第6話
聖女召喚の儀から一ヶ月。聖女の存在も王宮から王国に浸透し始めた頃。
今日も今日とて彼女らがいるのは練兵場である。
「とぉりゃぁ!」
袈裟斬りに放たれた斬撃はハルバードで軽くいなされる。そのまま横に振るわれたそれを、エミリーは屈んで躱した。そのまま水面蹴りで相手の、カサンドラの足を払う。
跳んで躱せばそこに攻撃を、と考えていた彼女の目論見は外れ、数歩下がることで範囲外に避けたカサンドラはすぐさま武器を持ち直し彼女へ突き刺すように振り下ろした。あぶな、と転んで回避したエミリーへと、そのまま振り抜かれるハルバードの斧部分が迫りくる。
「うひゃぁ!」
剣をその刃に合わせ弾くと、衝撃で手から離れたロングソードを見ることなく彼女は右手を突き出す。訓練用の魔法制御の腕輪がそれに反応し淡く光った。
「ファイアボルト!」
宣言と共に生み出された火球がばら撒かれる。弾幕によって接近を防がれたカサンドラは、自身に当たりそうなものをハルバードで弾きながら距離を取った。
「いい調子です。それで、次は――」
「聖剣、抜刀!」
「何をしてるんだお前はぁ!」
審判役をしているクリストハルトが叫んだが、知ったことではない。エミリーの手に生まれた赤い刀身の曲刀は、そこに刻まれている紋様を光らせながら振るわれる。その行動に一瞬目を見開いたカサンドラの胴へと、今度こそもらったと叫ぶエミリーが叩き込む。
ハルバードの防御は間に合った。が、模擬戦用の武器であるそれと魔法制御の腕輪の影響を受けるよう調整されているとはいえ聖剣の一本とでは明らかに分が悪い。威力を殺しきれなかったのか、カサンドラの腕は武器ごと横に弾かれていた。
「う、っしゃぁ」
即座に切り返す。逆胴の一撃となったそれで今度こそ決めてやる。そんなことを思いながら放ったそれは、しかし。
即座に武器から手を離し間合いを詰めたカサンドラによって、手首を押さえられ止められていた。強引に振り抜いたところで、碌なダメージは見込めない。
対してカサンドラはその場で体を回転させると背中でエミリーを押し戻した。どん、と勢いよく衝撃が加わり、体が後ろに流れていく。
「し、まっ――」
「武器だけに気を取られてはいけませんよ」
そのみぞおちへと、強烈な回し蹴りが叩き込まれた。思わず体がくの字に曲がり、後ろへと吹っ飛んで縦にゴロゴロと回転する。ブーツの踵を容赦なくねじ込まれたので、暫し息が出来ずにエミリーは地面で悶えた。
「勝負ありだ」
「……大分この光景にも慣れてきたわね」
観客のトルデリーゼが溜息混じりにそう呟く。最初の模擬戦から二週間と少し、予想通りと言うべきか、エミリーの実力はメキメキと上昇していた。元々動き自体は聖女の記録で構成された体が担ってくれるので、立ち回りと適切な攻撃を身に付ければ十分戦闘に耐えうる力はあった。そのための訓練として、実力の高い相手と手合わせすることによって成長させるという目論見は見事に成功した。
副産物というべきか、一緒に訓練をしたクリストハルトとトルデリーゼも無駄に強くなっていた。王太子はともかく、片方は宰相の娘である。ただでさえその性格で婚約者が長続きせず毎回仮止まりであったのに、余計に相手が遠ざかる羽目になっていた。ベーレント公爵は娘の結婚を半ば諦めている。幸い姉に似ずまともに育った弟がいるので公爵家自体は安泰なのが救いだろう。
「うげぇ……胃の中空っぽでよかったぁ……」
「あ、ははは……。ちょっとやりすぎてしまいましたか……?」
「んー? あたしとしては遠慮なくやってくれた方が修業になるしレベルアップも早まるからなぁ」
「レベル、ですか……」
その単語にほんの少し眉を顰めたカサンドラであったが、たまたまだろうと振って散らし、彼女の言っていた言葉を思い返すとくすりと笑う。
「遠慮はしています」
「うぐぅ!」
「ですが、それは聖女様の言っている意味とは少し違いますから、そういう意味では遠慮なく戦っていると言えるかもしれませんね」
「ちょっと何言ってるか分かんない。けどまあ、最近カサンドラ様結構フレンドリーだからよし!」
「そ、そうですか……?」
エミリーの宣言と謎ポーズに若干の困惑をしながらカサンドラは問い掛ける。対する彼女はうんと頷きそのまま視線を見ている二人へと向けた。だよね、と尋ねると、うんうんという肯定が返ってくる。
「そういうわけなんで、いい加減名前で呼んでくださいよー」
「そ、それは、その……」
ずずいと迫るエミリーにカサンドラは後ずさる。口調や態度は大分くだけてきてはいるが、彼女のエミリーへの呼称は変わらず『聖女様』であった。存在そのものが魔物を殺す兵器のようなものである以上仕方ないと思わないでもないが、それはそれ、これはこれである。そもそもエミリーにカサンドラを害する気は一切ない。むしろ害するくらいなら世界を滅ぼす方に舵を取るレベルだ。
ならば模擬戦とはいえ聖剣で斬り掛かるとかどういうことだ。定期的にこっそりと行っている続・作戦会議の後の一幕にてクリストハルトにそんな糾弾をされたが、それはそれこれはこれと言い放った。聖剣はそれそのものが魔物に特攻を持っているわけではないという説明もついでにした。
「まあ、いいや。そのうち気が向いたら、呼んでください」
「…………善処、します」
絞り出すようなその声を聞いて、とりあえずはそれでと話を締めた。訓練も終わったし、身だしなみを整えて何か食べよう。そんな事を考えながら練兵場を後にする。もうすっかり王宮を自身の住処のように扱っているエミリーを見ていると、クリストハルトとしては凄いのか嘆かわしいのか分からなくなってくる。カサンドラは凄い寄りなので、結局はそちらに着地するのだが。
「そういえば……」
「どうしました?」
「あー、いや」
ぽつりと呟いた一言にカサンドラが反応したが、エミリーは何でもないですと慌てて誤魔化す。そうですかと彼女は引き下がったが、横で見ていたトルデリーゼは何かを探るような視線をエミリーに向けていた。そんなことは露知らず。先程の最後の光景を思い出しううむと彼女は唸る。
見えたのだ。回し蹴りをねじ込まれる時に、カサンドラのスカートの中が。薄いピンクのレースで、左右を紐で止める下着が。
「王子に、見せてるのかな……」
転生する前に投稿サイトや同人誌で見ていたカサンドラのエロ絵を思い出しながら、エミリーはその光景を想像しグヘヘと表情をだらしなく歪めた。
「……聖女って、高潔さは欠片も必要ないのね……」
そしてその様子を窺っていたトルデリーゼは。俗に塗れている聖女の姿を見て、まあ知っていたけれどと肩を竦めた。むしろその方が好ましいが、という言葉は、口にはせずに心に留めた。
そんな日々を過ごしていたある日のこと。王太子へと、正確には彼を橋渡しとして聖女へと依頼が舞い込んだ。
「魔獣討伐か」
魔王という、古くから伝わる魔物の統率者の称号で呼ばれる何者かが新たに台頭しその驚異を見せ付けて数十年。人に仇なす怪物共も活性化をしていた。それまでであればあまり起こり得なかった街や集落への襲撃が倍増し、各国は対処を続けている。ある程度流れを構築し終えた今現在は落ち着きを取り戻しつつあるが、それでも手の届かない場所はまだまだある。
《剣聖の乙女アルカンシェル》では、その手の届かない場所や、国や領主の作戦の手伝いなどを依頼としてこなすクエストシステムが存在していた。クエストの受注やクリア数などがメインシナリオを進めるフラグの場合もあったり、サブシナリオや仲間の加入、スキルや武器の入手など恩恵は限りないため、大抵は目に付くものは全部やっておけの精神で問題がない。中には物凄く面倒なクエストも存在し、それらはトロフィー獲得の壁として立ちはだかったりもした。
ともあれ、今回のそれは極々普通の依頼である。騎士団の手の回らない小規模な場所を、剣の聖女の力で守って頂けないか。そんな話である。
「……ん? あたし?」
「他に誰がいるんだ」
はぁ、とクリストハルトが溜息を吐く。聖女であるという自覚を持て、とまでは言わないが、せめて忘れないようにはしてもらいたい。たははと笑うエミリーをジト目で見やると、それでどうすると彼は問う。
「いいよ、行く行く」
「そんな軽く受けていいのか? 今回は実戦だ、これまでのようには」
「……いや、そりゃそうなんだろうけど」
ほっとくのも寝覚め悪いじゃん。そう言って頭を掻いたエミリーは、書類をもう一度最初から眺める。場所は王都から南東に位置する小さな村。付近で他の魔獣は目撃されていないため、襲撃者はゴブリンで確定。規模はそれほどでもないらしいが、何かに統率されているらしき動きを時たま行っているらしい。
「星一つの『ゴブリン討伐部隊』……じゃないな、『聖女の剣』クエストか」
ぶつぶつとそんなことを呟く。幸い今この場にはクリストハルトとエミリーの二人のみで、カサンドラとトルデリーゼは別室でお茶会中だ。仕事の話が終わったら合流することになっているので、二人としてもとっとと済ませたいのが本音であった。
「ねえ王子、これって行くのあたしだけ?」
「騎士団は派遣する暇がないという話だからな。同行者は自分で用意するしかないだろう」
「マジかぁ……」
ゲームならば近衛騎士二人とクリストハルト、そしてトルデリーゼはこの時点で自由にパーティーを組めるメンバーとなっているが、しかし。現実のこの空間では近衛騎士は精々知り合いレベルで誘うことはまず無理、残る面々は国のお偉いさんときた。
「どんだけいるか分かんねーしなぁ……。一人はちょっと厳しい」
「一人?」
クリストハルトが怪訝な表情を見せた。なにかおかしなことでも言ったのかとそちらを見ると、何かを考えるように口元を手で覆っている彼の姿が。そうして暫し動きを止めていたクリストハルトは、そういうことかと息を吐いた。
「フルーエ」
「なんすか」
「同行者は自分で用意しろと言ったはずだが」
「だから誰もいねーって愚痴ってたんじゃん」
「……俺の今の主な仕事は、お前の補佐だ」
「へー……」
何となく言いたいことを覚った。が、エミリーとしてはそれはどうなのかと思っていたので選択肢から外していただけで、決して忘れていたわけではない。そこを誤解してもらっては困ると彼に述べると、何とも複雑な表情をされた。
「お前がそんな気を使うとは」
「王子あたしのこと何だと思ってんだよ」
「馬鹿」
「歯に衣着せろよ! いやまあ自覚はしてますけど」
がくりと項垂れたエミリーは、しかしすぐにまあ気を取り直してと顔を上げる。とりあえず同行してくれるということでいいのか。そうクリストハルトに尋ねると、当たり前だと返された。
「んじゃこの二人は確定、っと。……ここまで来たらついでに聞くけど」
「何だ?」
「向こうの部屋の二人は」
「いいと思うのか?」
「ですよねー」
かたや王太子の婚約者、かたや宰相の娘。そして二人共が公爵令嬢だ。普通に考えてゴブリン退治に連れて行っていい面子ではない。
知ってた、と息を吐いたエミリーであったが、しかしそこでクリストハルトが苦い表情を浮かべているのを見た。今の会話でそんな顔をするようなやり取りがあったのだろうか。そんなことを考え首を傾げた。
「あ、そもそも選択肢に出してんじゃねぇよってこと?」
「……いや、違う。むしろ、逆だ」
「逆?」
「カサンドラはアイレンベルク公爵領に呼ばれていて明日向かうという話だから今回は無理だろう。だが、トルデリーゼ嬢は」
多分ついてくるぞ。肝心な部分は口にしなかったが、それだけでエミリーはしっかりと伝わった。目を見開き、マジで言ってる? とクリストハルトに聞き返している。
「何を言っているか分からん」
「本気かよって言ったんですぅ」
「……実際どうかは知らん。が、まあ間違いないと見ていい」
「何で言い切れちゃうわけですかね」
「既に数回経験済みだからな……」
はぁ、と彼が溜息を零す。今度はエミリーが何を言ってるか分からんと聞き返す番であった。それに対し、言葉の通りだとクリストハルトは短く返す。
「……じゃあなんですか? あんたら既にこういう戦闘やってるってことですか?」
「ああ」
「王子と宰相の娘が何やってんだよ」
「元はと言えばお前が原因だからな」
「何でもかんでもあたしのせいにすりゃいいと思うなよ!」
仲間になれというのはそういうRPG的意味では決してない。少なくともあの時点では間違いなく英美里の脳内に三人パーティーでモンスターと戦う光景は繰り広げられていなかった。だからそれは紛れもなくクリストハルトの行動の結果であり、エミリーが責められる謂われはない。そういうわけだ。
「いやまあ別にそれで仲良くなったんなら結果オーライだけどさ。王子なんだしもう少し自分の立場考えた方が……」
「そこだけは間違いなくお前に言われたくはない」
どっちもどっちである。が、それを指摘してくれるような貴重な人間は、生憎この場には誰もいない。
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