第2話
国王との謁見も終わり、英美里改めエミリーには聖女の権限を与えられた。とりあえず王宮をうろついていても不審者として捕まえられない程度の立場だ。現状聖女の肩書に相応しい何かをしているわけでもなければするつもりもないので、無駄に盛られても困る彼女としては概ね満足である。
そうして召喚から三日。体も魂と馴染んできたであろうということで、聖女の力を確認するための時間が設けられた。
「殿下は何故ここに?」
体面的には出会って二日、周囲に誰かがいる中で遠慮なしに会話をするのは無理がある。だから仕方なくエミリーとしてもある程度丁寧な物言いをしなければならない。そんなわけで殿下呼びであるが、その表情は明らかになんで来てんだよというものであった。
「聖女の力をこの目で見たい、というのは王族としておかしくないだろう?」
「……力の使い方を誤りあなたを傷付けてしまうやもしれません。ここには近付かない方が」
やんわり、どっか行け、と言ったのだが、クリストハルトは立ち去らない。我が婚約者への話題にもなるだろうと言われてしまえば、彼女はそれ以上何も言えない。
かっこよく伝えてくださいよ。目でそう述べながら、では早速と訓練場の真ん中に立つ。
「……『申し訳ありません。聖女の力の確認とは、どのようにすれば?』」
チュートリアルを受けるか受けないかの選択肢であったセリフを述べる。それを聞いていた補佐の魔法使いと神官は、そうですねと少し考え込む仕草を取った。聖女の魂とは別に、その体の構成に使われた魔力はこれまでの聖女の記録も兼ねている。その記録をどれだけ引き出せるのかが聖女の力の見せ所だと文献には記されているらしいが。
「記録の引き出し、ですか」
「はい。技術や魔法などの詠唱や動き、基本情報ですね。とはいえまだ召喚されたばかりの身です。力を付けてからが本番で、徐々に魂へ刻み込まれていくのではないかと」
成程、と神官の言葉を聞きながらエミリーは考える。それはつまり、《剣聖の乙女アルカンシェル》の知識を持っていればいいということじゃないのかと。ゲーム中のスキルならば詠唱や動きを記憶している。どのレベルで覚えるかもどのイベントで身に付けるかも、消費MPだって当然そらで言える。今更言われずとも、魂にはとっくに刻まれている。
ということは。
「――へ?」
突如己の周囲に何かが生まれた。文字が嵐のようにエミリーの周りを回転し、そして天へと舞い上がっていく。それらが光へと変わり、ゆっくりと彼女へ吸い込まれていった。
時間にして一分程度だろうか。その嵐が収まった後、神官は大丈夫ですかとエミリーへ駆け寄る。そんな彼を手で押し留め、彼女は笑顔を浮かべた。何の問題もありませんと口にした。
勿論クリストハルトは納得しない。
「フ――聖女殿。一体何が起きた?」
「大したことではありません。恐らくあれが聖女の力を刻み込むということなのでしょう」
その言葉に、そういえば確かにと神官も頷く。以前の聖女召喚の際も、力を刻み込む時はあのような力の奔流が生まれたらしい。と、文献を確認しながらそう述べた。とはいえ、だとしてもかなりの激しさであった。前回の聖女を見たものはこの場にいないために憶測でしかないが、前代未聞ではないかと思われた。
そんな周囲のざわめきを他所に、エミリーはエミリーで悩んでいた。彼女の予想は見事に当たり、魂に刻まれていた英美里のデータベースは確かに聖女の力の発現となった。なったのだが。
「消費MPが……」
ゲームで言うならば現在の彼女は初期レベル。身に付けたスキルは全ルート分。もしステータス画面を見ることが出来たのならば、間違いなくこうなっていたであろう。
ほぼ全てのスキルが真っ赤である。コストが足りない。
「……結局使えるのは初期レベでもMP足りる魔法と」
聖剣か。皆に聞こえない程度の声量で呟いたエミリーは、さてではどうすると再度悩む。
剣の聖女。彼女の肩書の正式名称はこれだ。癒やし系のヒロインではなく、どちらかといえばポジションは勇者。それを証明するように、ゲームでは使用出来る聖剣に様々なバリエーションが存在した。レベル、イベント、コミュ、その他の要素で開放されていくそれは、スキルとは違いコストはほぼ存在しない。
その代わり、条件を満たす必要がある。ゲームでは手に入れたのにステータスが足りなかったり好感度が足りなかったりとやきもきしたこともあった。
「――聖剣、抜刀」
宣言とともに出現する一振りの剣。大剣というには少し小さく、しかし片手剣には少し大きい。白を基調とした装飾と刀身に刻まれた紋様が、聖女の剣であることを証明するかのようで。
つまりはほぼ証明書としての意味合いでしかない、初期の聖剣である。ラインナップの中で即座に取り出せるのがこれしかなかった。初回限定の特典で手に入る特殊武器でさえ、レベルが二必要だったりする。貰えるタイミングの頃には絶対にレベル三に上がっているのでゲームでは何の問題もなかった。
「まあ、いいや」
なんか適当に戦闘してレベル上げよう。そんなどこかゲーム脳的なことを考えながら、彼女は剣を構え一歩踏み出す。この体が剣の聖女ならば、ゲーム中で可能だった動きは出来ないはずがない。
ヒュンヒュンと風切り音が鳴る。少女に似つかわしくない動きで、舞うように剣を振る。神官と魔法使いはぽかんとした表情でそれを眺め、クリストハルトは彼女の動きの原因を察して小さく笑う。一種幻想的なその光景は、彼女が一通り満足するまで続けられた。
「こんなとこかな」
ついてもいない血を払うように剣を一振りすると、エミリーは鞘に仕舞うような動きで聖剣を消し去った。勿論ゲームの勝利モーションである。
それを合図にしたように、神官や魔法使いは彼女を称える。素晴らしいと、流石は剣の聖女様であると。降って湧いたようなその賞賛に照れくさそうな笑みで返したエミリーは、ちらりとクリストハルトを見た。どうだと彼を見た。
かっこよく報告出来るよね? とドヤ顔オーラを出しながら彼を見た。
「……そうだな。あー……聖女殿、今度、私の婚約者に会ってみないか?」
「是非に」
行くに決まってんじゃん! しゃーおらー! 待ってた! そんな副音声が聞こえた気がした。
クリストハルトの任されている仕事はそれほど多くない。やがては国を運営する能力を十全に身に着ける必要があるものの、それは今すぐではないからだ。いうなれば、修業中の身というやつであろう。
そして何より、今の彼は世界の混乱を鎮めんと召喚した聖女の手伝いという任務を受けている真っ最中だ。不安要素は現状の世界の混乱の元である魔物を束ねる魔王の存在だけではなく、聖女という存在を所持している王国をよく思わない他国との軋轢も、当然ながらある。それらを解決する聖女を補佐せよ、というわけなのだが。
「……あいつがそんなことをするのか?」
ううむと彼は首を捻る。剣の聖女エミリー・フルーエ、彼女の中身をクリストハルトは知っている。夢を通じて、とある部屋で作戦会議をした経験から、多少は理解している。
悪人ではないだろう。だが、間違いなく聖人ではない。世界のために何かを、己を犠牲にする。そんなことをする性格ではないだろう。
ただし、世界ではなく。『彼女』のためならば。
「まあ、いい」
その一点は自分も同意してやる。そんなことを心中で呟きながら彼は王宮の廊下を歩く。聖女の補佐とはいえ、常に四六時中彼女についているわけではない。今日はそちらの仕事もなく、元々の書類を片付け暇を作ったのだ。
聖女召喚から慌ただしかった王宮も、ようやく落ち着いてきた。これである程度は普段取りに、彼は彼女に。
「殿下」
歩みを止める。声の方へと振り向くと、クリストハルトは満面の笑みを浮かべた。そこに立っている少女を見詰めた。
輝くような美しい金髪は長く、ツーサイドアップにしたそれがさらさらと揺れる。水面のように透き通ったその瞳は、彼に会えたことで嬉しさを湛えていた。整ったその顔立ちとは違い、あるいは違わず、穏やかさと優しさを溢れさせんばかりの微笑みは、万人を魅了すると言っても過言ではない。少なくともクリストハルトはそう信じて疑わない。
「カサンドラ。今君のもとへと行こうと思っていた」
「あら。……実はわたしも、殿下のもとへと行こうとしていて」
そう言って少し照れくさそうに視線を逸らす。そんな彼女の仕草を見て愛おしさが滾ったクリストハルトは、迷うことなく彼女へ近付きその美しい髪を手で梳くとそれに接吻をした。同じことを考えてくれて嬉しい、と迷うことなく口にした。
そのまま二人は手を繋ぎ、庭園でゆったりと時を過ごす。久しぶりだ、と彼がこの時間を堪能していると、カサンドラが少しだけ寂しそうに眉尻を下げた。
「どうしたんだ?」
「いえ……わたしの我儘で殿下の貴重なお時間を奪ってしまったのではないかと。最近はずっと忙しそうにしていましたし」
「君と過ごす以上に貴重な時間など存在しない」
はっきりきっぱりと言い切った。何の躊躇もなく即答したそれに、カサンドラは思わず手で顔を覆ってしまう。ここ最近はいつもこうだ。これまでも大切にしてくれていたのは分かっていたが、ここまで素直に真っ直ぐに告げてくれることはなかった。聖女召喚の儀で慌ただしくなったのがきっかけなのか、これまで以上に気にかけてくれるようになった。
それが彼女には嬉しくて、そして、悲しい。この身が、彼に相応しいかどうか。それを考えるたびに、胸が張り裂けそうになる。
「……はい。わたしも、この時間が何より大切です」
だから、微笑む。決して覚られないように、この幸せな時間に少しでも長く浸っていられるように。
そう思っていたのに。
「大丈夫か?」
「え?」
「言えないのならばそれでもいい。だが私は、カサンドラ、君の味方だ。それだけは、何があっても変わらない」
そう言いながら頬に手を添える。そっと軽い口づけをすると、クリストハルトは優しい笑みを浮かべたまま紅茶を一口。
それを見ていると、カサンドラは逃げ出したくなる。全てを打ち明けて、この首を刎ねてもらいたくなる。大好きだから、愛しいから、だから。
嘘をついている自分が、嫌になる。
「信じて、くれないのか?」
「いいえ……ですが」
彼のその決意と、自身の真実はどれだけの隔たりがあるのだろう。それを伝えたら、彼の笑顔はどうなってしまうのだろう。その時は、もう近くまで来ているのに。聖女が現れた以上、どうあっても、たとえ裏切り者だと罵られようとも、その結末は決まっているのに。
「……カサンドラ」
「はい」
「あー……」
クリストハルトは言い淀む。分かっているのだ。聖女召喚の儀の直前から、具体的には英美里と出会えなくなってから。カサンドラが自身の結末を予想してしまっていることも、そしてそれを半ば受け入れていることも。彼は知っているのだ。
だからそれは杞憂だと、そんなことなど気にせず笑顔を見せて欲しいと、今すぐにでも言いたいのだ。魔物だから何だ、あの部屋での作戦会議を経た自分はカサンドラが魔物の姿だろうが問題なく抱けるぞ。半々でもばっちり興奮する。ともすればそこまでぶっちゃけてしまえるほどにはクリストハルトも色々と押し込んでいた。
蛇足であるが、ここにエミリーかトルデリーゼがいた場合、非常に酷いことになった。ベクトルは違えどお互いに悲痛な思いを抱えているが、その点だけは幸いと言える。
「そういえば……聖女殿が、君に会いたがっているんだが……どうだ?」
「聖女様、が……?」
「いや、別に断ってくれても構わない。むしろその方が」
「そんな。わたしのような者でいいのでしたら」
「そ、そうか……」
「殿下?」
「いや、何でもない」
そうだ、カサンドラのような慈愛に溢れた女神のような美少女が断るわけないだろうに。辛うじて口にしなかった追加文を、発する際浮かべるであろう大分気持ち悪い表情ごと飲み込み、クリストハルトはすまないなと頭を下げた。そんな彼を見て、彼女はそんなことをなさらないでくださいとあたふたする。
「それに、わたしも少し、聖女様とお話したかったので」
「君の思っているような存在ではないぞ。断じて違うからな」
「殿下?」
どこか念を押すようなその言葉を聞いて、カサンドラは意味が分からず首を傾げた。
そんな仕草も可愛いな、とほっこりしているクリストハルトはエミリーに負けず劣らず重症である。
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