第2話

「それで、エミリーさんはここにいない、と」

「お前がそう仕向けたんだろう」

「心外ね。私はただ、学院への短期留学の手続きをしただけ。この世界や王国のことをしっかり学ぶには、私達だけでは不十分でしょう?」

「そうですね」


 トルデリーゼの言葉にカサンドラがうんうんと頷く。そしてクリストハルトは当然ながらここで反論などするはずもなく。彼の名誉のために言っておくが、もしカサンドラがいなくともここで反論は別にしない。

 が、勿論しないのはその手続の理由についてだけだ。


「だが、ジゼル嬢の口ぶりからすると、そちらもこうなる予想は立てていたんだろう?」

「それはどうかしら」


 クスクスと彼女が笑う。それを見て苦い顔を浮かべたクリストハルトは、まあいいと溜息を吐くと紅茶に口を付けた。そうしながら、潜入捜査とやらをしている二人とは違う場所から集めた情報を纏めたその書類に目を落とす。

 行方不明者とされる五人の素性は分かりきっているし、その足取りも直ぐに判明した。

 そう、判明したのだ。五人がどこにいるか分かっているのだ。


「……無駄足、というわけではないよな」

「クラウディアは確かにちょっと天然なところはありますけど、流石にそれは」

「カサンドラ、一応言っておくけれど、あなたも同じタイプよ」

「うぐぅ……」


 ぐうの音を上げつつ、ともかく何もないということはないだろうと彼女は締める。それについては勿論トルデリーゼも同意見だ。そして、そうなると潜入している二人が生きてくる。


「表面上はもう解決しているものね」

「解決というか、事件自体が起きていないからな」

「……でも、そんな簡単に騙せるものなんでしょうか」


 書類の内容を見直しながらカサンドラが呟く。この報告通りならば学院でそもそも噂が発生すること自体がおかしい。が、クラウディアの口ぶりからすると彼女の先走りではないのも間違いないわけで。


「学院は基本寮生活だからな。外部からの意見は入ってきにくい」

「それこそ、積極的に動かない限りは、ね。そして大半の学院生はそれに該当しない」


 クリストハルトとトルデリーゼの言葉を聞いてカサンドラも頷く。簡易的な隔離空間を作成されている以上、こういうことを人為的に起こすことも可能というわけだ。

 そこまで話をまとめ、本当に人為的なものなのかどうかを疑問に思った。それこそ、この間の騒動のように魔物が関係してくる可能性だってある。


「多分ですけれど、今回のこれに魔物は直接関わっていないと思います」

「そうか。なら、あの二人の方針は変更なしで、犯人探しを続行だな」

「そうね」

「……え、と。自分で言うのも何なんですけど。いいんですか?」


 己の一言。それで決まってしまったことでカサンドラは若干不安になる。が、そんなことは気にしなくてもいいと二人は笑った。信頼しているからというのが理由の一つであるし、それに。


「あの二人が律儀に方針なんぞ守るわけがない」

「賭けてもいいわ。あの二人はこちらの指示通りには動かない」

「……どうしよう、反論出来ない……」


 聖女と執政官の肩書だけはやたら高いコンビなのに。そんなことを思いつつ、カサンドラは天を仰いだ。






 さて、場所は変わって学院である。


「なんじゃそらぁ……」


 ぐだりと机に突っ伏すのはエミリーだ。その横では申し訳無さそうな顔で項垂れているクラウディアがいる。無駄足を踏ませてしまったと思っているのだろう、ごめんなさいとそんなエミリーに向かって彼女は呟いた。


「あ、別にその辺は問題なし。元々こっちの勉強したかったしね」


 事件がなければないでどのみち短期留学はしていたので現状は何も変わっていない。その辺りを話しながら、それに、と彼女は教室を見渡す。

 件の事件の行方不明者は、程なくして全員の無事が確認された。正確には、皆行方不明などにはなっていなかった。そういう事情が説明された。


「うっさんくせーんだよねぇ。いかにも取ってつけたような理由って感じ」

「あはは……。うん、でも、確かにそうかも。治療のために先生達の寮の特別棟で生活させていた、って……そんな説明一回もされなかったし」

「噂は広がってたんしょ? 最初から言ってりゃそもそも噂すら起きなかったんだから、絶対後付じゃん」


 とはいえ、事実行方不明者は帰還を果たし何事もなかったかのように生活をしている。この事実は現状覆せないので、表面上は事件終了ということになった。あくまで表面上は、である。王宮からの連絡も、いつも通り過ごしておけという暗号と言っていいのか怪しいレベルの指示だ。


「にしても、タイミング良すぎない?」

「へ?」

「連休中にあたし達に話して、学校始まったら丁度戻ってくるとか。……病気ならタイミング合わせるからそういうもんか?」

「自分で言って自分で納得し始めた……」

「いや納得はしてねーかんね。どっちにしろ調査を開始するタイミングはあの辺だろうって予想もしやすいだろうし」

「そんなものかなぁ……」

「そそ。だから自分的にはあの五人は何かしらあるって思ってる」


 何かの実験体にでもされてないだろうな、とエミリーは顔を顰める。聖女の記録を紐解いたところで、今回の事件に関係しそうな項目を絞り出せない。学院のイベント自体、《剣聖の乙女アルカンシェル》には殆どないからだ。パーティメンバーがかつて通っていたなどというサブイベントがあったくらいで、後はとあるイベントボスの背景に学院が関与している予定だったとインタビューで語られたくらいだろうか。


「あ」

「どうしたの?」

「そうだ……。リビングメイル……」


 物言わぬ騎士を作り出す計画とやらで生み出された特殊魔道具。遠隔操作で動く騎士の鎧が暴走し、それを止めるというクエストが存在していた。データベースで該当したそれを頭の中から引き出すと、先程のインタビューの一文を脳内で諳んじた。製作者が学院の教授であったというそれを、である。


「……だからなんだよ」

「ど、どうしたの?」

「あ、ごめん。いや、なんていうか……知識チートって案外役に立たねーなって」

「ごめん、ちょっと何言っているか分からないや」

「聖女の記録が役立たず」

「聖女がそれ言うんだ……」


 当人ですから、と溜息を吐いたエミリーは、とりあえず戻ってきた連中とそいつらのいた特別棟とやらを調査する方向に定め、作戦会議と言っていいのか分からないそれを終えることにした。そもそも学年が違うのでジゼルがここにいない、という時点で作戦会議は破綻している。

 そんなわけで空気を変え、本来の学生らしいお喋りでもしようとエミリーは提案した。クラウディアも別にそれを反対する理由などなし、笑顔で頷きとりとめもない雑談に興じる。

 そんなタイミングで、二人に誰かが声を掛けた。


「ご機嫌よう」

「へ?」

「あ、ご機嫌よう、アナスタシアさん」


 エミリーが視線を向けたその先には少女が一人立っていた。美しいストロベリーブロンドの髪をクルクルとカールさせ、少し垂れ目気味の金色の瞳を精一杯鋭く見せている可愛らしいその少女は、つかつかと二人のいる場所に割って入る。そうした後、クラウディアに視線を向けて、そんな呑気にしていていいのかしらとのたまった。


「え?」

「わたくしは今度の試験であなたに勝つために研鑽を続けていますのよ。お喋りに興じている暇など」

「アナスタシアさんの方が成績上じゃない」

「ほぼ横並びですわ! あれは勝ったとは言わないのです!」

「え? クラウディアって優等生だったの?」


 二人の会話で知った事実に思わず声を出してしまう。そんなエミリーへと顔を向けた少女、アナスタシアは、当然ですわと胸を張った。


「彼女はこのわたくしと肩を並べる学年最優秀者の一人。わたくしが定めたライバルですわ!」

「マジかー……」


 クラウディアと、そしてアナスタシアを交互に見やる。見た目はどう見てもツンデレツインテールと縦ロールお嬢様だ。キャラ的にはおかしくないような気もしないでもないのだが、エミリーとしてはどうにも異を唱えたくなってしまう。学年主席とかそういうポジションってもっとそれっぽいのがいるだろう、と。


「まいいや。えっと、アナスタシアさん?」

「ええ。家名は故あって非公開にしておりますが、このアナスタシア、これでも立派な帝国最上級貴族ですのよ」

「へー、帝国最上級……帝国!?」


 二度見した。今いるこの場所は王立学院、つまりは王国領内だ。当然ながら生徒もほぼ王国民で占められている。そんな状態でクラウディア以外の初めて名前を知った生徒が他国の貴族ときた。


「何かラッキーな気がしてきた。よろしく! あたしはエミリー、気軽に名前で呼んでね」

「こちらこそ。わたくしも名前で呼んでくれて構いませんわ」

「名前しか聞いてねーから他に呼びようがないけどね」

「ええ、そうですわね」


 そう言ってアナスタシアは嬉しそうに笑う。確かに思わずツッコミを入れてしまったが、何か変なことを言っただろうかと隣のクラウディアを見たエミリーは、何故かツボに入ったらしく肩を震わせている彼女の姿が目に映った。


「なんでや」

「ふふっ、違うの。アナスタシアさんはそのやり取りこの学院で毎回やってるらしいんだけど、ふふふふ、そうやって返した人いなかったから」

「わたくしとしてはそのくらい気さくな返事を待っていたのですが」


 何故か皆恐縮してしまって望んだ結果が得られなかったらしい。いや当然だろと思わず言いそうになったが、流石にそれは言ったら駄目だろうとエミリーは既のところで飲み込んだ。






 そんなわけでひょんなことから仲良くなったアナスタシアと昼食へ向かう。あらかじめ合流するようになっていたジゼルがそこに加わり、食堂のテーブルの一角は中々のカオスな空間と化した。


「それにしても、クラウディアさんは意外と顔が広いのですね」

「え? そうかな?」

「ええ。まさか噂の神童であるジゼル・ラ・トゥール執政官と会えるとは思いもしませんでしたわ」

「意外とジゼルは有名だったのですね、びっくりです」


 ふーむと変わらずの無表情で顎に手を当てる。そんなジゼルを見てエミリーは苦笑しながらまあ有名ではあるだろうと述べた。

 そうは言いつつ、彼女の思考は別のベクトルへと向いている。すなわち、聖女の顔と名前が案外知られていない、だ。学院というある種の閉鎖空間では情報が届いていないから仕方ないと最初は思っていたが、アナスタシアのジゼルを見た反応からするとそういう話はきちんと届いているようだったからだ。

 正直編入した初日に聖女だ聖女だともみくちゃにされるのをちょっと期待していたエミリーは、そのあまりにもなスルーっぷりに若干凹んでいた。


「ジゼルはそうは思いませんよ。言われたのはこれが初ですし」

「……ん?」

「教室では全スルーでした。質問攻めされる方がめんどいのでジゼルは助かりましたが」

「確かに、こちらを見る人もそれほどいませんわね」


 そういえば、とアナスタシアが周囲を見やる。皆が思い思いの食事を取っているだけで、注目されている感じもあまりしない。一部何か視線を感じることもあるが、それはジゼルやエミリーに対してというよりも元々この学院にいる二人に対してだ。


「んじゃやっぱ情報あんまし入ってきてない感じってこと?」

「それでも限度はありますわ。少なくともジゼル執政官の存在と名前くらいは知っているでしょう」


 逆に言えばそのくらいだ、ということである。積極的に知識を仕入れていない受動的な生徒ではその顔や性格などは知らず、肩書を名乗らなかったジゼルをイコールで結ぶことが出来なかったというわけだ。

 そこまでを聞いて、エミリーはやはりそうかと思い直した。聖女の存在は王国で有名になったものの、その名前や顔を学院生は知らないのだ。そうなのだ。


「……」

「どうかしましたか?」

「いや、えっと。……アナスタシアさんは学院にいてもそういう情報を集めてたりするの?」


 そこで出てくるのがこのアナスタシアだ。彼女はジゼルを知っていた。つまり、外部からの情報をきちんと仕入れている人間だ。だというのに、エミリーをスルーしたのはどういうわけだ。それが無性に気になったのだ。


「ええ。わたくしがここに来ているのも、王国の情報を集める一環ですので」

「堂々と言っちゃうんだ……」

「やましいことはしておりませんので。見聞を広める、と言ったほうが正しいのかしら」


 クラウディアのツッコミにも平然と返す。成程と頷いた彼女の横で、エミリーは表情を険しくさせていった。だったら何で聖女知らねぇんだよ。胸中は大体これである。


「アナスタシアさん。ではジゼルから質問いいですか?」

「はい、何でもおっしゃってくださいな」

「……スリーサイズを聞こうか少し迷いました。いけないいけない」

「別に構いませんわ。わたくし、自分の体に恥じる部分はありませんもの」


 ふんす、と胸を張ると躊躇うこと己のボディ情報を語り始めた。言うだけあって確かにバランスの良いプロポーションである。聖女パワーのおかげで美しさを保っているエミリーにとっては、中々に耳が痛い。

 それはさておき。ジゼルは当初に考えていた質問を改めて投げかける。聖女についてどれだけ知っているかを。


「聖女、ですか」

「え? 何も知らないの?」


 歯切れの悪い返事をされたことで、思わずエミリーが食い気味に問い掛けた。あまりにもな必死さに少しだけ引いたアナスタシアは、そんなことはありませんと彼女を押し戻しながら答える。


「だったら何で」

「少し意外だったのですわ。ジゼル執政官はあまり聖女を信奉していないと聞いていたものですから」

「あー……」


 ジゼルを見る。信奉などしていませんが何かと言わんばかりの表情――無表情だが、を見せられたエミリーは、知ってるわいと目で返した。


「なので、王国で聖女の補佐をしているという話を聞いて不思議に思っていたのですけれど……。召喚された聖女というのは、それほどなのですか?」

「全然です。ジゼル以外の執政官だったら、場合によっては別のを喚び出そうとするくらいにはダメダメです」

「それは流石に酷くね!? え? そんな酷い?」

「聖女としてどうかは分からないけど、わたしは好きだよ」

「クラウディア……」


 そう言って笑顔を見せるクラウディアを見て、エミリーは思わず感動し彼女の手を取る。やっぱり世界より皆だよな。全くぶれていなかったが改めてそう決意した。

 アナスタシアはそんなエミリーを見て怪訝な表情を浮かべる。やけに入れ込んでいるのだな、とそんなことを思いながらジゼルへと向き直った。


「それで、聖女についてでしたわね。わたくしとしては、好ましいと思っています」

「え? マジで? 本当に?」

「……? ええ。何でも気さくで、どんな相手でも分け隔てなく接する方らしいと聞きました。噂では、件の『魔物令嬢』を助けたのも彼女だとか」


 魔物令嬢、という単語を発したことで一瞬エミリーがピクリと反応したが、しかしどうやらあくまでそう呼ばれているから使っているという程度の扱いだと判断し息を吐く。帝国の上級貴族だという彼女がその態度ならば、これからの道筋にも光が見えてくるだろう。そんな事もついでに思った。

 が、それはそれとして。


「ただ、わたくしの知っているのはそれくらいで。別段規制をされているわけではないのですが、どうにも聖女の情報は集まりにくくて。名前や顔は把握できていませんの」

「……だろうね」

「ええ。……エミリーさん、先程からどうされたのですか?」

「大丈夫大丈夫。……ちょっと触れないどいて」

「は、はぁ」


 首を傾げるアナスタシアを見ることなく、エミリーはガクリと項垂れる。思った以上に知名度なかった、と心中で一人黄昏れた。

 彼女は知らない。想像する聖女のイメージと実際の行動がそぐわな過ぎて、アナスタシアの情報網から弾かれていたことを。

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