第21話

 勝負あり、とエミリーがカサンドラへと駆け寄る。そうしながら、黒焦げのまま倒れ伏すアルメを見て眉を顰めた。魔物の生命力を考えると、この状態でも致命傷ではない可能性が当然ある。


「そうですね。このまま放置しても恐らく死なないでしょう」

「流石というかなんというか……。あ、それはそれとして左腕治療するよ」


 未だ焼け焦げていたそこに呪文を放つ。柔らかな光とともに、彼女の左腕は元通り再生した。ありがとうございますと彼女にお礼を述べ、カサンドラは視線を再度倒れているアルメへ。


「……どう、しましょう」


 それは誰に向けたものか。隣のエミリーか、目の前のアルメか。それとも、別の誰かか。

 戦闘不能となったこの魔物の処遇を、彼女は決めかねていた。とはいえ、それをほかへ丸投げするわけにもいかず。


『では、こちらの要望を聞いてもらいましょう』

「っ!?」


 ずるり、と影の粘体が這い出てきた。アルメの頭側へと移動し形を整えたその影の粘体、《シャドウ・サーヴァント》『カサンドラ』は、笑顔を浮かべながら自身の見た目のオリジナルと自身を生み出した主を見やる。


「……要望、ですか」

『はい。どうでしょう』

「内容も聞かずに返事は出来ませんし、アルメの《シャドウ・サーヴァント》を信用も出来かねます」

『あはは、そうですよね』


 楽しそうに笑った『カサンドラ』は、では他の誰かに話してもらおうと視線を動かした。カサンドラがその視線を目で追うと、苦笑しているクリストハルトと同じように楽しそうな笑みを浮かべているトルデリーゼが見える。二人はそのままこちらへと移動し、あろうことか『カサンドラ』の隣に立った。


「えっと……殿下? トルデリーゼ?」

「え? 二人共どしたの? 洗脳された?」


 どういう立ち位置か分からずカサンドラは首を傾げる。そしてカサンドラとアルメの戦闘を見るのに集中していたおかげで向こうの様子をさっぱり見ていなかったエミリーも頭にはてなマークを浮かべていた。

 そんな二人は彼女達の、正確にはエミリーの言葉に首を横に振る。別にどうもしていないし洗脳もされていない。そう述べ、ならばどういうことかを口にしようとして。


『てめぇ……! どういう、つもりだ……!』


 ギロリと黒焦げのアルメが『カサンドラ』に目を向け叫んだ。ギシギシと体を動かし、黒煙の立ち上るその体を起き上がらせようとする。

 が、それよりも『カサンドラ』の影の粘体がアルメを絡め取る方が早かった。再度地面に這い蹲らされたアルメが、射殺さんばかりの眼光で目の前に立つ自身の《シャドウ・サーヴァント》を睨む。


『何って。決まっているじゃないですか。鞍替えですよ鞍替え』

『鞍替え、だと……!?』

『はい。わたし、主をあなたからそこのカサンドラ様に変えようと思いまして』

「はい?」


 寝耳に水である。思わず目を見開き、そして自分を指差した。うん、とクリストハルトもトルデリーゼも頷いたので、納得してはいないがそういうことかととりあえず流す。


『ふざけんな……! たかが影の分際で、私に逆らうとはいい度胸だ。今すぐ消し去って――』

『出来るんですか? 今のこのボディはそちらの影のほぼ全てを掌握して出来ています。そんな状態の体では、消し去る前に命が尽きますよ』

『……て、めぇ……』


 タイミングを見計らっていたのだ。アルメがこちらを一方的に消し去れないようになる、その時を。そして見事にカサンドラが作り上げてくれた。感謝は絶えず、これから行おうとすることも踏まえて、彼女の従者になり精一杯仕えようと思うほどだ。

 アルメからカサンドラへと向き直る。そういうわけですから、と前置きし『カサンドラ』は笑みを浮かべた。


『わたしの新しい主になってください』


 カサンドラは答えない。息も絶え絶えなアルメに恐怖を覚えたわけでは決してない。だが、彼女はそこに倒れているアルメを思わず見た。


「……一つ、聞いてもいいですか?」

『はい、何なりと』

「どうしてわたしなんですか? 魔物としては失敗作で、これから人の側につく裏切り者ですよ?」

『だからです』


 迷いなくそう答えた『カサンドラ』を見て、カサンドラは思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。へ、と間抜けな返事をしてしまう。


『わたしも、人の側につきたくなりました』

「……何で?」


 アルメの《シャドウ・サーヴァント》が、どうしてそんな考えを。そんな思いを込めた問い掛けは、しかし彼女のそんな大した理由ではないないという言葉でさっくりと流された。


『クリストハルト殿下が気に入ったので』

「アルメと一緒に消えればいいんじゃないですか?」

「ドラ様!?」


 思わずエミリーがカサンドラを見てしまうほどの声であった。無表情で真っ直ぐに『カサンドラ』を見詰めている彼女は、ぶっちゃけてしまえば怖かった。トルデリーゼはケラケラ笑っているし、クリストハルトはその唐突なカミングアウトにピシリと固まっている。

 そして言われた当の本人は、そんな心配しないでくださいと笑顔のまま言い放った。


『ちょっとした言葉の綾です。王国の代表となる人間を気に入った、そんな意味合いに思ってください』

「嘘です、絶対嘘です」

『勿論トルデリーゼ様も気に入ってます』

「……本当に、殿下を取る気はないんですか?」

「信頼されているわね、私」


 日頃の行いかしら、とトルデリーゼが微笑むが、生憎ツッコミを入れてくれる者は一人もいない。エミリーはまあそうかもね、派である。

 ともあれ、『カサンドラ』はコクリと頷いた。その二人を気に入っていると言うからには、現状間違いなく魔物側にはならない。カサンドラが魔物側にならない限りは、絶対だ。それはすなわち、今のように主を裏切らないという証左にもなった。


『さあ、分かってくれたのならば手早く済ませましょう。でないとそこでじっと回復を待っている元主にわたし消されてしまうので』


 ぐ、と呻くアルメを一瞥し、『カサンドラ』はカサンドラを見た。ほんの僅かだけ迷った彼女は、しかし覚悟を決めたのか分かりましたと頷く。どのみち、これからのことを考えると強化と邪魔者の排除が同時に出来るのならばそれに越したことはない。


「それで、どうするんだ? 俺達はその辺りはよく知らされていなかったが」

「そうね。……まあ、予想は出来るけれど」


 ちらりとエミリーを見る。聖女の記録を持つ彼女ならば、予想ではなくきちんと確信を持っているはずだ。そう考えての視線だったが、エミリーはクリストハルトと同じように首を傾げている。


「エミリーさん?」

「はえ?」

「あなたでも分からないの?」

「え? ここ領域内だから、そこのをドラ様が喰らって能力強化をするんだと思うけど」

「……なら何故、そんな顔を」

「いや、喰うったってどうすんだろうって」


 言われてみれば確かに、とカサンドラを見る。まさかあの姿であの焦げた状態の魔物に齧り付くわけではあるまい。そうは思ったものの、しかし現状他に方法はないようにも思えて。

 カサンドラはアルメを見下ろすように立った。スカートの中の蟷螂の鎌を構えると、彼女はその目を魔物のものに変える。


「ここであなたに情けをかけることはありません」

『かけられたくもねぇ。何より、私はまだ終わっちゃ――』


 気力を振り絞ったのか、あるいは体力を少し回復させたのか。アルメは立ち上がり焦げたその右腕を振りかぶる。叩き潰し、この爪で切り裂けば。

 そう思った瞬間、体に巻き付いた粘体がグシャリと捻じれそのままアルメの右腕を引き千切った。ずるりと這い寄った粘体が、背後で『カサンドラ』を再び形作る。


『残念でしたね、元主』

「終わりです」


 鎌と粘体がアルメの胴を貫く。ビクリと跳ねた体は、しかしそれでもまだだと言わんばかりに炎を吐こうと猛禽の嘴を開き。

 斬、と穂先を犠牲にしたハルバードの一撃でその首を落とされ、不発に終わった。首が宙を舞い、そして落ちる。焦げた体は次第に塵に変わり、残った首も、カサンドラに吸い込まれるようにサラサラと崩れていった。


「……あれだけ見下していた相手の糧にされるというのは、中々に皮肉ですね」


 す、と目を人間のそれに戻したカサンドラは、術者が消滅したことで消えていく領域を見ながら、ぽつりとそんな言葉を零す。

 残念ながら、寂しさは微塵も感じなかった。






 開放されたその場所は、エミリーの見覚えのない場所。ここはどこだと建物の外に出ても、やはり見たこともない町並みが見えるばかり。

 一方、クリストハルトとトルデリーゼは見覚えのある場所であった、カサンドラは言うに及ばずである。


「アイレンベルク公爵領……?」

「移動魔法陣の力は相当ね」


 無人のはずの商会の建物から突如出てきた王太子と公爵令嬢二人に、町の住人は驚きを隠せない。あっという間に人垣が出来てしまった。そして当然、騒ぎを聞きつけた公爵領の衛兵達もやってくる。


「これは一体、どういうことでしょうか」

「話すと少し面倒になるというか……」


 衛兵の問い掛けに言葉を濁したクリストハルトだが、どちらにせよ事と次第は説明せねばならない。王宮にいるであろう宰相と、そしてこの公爵領のトップにだ。

 だが、とカサンドラを見る。事情を見ていた宰相はともかく、アイレンベルク公爵にはどう言えばいいのか皆目見当がつかない。義娘が魔物であったというカミングアウトを、どう切り出すと穏便になるのか。

 彼の悩みを他所に、カサンドラは衛兵へと詳しい説明は公爵に直接伝えると述べ、ともかく屋敷へ送ってもらえるよう頼み込む。二つ返事で了承した衛兵達は、馬車を用意すると公爵の屋敷へと走らせた。

 突然の訪問に使用人も少々慌てた様子で彼女達を迎え入れた。こちらも急に押し掛けたのだから、と彼女達は言うものの、カサンドラを除いても王太子、公爵令嬢、そして件の剣の聖女だ。どうでもいいと言えるには立場が上過ぎた。

 そうして暫しの時間が過ぎ、ようやく公爵との面会が通る。応接室にやってきたアイレンベルク公爵マティアスは、クリストハルトに挨拶をするとさっそく本題を切り出した。


「使われていない商会の建物から出てきた、という報告は受けていますが」

「それについては、こちらも喚び出された身なのでなんとも」

「喚び出された、ですか」


 ふむ、と顎髭を撫でたマティアスは、視線をクリストハルトからカサンドラへと向けた。ただそれだけなのに、彼女は思わず姿勢を正してしまう。責められていると、怒られると反射的に思ってしまったのだ。


「カサンドラ」

「……はい」

「今回のこれは、お前が原因かね?」

「はい」


 コクリと頷き、カサンドラは経緯を話し出した。父親の前で、包み隠さず。アルメの移動魔法陣でここに来たことも、既にアルメは倒したことも。使われていない商会は、バーデンが撤退したことでそうなってしまったであろうということも。

 そして、自分が魔物で、これまでずっと騙していたことも。


「……カサンドラ」

「はい」

「顔を上げなさい」

「……はい」


 覚悟は出来ている、と言わんばかりの表情をした彼女を見たマティアスは、やれやれと溜息を吐いた。ゆっくりとカサンドラの目の前まで歩いていくと、彼は拳を握り、彼女の頭を軽く小突く。


「あ、え?」

「儂も、ザビーネも。そんなことでお前を嫌いになどなるものか」

「……っ」

「大体だな、そういうことは最初に言ってくれればよかったのだ」


 それは違うだろ、とその場にいる誰もが思ったが、皆口にしなかった。流石に野暮なことを言うほど空気が読めないわけではない。


「魔物か、結構じゃないか。儂のかつてのライバルも魔物だったぞ」

「は?」


 今なんつったこのヒゲオヤジ。思わずそんなことを言いかけたエミリーは慌てて口を塞ぐ。そうしながら、まあライバルっていっても色々あるしと自分を納得させた。


「思えばあいつも人の姿でいることが多かったな。一戦やりあった後は、ブルーノやアレクシスと酒を飲んで騒いで皆妻に怒られた」

「友達かよ! あ、ツッコミ入れちゃった」

「父さん……」

「父上ぇ……」


 ブルーノ・ベーレント、アレクシス・ブラウンフェルス。現宰相と現国王である。彼の口ぶりからすると、その奥方も事情は知っているように思えて。

 つまりは、この国のトップにとって魔物とはその程度の扱いなのだ。


「ひょっとしてわたし、見逃されていただけなんですか……?」

「どうだろうな。儂は全然気付かなかったが」


 はっはっは、とマティアスは笑うが、正直笑い事ではない。笑い事ではないが、しかしもうここまで来ると笑うしかない。トルデリーゼは何やら思い当たるフシがあったのか頭を押さえながら父親をどうやって陥れようか思考をフル回転させていた。


「てことは、あの時の宰相の態度は……」

「言うな。俺はもう気にしないことにした」


 エミリーの素朴な疑問をクリストハルトは打ち切り、多少強引ではあるが話を戻す。先程の騒動については納得してもらえたと思うが。そう言いながら、彼はマティアスを見た。

 そうですな、と彼は頷く。そうしながら、とりあえず皆無事であるという伝言を王宮には送っておこうと待機していた従者に指示を出した。


「これで、とりあえず一件落着?」

「そう、みたいですね」


 あはは、とカサンドラは苦笑する。終わってみれば、拍子抜けするくらいにあっさりと通ってしまった。今までずっと心配してきたのが馬鹿みたいだ。そんなことを思うほどに。

 だが、と彼女は同時に思う。そうなったのも、決して自分の力ではない。周りの皆が、親友が、婚約者がいてくれたからこそ、この結末に辿り着いたのだと。


「……ありがとうございます」

「へ?」

「ん?」

「どうしたの?」


 だから彼女は頭を下げた。精一杯の感謝を述べた。あなたたちがいたから、自分はこうして今も笑える。そう言って、もう一度頭を下げた。


「そして、もしみんなが許してくれるのなら、これからも」

「はいはいはい! あたしドラ様と一緒にいる!」

「むしろこっちが頼む方だ。俺の妻になって、ずっと支えてくれ」

「親友でしょう? 頼まれなくとも、一緒にいるわよ」


 迷うことなく三人はそう答えた。それを聞いて、カサンドラの見ている景色が少し滲む。おかしいな、一体どうしたんだろう。そんなことを思いながら、しかし彼女の視界はどんどんとぼやけていき。

 そうして、溢れた涙がぽつりぽつりと机を濡らした。

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