第2話

 翌朝目覚めた英美里は、ぼんやりと周囲を見渡した。何で床で寝ているのか、の記憶を辿り、そして昨夜のセリフがフラッシュバックする。


「……滅茶苦茶リアルな妄想、か?」


 うーむと首を捻りながら、一緒に落ちていた自身のスマホを拾い上げた。画面に録音を終了する旨のメッセージが出ているのを見て、暫し目を瞬かせる。自分の妄想による一人芝居が記録されているのを想像し、思わずうへぇと顔を歪めた。


「まあ一応確認しとくか」


 画面をタップ。録音終了は恐らく自身が倒れた辺り。開始のタイミングは、例のセリフを彼が紡いだ瞬間。半ば無意識に、素早く操作を行っていたはず。とはいえ、聞こえるのは間違いなく自分の声か周囲の雑音だけだろう。


『――一番、愛している女性だ! 命を懸けてでも守りたい相手だ! きさ――』

「……マジすか」


 スマホから聞こえてくるのは昨夜自分が尊さで意識を失った件のセリフだ。今度は倒れることこそなかったが、しかし別の意味で目眩がする。これが残っているということは、昨日のあれが夢でも幻でも、幻覚でも妄想でもなかったという証拠となるわけで。


「え? なんであたしの部屋が異世界と繋がってんの? って、あー、そうか。だからクリス王子も警戒したのか」


 自分が彼に述べた言葉を思い出す。《星見の箱庭》の効果を、いきなり目の前の怪しい女が語り始めたのだ。それも、知るはずもない王宮の情報と共に。

 あちゃぁと頭を押さえながら部屋を見る。あの後荒らし回ったということはないらしく、昨日と同じ乱雑で汚いままだ。自分の頭に叩き込んでいるデータと同じならば、意識を飛ばしたことでこことの繋がりが薄れ元の場所へと戻された可能性もある。あの道具は隠しダンジョンへの鍵であるとともに、聖女が元の世界へと帰還するエンディングのためのキーアイテムだ。フラグが立つまでただのインテリアだったはずなのだが、それはあくまでゲームの話。


「クリス王子がそもそも違うっぽいし」


 あそこまで情熱的に婚約者への愛情を持ってはいなかった。全くではないし、正体が発覚するまでは仲睦まじい様子ではあったが、世界で一番と宣言するほどではなかった。魔物だと知れば国のために世界のために迷いなく殺害する程度、天秤に乗せたら負けてしまう程度ではあったはずだ。


「……いや、実際どうなんだろ。もう一回クリス王子がここに来たら、ちょっと聞いてみよう」


 そしてもし、望んだ答えが聞けたのならば。その時は、己が二次創作を執筆するために身に着けた知識や集めた資料を駆使してクリストハルトとカサンドラのカップリング、通称クリドラを仕立て上げようではないか。

 そう決意し、まあとりあえず夜だろうから講義に行くかと英美里は服を着替え始めた。鏡に映った手入れ不足の髪をブラシで適当に整え、メガネをまだマシな方に変え。


「イベントまで時間スキップしたいなぁ……」


 めんどくせ、とぼやきながら彼女は家を出て大学へと向かった。

 そのまま何か起こることもなく講義を済ませ、昨日ボイスチャットをしていた数少ない友人とだべりながら時間を潰し。今日はバイト入ってないからと家に戻ると夜に備えて仮眠をとった。


「確か昨日はこのくらいの時間だったっけ」


 アラームで目を覚ました英美里は、コキリと首を回すと部屋を眺める。起きていなければ繋がらないだろうと予想を立てて、とりあえず現れるまでパソコンでもいじっておくかと起動させた。新たな情報が無いかどうかをネットサーフィンしながら探しつつ、時折ちらちらと背後を眺める。

 そうした時間を暫く過ごした何度目かの振り向き時、彼女の視界にはお目当ての人物が憮然とした表情で立っているのを捉えた。


「やった、また来た!」

「来たくて来たわけではない」


 喜びではしゃぐ英美里とは裏腹に、クリストハルトは今すぐにでも帰りたいというオーラを放っている。勿論彼女は知ったこっちゃない。急いで立ち上がると、聞きたいことがありますと彼に詰め寄った。


「素直に答えると思うのか?」

「あー、そうだよなぁ……あたしめっちゃ警戒されてんじゃん……」


 がくりと肩を落とすが、しかし即座に持ち直しそれでも聞けと彼を真っ直ぐに見る。その気迫に押されたのか、どのみち他に何も出来ないからのか。盛大な溜息を一つ吐くと、クリストハルトは言ってみろと促した。


「ドラ様――カサンドラ公爵令嬢のことは、どう思っていますか?」

「は?」

「これからの話に重要なことなんです。好きとか嫌いとか、愛してるとか、実は形だけの婚約者だとかそういう」

「少なくとも最後のはありえん。私は彼女以外の婚約者など考えられないからな」


 くふっ、と英美里の喉が鳴る。昨日の惨状をそれで思い出したクリストハルトが一瞬たじろぐが、意識が残っている彼女は大丈夫だから続きをどうぞと返していた。


「お前に言ってどうするというのはあるが……私はカサンドラを愛している」

「それは……何よりも大事、という意味ですか?」

「何を言って」

「これは真面目なやつです。クリス王子、世界よりもドラ様が大事ですか?」


 目の前の彼女にふざけた様子は見当たらない。何故いきなり極端なことを言い出すのかがどうにも気になったが、しかし向こうがそうである以上こちらがふざけたことを言うわけもいかない。そう判断し、彼はああそうだと述べた。自分は何よりもカサンドラが大事なのだと言い放った。


「本当ですね!?」

「くどい」

「もし王国や帝国、聖女教会や魔王軍を敵にしてもドラ様が大事ですね!?」

「世界よりも、とはそういう意味だろう? 迷うものか」

「…………おっふ。やば、シリアスだったのにちょっと尊みで意識飛びかけた」


 少し待って欲しい、と手でクリストハルトを押し留めた英美里は、その場で暫し深呼吸を繰り返す。大きいそれを数回行い持ち直したのか、表情を元に戻すと彼を見詰めた。これから、あなたにとっては荒唐無稽ともいえる話をします。そう前置きをした。


「あたしは、あなたの世界の物語を知っています」

「……どういう意味だ?」

「小説というか、盤上遊戯というか。とにかくそういう類の題材に、王子の世界が描かれてるんです」

「馬鹿馬鹿しい……と、いうわけではないのか」


 普段ならば一笑に付す発言だ。しかし、昨日や今日この空間に自分がいる意味がもしそれならば。小さく溜息を吐くと、クリストハルトは続きを尋ねた。それを告げてどうする気だ、と。


「王子には、あたしの知っている物語をぶっ壊して欲しいんです」

「意味が分からないな」

「……ここであたしが言っても説得力ないだろうし、ちょっと見てもらおう」


 よし、と英美里は背後のパソコンで動画サイトを開く。お目当ての《剣聖の乙女アルカンシェル》プレイ動画を再生させると、彼をその画面へと導いた。


「映像出力の魔道具か何かか」

「まあ、そんなとこです。で、これがさっき言った王子の世界を描いたゲームの動画なんですけど」


 成程、確かにそこに描かれているのは紛れもない自分のよく知る世界だ。聖女を召喚し、魔王に対抗する。その計画は実際に進められている。ならばこれはその未来を予想する、あるいは確かな未来の道標へとなりうる。そう思いながら、彼はその動画を見る。


「とりあえず、納得してもらえましたか?」

「ある程度はな。それで、私に何をして欲しいんだったか?」

「このシナリオをぶっ壊しましょう」


 言い切った。未来予想図、未来の確認。それらの参考に出来るであろうこれを、ぶち壊せとのたまった。ふざけているわけでも遊んでいるわけでもない。となれば、やはり本質は魔女の類であったのか。そう結論付けかけたクリストハルトの横で、これを見れば理由が分かると彼女は画面を操作した。

 動画が切り替わる。聖女召喚から時がある程度進んだらしいそこで、王宮のとある場所で。


「――は?」


 聖女の浄化の光によって、カサンドラが正体を暴かれ魔物の姿を皆に晒していた。浄化によって弱まった彼女を、クリストハルトと聖女、そして幾人かで討伐せんと戦いを繰り広げている。ゲームであることでダメージの表記や何を使ったのか、どういう魔法がどういう効果なのかが映し出されるが、彼はそんなものは見ていない。

 ただただ、目の前で、大事な婚約者が殺されるのを呆然と眺めていた。主人公たちは倒された魔物などを省みることなどなく、カサンドラの屍はそのまま物語から消滅していく。

 その中には、確かに自分がいた。クリストハルトが、カサンドラを、殺したのだ。


「この物語には沢山の結末と展開があります」

「……なら何故わざわざ」

「でも、ここまでの展開はどれも同じです。――カサンドラ様は、絶対に、魔物の正体を晒して、死にます」


 血の気が引いていくのが分かる。でたらめだと、作り話だろうと突っぱねることは簡単だ。だがもし、そうでなかったら? この物語のように、愛しい婚約者が殺されることになったのなら。


「何も起こらなければ、それが一番です。っていうかその時点であたしの知ってる物語は破壊されてるんで目標達成なんですけど」

「……もう少し、情報が欲しい」

「あ、はい。んじゃあたしの解説を交えて色々と」


 画面と本棚から持ってきた攻略本や設定資料集を使い、英美里はクリストハルトにシナリオを解説していく。そこに至るまでの流れを彼の頭に詰め込んでいく。その最中、自身の現状と合致する部分が殆どであったことで否が応でも信じざるを得なくなった。


「……カサンドラは、魔物、なのか……?」

「それは、あたしからはなんとも。てか、個人的にはだからなんだって話ですし」

「どういう意味だ?」

「どっちにしろあたしの最推しはドラ様なんですよ。あの人が幸せな光景を見るのが夢なんです」


 そっちは違うんですか? そう言って英美里がクリストハルトに尋ねたことで、彼は何かがストンとはまったらしい。ああ、そうか。そんなことを呟き、自分の発言を思い返し。

 世界よりも大事だと、迷うものかと、そう言っただろうと己の頬を張った。


「そうだな。魔物だろうと、カサンドラが俺の愛する婚約者なのは変わらん。世界を敵に回そうが、定められた物語を破壊しようが、それを貫いてやろうじゃないか」

「ふひっ」


 ちょっとタンマ、と鼻からボタボタと血を流しながら英美里は慌ててティッシュを箱ごと引っ掴んだ。大事な資料が汚れないように位置を調節して鼻血を噴いたのは流石というべきなのだろうか。ともあれ、話は一時中断。ついでに制限時間になったのか、クリストハルトの姿も薄くなっていった。


「明日また、話の続きを!」

「分かっている。……鼻血は大丈夫か?」

「はーっはっは! こんくらい楽勝楽勝!」


 本人がそう言っているのならばもういいか。そんなことを思いながら、クリストハルトは英美里の部屋から消えていく。

 そうして、昨日と同じ鼻血の痕が残された。

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