男子の一人称、昔は『僕』だった子も中学高校と進むにつれて、大抵が『俺』になると言われています。
が、自分は高校後半まで『僕』だったので、これも絶対ではないのでしょう。
小説で小学生の男の子を書く時、『僕』『ぼく』『ボク』のどれを使うか結構迷います。
『僕』は小学校で習う漢字ではないので違和感がある、堅苦しいと感じる人もいるみたいですし。
女の子が使う場合は、片仮名表記の『ボク』が多いのですけどね。明確な理由はないのですが、なぜか『ボク』がしっくりくるのです。
作者からの返信
あっ確かにカタカナやひらがなの違いもありますね。自作では「わたし」がそれに当たるかな。
ファンタジーではカタカナを使ってしまうと「日本」なイメージが出そうで敢えて使わないのですが、現代ドラマとかでは使えそうです!
十代男子の「俺」と「僕」の使い分けですが、自分の高校時代の同期生は、ほとんど「俺」のみを使っていたような気がします。小学生の途中までは「僕」の子が多くて、高学年や中学の頃に「俺」に変わっていくのかなと思います。
ただ自分の場合は、なぜか「僕」から「自分」へと変わりました。理由は、自分自身よくわかりません(;^_^A
作者からの返信
突然「自分」へ、同年代でもあまり周りにもいらっしゃらなかったのではないでしょうか。
大人の方々からの影響かもしれませんね。
僕が多い、なるほどー。すごく小さいと男女問わず「〇〇くんねー」とか自分の名前ってこともありますね。皆さんの読んでいたらヴァリエーション思い浮かんできました。
リアルでは小学校高学年から「俺」ですねー。「僕」は「子供が使う一人称」、「わたし」は「女子の使う一人称」という謎の思い込みがあるんですよ。思春期男子は。
それでも一応「公式の場面」では大学生ぐらいから「私」を一人称に使い始めますよね。
そう言えば昔の彼女の一人は二人称が「自分」でした。懐かしいですねー。「自分、ごはんもう食べた?」とか聞かれたら一瞬意味が分からなかったりしますよね。
作者からの返信
「彼女の一人」と仰るあたり、ゆうすけさんモテたんだろうなぁって思いました。
女の子が使う印象があるのですか。それは意外。私は父親が親戚の集まりとかでも「私」、子供相手には「父さん」、もしくは主語を使わない人間で、感覚がかなりズレてるかもしれません。
僕と俺の境界線!
確かに難しいところですねー。
私は文字を書く時は「私」ですけど、仲の良い友人といる時は「おれ」になりますね。
仕事の時は、外部の人には「私」、内部の上(近しい上司や先輩など)の人には「僕」が多いですかねー。「私」や「自分」だと硬すぎるというか、距離があるように思えるのです。仕事で「おれ」を使うのは、仲のいい同期か部下だけですねー。
ちなみに関西では、相手を呼ぶ時に「自分」を使ったりするので余計ややこしいですよねー。笑
「俺」にも「オレ」とか「おれ」とかありますし、日本語って面白いなと改めて思います。
ちなみに私はリアルで「ボクっ娘」に一度だけ会ったことがありました。ああ言うのは可愛くて反則ですよねー。笑
作者からの返信
こちらを読んで、ゆうすけさんが書いていらっしゃる彼女さんは関西の方か!?と思いました。
そういえば俺、おれ、オレでも印象が違いますね。平仮名だと柔らかい感じがします。
僕っ子いましたよー。そして私の幼馴染の親友は中学くらいまで一人称が「俺」、なのにスタイルのいい超絶美人の才女です。ずるーい!
編集済
昨年ぐらいから、小学生の男子や女子(1人は姪です)が庭で遊ぶことが
増えたのですが(保育園の姪もいました。その子が、4月から小学生になりました)、
男の子は「オレ」が多く、それが小学校の流行りのようで(オレは〇〇するぜ!みたいなセリフが多かったです)、
女の子は、4月の始業式から、「うち」が突然、流行り出しました。
その前の女の子たちは、自分のことを名前で呼んでいました。
10歳ぐらいなので、また、流行りがころころと変わりそうだなぁと思っています。
影響されやすい年ごろだと思いますし。
「鬼滅の刃」のあと、「うっせぇわ」も流行っていますし、これからも新しい情報が入ってくると思うのです。
一人称「うち」が、何処から来たのかはわかりませんが。
流行りによって、遊びや話し方も変わるのかなと思ったりしています。
周りの人や、テレビで見た人などをマネすると思いますし、
わたしもそんな感じで育ってきたので。
大人になった今では、心の中ではいろいろな人称を使っています。情熱的に、やってやるぜという気持ちになった時は俺になったりもしますし、その気持ちのまま男子主人公で書いたりもします。
書く小説の内容や、書いているキャラによって、性格も変化したりしますし、いつも同じ性格で、話し方というのは、難しいなと思っています。
頭では、詩人になりたい気持ちもあるのですが(でも、子供の頃のように自由に詩を書くということに、ブレーキのある自分がいます。それでも最近は、理想に近づきたいなと思いながら、創作詩を少しずつ、書いてみたりしていますが)、
物語が生きがいというか、一番大事というか(プロになる、ならないではなくて、魂みたいなものなのだと思います。物語を書くことが。昔は詩もそうで、好きに書いた作品が、町の小冊子や、小説雑誌の、賞を何度か受賞していましたが、今は、昔のようには書けなくなっているので、幼い頃のように書けるようになることが、今の目標でもあります)、
人と話す時も、今書いている話をすることが多いですし、
次はこの企画に出すとか、このコンテストに出すとか、
そういう話が多いですし、
好きなことの話しかできない
こういうキャラなのだから、しょうがないなと自分で思ったりしています。
いろいろな人がいるこの世界が、多様性ってことなのかな?
と、思ってみました。
作者からの返信
ああ! たしかに「うち」もありますね。関西でなくてもあるかも。
子供たちは柔軟ですよね。
ミオさんは没入してお書きになるタイプなのかもしれませんね。すごく詳しく説明していただいたので、ちゃんと理解できているか不安なのですけれど💦