名前を。

佐々木実桜

『コージ』

高校二年生の夏休みを特筆するようなこともなく終えた9月、恋をした。


コージは目立ちすぎるわけではないけど少し目立っていた子だった。出張ったりはしないけれど積極性はちゃんとある、そんな子だった。


対する私は目立つことはなく、そして幸運なことに周りに恵まれていじめを受けることもなく、平凡だけど幸せな日々を過ごしていた。


これは中学生の時に夢見ていたような、席替えでドキドキしたりするような青春をそろそろ諦めるべきかと悩んでいた夏の話。


あの頃私は、考査前になると家では勉強に集中できないとよく友人と教室に残って勉強をしていた。正直な話、ただなんとなく家に帰りたくなかっただけだったのだけれど。


その日は一人で英語の勉強をしていたけど、いつの間にか眠ってしまっていて気がつくと外は真っ暗。


寝ている間にコージが来ていたことに気づいたのは「最悪…」とこぼした私の声に後ろから「何が?」という返答がきてからのことだった。


『偶に周りが見えなくなるのはあんたの悪い癖よ』と友人が言っていたのを思い出すな。


「えっと、いつから居たの?」


きっと私の声には動揺が伺えただろう。


「30分前くらいかな、よく寝てたね。寝不足?」


彼の低めの声は少し色気を孕んでいると女の子達の中で一度話題になったことがあったようななかったような。


「疲れてたのかも。室町君は何してたの?」


彼は室町コージという名前で、室町時代の話を先生がしていた時に小声でこっそり「俺の時代」と言っていて、聞こえた私を含めた数人が笑ってしまったこともあった。


「忘れ物を取りに来たら不用心な眠り姫がいたから勝手に騎士ナイトにでもなろうかなって。ごめん流石に言い回しがきもかった。でも心配だったのは本当だよ、もうすぐ下校時刻だし。」


当時の私にはコージがそんなことを言うなんて意外だったけれど、意外な一面にときめいていた。


「それは申し訳ない、ありがとう。私は片づけていくから先に帰りなよ、外もう暗いし」


「そのもう暗い外を女の子一人で歩かせて堂々と帰れる人間じゃないから、迷惑じゃなかったら送らせてよ。」


コージは結構な誑しだったのかもしれない。だってあまり話したことのない同じクラスなだけの異性にそんなカッコいいことを言えたんだから。


「迷惑じゃないです。えっと、じゃあちょっと待ってね」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


在校生から評判の悪い坂道の通学路を二人肩を並べるなんてことは少し恥ずかしくて私が一歩下がって帰っていたらコージは、


「俺の見える範囲じゃなきゃ意味ないんじゃない?」


と言って少し笑っていた。


「でも、一緒に歩いてたら他の子に勘違いされない?」


下校時刻は部活動をしている子が結構帰路についていて、知り合いにみられてもおかしくはなかった。


「その距離でも勘違いはされるんだから一緒に歩こうよ。」


とコージが言うので、結局は一緒に並んで歩いた。


雑談をしていると急に


「そういえば俺の下の名前って知ってる?」


と聞かれ


「うん、コージ君でしょ」


と答えたら


「うーん、もう一声」


と言われたんだ。


「もう一声って?」


「コージじゃなくてさ」


この時点で何が言いたいのか実は分かっていたけれど少し恥ずかしくて分からないふりをしたけれど彼は


「コージって呼んでよ」


と言った。


「コージ…?」


私の精一杯の声はどうにか届いたみたいでコージは


「上出来!」


と少し嬉しそうに笑った。


それだけだった。


男の子を下の名前で呼ぶことに慣れていない私がたった一人だけ、『コージ』って呼ぶことになって少し意識をし始めてしまった日。


呼ばれ慣れているだろうにって、その時は思っていた。


きっと他の子も呼んでるだろうって。


でも実際はそんなことなくて、みんなは呼んでなくて。


何故か聞いてみたら、


「室ちゃんが自分で室ちゃんって呼んでっていうから」


「下で呼ぶのは、幼馴染の男子ぐらいじゃない?」


って。


だから聞いてみることにした。


流石にコージに聞くのはなんとなく気恥ずかしくて、幼馴染だという男の子に。


「あのさ、室町君って、その、下の名前で呼んでる子少ないよね」


つい人見知りを発動してしまって、口どもってしまっていた。


「ああ、俺くらいかな。あいつああ見えてロマンチストだからさ」


「ロマンチスト??」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




廊下を友人と歩いていたら躓いてしまった。


「あんたいつにも増してぼんやりしてるわね」


「う、うん。ごめん。」


どうしたって衝撃が強かった。


だって、あんな、


「ねえ、」


急に後ろから声を掛けられて驚いて飛び上がってしまった。


振り返ると笑いを堪えたコージが、


「今日一緒に帰らない?」


と言ってきた。


一緒に居た友達はニヤニヤしながら、朝はそんなこと言っていなかったのに


「あたしは今日用事あるから先帰るわ」


と先に戻ってしまった。


「ダメ、かな?」


見捨てられそうな子犬のような目をしながら追い撃ちのように言われてしまい、断れなかった。


「いいよ、一緒に帰ろ」


ホームルームを終え、みんなが教室を出るのを待ってから昇降口を出るとコージが先に待っていた。


「お待たせ。」


「別に待ってないよ。」


なんか、カップルみたいだ。


「なんかカップルみたいだね。」


私が考えていたことを、コージは口に出していた。


「ごめん、調子乗った」


と顔を背けるコージの耳は赤くて、正直可愛かった。


「ううん、私もちょっと思ってたから」


なんて恥ずかしいこと、今なら言えないな。


「そっか、」


前に帰った時とは違って、なぜか私が一歩後ろに下がろうと思っても気づけば隣を歩いていることを不思議に思っていたら彼は


「俺、気づいたの。俺が合わせれば一緒に歩けるんじゃないかなって。頭いいでしょ。」


と。正直、頭は良くない。だってそれだと、


「それだと帰るの遅くなっちゃうよ。」


「いいんだよ、むしろ遅くなってほしいくらい。」


コージは何か決意したような表情で不意に足を止めた。


「あいつからなんか聞いたでしょ。」


「えっと、うん。」


「なんて聞いた?」


「大したことは聞いてないよ。」


なんだか急展開だ。凄く見つめられてとてつもなく顔が熱い。


「そっか、まあでもその様子だと察しはついてるかな。」


「なにが?」


とても逃げたかった。だって、一回一緒に帰っただけで、私とは関わりのあるはずのない、明るくてかっこいい人で、私なんて眼中にあるはずなくて


「好きだよ。ずっと好きだった。」


言われてしまった。


顔が噴火しそうに熱い。


「顔真っ赤。可愛い。」


やめてほしい。さっきから私は何も言えていないのに。


「頑張って隠してきたけど他の人にはバレてたみたい。」


嘘だ、だって何も気づかなかった。


「俺、分かりやすすぎて迷惑かもしれないからもしそうなら諦めようって思ってたんだけど、」


「そんな反応されると期待しちゃうよ。」


どうすればいいんだろう。


「えっと、その、ありがとう。好きになってくれて。」


「うん。」


ここからなんて言えば。


「私は、どうしたらいい?」




「嫌じゃなかったら、俺と付き合ってほしいな。」



ああ、急展開すぎる。


一言二言くらいだったじゃないか。


なんで心惹かれてるんだ。


そして、


「うん、いいよ。」


なんで私も落ちてるんだ。


ずっと好きだったとか、一目ぼれとかそんなもんじゃない。


室町君からコージになって、彼は特別になった。


話せないのになぜか目が合って、視界にたくさん入ってきて、


目が離せなくなった。


『あいつ、女の子からは好きな人以外下の名前で呼ばれたくないんだって。』


なんて少女漫画の登場人物かって突っ込みながら、そのことが頭から離れなかった。


「付き合おう、コージ」


こうして私は『コージ』と恋に落ちた。











  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

名前を。 佐々木実桜 @mioh_0123

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ