第3話

「それで、どうすればそのシナリオを破壊できる? 聖女を始末するか?」

「あらいやだこの王子吹っ切れ早過ぎない?」


 翌日。夜に現れたクリストハルトが英美里に述べた提案の初っ端がこれであった。思い切りがいいのは結構だが、世界より大事だからといって積極的に世界を破滅に導くのはいただけない。


「あたしとしては、末永く王子とドラ様にラブラブしてて欲しいんですけど」

「そう言ってもらえるのは光栄だが、現状聖女があの惨状を引き起こしているのは確かなのだろう?」

「いやまあそりゃそうだけど……」


 二次創作でも初手主人公殺しは滅多に無い。そういう場合には別のオリジナル主人公がいるか、登場人物の誰かが主人公の代わりを務めるパターンだ。そして英美里はそういう話がそこまで好きではない。クリストハルトとカサンドラがラブラブしているのは大原則だが、それは他のヒロインやメインキャラを不幸せにしてもいいというわけではないのだ。

 何だかんだでみんな楽しそう、が彼女の二次創作の理想なのである。敵キャラと悪人はその限りではないので多分に自分勝手な基準ではあるのだが。


「まあそれはどうしてもダメならって最終手段にしましょう。てかそもそも聖女が魔物絶対殺すウーマンじゃない可能性だってあるでしょ」

「普通に考えれば、魔物と仲良くしようと考えるのはありえない」

「でも聖女は召喚される。てことはそっちの基準じゃない可能性もある。だからワンチャンある。Q.E.D. 証明終了」

「何を言っているか分からん」

「ですよねぇ。まあ聖女って案外普通じゃないんじゃねってことで」


 とりあえず現状をどうにかする方が先だ。そう言って英美里は机の上のメモをペンでトントンと叩く。昨日までと違い、今日は作戦会議らしく机を用意し対面に座って話をしていた。そこに書かれている聖女の処理を丸で囲み最終手段と注釈をつけ、そのまま線を横に引いていく。


「まだ召喚の儀はやってないんですよね?」

「ああ。だが、まだ行っていないというだけだ。準備が出来れば恐らく即座に行使されるだろう」

「そっちの暦って今どうなってるんでしたっけ?」

「こちらは十の月だ」

「今召喚媒体の準備中なら終わるのに最低でも三ヶ月、発動準備にも一ヶ月は必要。シナリオ通りなら三の月、十四日が召喚の儀だから、まあ半年くらいは余裕ありますね」

「……お前の頭の中身はどうなっているんだ……?」


 当たり前のように何も見ず即答する英美里を見て、クリストハルトは軽く引く。このくらい二次創作者なら必須技能だから、と笑う彼女へぎこちない苦笑を返した彼は、その通りにならない可能性も当然あるだろうと続けた。

 蛇足だが、聖女召喚の儀が行われた正確な日付は設定資料集の開発者インタビューと小ネタ図鑑に載っている。通常プレイで日付が分かるのは四の月からである。


「《星見の箱庭》をブーストに使う可能性もあるっちゃあります」

「そうか。ならとりあえずそれを破壊――」

「その脳筋思考やめましょうよ。今こうやって作戦会議してるのも《星見の箱庭》ありきなんですし」

「む……そうだったな」


 はぁ、と溜息を一つ。そうしながら、とりあえず使われないように自分の部屋にでも隠しておけばいいと提案した。それは既にやっている、という言葉を聞いて、英美里は思わず目を丸くする。


「それの効果でここに来られるという話だったからな。昨夜の会話後、起きてすぐに自室へと移動させた」

「だったら何でぶっ壊そうとしてんだよ……」


 クリストハルトはそっと視線を逸らす。ああ分かった、こいつ好きな人のことになるとバカになるな。英美里はそんなことを感じ取って納得し、同時に彼がそこまでカサンドラを愛しているのだということに震えた。そういえばゲーム中でもそういう傾向があった、と一人頷く。


「王子って、魔法苦手ですよね」

「それがどうした」

「いや、別に」

「……普通なら確実に不敬罪だからな」


 暗に何を言いたかったのか覚ったのだろう、クリストハルトはジロリと彼女を睨む。まあまあと軽い調子で流しながら、英美里は話を元に戻した。それならば、とりあえず通常通りに進むと考えていいだろう、と。


「となるとまずやることは好感度稼ぎかな」

「何だそれは」

「二次創作のドラ様生存ルートのお約束なんですけど、正体が魔物だとしてもそれがどうしたって言える人がほとんどなら万事オーケーなわけですよ」


 王宮の人間なり王国の人間なりがカサンドラを大好きならば、討伐するという選択肢を生み出さない。つまりそういうわけである。クリストハルトほど極端でなくともいい。


「ふむ……その点については問題ないと思う」

「へ?」

「自慢になるが、カサンドラは素晴らしい女性だ。彼女を嫌うような奴がいるなどとは」

「あ、そういうのいいんで。クリス王子のフィルター多分曇りまくってるんで」


 自分としては深く同意したいところだが、ここは客観的にフラットに考えねばなるまい。そう結論付け、英美里は泣く泣く否定する。どれだけ素晴らしい女性だろうが、万人にあまねく好かれるというのは難しい。その素晴らしさが嫌い、という人間はどこかに湧く。


「まあとはいえ、王子が基本ドラ様を見捨てない限り王宮は大丈夫っしょ」

「否定しておいてそれか。お前、実は私を貶したいだけじゃないだろうな」

「脳筋に振り切ってるからダメ出ししてるだけで、あたしは王子とドラ様のカップリングが好きなんですぅ。だからそこはふざけてないです」


 誤魔化しはない。それを聞いたクリストハルトは苦い顔を浮かべ、しかし本当なのかと呟いた。当たり前だと即答する英美里を見て、彼は小さく溜息を吐いた。


「後は、そうですね……出来るだけお偉いさんも味方につけたいとこです」


 現状確実なのは婚約者であるクリストハルト王子一人。予想、というか希望ではその周囲の人間も悪感情は持っていないと考えられるが、しかし。有象無象がいくら募ったところで、王宮の内外にいる権力者の一息で吹き飛ばされる可能性は決して低くはない。


「カサンドラが魔物であってもこちらの味方をしてくれる人材で、かつ先程の言い分からすれば王宮以外、ということか?」

「まあ理想は。つっても帝国とかそこまで伸ばさなくてもいいんで。あの時のパーティーメンバーくらいかな」


 振り向き、以前も見た動画を開く。クリストハルトにとっては愛しい婚約者が嬲られ殺される場面なのであまり見たいものではない。が、その結果この光景が現実になるのはそれ以上に見たくなかった。


「この動画だと騎士団メンバーで固めてるなぁ……。この時点でサブクエやらずに仲間になるのは騎士団二人と宰相の娘だけだから……あんまし参考にならんなこれ」

「王国騎士か……お前の口ぶりからすると、騎士団長かそれに準ずる者をこちらに引き入れろということだろう?」

「ゲームだと団長とか副団長仲間にするには条件必要なんでこの時点では無理ですけど、まあ出来たら万々歳ですね」


 先程の動画にいた騎士は近衛の新人と先輩騎士だ。騎士団で仲間を集めるための取っ掛かりキャラでありつつパラメーターの伸びもいいのでついつい最後まで使ってしまう人も多い二人であるが、今この状況ではそこまで重要ではない。フラグやプログラムに縛られていない以上、それよりも騎士団長クラスを直接仲間にする方が手っ取り早いしお得だからだ。

 そんな考えをまとめつつ、クリストハルトはもう一つの選択肢を口にした。宰相の娘、という方だ。


「直接宰相を取り込めばいい話だな」

「そうですねぇ……何かさっきから脳筋発言だなぁ……」

「お前がそうしろと言っているだろうに」

「いやそうなんですけど……でも、宰相の娘は仲間にしとくとお得かなって」

「……トルデリーゼ・ベーレント嬢がか?」


 彼が口にした名前に、そうだと彼女は頷く。宰相ベーレント公爵の娘トルデリーゼ、彼女は《剣聖の乙女アルカンシェル》での初期メンバーで、器用貧乏な主人公、物理アタッカーのクリストハルトの二人をフォローするように搦手を得意としていた。具体的にはデバフをばらまく役である。このゲーム、状態異常やステータス低下が大小の差あれど全てのボスにも効くという素敵仕様で、おかげで短時間クリアのお供には必ずといっていいほどトルデリーゼがスタメン入りしていたほどだ。

 そして重要なのが、そのスキル構成に違わぬ性格である。ゲーム中のイベントによっては父である宰相を騙してそそのかした挙げ句、舞踏会で同い年の令嬢を蹴落とし謹慎に追い込むという悪役令嬢もびっくりな腹黒ぶりを見せ付けた。一部のファンからは倒される公爵令嬢こっちだろ、とツッコミが入ったほどだ。


「そうそう。てかむしろ腐っテルゼさんは味方じゃないと色々怖いからなぁ……」

「……何だって?」


 今物凄い単語が聞こえた気がする。そう思い聞き返したが、英美里は笑って誤魔化した。何も言っていないと言い切った。流石にこれを聞かれるとマズいと彼女も判断したのだ。

 ファンの中で、トルデリーゼは『トルゼ』という愛称で呼ばれることがままある。それだけならばまだカサンドラの『ドラ様』と同じ程度で済むのだが。問題はゲーム中の行動、スキル構成、そしてコミカライズの作画担当が気合を入れすぎた結果こっそりと生まれた追加パーツである。

 性根が腐っているトルデリーゼ。縮めてもじって腐っテルゼ爆誕だ。ネット掲示板のスレでちょくちょく使われて地味に流行った。イラスト投稿サイトの大百科の項目にもなった。英美里も友人も割とそれを使っていた。


「ともかく、彼女はこっち側にして損はないです」

「気になる部分はあるが、分かった。彼女の方は前向きに検討しよう」

「そうしてください。脳筋の王子より絶対役に立つんで」

「お前は一々俺を扱き下ろさないと話が進められんのか?」


 ジロリと彼が彼女を睨む。英美里はそんなクリストハルトからわざとらしく視線を外し、大して上手くもない口笛を吹いて誤魔化した。






 そんなこんなで二ヶ月。ある程度の成果が出てきたと述べるクリストハルトの報告を聞いて満足そうに笑みを浮かべた英美里は、ならば後は聖女対策だけだなと頷いた。


「召喚陣を破壊するか」

「だーかーらー! 今腐っテルゼさん仲間にしてるんでしょ!? そんなこと勝手にやったら間違いなくこれ幸いと足元すくわれて権力搾り取られてポイだよポイ!」

「……聖女の前にベーレント公爵令嬢を始末した方がいいのでは?」

「いや、何だかんだでゲームとかノベライズとかコミカライズとかスピンオフ外伝とかそういうのでも仲間は大事にする人で、味方なら頼もしいから。……仲間に、なってるんですよね?」

「一応、そのつもりだが。……どうなのだろうか。彼女は、こちらの仲間なのか?」

「そこはあたし確認出来ないんで何とも言えないけど」

「そもそも仲間を大事にする人間という評価の割に、こちらを踏み台にして捨てるというのはどういうことだ?」


 まったくもって仲間を大事にしていないだろう。そんな意味を込めた視線を受けた英美里は、しかし首を横に振った。ここで問題なのは『勝手に』という部分だ。仲間なのだから信頼して欲しい、そういうことなのだ。

 お前がこっちを信頼しないならこっちも相応のことやるぞ、というわけである。


「……面倒くさい女だな」

「そっすね……」


 二次創作などではその辺りをやけに誇張されているきらいがあるので、英美里的にはその評価はやむなしなのだが、実際に会って話をしているクリストハルトはどうなのか。そんな疑問が湧かないでもない。少しだけ彼女が尋ねてみると、何だかとても微妙な顔をした。


「いや、常に笑みを湛えて穏やかで淑女らしいといえばそうなのだが」

「だが?」

「どこか見透かされている気がして落ち着かん」

「……流石腐っテルゼさんと言っていいのか悪いのか」


 はぁ、とクリストハルトが溜息を吐く。そうしながら、それに、と視線を机に広げられている資料集に移した。


「最近どうにもカサンドラと二人きりになるのを邪魔されている気がしてならない」

「……え? あ、ひょっとして?」

「そういう類ではないと思う。ただ単に私の癒やしを妨害したいだけだろう」

「本当にぃ?」

「ああ」


 婚約者のいる王太子相手に宰相の娘がそれを行うことはまずありえない。ましてやトルデリーゼ・ベーレントであれば尚更である。彼女が聡明であるということはクリストハルトも認めるところだ、だから理由として考えられるのは。

 真意を、あるいは正体を探っている、といったところか。


「まあ、どちらにせよカサンドラは純粋に彼女と友人になりたいと行動していたからな。そこに打算などなにもない。現に少し嫉妬するくらい仲良くなっている」

「……え、じゃあそれ普通に王子が邪魔者になっているだけでは?」

「……」

「……」


 ふ、とクリストハルトは笑った。どうやら薄々分かっていたが認めたくなかっただけらしい。色々と理由を付けたのもそのためだ。ジト目で自身を見てくる英美里の視線を鬱陶しそうに手で払うと、話を続けるぞと言い放った。


「騎士団の方はイマイチなんでしたっけ?」

「王宮でも会うことが出来るトルデリーゼ嬢とは違って、騎士団へそうそう足を運ぶ機会はないからな」


 そりゃそうか、と英美里は頷く。ならば仕方ないと切り替え、現状の繋がりを固めつつゆっくりと広げるよう提案を出した。そんな悠長でいいのか、という彼の言葉にどこか呆れたような表情を返す。


「王子なんだから分かってるでしょうに。こういうのっては一日二日で出来るもんじゃないんですよ。ゲームですら信頼度序盤でマックスにしようと思ったら無駄に時間かけて一週間ぐらい延々と作業やらなきゃいけないのに」

「それはそうだが……時間がない」

「それはまあそうなんですけど。んでも、既に色々違うからなぁ。あのイベントの通りにはならないだろうから……んー」


 何かダメ押しを用意した方がいいのか。そんなことを思いながら首を捻っていた英美里は、ふと攻略本の背表紙を視界に入れた。何となしにそれを取り、帯ごと透明なブックカバーで保護してあるその表紙と裏表紙もゆっくり眺める。

 仲間全員の好感度イベント攻略、個別エンディングに辿り着く方法も完全収録。その謳い文句を噛み締め、ああそうかと立ち上がった。


「聖女を仲間にすればいいじゃん」

「何だと?」

「そうだよ。始末とか説得とかなんか物騒だったり後ろ向きなやつじゃなくて、普通に仲良くなれば良くない?」

「出来るのか? そこの映像を見る限り、仲良くしていても魔物の正体を晒させた挙げ句躊躇わず殺害する奴だぞ」

「まあそれはゲームだし……実際の聖女はもっと優しい可能性も十分あるでしょ。召喚の儀だって、聖女にふさわしい魂を呼び寄せ顕界させるっていうくらいだし」


 どうよ、と英美里はクリストハルトを見る。毎度のごとく、そこにふざけた様子が見られなかったのを確認し、やれやれと溜息を吐いた。いつもいつも考えなしに無茶を言ってくれる。そんなことを言いながらガリガリと頭を掻いた。


「分かった。では聖女もこちらに引き入れるとしよう」

「頑張ってくだせー」

「ああ。……ん? もう時間か」


 クリストハルトの体が薄くなり始める。あれ、と英美里が時計を見たが、普段より随分と帰還が早いと首を傾げた。

 恐らく聖女召喚の儀が近付いたことで《星見の箱庭》が何かしら反応しているのだろう。そのためこれまで通りの効力を発揮しづらいのかもしれない。とそんなことを二人で結論付けた。


「てことは、最悪このまま召喚の儀が終わるまでこっち来れない可能性もある感じですかね」

「かも、しれんな……。まあ、ここに来られなくなったとしても、お前に言われた通り、少しずつだがやってやるさ」

「はい、ドラ様のためにも」

「ああ。カサンドラのためにもな」


 そう言ってお互い拳をぶつけ合うと、それを合図にしたようにクリストハルトの姿は掻き消えた。暫し誰もいなくなった対面を眺めていた英美里も、小さく息を吐くと気合を入れるように拳を握る。


「うし。じゃあ今度クリス王子と出会うまでに」


 とりあえず今回のこれを参考にした二次創作でも書いておくか。そんなことを思いながら彼女はパソコンに向かう。執筆しつつ、情報を集めつつ。次の邂逅で何かアドバイスでも出来るように。

 だが、そんな彼女の思いとは裏腹に。古上英美里は、クリストハルトとこの部屋で再開することはなかった。

 この日から三日後。大学へと向かった彼女は事故に巻き込まれ、あっけなくその人生を閉ざされたからだ。

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