世界<推しカプの聖女

負け狐

プロローグ:オタ女と王子の作戦会議

第1話

「うーむ」


 真っ白の画面を眺めながら、一人の女性が唸る。その画面の横にあるスピーカーからは、ボイスチャットでもしていたのか誰かの笑い声が流れていた。


『ネタ尽きた?』

「いや、そういうんじゃなくて」


 ギシリ、と椅子を鳴らしながら体を反らす。積み上がっている本、ゲーム、そして空のペットボトル。そんな部屋の惨状とは裏腹に、彼女の体は不摂生を極めたそれとは遠い。色気も素っ気もないスウェットなどではなく、きちんとした服装ならば美少女二歩手前程度には行くであろうことを予想させた。が、おしゃれをゴミ箱に投げ捨てたようなメガネと洗っていないよりはマシ程度の髪のおかげでその予想も外れかねない勢いである。

 そんな彼女は、画面の向こうの知り合いに向かい、むむむと謎の唸り声を上げながら言葉を紡いだ。ネタはある、あるのだが。


「何か既にやってる気がしてきた」

『無いんじゃん』

「ちーがーいーまーすー。あたしのドラ様カップリングネタは湯水のように湧いているんですー」

『だったら書けよ』

「……」


 沈黙が生まれる。ほれやっぱり、とスピーカーから声が飛び、違うわいと彼女は叫んだ。ただ単に二次創作サイトに投稿されているネタと被っているだけだ、と言い放った。


『英美里ぃ』

「な、なんでござらっしゃいましょう?」

『ネタ被りとか別に気にすることなくない?』

「だって感想で「これ〇〇って作品のネタと同じですよね」とか言われたら軽く死ねるし」

『そう? 英美里のドラ様に勝てるような作品そうそう投稿されてなくない?』

「かなぁ……」

『ドラ様の二次書くためだけに攻略本や設定資料集とか考察サイトとかゲーム中のセリフやデータを一字一句記憶してる奴、普通いないからね』


 二人が話しているのは、とあるゲームのキャラクターの愛称だ。《剣聖の乙女アルカンシェル》というRPGで、やり込み要素が多数用意されており、その一つがカップリング。主人公は剣の聖女と呼ばれるキャラで、パーティーメンバーやサブキャラクターとの好感度を上げることによってルートごとのシナリオエンディングとは別の個別エンディングを迎えることが出来る。主人公が女性なので同性ならば友情の、異性ならば愛情のカップリングとなるのだが、彼女達が騒いでいるのは少し違う。そもそも『ドラ様』というのはその対象ですら無い。

 公爵令嬢カサンドラ。ゲームの攻略対象キャラである王子クリストハルトの婚約者で、王国に保護されていた主人公はその令嬢に色々と厳しいことを何度か言われる。だが、実はその正体は魔物で、序盤の終わり頃主人公の持つ聖女の力でその姿を暴かれ殺されるボス敵、というキャラだ。


「いや一字一句は言い過ぎ」

『九分九厘?』

「そんなとこかね」

『一緒だし……。やっぱ引くわぁ……』


 うわぁ、とスピーカーから声がする。うるさい、とそれに返した英美里は、仕方ないだろうと続けた。


「ドラ様は素晴らしいんだぞ」

『何度目だ』

「いや聞けよ。そもそも、主人公に文句を言うとか嫌味をぶつけるとかって説明がまず間違ってる」

『公式に喧嘩売るな』

「いや実際そういう人多いじゃん」

『まあねぇ。自分もそれは割と思ったし』


 カサンドラの主人公に対する態度は、悪役のそれというよりもどちらかといえば導き手の動きに近い。事実、ゲーム中では彼女との会話の後にチュートリアルが差し込まれることも多々あるのだ。そのため、プレイヤーは彼女を悪役令嬢というより先輩のお姉さまとして認識することも多かった。三十人以上のキャラが仲間になる、というのもこのゲームの売りであったため、発売前や発売してすぐの頃に最終メンバー妄想の話題でよく差し込まれていたのだ。

 そこへきて正体露見からのボス戦、殺害のコンボである。ツイッターとゲームブログは僅かな間阿鼻叫喚に陥った。そして、ああやっぱりこの手のゲームのお約束――導き手キャラは死ぬ――を外さないんだなと世の無常を噛み締めた。

 勿論そうでない人も同じくらい多かったわけで。主人公に対する悪役令嬢だしそんなものだろうと受け入れる派の勢いもあり炎上をすることもなく、《剣聖の乙女アルカンシェル》は人気ゲームとしてノベライズやコミカライズ、グッズ展開もされ息の長いコンテンツとして愛された。当然二次創作も活発であり、薄い本だって大量に出た。


「だからあたしはドラ様をいかにして幸せにするか、その方法を日夜妄想している」

『知ってる』


 そしてこの女性、年齢的にはギリギリ少女かもしれない彼女、古上英美里もそんな二次創作者の一人だ。彼女の二次には大きな特徴があり、その界隈ではある意味有名となっている。普段使っているハンドルネームでなくとも、匿名投稿をしたとしても場合によっては見破られてしまうほどのその特徴とは。


『だから、ドラ様とクリス王子がくっついてる前提のおかげでネタ尽きたんでしょ?』


 絶対にカサンドラの名前が出てくる。登場したならば生存する。ついでに婚約者であるクリストハルトとラブラブである。この要素が絶対なのである。たとえ出番がない短編であっても、その下地にはこの三カ条がある。一度カサンドラが死んでいる前提のネタを書こうとしたときは指も頭も全く動かなかったほどの重症ぶりだ。


「だーからー。ネタが尽きたわけじゃないんだってばよ」

『はいはい』

「流しやがった!?」

『そりゃそうでしょ。言い訳してる暇があったら書け』

「わーかーりーまーしーた。やってやろうじゃねぇかこの野郎!」


 ふんす、と気合を入れると英美里は猛烈な勢いで文字を打ち始めた。マジかよ、というスピーカーの声など聞いていない。彼女の画面は相手にも見えているので、これまでの会話なんだったんだというスピードで文章が出来ていくのは向こうも確認していた。

 とりあえず導入はこんなもんか。そのまま三十分ほど文章を打ち続けた後一息ついた英美里は、どうよとスピーカーの相手に向かって声を上げた。


『やっぱあんた引くわ』

「なんでだよ!?」







 ここは、と青年は辺りを見渡す。眠りについた寝室ではなく、王宮のどこかでもない。建物の一室のようだが、簡素なものではなくそれなりの資産を持った人物の家なのだろうということを感じさせた。ただし、本や何かに使うであろう道具、飲食物の容器などが散乱しているので決して清潔とは言い難い。

 研究室か何かだろうか。そんなことを思いながら、青年は――クリストハルトは足を踏み出した。同時に、自分の体が確かな実体を持っていないことに気付く。よく見ると、己の腕と足はうっすらと透けていた。

 だろうな、と彼は思う。突如こんな場所に転移するとしたら、夢を媒介にした精神系の魔法だろうと当たりを付けたのだ。実害はないが、何か怪しい魔道具でも起動していないか後で調べる必要がある。戻れないという可能性は考えていない。これが夢ならば、いずれ覚める、そう確信を持っていた。

 だから、目の前で何か通信機能のある道具を前に熱弁を振るっている女性へと、警戒することなく声を掛けた。掛けようとした。


「だーかーら! オリ主とドラ様カプはあたしの趣味じゃないっつってんだろ!」

『やっぱりクリス王子じゃないとダメ系?』

「微妙よりのダメ。ついでにいうとドラ様に憑依した系もダメ」

『クリス王子に憑依はいいの?』

「……内心ハイテンションじゃなければ、一応読む」


 でもやっぱりオリ主と変わんないから微妙。そんな言葉を続けながら、机に座っていた少女は道具をカタカタと操作した。画面らしき部位に文字が生まれ、あっという間に文章が、物語が綴られていく。

 クリストハルトはそれを見て動きを止めた。目の前に生まれたその物語、そこに出てくる登場人物に見覚えがあったからだ。一人は、自分自身であるクリストハルト・ブラウンフェルス。そしてもう一人は、愛しい愛しい婚約者、カサンドラ・アイレンベルク。その物語の中で、二人はとても仲睦まじく、そして甘い空間を生み出していた。


「このシチュさー、前にオリ主とか憑依系で見たわけよ」

『んで?』

「そこはクリス王子だろ! とか、本物のドラ様でやれよ! って思ったんで自分ならこう書くって決めてた」

『ホームラン級のドラ様バカだな』

「いやぁ……それほどでも」

『うんまあ褒めたよ? 褒めたけどさ……』


 横の機器から聞こえる声の主が溜息をこぼす。まあとりあえず今日は寝るわ。そんな声が続けて聞こえ、目の前の女性はそれにあいよと返事をする。会話が終わったことを知らせるのだろう音が鳴り、それを合図に女性はううんと伸びをした。ギシリと椅子が音を立て、体を思い切り反らした彼女は画面から背後に視線が移動する。


「……」

「……」


 それによって、画面の物語を読むのに集中していたクリストハルトと目が合った。目を見開いた彼女は、しかしその姿が先程話題にしていた《剣聖の乙女アルカンシェル》の登場人物と寸分違わないのを確認し表情を更に変える。


「く」

「……ん?」


 言葉が漏れた。それによって画面から女性へと視線を戻したクリストハルトは、そこでようやく自分が見られていることに気付く。流石にこの状況で高圧的に出るほど彼も腐ってはおらず、予想ではあるが簡単に説明をしようと、ついでに侵入したことについての謝罪をしようと口を開き。


「ああ、すまない。私は――」

「クリストハルト王子!? え? いや待ってどういうこと!? 現実!? これ現実!? あたしいつの間に寝てた!? いてぇ! 夢じゃない!? あ、幻? 幻覚? なんかやばいクスリやっちゃてた? それともイメージし続けたおかげで生み出せた超リアルな妄想?」


 喜んでいるのか驚愕しているのかよく分からないが、とにかく女性は叫びながら姿勢を戻そうと体を捻り、しかし視線は常にクリストハルトへと向けていたため盛大に転倒した。うぼぁー、と女性らしからぬ叫びとともに、椅子がひっくり返りその足についていた車輪がカラカラと回る。


「……大丈夫か?」

「クリス王子に心配された……やべぇ、あたし近いうちに死ぬかも」


 何か感動をしながら立ち上がり椅子を戻すと、彼女はありがとうございます大丈夫ですと頭を下げた。それならいいのだが、と返したクリストハルトは、改めて話を戻そうと言葉を続ける。


「話を戻す?」

「ああ。お前も突然私が現れて困惑したのだろう? そのことについて自分の見解を述べておこうと思ってな」

「あ、はい。でも多分クリス王子の思ってる困惑と多分違うと思いますです」


 彼女の呟きの後半は聞こえていなかったのか、ともあれクリストハルトはおそらく夢に干渉する魔法なり魔道具なりの力でここに移動してきてしまったのだろうと語った。それを聞くと、女性は少しだけ考え込むような仕草を取る。まあリアル妄想だとしても、幻覚だったとしても、己の持っている《剣聖の乙女アルカンシェル》の情報を使って答えが出せるのは当然だろう。そう判断し、彼女は彼へと言葉を紡いだ。


「クリス王子、《星見の箱庭》持ってます?」

「……先日、旅の商人から遠方の珍しい置物だとして城に献上された」


 クリストハルトの表情が一瞬にして変わる。何故それを知っている、と睨むように視線で問い掛けるが、女性は特に気にした様子がない。それがどこか不気味に見えて、彼は思わず口にしていた。お前は何者だ、と。


「あ、そういえば自己紹介してなかったですね」


 その問い掛けに彼女はあっけらかんと返す。妄想にしろ幻覚にしろ、やっぱりそういうシチュエーションだよなぁ、と彼に聞こえないような呟きをついでにしていた。


「あたしは英美里。古上英美里と申します。以後お見知りおきを、クリストハルト・ブラウンフェルス殿下」


 そう言って一礼をする眼の前の女性の動きは洗練されていた。そういう挨拶に慣れているのだと思わされた。それがクリストハルトにはますます怪しく映り、魔女の類なのかと警戒をされるまで至っている。

 ちなみに英美里の動きは二次創作のために頭と体に刻み込んだ《剣聖の乙女アルカンシェル》のデータの賜物である。先程ドン引きしていた彼女の友人の反応はもっともであろうと同意してしまうほどのものであった。


「それで、《星見の箱庭》なんですけど――あれ? 何かめっちゃ警戒されてる?」

「……続けろ」

「あ、はい。本来の機能は星占術に使うものです。だけど、王宮にあるそれは独自改良されていて」

「……」

「人の夢を取り込んで空間を繋ぐ、ちょっとした聖女召喚装置の劣化版みたいな」

「何故そこまで知っている」

「へ?」


 既にクリストハルトの視線は完全に敵を見る目だ。本来苦手分野である上に、この奇妙な空間で使用出来るかは分からないが、それでも魔法を行使せんとその右手には魔力を集めている。場合によっては、情報を聞き出す余裕などなく始末をしなければ。そんなことまで考えた。


「答えろ! 貴様は何故それを知っている? 俺をここに喚んだのも貴様なのか?」

「はぇ? え、いや別にそういうんじゃないです。王子がここに来たのは何らかの偶然、じゃないかなぁ……」

「偶然? 偶然だと? 原因を答えられる相手のいる空間に喚びされたのが偶然であってたまるか!」

「んなこと言われても!? ていうか、そもそも、あたしがもしここに喚ぶなら王子よりドラ様一択ですしぃ!」

「……ドラ様?」


 ぴくり、とクリストハルトの眉が動く。先程の会話でも聞こえていたその単語、誰を指しているのかは語られなかったが、しかし。言われずとも、予想はつく。一体誰を指しているかなど、容易に。


「勿論、カサンドラ・アイレンベルク様に決まってるでしょ! あたしの最推しはドラ様なんですよ!」

「ふざけるなっ!」

「うぉ!?」


 叫んだ。全力で、目の前のふざけた女に向かって。クリストハルトは吠えた。そんなことは絶対に許さんと、射殺さんばかりに睨み付けた。


「カサンドラは、私の、婚約者は……俺が、世界で一番、愛している女性だ! 命を懸けてでも守りたい相手だ! 貴様のような魔女に、指一本でも――」


 激高したまま、彼は言葉を紡ぐ。渡してなるものかと、愛しい愛しい婚約者を毒牙から守るのだと。

 だが、その言葉は途中で止まった。そう宣言したのと同時、目の前の彼女が倒れたからだ。何故か鼻から赤い血を流し、物凄くいい笑顔で、英美里はゆっくりと膝から崩れ落ちた。


「王子が、ドラ様に……ああ、やっべぇ、生きててよかったぁ……」


 ふふふふふ、と怪しい笑いを発しながら、彼女はそのまま倒れ、動かなくなった。

 そうしてこの部屋には、状況の高低差についていけないクリストハルトだけが残った。

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