第20話

『これで一勝一敗、ですね』

「俺はまだ負けていない」


 ぐぬぬと膝をつきながらもクリストハルトは『カサンドラ』を睨む。そんな彼にトルデリーゼが負け惜しみはみっともないと言い放った。


「……この間よりも強力になっていないか? お前」

『あら、分かってくれました? ここだけの話ですけれど、実はこっそりと主の《シャドウ・サーヴァント》のリソースを全て肉体構成に使用しました』


 おかげで下半身はこんなだけれど、と彼女はスカートを捲くり上げる。太ももやその上が丸見えになるかと思われたが、それまで見えていた部分と同じく、やはりそこは影の粘体であった。ドロドロと流動するその部分は許容量を超えたため適切な形に保てなかったのだろう。そんなことを思いながら、クリストハルトはそこをまじまじと。


『殿下のえっち』

「は!?」

「殿下、女性のスカートの中をじっくりと眺めるのはどうかと思いますわ」

「待て待て待て! こいつが見せてきたんだ、俺は無実だ」

『殿下が見たいと言うから、わたし、恥ずかしかったのに……』

「言ってないし恥じらいなくたくし上げただろうが!」


 うがぁ、と叫んで彼は剣を振り上げる。ぶった斬ってやるとばかりにその剣を目の前の『カサンドラ』へと振り下ろし。

 トルデリーゼの呪文で追加のデバフをかけられたことで動きが鈍ったために躱された。ザクリと床に刺さった剣を引き抜きながら、お前は一体どっちの味方だと彼女を睨む。当たり前のように平然とした表情でトルデリーゼは答えた。カサンドラの味方に決まっているだろう、と。


「だったら」

「ええ。だから、きちんとこちらの思惑を成功させるためにも戦闘を長引かせなければいけないでしょう?」

「……ぐ」

『わたしとしてもそのつもりの軽口だったんですけれど。……殿下、意外と挑発に弱いんですか?』

「次期国王として致命的ではなくて?」


 ぐうの音も出ない。がくりと再度膝をつくと、そんなことは自分でも分かっているとやさぐれ始めた。どうやら案外単細胞であることを気にしているらしい。トルデリーゼはそんな彼を見てやれやれと肩を竦めた。


「そういう弱点を補うのが仲間であり、婚約者でしょう? 一人で全部なさろうとしなくても」

「……それでも、だ」

『そういう部分は、わたしは好ましいと思いますよ』


 そう言ってクスクスと笑った『カサンドラ』は、さてでは向こうもそろそろ佳境かなと視線を動かした。丁度エミリーが魔物状態のアルメの尻尾を斬り飛ばした場面である。

 わぉ、と思わず声が出る。視線を同じように向けていた二人も、追撃でアルメをぶっ飛ばす彼女を見て目をパチクリとさせた。


「あっちはあっちで、頭に血が上りやすいのよね……」

『それで主をあれだけ一方的に攻撃出来るんですか。流石聖女というか』

「あれはカサンドラ絡みだからだろう。普段は俺より酷いぞ」


 相手の火炎ブレスを設置した水の聖剣で防ぎながらカサンドラのもとへと駆けるエミリーを見ながらクリストハルトはそう述べる。言葉と同時に吐いた溜息は盛大であった。

 そうしているうちにカサンドラも体勢を立て直し、アルメと対峙し武器を構える。今度こそ本当に勝負が決まるな。そんなことを思いながら、とりあえず手が離せないように見せかけるために三人は再び動き出した。






 猛禽の顔は明らかに激高している。が、それと裏腹にアルメは相手の出方を待った。ここで何も考えず目の前の失敗作を切り刻むのは難しい。そうどこか冷静に判断したのだ。

 それをカサンドラも察したのか、ならばと一歩踏み出しハルバードを振るった。鋭い斧槍の一閃は、並の魔獣や《シャドウ・サーヴァント》ならば為す術もなく倒されるであろう一撃。

 だが、アルメは魔物だ。その程度の存在とは一線を画す。自身の羽毛は刃を通さず、カウンターで振るった右腕をそのまま相手へと叩き込んだ。


『威勢がいいのは口だけか?』

「さて、それはどうでしょう」


 武器で攻撃をいなす。そうしながら反撃を行うが、そのどれもが決定打には欠ける。通常の武器では、アルメにダメージが通らない。

 剣の聖女であるエミリーは聖剣持ちな上に弱点特効を突いたので容易く防御を貫いたが、カサンドラのそれは良く鍛えられた武器ではあるものの、あくまで名品止まりだ。そういう意味では、クリストハルトやトルデリーゼのような特殊武器にも劣る。


『はっ。人に化けすぎて退化しちまったのか?』


 先端が切り裂かれていても、その太い尻尾は健在である。それを鞭のように振るい、カサンドラの回避ルートを少しずつ潰していった。当たればそのまま叩き潰す、そうでなければ。


『ただの、人間だな』


 ふんと鼻を鳴らしながら右腕を振るう。それに叩き潰されたカサンドラは、追撃の蹴りを食らい吹き飛んでいった。が、前回とは違いバウンドしつつも途中で体勢を立て直し受け身を取る。小さく息を吸うと、口の中に溜まっていた血を吐き出した。


「ドラ様!?」

「大丈夫です。回復も、いりません」

「いやいるっしょ!? 吐血したじゃん!」

「大丈夫です。切り替えますので」

「切り替え?」


 慌てて駆け寄ってくるエミリーを手で制し、カサンドラは深呼吸をする。成程確かに、ここのところずっと『人間』として生活してきたのですっかり忘れていた。精々頑丈さや自然治癒力などの部分でしか魔物を出していなかったから、頭から抜け落ちていた。


「そうです。わたしは、魔物、なんです」


 人として王国で生きる。そんな宣言はしていない。自分は魔物だ、とはっきりとあの場で言ってのけた。もう隠すことはないと、暴露したのだ。

 だから、人らしく戦う必要も、もうない。


『何だ、完全に腑抜けたか』

「……ええ。だから今、気合を入れ直しました」


 駆ける。馬鹿の一つ覚えか、と相手の攻撃を受け止めカウンターをしようと構えたアルメは、そこで悪寒がして無意識に下がった。

 瞬間、先程までいた場所に巨大な蟲の鎌が突き刺さる。カサンドラのスカートの中から伸びている蟷螂のようなそれは二つ。ゆらりと獲物を探すように揺れていた。


「さて、と」


 ハルバードを構える。それに合わせるようにスカートの中から伸びる蟲の刃もその鎌首をもたげた。

 アルメが吠える。尻尾を振り上げ、叩き潰そうとしたその一撃を、カサンドラは真正面から受け止めた。二つの鎌とハルバードをぶつけ、そしてスカートから伸びた蜘蛛の足が彼女を地面に縫い止める。ギリギリとぶつかり合う中、均衡を破るようにアルメが腕を振り上げ。


「ふぅっ」


 ギョロリ、とカサンドラの目が一瞬複眼に変わった。吐息を漏らすような仕草と同時、その口から白い糸が飛び出し目の前の腕に絡みつく。ギシリ、と立て付けの悪くなったような扉が如く、アルメの右腕の動きが急速に鈍る。


『てめぇ……っ!』

「気を抜きましたね」


 ぐらりとアルメの体が傾く。その隙を逃さず、カサンドラは均衡をこちらへと手繰り寄せた。押し返された魔物の体はバランスを崩しており、カバーをしようにも右腕の糸を引き千切らねば碌に動かない。


『嘗めるなぁ!』


 その状態で、アルメは炎のブレスを吐いた。火球が三発飛来し、そのうちの一発が回避の間に合わなかったカサンドラの左腕に当たり肘から先を消し炭に変える。


「あぁぁぁぁあぁ!」

「落ち着いてください聖女様。この程度魔物ならすぐ治りますし、ほら」


 炭化した左腕をギチギチと動かしながら、発狂しかけているエミリーへとそう諭した。そういう問題じゃねぇんだよ、とキレられた。

 そちらへと振り向いて謝罪なり何なりをするのがいいのかもしれないが、目の前の相手はその隙を逃さないであろうし、エミリー本人も求めてはいない。そうカサンドラは判断し、向こうが体勢を立て直す前に追撃をせんと距離を詰める。


「そうじゃなくて……ドラ様も結構火に弱いんだから、気を付けてよ……」


 ボスとして戦う時のカサンドラの弱点は氷だが、その次に弱いのが火だ。勿論本人だから分かっているだろうが、心配なものは心配なのだ。信じて見てはいるが、それとこれとは話が別なのだ。


「ふふっ……」

『てめぇ、何笑ってやがる』

「大したことじゃないですよ。聖女様、きっとわたしの弱点とか知っていて、見てくれているんだろうな、って」


 そう言いながら鎌で左腕を切り裂いた。羽毛でダメージを軽減されたものの、そのまま突き刺して動きを止める。

 それを力づくで引き剥がすと、アルメは床を蹴って飛翔した。猛禽の嘴に炎が集まり、咆哮と共に火炎が雨のように降り注ぐ。本来は周囲の敵を焼き尽くすための攻撃だが、今回は違う。狙うのは一人、カサンドラのみ。


『燃えろ! 燃えろ! 焦げカス一つ残らず、燃え尽きろぉ!』


 火炎の雨は止むことを知らんとばかりに彼女へとばら撒かれる。当たってしまえば間違いなくそのまま無数の炎に蹂躙され黒焦げであろう。避け続けても、防御をしていても、それが無くなったが最後だ。

 だから、その前に勝負を決める。鎌とハルバードで火炎の雨を弾きながら、カサンドラはスカートの中から蜘蛛の足を更に生やした。四つになったその足で、彼女は地面を踏みしめる。


「ふっ」


 横に飛ぶ。逃さんと自身を追い掛けてくる火炎の雨を横目に、そのまま壁まで駆け抜けた。

 そして、蜘蛛の足を使い壁に張り付く。壁を駆け上がり、天井を足場に変え。


「上を、取りましたっ!」

『それが、どうしたぁ!』


 面制圧から、火炎放射の点制圧へと切り替える。アルメのブレスは火炎放射、あるいはビームのようにカサンドラを穿たんと続けざまに放たれた。が、蜘蛛の足を器用に使った動きで、彼女はひらりひらりとそれらを躱す。

 そのことがアルメを苛立たせ、残っていた冷静な部分もやがて激高に塗り替えられ。


「どうでもいいけど、ドラ様パンツ丸見え……」


 エミリーがぽつりとそんなことを呟いたとかいないとか。


『殿下のえっち』

「ち、違う! 誤解だ!」

「いえどう考えても誤解ではないでしょう」


 そしてガン見していたクリストハルトがボロクソ言われていたとかいないとか。






『ちょこまちょこまかと!』

「あなたの狙いが甘いんですよ」


 ビームを掻い潜りながら、カサンドラは武器を構える。回避行動から、反撃へと思考をシフトさせる。目の前の相手を倒すために、動きを切り替える。

 天井を蹴った。落下の勢いを加えた突き。当たれば間違いなく相手を穿つ。が、その攻撃はどう考えても直線だ。アルメにとってはこれ以上ないほどに狙いやすい。


『所詮失敗作は失敗作か』


 とりあえずそのムカつく面を吹き飛ばす。そんなことを思いながら狙いをつけ放ったそれは真っ直ぐ彼女の顔へと向かい。

 何かに引っ張られるようにカサンドラが横にスライドすることで明後日の方向へと飛んでいった。


「ええ勿論。わたしは失敗作ですから」


 こういう小賢しい手を使うんです。そう言いながら、回避の最中に張り巡らせた蜘蛛の糸を使ってアルメの背後へと回り込んだ。カサンドラにしか見えないほど細いそれを足場に移動する姿は、まるで空中を飛び跳ねているように見える。


「こん、のぉぉ!」


 相手の死角、そこに辿り着いた彼女は、蟲の鎌とハルバードを一点に集中させ叩き込んだ。羽の付け根を攻撃されたことで、アルメの飛翔が一瞬止まる。攻撃の衝撃に堪えられず、天井の方へと吹き飛ばされた。

 カサンドラは張り巡らせた糸の一つに着地する。天井を見上げると、吹き飛んだアルメが蜘蛛の巣に絡め取られていた。


「チェックメイトですね、アルメ」

『はぁ? 何言ってやがる。この程度の拘束で私が』

「拘束? 違いますよ。それは――」


 チリチリと何かが焼ける音がした。は、と視線を動かすと、アルメが絡め取られていた糸の端から炎が伝っているのが見える。先程カサンドラの顔面を狙ったレーザーの火が蜘蛛の巣を着火させたのだ。


「導火線、です」


 炎が伝わりやすいように作られたその巣は、アルメが気付いて抜け出すよりもずっと早く燃え盛り。


『が、ぁぁぁあぁぁ!』


 その体を火達磨にした。あっという間に全身が炎に包まれ、羽毛が燃えていく。ブスブスと肉の焦げる嫌な匂いが立ち込め、ジタバタともがくアルメを容赦なく焼いていった。

 勢いは早々弱まらない。暴れていたその体も、段々と動きが鈍くなり。プスプスと煙に変わり始めた頃には、焦げた塊は殆ど動かなくなっていた。

 蜘蛛の糸が燃え尽き、拘束が解ける。天井から地面に落下した黒焦げになったアルメは、ピクピクと痙攣しながら呻き声を上げた。


「……わたしの、勝ちですよ、アルメ」


 倒れた相手を見下ろしながらカサンドラはそう告げる。完全な人の状態でもなく、完全に魔物に変化した姿でもなく。

 人と魔物の混ざり合ったその姿のまま、彼女は魔物へと勝利を宣言した。

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