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夕食のあと、父はいそいそとコーヒーを淹れてテレビの前に陣取り、野球中継を見始めた。青子と母は、父の後ろから見るともなしに画面を見遣り、煎餅を齧っている。
「ねえ。なんで、私に“青子”と付けたの」
昼間の友人たちとの雑談を思い出し、青子は母に聞く。
母は一瞬不意を突かれたような顔をしたあと、「ああ、ねえ」と言ったきり、バリバリ音をたてて煎餅を咀嚼する。ねえ、とは、ずいぶんおざなりな返事ではないか。
「青色が好きなの?」
「まあ、好きっちゃ好きだけど」
「子どもの名前にするほど?」
「そこまででは、ないねえ」
「なあんだ」
心地よい軽快な音とともに、テレビの中でバットがボールを弾いた。おお、と会場が沸く。父は、ああ、と落胆する。
「あのねえ」
母は頬杖をつき、声を張り上げる応援席を映すテレビ画面を眺め、
「青色のものって、なんだか大きいじゃない。ほら、空とか海とかさ」
「うん」
「そのイメージで、清々しく伸び伸びとした子に育つと良いねって、お父さんと」
「へえ、意外」
「なにが」
「もっと適当に付けたのかと思った」
母は笑った。生まれたばかりの自分を前にして、そんな会話を若き日の両親が交わしていたとは想像し難い。
そのとき、しばらく画面に齧りつき、渋い顔でコーヒーをすすっていた父が振り向き、「けれどさ」と話に割り込んでくる。
「それを最近思い返すと、どうも笑えてくる。清々しく伸び伸びした女の子!って」
「どういう意味よ」
むっとした青子をとりなすように、「まあ、近からず遠からずってところだよね」と母は穏やかに答える。
「分かった。私がじめじめくよくよしてるって言いたいわけね」
「お前が清々しいかじめじめしてるかってことじゃなくて。『どうやったらそんなに都合よくいくんだよ!』って、あの頃の俺はずいぶん馬鹿だったんだなあって、そう思って笑えるんだよ」
父は言いながら自分も煎餅に手を伸ばす。それを律儀に手で小さく割り、広げた口に放る。
「清々しい、とか、伸び伸び、とかはさ、親の希望だよ。学校に行ったり、友だちが出来たりするたびに、青子は自分で考えるわけだ。頭が良くなりたいからもっと勉強しよう、男の子にモテたいからもっと可愛くなろう。結局さ、親の理想は『親』の理想なんだよ。青子が、自分はもっと違う自分になると思ったら、そんなの簡単に裏切られる。切ないもんだよ」
再び中継が盛り上がりを見せると、父の目は画面に吸い寄せられ、手元に残った煎餅のこともすっかり忘れ去ってしまったようである。
「そういうことなら、青のつく言葉には『青二才』とか『青くさい』とかがあるよねえ」
再び、母。
「どちらも、未熟とかって意味だけど。なんだか、育ち甲斐のある名前じゃない」
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