1:聖女は推しカプを助けたい。全力で
第1話
まず目に飛び込んできたのは礼拝堂のような空間。教会か何かだろうか、と思いながら視線を巡らせると、複数の人物がこちらを見ているのに気が付いた。その格好はファンタジーか何かに出てくるようなもので。と普通ならば感想を抱くが、生憎と彼女は古上英美里である。彼ら彼女らの姿が《剣聖の乙女アルカンシェル》に出てくるものであることを即座に見抜いた。
コスプレか何かだろうか。そんなことが一瞬頭をよぎったが、すぐに振って散らす。そもそも自分はベタベタな事故に巻き込まれ意識を失ったというのが最後の記憶だ。それから何がどうなるとコスプレ会場に飛び入り参加していることになるのか。そもそもコスプレだとして何故キャラではなくその世界の服装という地味かつマイナーをチョイスしたのか。
その辺りを考えた場合、そういう現実の範囲内、非常識という枠組みに入るような状態ではないという結論を出せる。何せ自分は、ついこの間まで異世界にある国の王子様と作戦会議をしていたのだから。
「ん?」
そこまで考えて、視線を床に落とした。そこに浮かび上がっているのは魔法陣。これも彼女はよく知っている。聖女召喚の儀に使われる、相応しき魂に相応しき肉体を与え定着させる呪文構成だ。この魔法のため、聖女は普通の人間とは異なった性質を持つ存在になる。才能に縛られないスキル構成やパラメーターリセットなど、ゲーム的なシステムを世界観に落とし込むための設定だ。資料集のインタビューで、元々死にゲーとして作りたかった名残だとか言っていたのも英美里は覚えている。
その魔法陣の上に座っている自分は、ひょっとして聖女なのでは。そんな疑問が頭をもたげた。いやいやまさかと首を振ると、その拍子にさらりと美しい黒髪が流れる。
何だこの体。ゆっくり視線を己へと向けると、どう考えても古上英美里のボディではありえない肌のきめ細かさが見えた。若さの新陳代謝に任せただけのだらしない体と、コスプレのために染めた後放置してプリンみたいな色合いになった髪はどこにもない。そもそも手入れが面倒だという理由で肩より上でバッサリ切ったのですぐ見える位置にある時点で違う。ついでに何だかゴシック的なドレスまで着ている。
「聖女様」
マジかよ、と困惑している彼女の耳に、決定的な呼びかけが届いた。どう見ても自分を見ながらそう呼んだ。つまりはそういうことである。
「『私は……ここに喚ばれたのですか』」
「はい。選ばれし魂を持ちし聖女、貴女様をお出迎えできて光栄でございます」
「『そんな……』――『私はそこまで立派な存在などでは』」
ボソリと、上にするか、と呟いたのは幸いにして聞こえなかったらしい。そこにいた者たちは謙遜する聖女に悪感情を抱いておらず、滞りなく話は進んでいく。
勿論英美里のそれはゲームのオープニングの際のやり取りである。九分九厘記憶している彼女にとって、イベントを再現するのは朝飯前だ。せっかくだからやろう、というこの状況で割と頭の沸いた行動であるが、いきなりパニックや現実逃避を起こすよりは幾分かマシであろう。
それよりも、と思考を巡らせる。自分が聖女であるということは、間違いなく展開としては憑依モノ、あるいは転生モノだ。本編主人公はノベライズやコミカライズ、スピンオフ外伝とである程度性格は違うので彼女の苦手とするキャラを塗り潰す行為にはギリギリセーフ、かといって認めるのも二次創作者としては悔しいといった感じだろうか。確かに資料集や考察サイトでは、『聖女そのものは明確な『個』ではなく、そのためどんなキャラ付けでもそこそこ許される』とされているし、実際ゲームでの選択肢によっては頭おかしくなることも出来るのだが。
まあいいか。そう結論付け、英美里は聖女になることを決めた。件の友人が見ていたらそうだよねと頷きながらドン引きしてくれたことであろう。
「聖女様。まずはご自身の体を休めると良いでしょう」
「『はい、ありがとうございます』」
オープニングの会話が終わったので、彼女はゆっくりと立ち上がる。正直全然聞かなくとも頭に入ってはいたが、新たな情報になる可能性も捨てきれないのできちんと聞いた。今の所は追加知識はない。
用意された部屋へと案内され、ゲーム中の王国マイルームへと入った英美里は親の顔より見たセーブポイントとばかりにベッドへと倒れ込む。誰も見ていないことを確認し、とりあえず頬をつねった。痛い。
「やっぱ夢じゃないかぁ……」
次いで姿見の前に立つ。誰だこいつ、という感じの美少女が映った。英美里との共通点は性別と目鼻口の数、手足指の数くらいか。美しい黒髪は背中まで伸び、少し外ハネしているのが猫を思わせ可愛らしさを醸し出す。パチリとした目は隈もなく、眼鏡がなくともばっちり見える。胸はしっかりと出ているし、腰もちょっとつまめそうだった旧ボディとは違ってスッキリしている。指は細く、太ももや二の腕は引き締まっていて。
「ちょっと若い、かな……? あ、でも身長は同じくらいだ」
目線に違いがないのに気が付いた。試しに少し部屋を移動してみると、歩幅にもそこまで違いがない。体を動かすのに違和感がないのはいいことだ。
「……さて」
再びベッドに腰掛ける。自分の体の確認が終わったので、次はこの世界の確認だ。間違いなく《剣聖の乙女アルカンシェル》の世界、あるいは酷似した異世界であろう。そう判断はとっくにしたが、彼女が気になるのはそこではなく。
「あのクリス王子のいた世界なのかな……」
むむむと腕組みをしながら考え込む。現状では情報が少な過ぎて分からない。かといって、いきなり国の王太子に会いに行けるはずもなし。ゲームのイベント通りならばこの後は先程の召喚に関わった者たちとの会話、そして国王との謁見。クリストハルトと出会うのは翌日になる。
まあ仕方ない。ひとまずイベントをこなしながら聖女プレイしてやろうじゃないか。そんなことを結論付けた彼女の部屋に、コンコンとノックの音が響いた。
呼ぶの早くない? と思いつつ、英美里はどうぞと声を掛ける。その言葉で扉が開かれ来客が足を踏み入れ。
「――へ?」
「すまない、聖女殿。私はこの国の王太子、クリストハルト・ブラウンフェルス。少し話がしたいのだが、いいだろうか」
ゲームのイベントをガン無視した存在が、現れた。
「聖女殿?」
「あ、はい。なんですか?」
「……いや、少し呆けていたようなので」
怪訝な表情を向けてくるクリストハルトに何でもないと返しつつ、英美里は彼の様子を伺う。目の前の相手が自分の知っているあのクリストハルトならば何の問題もない。というかむしろそうであって欲しい。多分に願望を交え、彼女は彼の訪問理由を問うた。
「いや、なに。……特にこれといった理由はない。本当に、少し話がしたかっただけだ」
「はぁ……」
なんじゃそら。そう思った英美里は、しかしふと気付いた。あれこれひょっとして、と。
とりあえず当たり障りのない会話を続け、これからのことを少しだけ話し。そうして暫く経つと、会話も無くなってきた。どうやら本当にこれといった理由がないらしい。先程の願望から生まれた予想が確信に近付いてくるが、果たして言っていいものか。そんなことを思い口元に手を当てながら考える。
「聖女殿? どうかしたのか?」
「あー、いえ。ちょっと」
ダメだ、このままモヤモヤしているとこれからの行動に支障をきたす。よし、と覚悟を決めた英美里は、回りくどいことはやめだと彼を見た。
真っ直ぐにクリストハルトを見たことで、彼も思わず姿勢を正す。そうしながら、ん? と怪訝な表情を浮かべた。この視線、どこかで、と彼女を見た。
「殿下、一つお聞きしたいのですが」
「あ、ああ。何だろうか」
「……そんな勢いだけの突撃で本当に聖女が仲間になると思っていたんですか?」
「ぐっ、いやそこはまず人となりを見てそれから作戦を練ろうとだな」
「なら急がなくてもよかったじゃないですか。く――じゃない、トルゼさんに相談してもいいんですし」
「彼女にそんな相談してみろ、即座にカサンドラに有る事無い事吹き込むだろうが」
「えー。ひょっとして王子ガチで邪魔者扱いなんですか?」
「いや、私に対する遠慮が無くなってきたと言った方が正しいな」
「あー、そっか……あたしはあれから三日しか経ってないけど、こっちはもっと経ってるもんなぁ」
「まあ……仲間と自信を持って言える程度にはなったと思う」
はぁ、と溜息を吐いたクリストハルトは。そこでピタリと動きを止めた。今自分は一体誰と何の会話をしたのだ。そんな事が頭を回り、そして弾かれたように目の前の聖女を見やる。まったくもって見覚えのない顔、体、そして服装。
しかし、その動きと瞳の色は、間違いなく見覚えのあるもので。
「お前……は」
目を見開いたクリストハルトを見て確信を持った英美里は、キシシと口角を上げた。いつもの自分でやっているような笑みを浮かべた。
「クリストハルト殿下――世界より、婚約者は大事ですか?」
「……ああ。世界を敵に回そうが、定められた物語を破壊しようが――カサンドラの方が、大事だ」
「上等!」
「何だ、鼻血は吹かないのか?」
そう言って不敵に笑うクリストハルトを見て、英美里はふふんと鼻を鳴らす。流石に聖女ボディでそういうのはマズいだろう。そう言って無駄に胸を張った。
「うっし。んじゃ聖女の問題はこれで解決したから」
「……それはいいが。何故お前が聖女に?」
「さあ? あたしも何か気付いたら聖女召喚されてたし」
相応しい魂だったのかなぁ、と首を傾げる英美里を見て、クリストハルトは口角を上げる。もし彼女が『聖女として相応しい魂』だった場合。それはすなわち、世界が、神が、認めたことになるからだ。
カサンドラ・アイレンベルクは、幸せになるべき存在だ、と。
「それで、お前の名前はどうする?」
「へ?」
「名無しの聖女でいられはしないだろう? 父上に、国王陛下に名乗る名はどうするんだ?」
「んー、まあ、変にひねると呼ばれた時反応出来ないし、せっかくだからドラ様には馴染みのある名前呼んで欲しいし」
そうなると本名のままでいくか。そんな結論を出した英美里は、変わらず古上英美里を名乗るのだとクリストハルトに告げた。苦い顔を浮かべる、というよりもジト目になる彼を見ながら、いいじゃないかと言葉を続けた。
「そうか。ならば精々奇異な目で見られないようにな、フルーエ」
「え? 何そのイントネーションかっこいい。ちょっと王子、あたしのフルネーム言ってみて」
「フルーエ・エミリー」
「何かファンタジーっぽくなった!? あ、じゃあ西洋っぽくエミリー・フルーエにしとく」
「そうか……」
今更何を言っているのか。そう思ったが、どうやら向こうで自分は殆ど彼女の名前を呼んでいないことにようやく気付いた。そんな程度の関わりのくせに、やけに信頼していることに気が付かされた。
「よし、これで……これで、ドラ様に『エミリーさん』とか呼ばれる!? マジで!? どうしようあたし死ぬかもしれない! あ、もう死んでた。じゃあ大丈夫か」
「……気のせいだな」
これまでの作戦会議とは別の意味で始末した方がいいのではないだろうか。そんなことが一瞬だけ彼の頭によぎった。
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