第5話

「うっそだろあたしぃ!」


 それがエミリーの断末魔であった。べしゃりと地面に大の字で横たわっている彼女は、既に色々と抜けきっている。その対面には大したダメージを受けた様子のないクリストハルトの姿が。


「だから言っただろう。お前がまともに戦えるのか、と」

「思ったんだもん! めっちゃ動けたもん! シュビビっていってバババッってぶった切れたもん!」


 語彙が死んでいる。倒れたままジタバタと暴れる姿は駄々をこねる子供以外の何者でもなかったが、とりあえずそこを指摘する気はないらしい。はぁ、と溜息を吐くと、彼は見学していた二人に向き直った。


「どう思う?」

「どう思うと言われても」

「まったく駄目ですね」

「カサンドラ様がどストレートぉ!?」


 ううむ、と唸っているトルデリーゼに対し、カサンドラは思い切り言い切った。思わぬ場所からの一撃に、エミリーは目を見開き体を起こす。

 対するカサンドラは、そんな彼女の様子を気にすることなくそちらを見た。先程の模擬戦を思い出しながら、未だ立ち上がらないエミリーへと言葉を紡ぐ。


「まず、模擬戦は三回行いましたが、成長が全く見られません。殿下の動きはほぼ変わらず、それを踏まえれば回避や防御が出来る攻撃も多数あったにも拘らず被弾していました。明らかに何も考えていない証拠です」

「あぅ……」

「攻撃も、確かに動きそのものは問題ありませんでしたが、それを当てるために何か工夫をしようとする気概が感じられませんでした。適当に攻撃を放って当たれば勝てる、そんな考えでいるようならば戦闘は行わない方が無難です」

「……」

「そして三戦目。殿下が魔法の使用許可を出したのに武器のみでどうにかしようとしていましたね。意固地になって勝利の目を潰すようではただの馬鹿です。大体、模擬戦ですよ? 自身の戦闘能力を確かめる時間ですよ? 目的すら見失っているようでは」

「カサンドラ、ストップ」


 は、と我に返る。彼女の視線の先には、座り込んだまま俯いているエミリーがいた。ふるふると小さく肩が震えている。その事に気付いたカサンドラは、慌てたように手をわたわたとさせた。


「ああ、すす、すいません! つい熱くなってしまって! あの、その、実はわたし少し戦闘術の心得がありまして……殿下たちとも訓練をよくしていて、それで」

「……まあ、間違ったことは言っていないのだから、いいでしょう」


 嫌味とかそういう類ではなく、言ってしまえばダメ出しだ。トルデリーゼとしても正直酷いと思っていたので非難は出来ないし、クリストハルトは言わずもがな。だが、それがエミリーに耐えられるかとなると話は違う。

 聖女の魂、というのをトルデリーゼは特別視していない。そういうように作られたのではなく、あくまで該当者が喚ばれただけであるという持論があったからだ。だからエミリーの性格も若い少女の魂が今回選別されたのだと思っていたし、自信満々なのもそこからくるものだと考えていた。

 そんな少女がいきなり挫折し、あまつさえ真っ向から否定されたとなると。


「ふ、ふふふふふふふ」

「え?」

「あはぁ……ドラ様にダメ出しされた……あぁ、今あたし最っ高に聖女してる……!」

「えぇ……」


 小さく震えていたのは歓喜であったらしい。どこか恍惚とした表情で先程のカサンドラの叱責を思い返しているエミリーの姿は、控えめに言って気持ち悪かった。トルデリーゼが思わず引くレベルである。


「やはり特殊な性癖の持ち主だったのね」

「ちょ!? いや違うよ!? 別に被虐趣味とかじゃなくてね!? ただ単にカサンドラ様に遠慮なく言われたのが嬉しかっただけで!」

「違わないじゃないか」

「王子まで!? だから違うってば! 今まで一歩引いてた感があったんだけど、さっきはめっちゃずずいと来てくれたんで、嬉しいのはそこだから。気安くなってくれたんじゃね、っていうとこだから」


 ふむ、とトルデリーゼが頷く。そういうことらしいのだけれど、と隣のカサンドラを見やると、両手で顔を覆って俯いていた。煙でも出そうな勢いで、隠せていない耳が真っ赤だ。


「もう別にいいのではなくて?」

「そういうわけには……いきませんよぉ……」

「手遅れよ、諦めなさい」

「うぅぅ……」


 何故そこまで聖女と親しくなるのを遠慮しているのか、その真意を予想出来ないこともない。が、それを今暴き突き付けたところで何の意味もないし、何より自分の利にならない。この数ヶ月で出来た無二の親友を失いかねない行動をして何になる。そんなことを思いながら、トルデリーゼは彼女の背中を叩く。どちらにせよ、そこまで言ったのだからきちんと面倒を見て上げなさい。そう述べて口角を上げた。


「わ、わたしが、ですか!?」

「当たり前でしょう。……殿下、まさか反対はされませんよね?」

「ああ、構わんが。もう少し立ち回りを覚えてからのほうが良いのではないか? 死ぬぞ?」

「手加減しますよ!?」

「あら、ちゃんとやる気じゃない」

「あ」


 思わず言ってしまった言葉を飲み込むわけにもいかず、カサンドラは恨みがましげにトルデリーゼを見るとエミリーへと向き直る。いつの間にか立ち上がっていた彼女は、瞳が本気で輝いていると錯覚するくらい目をキラキラさせながらこちらを見ていた。どうやらもう逃げ場はないらしい。

 小さく溜息を吐く。訓練用の武器の並んでいる棚から普段使っている得物を取り出すと、それを軽く一振りした。本来の立ち位置を考えると、聖女の戦力強化など決してしてはいけない。無意識にそれを考えていた自分がおかしくて、少しだけ自嘲気味に笑った。関係ないと、知ったことかと、そう思ってはいても、呪縛から未だ逃れられない。

 だが。そうだとしても。


「聖女様」

「はい」

「手加減をするとは言いましたが、優しくするつもりもありません」

「はいっ」


 許されなくともいい。ただ自分のやりたいことをやる。そんな時間があってもいいだろう。

 どうせ最後には、目の前の少女に殺されるのだから。


「……あなたを、鍛えます」

「はいっ!」


 そんなカサンドラの心中を知ってか知らずか、それでもか。エミリーは真っ直ぐに彼女を見て、勢いよく返事をした。






 ではまず、とカサンドラは武器を構えずに真っ直ぐ立つ。好きに打ち込んでこいとだけ告げ、彼女はエミリーの動きを待った。


「……えっと」


 思わず見学している二人を見る。が、クリストハルトもトルデリーゼも平然としているので、特に問題はないという判断は出来た。出来たが、それはそれとして逆に不安が湧いてくる。

 あの状態からでも問題ない、と皆が思っているのだ。自身は攻撃の鋭さだけは評価されたにも拘らず。


「考えても仕方ない、かぁ!」


 足に力を込め、駆ける。遠慮なく横薙ぎの一撃をカサンドラの胴へと放ったが、しかし次の瞬間彼女の持っていた武器、ハルバードの柄で受け止められていた。はへ、と間抜けな声が出たが、即座に気を取り直すと体を回転させ下から顎を撃ち抜く一撃に移行する。

 それを少しだけ顔をずらすことで躱したカサンドラは、ハルバードで軽く足を払うように振るった。先程までの模擬戦ならばこれでエミリーはあっさりと転ばされ追撃を食らう羽目になっていたが、今回はどうだ。

 振り上げた勢いで跳んでいたエミリーは、剣を両手で掴み直し脳天に叩き込まんと振り下ろす。相手の武器の穂先は未だ下を向いており、今から振り上げたとしても間に合わない。もらった、と思わず笑みを浮かべた。

 くすりとカサンドラは微笑む。きちんと反省し、相手の動きを見ようとしている。前向きに頑張っているその姿は好感が持てたし、素直な性格は彼女の好みだ。

 だが、攻撃は食らわない。ハルバードではなく手首を返した彼女は、そのまま穂先ではなく石突でそれを受け止めた。少し力の矛先を反らし、着地のバランスを崩させる。


「あひゃぁ!」


 盛大に顔面からダイブしたエミリーは、暫しズザザと地面を擦る。手を離れていたロングソードが、カランカランと音を立てて転がっていった。


「……大丈夫ですか?」


 思った以上にぶっ飛んだ。顔面を紅葉おろしした聖女を見ながら、カサンドラはそっと尋ねる。こんな酷い状態にする気は無かった、と言い訳をすることも出来たが、それは違うだろうと飲み込んだ。


「少し威力をずらされた程度でそこまでバランスを崩すということは、先程の攻撃に次を予定していなかったということでしょう。大振りな一撃は相手への決め手にもなりえますが、その分使い所を考えないと」


 だからといって追い打ちをかけるのはどうかと思う。大体彼女の思考を予測したトルデリーゼはそんなことを思ったが、うつ伏せになったままのエミリーが勢いよく返事をしているので気にしないことにした。


「続けますか、聖女様」

「当たり前じゃないですか! せめて一発当ててやる!」

「その意気です」


 クスクスと微笑んだカサンドラは、先程とは違いハルバードを構えた。半身に立ち、相手を真っ直ぐに見るその姿は、普段のともすればポヤポヤしている雰囲気とは一線を画していて。

 思わずゾクリとした。エミリーはそんな彼女を見て、ああやっぱりそうなのだと確信を持った。そのどちらも本物であることに間違いはない。だが、今まで見ていたのは一面だったのだと気付かされた。

 彼女は間違いなく魔物で、《剣聖の乙女アルカンシェル》のゲーム内では聖女の力で浄化され弱体化されても尚、その能力はボスとして戦闘をしなければならないほどの。


「――うひゃぁ!」


 瞬時に距離を詰められ、ハルバードの刃が迫る。咄嗟にそれを横に跳んで逃げたエミリーであったが、相手の武器は長物、それも用途に隙がない斧槍だ。当たり前のように回避先を潰され、その一撃は彼女を捉える。

 相手の斬撃に自身の剣を合わせた。甲高い音と火花が飛び、ギチギチと二つの得物がぶつかり合う音が断続的に響く。

 暫しそれに付き合っていたカサンドラは、ふ、と力を抜くと武器を引いた。その拍子にたたらを踏んだエミリーへと、今度はこれだと突きを繰り出す。先程の二の舞になるか、それとも。


「あら」

「こ、んちくしょー!」


 斬撃と違い、突きは点の攻撃だ。当然受け止めるには困難が伴う。が、エミリーは剣の腹とはいえそれをやりきった。この数合であっという間に成長している。それがカサンドラには驚愕で、しかしそれでこそと思う部分もあった。剣の聖女、その肩書に相応しい。

 舞うようにバックステップで距離を取った。ふわりとスカートが翻り、クリストハルトがそれに目を見開いていたりもするが、今はそこを気にしない。


「聖女様」

「はい?」

「少し、本気を出しても?」

「え? いやまあ、どうせならちょっと見てみたいって気持ちはありますけど」

「ちょっとカサンドラ。あなたエミリーさんを殺す気?」

「――え? 何そんな物騒なの?」


 トルデリーゼの抗議が入る。そういえばさっきもクリストハルトが似たようなことを言っていた、とぼんやり思い返しながら、心配しているほどにはやらないからと苦笑しているカサンドラをエミリーは眺める。どうやら強い一撃を見せた方がより成長するらしいという彼女の意見が耳に入り、ゲームでは確かに強い敵と戦った方がレベル上がりやすかったもんなぁとお気楽なことを考えた。

 そこでふと気付く。カサンドラを最終的に殺すことになるイベント、その時の推奨レベルは確か二十以上。資料集やビジュアルファンブック、雑誌のインタビューなどの話から、聖女の浄化イベントで本来の力を八割減されたからあのタイミングでもなんとかなったというネタ話がある。

 本来の二割の時点で二十レベルないときつい相手が十全だった場合、単純計算で五倍のレベルが必要になるわけで。ちなみに《剣聖の乙女アルカンシェル》の最大レベルは百二十。百以上はぶっちゃけ趣味の領域なので、実質レベル百が最終到達点といっていいだろう。

 改めて考えよう。今回の模擬戦でどうやら体感的にゲームでいうレベル五程度まで上がっている感覚はある。対する相手は、推定レベルが二十の五倍。ゲームではボスであったということも踏まえると、もう少し上の可能性もある。


「では、行きます」

「……よっしゃばっちこーい!」


 ゆらり、とカサンドラの目が光の軌跡を描いたような気がした。そして次の瞬間、エミリーは格闘ゲームのエリアルコンボの始動技でも食らったかのような勢いでぶっ飛んでいた。意識が飛んでいないのは意地か、それとも手加減の賜物か。どちらにせよ、彼女がどういう攻撃をしたのか、それをまったくもって知覚することが出来なかった。ちらりと下を見ると、突き上げたハルバードをひゅんと戻す動きが見える。


「流石ですね、聖女様」


 カサンドラがそんなことを呟いているが、絶賛ぶっ飛んでいるエミリーには聞こえない。無意識なのか、彼女はハルバードの一撃を受けようと体を動かしていたのだ。次は防がれるかもしれません。そう言ってカサンドラは嬉しそうに微笑んだ。

 その辺りでエミリーが墜落する。ぐしゃりと地面に落ちた彼女は、そのまま動かなくなった。やべぇすげぇ、と呟いているので、命に別条はないらしい。


「……一週間後くらいには頭おかしい強さの聖女が出来てそうだな」

「あら、王国としては喜ぶことではなくて? それに殿下にとっても」


 愛しい婚約者の弟子が育つのだから、自慢だろう。そんなことを述べたトルデリーゼは、心底楽しそうに笑みを浮かべた。

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