えないなにか強大な力がこの辺り一帯を押さえつけようとしているのを、肌で感じた。

「なにかが、起こっている……」

 明かりの届かない真っ暗闇を見つめながら、フランシスはつぶやいた。

 先ほどまで吠えていた牧羊犬は、今や「くーん……」とおびえたような声を立てて小刻みに震えながら小さくうずくまっている。家畜たちは、一部はパニックになって、四方へ走っていってしまったようだ。

 今や、空は厚い雲に覆われ、宝石のように瞬いていた星たちは、黒いとばりの向こうに押しやられてしまった。




 ~ソフィア 7月11日~


 漆黒一色だった空が、東から瑠璃色に染まり始めた。あと三十分もすると、クロウタドリたちがさえずり始め、その歌声に惹かれるかのように、太陽が顔をだすだろう。

 窓からふわっと風が入り、ベッドで寝ている生徒の頬をくすぐる。

 まだ部屋の中は真っ暗だが、もう起きる時間だ。

 生徒が一人、もぞもぞと起きだしうーんと大きく伸びをすると、はしごを伝って二段ベッドから降りた。ベッドの下からは、親友のかすかな寝息が聞こえてくる。一瞬、声をかけて起こそうかと思ったが、朝が苦手な彼女はどうせなかなか起きてこないだろうと思うとそれもためらわれ、前日のうちに用意しておいた服を手探りで探すと、着替え始めた。同じ部屋のもう一方のベッドに寝ていた二人もどうやら起きだしたようで、ごそごそと動き出す音が聞こえてくる。

 服に着替え終わった彼女は、心地よさそうな寝息を立てている親友の元へ近寄った。

「ソフィア、おはよう。朝だよ、起きて」

 イーディスはソフィアに声をかけたが、反応はない。

「ソフィア、起きて!私たち、今週は当番なんだよ?最後の組になったらどうなるか、わかるでしょ?」

「……うーん。わかってるぅ……」

 イーディスに背を向けてゆっくり寝返りを打つソフィアの布団をイーディスはがばっとはがすと、思いっきり揺さぶった。

「私、先に行くよ!」

「……うーん、わかった……。今、起きるから……」

 そう言うと、ソフィアはもそっと起きだしてベッドから降りた。そして、眠たそうな眼をこすりながらタンスを開け、着替えを探し始めた。

「寝る前に用意すればいいのに。朝準備するほうが、面倒じゃない?」

「うん、でもついついめんどくさくなっちゃうんだよね」

 相部屋の二人が「おはよう。先に行くね」と言いながら部屋を出ていったことに焦りを感じ始めたイーディスは、もたもたと準備しているソフィアに少しいら立ちを募らせ始めた。そして、今日やることを思い浮かべたイーディスは、はっとした顔をすると、のらくらと着替えているソフィアの方を向いた。

「というか、ソフィア!今日の試験、勉強した?」

 ソフィアはその問いに答えなかった。そう、実は全くしてない。

 正直、勉強をする理由がわからないのだ。文字の読み書きや計算さえできれば、それで充分なんじゃないだろうか。国の産業や、世界の歴史や地理、日常生活に使わなさそうな難易度の高い計算、そんなのがなんの役にたつというんだろう。

「大丈夫、なんとかなる!いつもそうだから!」

 シャツから頭をだしたソフィアは、こちらを見つめるイーディスの顔を覗き見た。そのイーディスの顔つきが呆れているのか憐れんでいるのか……。

 少し明るくなってきた部屋の中でも、まだ判別できなかった。


 寝ている他の部屋の生徒を起こさないように、ソフィアたちは静かに戸を閉めた。廊下は窓からさしこむ薄明かりで、灯りがなくても充分見通せた。時間に間に合うか、ぎりぎりの状況だ。

 少しひんやりとした空気が流れる石畳の廊下を、あまり音をたてないよう気を付けながら小走りで牛舎へ向かう。

 ソフィアたちが通う学校は、一学年三百人ほど、全部で九百人くらいの生徒が学んでいる。敷地には、教室がある棟、食堂や実験室がある棟、そして生徒たちが寝起きする棟の三棟がコの字型になって建っている。他に運動場もあるが、敷地の大部分を占めるのが牧草地で、その隅に牛舎や家畜小屋があった。その家畜たちのエサやりや掃除、乳絞りが、毎週、当番制で回ってくるのだ。そして、今週はソフィアたちの部屋も当番に当たっていた。

 建物を出て、小高い丘の上にある牛舎を目指す。外はずいぶん明るくなり、東の空は、刻々と曙色になってきている。鳥たちも起き始めたようで、クロウタドリはもちろん、雀やほかの鳥たちもさえずり始めている。さぁっと吹く風が草花を揺らし、さわさわという音をたてる。その風に髪をなびかせながら、ソフィアたちははぁはぁと息を切らして牛舎へと走った。

 牛舎に到着した時には、太陽は東から顔を覗かせ始めていた。空が一気に明るくなり、色彩を帯びてくる。そんな光景を横目に、牛舎横にある更衣室へ飛び込んだソフィアたちは、作業着に着替え始めた。

「まずい!他のみんなは、もう来てるよ!」

 当番は、男子女子それぞれ十二人ずつ、あわせて二十四人で行われていた。更衣室に置いてあった着替えは二人分だけなので、少なくとも、ほかの女子は全員すでに作業を開始しているということになる。

 猛スピードで着替えて、牛舎へと急いだ。

「おはようございますっ!」

 牛舎の入り口で、息を弾ませながら挨拶した。中は、牛の体臭と糞などから発生するもわっとした匂いが充満している。

「おぉ。来たかぁ。悪いな、試験だってのによ」

 他の生徒たちと牛舎の清掃を始めていたノアが、「もーもー」鳴く牛の間からぬっと顔をだし、にやっと笑う。

 ノアは、五十才くらいの背の高い坊主頭のおじさんで、こどもの時からこの学校で牛の世話人として働いているんだそうだ。牧畜業に従事している人らしく力が強く、寡黙で、そして少し田舎臭いところが、ソフィアにはなんだか懐かしく、実家での生活を思い起こさせてくれるのだ。

「遅くなってごめんなさい」

「いや、かまわねぇ。まずは、清掃から始めてくれ。ちなみに、まだ来てない組が一組あるから安心しな」

「よかった……」

 清掃道具を手にとると、まず、糞を集めて片付ける作業から開始した。牛にストレスを与えないように、またきれいな生乳を生産するためにも、牛舎をきれいにするのは大切な仕事なのだ。そのように、小さい頃からソフィアは親に叩き込まれて育った。

 しばらくの間、一人黙々と作業をしていると、ノアの声が聞こえてきた。

「えぇと、じゃあソフィア。そろそろ牛に水をやってくれ」

「はーい」

 掃除の手を止め、牛舎の端にある水槽へ向かう。そこから牛に飲み水を供給しているのだ。

 水槽があるところまで来ると、ソフィアはすぐそばの柱にかけてある袋から水の結晶を一つ取りだし、ふぅと息を吹き掛けて水槽へ放り込んだ。小指の先くらいの大きさで、青くて鈍い輝きを放つ水の結晶は、カランと音をたてて水槽の中を転がると、みるみるうちに水を放出しだし、水槽を水で満たし始めた。


 結晶とは、火や水の魔法の力を閉じ込めた物で、結晶自体が火や水そのものに変化する。それを利用することで、例えば、火打石がなくても火を熾すことができ、また、井戸や湧き水がなくても水を得ることができるのだ。

 結晶は、その魔法の種類によって色が異なり、また、大きさによって魔法の強さが変わる。火なら赤、水なら青。そして、結晶が大きければ大きいほど、その魔法の強さが増すのだ。

 使い方は簡単で、結晶に息を吹き掛けるだけで誰でも使用することができた。魔法の才能がなくても使うことができる上に安価のため、今日では世界中で広く使われている。このソラス王国では、主に火や水の結晶が売られているが、他にも風や土の結晶といったものもあるらしい。

 この結晶は、魔法の研究が盛んな隣国、イギ国でしか生産されていない。生産方法自体、門外不出としているのだ。

 祖父から聞いた話によると、昔は結晶なんていうものはなく、魔法自体、一部の人にしか扱えなかったんだそうだ。しかし、今から五十年ほど前、この結晶が生産され出回るようになってから、世界のあちらこちらで、生活様式が様変わりしていった。また、世界の構図も変わり、土地が痩せ貧しかったイギ国が、その魔法の力を利用した軍隊とともに、一気に、世界の中で影響力を持つようになったんだそうだ。


 水槽に水がたまる様子をじっと見つめながら、ソフィアは(便利だなぁ)と、改めて思った。家でも一時期使っていたが、家畜の病気が増えたり乳の味が落ちたとかで、最近はたまにしか使わなくなってしまったのだ。

「味が落ちたって言ってもそんなに変わらないし。街の人とか、絶対に気づかないのになぁ」

 そう独り言を呟いていると、牛舎の入り口あたりから

「おはようございます!遅くなりました!」

 と、挨拶している大きな声が聞こえてくる。寝坊した男の子たちだ。

「おぅ、おはよう。わかってるだろうが、一番最後だからアイスはなしだ」

「えー!」

「やっぱり……」

 そう。遅刻した一番最後の部屋の生徒は、アイスクリーム抜きになるのだ。


 牛舎の清掃や乳絞りが終わり、今は朝食の時間だ。

 普段は校舎の食堂で食べるのだが、当番の時は、牛舎横にある事務所で食べることになっている。ノアみたいな家畜の世話係の人たちが、彼らの分とあわせて朝食を作ってくれるのだ。

「冬にでるシチューやラクレットもおいしいけど、やっぱり、私はアイスクリームが好きだなぁ。ソフィアは?」

「私も、アイスクリームが一番好き!」

 作業着を素早く脱ぎながら、ソフィアは答えた。

 シチューは、やっぱりおかあさんが作ってくれるものが一番だった。たっぷりのバターを使って作ってくれるからほんとにおいしくて、体も心もほかほかになるのだ。でもアイスクリームはあまり食べる機会がなかった。兄たちが雪を使って作ってくれることもあったが、寒い冬の日に食べるもので、こんなに暑い夏の時期に、しかも一年で最も忙しくなる繁忙期にわざわざアイスを作るなんてことはしなかったからだ。


 急いで事務室に向かい、早速、配膳の手伝いをした。

 今日のメニューは、黒パンとチーズ、かりかりに焼いたベーコン、搾りたての牛乳とサラダだ。これにアイスクリームがつく。

 この後試験が始まるので、のんびり食べている時間はない。牛舎から「も~」という牛の鳴き声がときおり聞こえてくる中、スプーンやフォークをかちゃかちゃいわせながら、みんな、かきこむようにして平らげていった。

 その中でも、ソフィアは食事を食べるのが早かった。兄弟が多いのと食事をとることもままならない繁忙期の癖で、早く食べる習慣が身に付いてしまったのだ。イーディスはまだ食べている途中だ。

 なので、デザートのアイスクリームを、一口一口ゆっくりと口に運びながらその甘さをゆったりと味わっていた。口元に近づけると濃厚な牛乳の香りが漂い、舌の上に乗せると、冷たさと甘さが口いっぱいに広がり一瞬で溶けて消えてしまう。

(夏にアイスクリームが食べられるなんて、ほんと贅沢!)と、つい顔をにやけさせながら、ちびちびと食べていると、外からバタバタと走る音が近づいてくるのが聞こえた。

「鉱山で、暴動が起こったんだと!」

 世話係の一人が、事務室に飛び込んでくるなり叫んだ。あまりに突然のことで、その場にいた生徒たちは食事の手を止めると、その世話係をぽかんと見つめた。

「暴動?何言ってんだ?夢でも見たのかよ」

 冗談はよしてくれと言わんばかりにノアがからかうような笑みを浮かべながら言うと、ひざに手をつき、肩ではぁはぁ息をしている世話係の人は、なんとか呼吸を整えると、真剣な面持ちで言葉を継いだ。

「ケヴィンから聞いた。街はその話でもちきりなんだと」

「ケヴィンが言うんなら、本当だ。あいつは、嘘はつかないよ」

 他の世話係の人が応じて、事務室はざわっとした空気に包まれた。

 ソフィアはすぐさま二番目の兄、グスタフのことを思った。彼は軍隊に志願し、今は、ミァン炭鉱に駐屯している部隊に配属されている。

 いつも明るく、兄弟の中でも一番仲がよかったグスタフ。

 不安が押し寄せてきて、アイスクリームのことなどいっぺんに頭から吹き飛んでしまった。

「暴動って言っても、駐屯している軍隊に抑えられたんだろ?」

 さきほどの笑みはすでに消え失せ、今では眉間にシワを寄せているノアが尋ねた。

「いや、それが、どうやら炭鉱夫たちが抑えちまっているらしい。それに、大規模な火災が起きてるんだと。街にいる軍隊は慌ただしくかけずり回っているらしいぜ」

「火災!」

 ソフィアはそう叫ぶと、とっさに口元に手をやった。手にしていたスプーンが、ごとっという音をたててテーブルの上に落ちた。

「……!そういえば、ソフィアのお兄さん、ミァン炭鉱に駐屯してたよね?」

 イーディスがそう言うと、事務室にいたみんながソフィアに注目した。

「火災って。炭鉱には、軍隊が駐屯してますよね?兵隊さんたちは無事なんですか?」

 さきほどまでの幸せそうな様子は跡形もなく消え失せ、今では青白くひきつった顔をしたソフィアが訊いた。

「ごめん、あまり詳しいことは、俺にもわからないんだ……」

「……」

「大丈夫だ、ソフィア。あそこの炭鉱は、うちの国で最も大きい炭鉱だ。それだけ兵士もたくさん駐屯している。まだ情報は錯綜しているみたいだが、そんな簡単に炭鉱夫相手に軍隊がやられるなんてことはねぇ。お前のお兄さんも、大丈夫さ。」

 不安で揺れ動いているソフィアの鳶色の瞳をノアはしっかり見つめながら、力強く言ってくれた。

 そして、ふと壁にかけてある時計を見ると、大きな声をだした。

「さあ、もう時間がないぞ。気になることはいっぱいあるが、とにかく早く食って、試験に向かえ!遅刻しちまうぞ!」

 生徒たちがざわつきながらも食事を再開する中、イーディスの心配そうな視線を浴びながら、ソフィアはじっと一点を見つめていた。

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