第11話
ニコニコと笑顔をこちらに向けているそれは、クリストハルトには不気味でしかない。他の二人はどうなのかと視線を向けても、トルデリーゼは別段何の反応もなく相手を眺めているだけだ。
ならばあいつは、とエミリーを見る。流石に騙されることはないだろうが、それを除いても予想がつかない。
「偽物? コピー……? んー? んん?」
そんな彼の視線を気にせず、彼女は彼女で思考の真っ只中であった。《シャドウ・サーヴァント》であるのは間違いないのだが、どういうタイプのものなのかが分からない。人に紛れるタイプはゲーム内イベントでもちょくちょく出てはきたが、『そういうタイプ』の《シャドウ・サーヴァント》なだけでこれだという個体の識別にはならず。
「何だかよく分からんけど、とりあえずカサンドラ様の偽物ってことでいいよね?」
聖剣を取り出し、構えた。汎用性を重視した白い刀身は初期の聖剣が進化したものである。初期聖剣はどんどんと進化していくが、ゲーム的には結局特化聖剣の方が有効な場面が多いので出番があまりない不遇な一振りだ。この際だから使ってやろうとどうでもいい方向に思考が脱線していた。
対する『カサンドラ』はクスクスと笑うのみ。そうした後、本当にそうだと思いますかと問い掛けた。ただの偽物、そういう存在だと思っているのかと問うた。
「勿論だ。本物のカサンドラはもっとずっと美しい」
「……」
「……」
「何だその目は」
何か言い出したぞこいつ、という目で二人はクリストハルトを見る。冗談など欠片も混じっていないその表情を見て、とりあえず聞かなかったことにした。
一方、断言ついでに若干貶された方の『カサンドラ』は、そんな彼を見て苦笑した。そんなに言い切らずともいいではないかと歩みを進めた。
『殿下。ならば確かめてくださいませんか?』
「何だと?」
『わたしが、あなたの言うカサンドラにどれほど劣っているのかを』
す、と抱擁を求めるように手を広げる。それが何を意味するのか分からないわけではない。が、実際にそうやってノコノコ近付いたところを一気に、という可能性は当然ある。
ご心配なく、と『カサンドラ』は笑った。どのみち騙し討ちなど通用しないでしょうと言葉を続けた。
そんな挑発じみたそれを、クリストハルトは受けて立った。そんなに語って欲しいのならばいくらでも言ってやる。ふんと鼻を鳴らしながら、彼は『カサンドラ』へと一人近付く。
「……やれやれ」
「え? いいの? 王子ヤバくない?」
「好きにさせてあげたら?」
ふう、と息を吐いたトルデリーゼはとりあえずと残っていたゴブリンを始末しにかかった。手伝おうか、というエミリーの言葉に、ええそうねと声を返す。
「きっと向こうはこれから酷いことになるでしょうし」
「……助けなくていいの?」
トルデリーゼはクスリと笑った。それが答えだと言わんばかりに微笑んだ。そしてそれを見たエミリーは向こうで起きる何かはなかったコトにする方針を固めた。
幸か不幸か。二人が不干渉を決め込んだそこでは、クリストハルトが目の前の『カサンドラ』を見ながらそれでどうする気だと言い放っているところであった。その質問を聞いた『カサンドラ』はそうですねと頬に手を当て首を傾げ、ではまずはと一歩踏み出す。
『わたしの体を確認してくださいませ』
「……は?」
『この体が、カサンドラとどのように違うのかを、確かめてください』
更に距離を詰める。むに、と『カサンドラ』の胸部がクリストハルトに押し当てられ、顔が近付いていく。違うと断言はしたが、それでも愛しい婚約者と同じ姿をしているものがこうも至近距離にいると、どうしても反応をしてしまう。
「俺は」
『ええ。ですから、確認をしてくださればいいのです』
そっと彼の手を取り、自身の体へと導いていく。それが何を意味しているのか分からないクリストハルトではない。間違いなくそういう罠だ。騙し討ちなど通用しないだろうと相手が言ったことで、そういう方向の可能性を無意識のうちに潰してしまっていたのだ。
ならば強引に引き剥がせばいい。そうは思うのだが、なまじっかカサンドラの偽物なおかげで少しその気になってしまう。卑怯な手を、と心中で奥歯を噛んだ。
「……お取り込み中でしたか」
思考が一気に切り替わる。太ももの内側へと移動させられていた手は、その声を聞いて思わずビクリと震えた。
『きゃっ……。そんな、いきなり』
「いや、待て、違うんだ」
目の前の『カサンドラ』が艶っぽい声を上げるのも気にせず、クリストハルトは視線を先程の声がした方へと向ける。そこには今自分の手が体を弄っている存在と同じ顔の少女が。
カサンドラが、じっと彼を見詰めて立っていた。
『ぁん……殿下……そこ、は……』
「……違うの、ですか?」
「違う! これは、その、あれだ!」
どれだよ、というエミリーのツッコミは彼には聞こえていない。どこか慌てたように違うと連呼し、彼女へと言葉を紡ぐ。公爵領に行ったのではなかったのか、と。
あっちゃー、とエミリーは顔を押さえた。本当にこの人婚約者のことになるととことんポンコツだな。そんなことを思いつつ、他の人的にはどうなのだろうかと隣のトルデリーゼを見る。
「私は、何も見なかったわ」
「……そっすか」
「どのみち元々助ける気はなかったから、別に変わらないのだけれど」
「でも、流石にあれはちょっとマズいんじゃ」
「いいのよ。……そうね、見れば分かるわ」
そう言ってトルデリーゼが微笑む。この状況でその表情ってどういうことだと、やはり根っこは腐っテルゼだったのかと思わないでもなかったが、しかしそれも違うだろうとエミリーは頭を振った。そういうからには見守ってやろうではないかと手を出すのをやめた。
ゴブリンは殲滅済みである。
「……」
「か、カサンドラ。待ってくれ、俺は――」
ゆっくりとカサンドラが歩みを進める。クリストハルトへと歩いていき、そしてすぐそこ、手の届く場所まで来ると足を止めた。ここまで一切喋っていない。
ぐい、と半ば強引にクリストハルトと『カサンドラ』を引き剥がした。『カサンドラ』と離れた彼は、今度はカサンドラにぐいと腕を掴まれる。彼の左腕を抱き締めるような格好で、彼女は真っ直ぐに『カサンドラ』を見た。
「駄目です」
『?』
「殿下は。わたしの婚約者です。……だから、駄目です」
「カ、サン、ドラ?」
「殿下は、あげません」
少しむくれながらそう言うカサンドラの顔は真っ赤だ。それを見ていたクリストハルトは、今のは夢か自分の都合のいい幻想を見ているのかと疑い、しかし左腕にある感触でこれは現実だと確信を持った。大変に都合のいい頭である。
そのまま隣のカサンドラを抱き寄せ、その赤い顔へと自身の顔を近付けた。急なことで目をパチクリとさせている彼女を見て、可愛いと、愛しいと、もう一度口付けをする。
ああ、やはりそうだ。顔も、体も、そして触感も。あんな偽物とは格が違う。こちらの方がずっと美しく、ずっと柔らかく、そしてずっと蠱惑的だ。そんな頭の沸いたような結論を出しながら、クリストハルトはどこか勝ち誇った顔で『カサンドラ』を睨み付けた。
「やっぱり、こうなったわね。まったく……自国の王太子だからあまり言いたくはないけれど、殿下は本当に――エミリーさん!?」
はぁ、と盛大に溜息を吐きながら、思っていた通りのオチになったことを笑顔で呆れて同意を求めようとしたトルデリーゼは、そこで見た。自分の予想を超えたそれを、見た。
「はふぅ……ドラ様がぁ……王子をぉ……むっはぁぁぁぁ!」
「……まともなのは私だけなのね……」
鼻から滝のように血を放出するエミリーを見ながら、トルデリーゼは普段では信じられないような疲れた溜息を一つ吐いた。
「さて、茶番も終わった」
「そろそろ倒しますかー」
気を取り直した二人が武器を構える。片方は横で婚約者の肩を抱いたまま、もう片方は自身の放った返り血で汚れた顔とドレスを気にしないまま。両方ともにいい笑顔である。
その少し後ろではトルデリーゼが完全にやる気を失い地面に立てた杖にもたれかかっていた。
『え? こ、この状態で戦うんですか!?』
「……そうらしいですね」
『カサンドラ』が少し慌てた様子でカサンドラを見るが、見られた方はそう述べるのみ。ここまで緊張感のない空気で戦うのは流石にどうなのかと思いはするが、しかしならば見逃すという選択肢を取るかといえば答えは否なわけで。
ゆっくりとクリストハルトから離れた。こほん、と咳払いを一つすると、カサンドラは『カサンドラ』を真っ直ぐに見た。
「どのみちそっちだって。このまま逃がすつもりはないでしょう?」
『ええ。もちろん』
す、と笑顔に戻った『カサンドラ』は、何かを払うように手を動かす。それを合図にしたのか、周囲に黒い影が複数集まっていった。
先程と同じような姿の《シャドウ・サーヴァント》が三体、現れる。片手が肥大化しより強力になった爪は、周囲の木々も薙ぎ倒せそうで。
『さて。ではこちらも気を取り直しましょう』
どこからか取り出したハルバードを構えた『カサンドラ』を合図にするように、《シャドウ・サーヴァント》はエミリー達へと突っ込んでいく。ちぃ、と舌打ちをしながら、クリストハルトはその一撃を盾で受け止めた。
「フルーエ!」
「こいつら無属性だから弱点属性は無い! 一応打撃が有効!」
彼が名前を読んだだけで察したのか、エミリーは自身の記録から取り出した情報を叫ぶ。が、現状その情報を有効に使う方法がない。盾で殴るか、直接殴るか。出来るのはその二択だ。
「なら、トルデリーゼ嬢!」
「嫌」
「援護を頼――はぁ!?」
即答で断られたからなのか、クリストハルトの動きが一瞬止まる。そこに《シャドウ・サーヴァント》の一撃が打ち込まれ、彼は慌てて盾で防いだ。衝撃で後ろに飛ばされながら、体勢を立て直しトルデリーゼを見る。
そうは言いつつ、というわけでもなく、完全に何もしていなかった。そもそも彼の方すら見ていない。
「トルデリーゼさぁん!?」
「エミリーさん。あなたなら一人でも大丈夫よ」
「そういうセリフはせめてこっち向いてから言って!?」
そしてエミリーの方も見ていない。二人に対しては完全に外野の立ち位置を貫く方向である。影は三体、クリストハルトとエミリー、そしてカサンドラが相手をしているので彼女は現在完全フリーだ。杖にもたれかかりつつ、カサンドラと、そして『カサンドラ』を眺めていた。
「カサンドラ」
「はい?」
「援護は必要かしら?」
「わたしは大丈夫。それより殿下や聖女様を」
「ああ、あの二人なら大丈夫よ」
「え、そうですか……」
あまりにもはっきり断言したので、カサンドラも思わずならいいかと頷いてしまった。さっき叫んでいたのを聞いていたのに、である。こういう少し抜けているところが可愛い、とトルデリーゼが口角を上げ、もたれるのをやめると杖を引き抜いた。
「さて、では私は」
『わたしの、相手をしますか?』
戦いの様子を見守っていた『カサンドラ』がそんなことを口にする。が、トルデリーゼはまさかと肩を竦めた。自分はあくまで後方支援、正面切って相手のボスと戦うのは他の連中の役目だ。そんなことを言いつつ、しかし彼女は『カサンドラ』から視線を逸らさない。
「少し、話でもどうかしら?」
『魔物と話すことでもあるのですか?』
「あら、私は会話が出来るなら人でも魔物でも気にしないわ。そして」
ひゅん、と自身の持っている《双操杖》を振るう。呪文の込められたそれは、『カサンドラ』の踏み込みを躊躇させた。迂闊に近付くと彼女の呪文に引き摺り込まれる、と予見させた。
『そして、何です?』
だから『カサンドラ』はとりあえず対話を選んだ。話せるのならば気にしないという彼女の言葉を前提に、その続きを問い掛けた。
トルデリーゼは笑みを浮かべる。決まっているだろうと微笑む。自分は気にしない、とそう言ったのだ。相手が何であれ、一緒だと述べたのだ。
「人だろうと魔物だろうと、私の敵ならば、気にせず蹴落とすわ」
『……それはそれは』
クスクスと笑う。『カサンドラ』はただ、笑う。人だから、魔物だから。そんな縛りはないと目の前の相手は言ったのだ。それはつまり。
種族が何であれ、裏切り者なら、倒される。人だろうと、魔物だろうと、
そんな『カサンドラ』を見て、トルデリーゼも笑う。何を考えているか、それを口にはしない。相手に覚られないように、既に皆知っているであろうそれを隠して、笑う。
「もっとも……あなたにはあまり関係ないことでしょうね」
『あら、そうなのですか』
「ええ」
勘違いをしているお前には。そして、その先にいるであろう《シャドウ・サーヴァント》の主には関係がない。どうあがいても、お前らは敵だからだ。魔物だとか、人だとか、そういうのに関係なく。
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